南部プラネタリウム | ナノ


#宇宙飛行士になるための本 後篇
#2 ミストレーネ・カルス

 男女問わず、基地の中で人気であるのがミストレーネ・カルスという人物であるが、彼、風貌は女性のようだった。顔立ちは周りも見ても彼に勝る者は現れたことがなかったし、瞼が腫れても、鼻血を出しても、歯が折れても、何故かきまっていた。自身でも自負している点であり、それが武器となることも熟知していた。ただ、自分の武器以外のことの認識が疎かで、自分がどういう人間かも表面上は解っていながら、内面的なものは友人のバダップやエスカバの方がよく理解していた。
 成績はもちろん優秀だが、彼、似合わず白兵戦が得意である。白兵戦の演習では、必ず自分より体格のいい軍人をなぎ倒して上位に残るほどの実力で、それに頭が弱いわけでもないので、戦闘機は操縦できるし、筆記テストも常に上位をキープしている。そして彼の実力が発揮されるのは演習でも筆記テストでもない。戦争である。
 バダップが率いる小隊で、隊長・副隊長を除けば隊一の成績のミストレは、他の軍人とはあまり仲良く出来なかった理由は自分よりも劣り、鬱陶しく、邪魔だと認識していたからだ。それは、名前にも同様、いや異様にそう思っていた。その理由は他ならぬソレが原因だった。




「ああ、一応はチェック済み。けど、そこまで詳しくは調べることができなかったからね」
 ミストレは短くなった髪の毛の毛先を弄りながら名前に視線を送る。ミストレがこの基地へ来て、エスカバと別れた後、個人的に名前を部屋の前に来るように言ったミストレは夕食と風呂を済ませて名前と対峙した。名前は夕食は済ませたが風呂は済ませていないし、歯も磨いていない。あまりにもスッキリとしたミストレの表情を見上げ、眉を顰めた。初めてミストレに嫌な気持ちを持った。だが、それを言ったところで動じない事も解っていたし、何より自分の言葉など彼には意味がないとも解っていた。
「そんなに……気になるんですか?」
「俺だけじゃない、バダップだって気になってる。バダップには俺が知っている情報より詳しいの教えてるんだろ?教えてくれよ、俺にも」
「………安易に教えるものじゃ、ありませんから」
「あんたの側で死ぬのに?」
 名前は肩を強張らせて、彼が最期どういう結末になるのかを想像するとゾッとなって、顔を青ざめて、俯いた。
 彼は死ぬ。
 わたしの側で死ぬ。
 それが名前にとって、非常に重くのしかかる現実であった。
「あんたの事を教えてくれよ」




 それからというもの、ミストレと名前は一緒に行動するようになった。隣にいたはずのエスカバがいない事を触れないように、エスカバの話をしないように心掛けるのを決して気を抜く事も忘れることもしなかった。二人はエスカバの存在を胸に秘めていた。
 そしてエスカバは段々と死と向き合うようになり、怖さを感じるようになってきた。幾度も戦場を駆けてきた自分が今更になって死というものが怖くなってきたのである。それは戦場で死ぬということよりも、目の前にある「死」が着実に自分に迫って来ているということの方が怖かった。戦場では少しでも希望を見出せる環境であり、自分の実力があった。しかし今回は地球を一度救うことができるが、死ぬ。国のためではない、地球の、人類の為に。
 そして数日後、バダップがこの基地に訪れ、プロジェクトに参加するということを知って絶望を感じて仕方なかったミストレは、初めて友人であるバダップに対して殺意が湧いた。この時からすでに、何故ここにバダップが居ないのかということを把握済みだったからである。それは、このプロジェクトに名前がいて、エスカバがいて、自分がいるのにバダップがいないということから導き出せる答えはひとつだけだ。
 バダップが訓練中の昼間は名前とミストレは会議に出ることが多く顔を合わせることも必然と多くなっていた。ただ、寂しいと感じたのは、目の前にいる自分のことよりもバダップのことを終始考えていることがミストレの心を抉り、その感情に結びついていったのである。それは、やはり他ならぬソレの感情があるからだろう。
 死期が近付くにつれて、ミストレはエスカバの心を感じ取るようになってきた。まるでエスカバが自分にのりうつったかのように、その顔はエスカバそのものの顔で、「ああ」「ああ」と二度、俯きながら呟いた。死期が近づいていたので、伸びた爪を切った。

 ソファーに蹲り、頭や腕を掻きむしって苦しむ名前の背中に手を置いて、医務員がいないかと探しながらバダップがこの場に来ないことを願った。この姿をバダップに見せたくは無かった。それは自分だけのものにしたいだとか、共有したいだとかそういうことではなく、名前が今の姿をバダップに見られたくないだろうという、その心配があってからだった。今、発作を止める薬は無く、一度医務室へ行って薬を取り、帰ってくるまで往復30分は有するし、鎮静剤もないし、人気もないので、ミストレはただ背中を擦ることしかできないのだ。唇を噛んだ。
 ぷるぷると小刻みに震える名前を見下ろして、ミストレは死の苦しみと、死ぬことのできない苦しみは、どちらの方が苦しいのだろうかと考える。ネグリーは不死。名前も不死。それは、喜ばしいことなのだろうか?
 ―――リリスのソースがあれば。
 しかし、ソースを埋め込んだが、拒否反応を起こしてしまい力は宿らなかった。奇怪獣からのソースを埋め込むのはやはりリスクが高い。ごく少量のソースだけでも吐き気を催すのだから、ミストレは人間からソースを埋め込んでもらうしか方法はない。

「これバダップさんにも言ってないんですけど、科学者の間では、ネグリーはアダムって呼ばれています」名前は自分の持っているネグリーの情報をありったけミストレに教えた。しかし名前もソースを持っている、ということしか無いので、ミストレが求めるネグリーの情報は無かったのかもしれない。しかし、ミストレはそれだけで十分だった。名前のネグリーの情報を聞いている時に、自分はネグリーを知りたかったのではなく、名前を知りたかったのだと気付き、それからはネグリーを使ってなるべく名前と一緒にいるようにした。
「鎮静剤はリリスのソース、それを組み込むことで、発作が止まるようになります」

「名前」苦しむ名前に声を掛ける。
「俺が死ぬまで、死んでくれるなよ」消え入るミストレの声は苦しむ名前には届かない。「死なないのは解ってるけどさ」ミストレは構わず続けた。
「俺は死期っていうものを感じるようになってからは一日が大事なんだ。こんなところで苦しんで立ち止まるあんたに手を差し伸べることができるほど優しい人間ではないよ。だってあんたは、死なないだろ?その苦しさは解らないしあんたも俺の苦しさを解らない。今どれほど苦しい?俺は、俺は………、寂しいよ。友人と、あんたを残して逝くのが」
 名前の発作が徐々に消えていく。伸びたら切る様にしていた爪は、もうほとんどない。
「……ごめん、なさい」
「あんたのそれ、直した方がいいよ」
 ミストレは名前の背から手を離し、自分の上着を空いた背中にかけて、小さな歩幅で医務室を目指した。青い顔の名前はミストレに従うままに医務室のベッドに座って、医務員から鎮静剤を打たれて静かに横になり、目を閉じる。鎮静剤が打たれた箇所が赤く膨れ上がるのは、名前の体が限界だという証拠であった。
「俺は随分とあんたの事を知ることができたと思う」
 ミストレの言葉に名前は微笑んだ。
 その後、2時間が経ち、名前は自室へと帰った。ミストレは食堂でコーヒーを飲みながらぼうっとしていると、目の前に西光寺が現れる。同じようにコーヒーだが、大きな手の中には砂糖とミルクが大量に掴み込まれていた。西光寺は甘党で有名なのである。
「ミストレ君」
「……はぁ」
「きみにはぜひ、次のフライトを担当してもらおうと思っている」
「わかりました」
「きみもなかなか肝が据わっている。惜しい人材だが今回はまたすこし大事な一歩なので、第一号をきみにしたいと思ったんだ。なに、悪いことじゃないだろう」
「いえ、私は、プロジェクトの一員ですので、従うまでのことです」
 ああ、ああ、きたのか。
「解りました」
 とうとう、ついにきてしまった。
 自分の順番が回ってくるのは、案外思ったよりも予想していたよりも早かった。自分の爪の長さを確認して、切る長さでないことを残念に思った。黒い海に波を揺らし、西光寺は砂糖とミルクを入れてかき混ぜ、一気に飲み干して席を立つと、ミストレの黒い海は飛沫を上げて白い机の上に飛んだ。太股の、薄汚れたカーキ色の洗濯をしすぎて柔らかくなった軍服を思い切り掴み、髪や腕を掻きむしって苦しむ名前の姿を思い出して、何も思えなくなってしまった。
 食堂には、次第に軍人の波が押し寄せた。

 その夜、西光寺はミストレの部屋に訪れた。西光寺は、ミストレに自分についてくるように言って、研究室へと足を進めると、奥の重い扉の前に立ち、背中を押した。ミストレは押されるまま、開く扉の向こうの、プラグを跨いで、あるひとつのものに食い入るように見つめた。それは、ある人の脳だった。ただ絵にするのは少々難しいと思えるほどにプラグの数々が集中している。プラグを抜けばその脳には無数の穴があいてしまうのだろうと思った。
 後ろに立っている西光寺の方へ振り向いたミストレに、西光寺は笑って「こちらに来てごらん」と数段の階段を上がり、プラグが顔を見せている箱の中を覗いて、ミストレは言葉を失い、息をするのも忘れてしまうほどに、目を瞑って頭部の部分がない友人の姿に肩が上がった。
「彼にはこうして死んだあとも貢献をしてくれている。そしてきみは、この研究結果の第一号者。彼も喜ぶだろう」
「だがしかし、見栄えは悪いかもしれないな……」西光寺は顎に指を添えて考え込んだ。
「戦う為には、やはりこのようにならなければならないのでしょうか」
「……このように、とは、つまり、人間の姿形でありたいということだろうか?生憎だが脳以外の内臓は余計なもので無駄にエネルギーを使ってしまうのでそれはできない」
「そうですか、わかりました。………この事は、名前には、」
「もちろん話すさ、この研究結果もね。しかしまず初めに当事者からだろう」
 西光寺は「鷹」育成の他、ネグリーの研究に携わっていた。背丈は高く顔も若い。見た目で言えば30代の男性だが実際は40代後半である。研究者でもある彼は自分の体にあう奇怪獣のソースを埋め込んで、若さを保ち、更には強靭な肉体も得ている。名前にネグリーのソースを埋め込んだ科学者、研究者の中に西光寺がいた。
 ミストレは「そうですね」と頷いた。目の前にいる死んだ友人は、死んでなおこの戦いに貢献している。その脳は、こうして研究に使われて成功をおさめた。自分が最期に贈った言葉を、彼は今どう思っているのだろうか。まさに、未来の為に。
「この戦いはいつ終わるのでしょうか」
「いつだろう」
「名前の体はもうボロボロです」
「鎮静剤を打たなければいけない体になってきたからね。『鷹』として育ててきたつもりだったから少し名残惜しい。それに、私が初めて奇怪獣の研究に携わり、成功をおさめた例が彼女だった、我が子を見ているようさ」
「それでも名前を戦わせるのですか?」
「もちろん。しかし、やはり名前は人間だ。奇怪獣ではない、いつか死ぬかもしれないし、細胞が暴走を初めて、名前自身が奇怪獣になる可能性も大いに考えられる。それを想定して、科学者と研究者は今もネグリーの研究を行っている。名前の後継者を作る為に。大事を考えてね」
「………名前は今日も苦しんでいましたよ。髪を掻きむしっては、廊下に髪をばらまくし、腕には引っ掻き傷ができた………すぐに治ってしまいましたが。吐血だって何度かしていたし、鼻血だって。俺が拭うのも間に合わなかった」
「…………。そうだね」
「………」
「きみは私に何が言いたい?」
「名前を解放してやってください、この戦いが終わったら、名前を解放させてやってほしいんです。そして、リリスのソースを、バダップ・スリードに埋め込んでみてください。彼なら、彼ならきっと、相性も合うと思いますから」
「何故バダップ・スリードなんだ?」
「ネグリーが名前だからです」
「他には?」
「ありません」
「そんな根拠を信じて安易にソースは埋め込めないよ。彼には名前の言い伝えがあって、そう簡単には戦争に出すことだって、」
「出さなくてもいい、それは今関係ない。俺は戦いの話をしているのではなくて、バダップにリリスのソースを埋め込んでやってほしいと言っているんだ」
「リリスのソースは限られているんだぞ」
「リリスのソースの埋め込みが成功すれば、バダップが死なない限りソースは無限ですよ」
「……ふむ、きみがそこまでいうなら検討しておこう。これでいいかな?」
「そうですね それから名前のことです」
「解放の件かな?それも検討しておこう。世界で唯一のネグリーのソース保持者は彼女しかいないからな。貴重な存在だ。ミストレ君、きみには理解できないほどに、名前の存在は貴重なのだよ、わかるかね。替えが出来れば考えはするよ」
 替えが出来れば、それならばいい。ミストレは俯いた。彼の俯き癖は幼いころからだった。いつも注意をされたり、怒鳴られたりすると俯いてしまう。その度に顎を蹴られた。上を向け、俺の顔を見ろ、母親を酷く憎んでいた父親は、母親似の息子を酷く嫌っていた。暗い部屋の隅で膝を抱えて乾くまで泣いて、貧相な缶詰をおかずにして白米を食べた。風呂には二日に一度しか入れなかった。外出はもちろん出来ず、妹と一緒に絵を描いて過ごした。ずっと家で仕事をする父は軍人の端くれで、サイバー攻撃を仕掛ける立場にいた。ミストレはそんな父親の後姿を見つめながら、軍人になった。時折妹と文通をして、妹が芸術大学に入ったことを喜び、祝いの品を贈り、妹が描く曲線と色遣いを部屋に飾り、気付けば明日、死ぬ。
「どうか、よろしくお願いします」


 ミストレは部屋に戻り、妹に手紙を書いた。自分のこれからの事、父親のこと、自分の任務での報酬金がある銀行の口座、好きになった女性のこと、その女性とこれから生きること、友人のこと、軍のこと、どうか生きてほしいこと。無心になって書きすすめ、終わりの文字を書き、手紙の枚数に驚いた。A4の紙にびっしり字を書いて5枚になった。そして、誰かにわたるかもわからない手紙も書いていた。その内容は、友人に謝罪する言葉の数々、本当の事。本当は歳が近い妹がいること、その妹と傷のなめ合いをしていたこと、セックスをしたことがあること、母の顔を知らないこと、父に殴られてきたこと、叩かれてきたこと、ご飯の量だったり、様々なことだった。
「誰がこんなの見るんだろうね」
 ずっとこれから、言えるはずのない自分の醜態。これからずっと隠していく真実の自分の姿。
「こんな俺を、誰が認めてくれるんだよ。バダップだってエスカバだって、名前にだって、認められるわけがないんだ、絶対に、ない、ないだろ、無いんだよ、絶対に」




 奇怪獣との戦争は終盤に差し掛かっている。西光寺は、科学者と研究者、軍人数名と名前の数十余名に告げた。それを聞いた名前は顔を明るくして、会議が終わるとすぐに会議室から飛び出してバダップの元へと向かった。ミストレも名前に続いて自室に戻ろうと席を立つと、西光寺がミストレを呼びとめ2枚のプリントを渡した。端末のメモリではないことに違和感を感じたが、先程も1枚のプリントだったので、なんらかの意図がありこの形にしたのだと内容も見ずありがとうございますと礼を言って会議室を出た。そして重い扉を閉めた後、そのプリントに内容に目を通す。
 内容は、今回の作戦の事についてだった。そして自分の事が事細かにその後どうなるのかが記されており、そして、名前の今後についても記されてあった。ミストレは名前の後を追った。


「バダップは若いころ、そこらへんにいる女捕まえてホイホイセックスするような奴だったけど、あんたに出会ってからはめっきりそういうのが無くなった。つまりはあんたの事が好きってことでしょ?」
「そ、そう、でしょうか。あの女性とバダップさん、とても親しい間柄に見えました。わたしもよく見ないで近付いたのが悪いのかもしれませんけど、でも、でも………わたしの、勘違いならいいんですけど」
「そんな事考えてる暇あるなら、一刻でも早く世界救うために何が出来るか考えた方がいいね。そのことで、西光寺さんからこれが。見ればわかるよ」
 ミストレが名前に、先程のプリントを渡した。不思議そうにプリントを受け取り、その内容を読んでいくうちに、また表情を暗くして、唇を固く結んだ。
「……次はミストレさんなんですね」
「なに?何か文句でもあるの?」
 いえ、ないです。
名前はプリントを机の上に置き、ベッドに座っていたミストレを押し倒した。急に倒されたミストレは自分の状況が把握できずに、視界にある名前を見つめて「は?」と間抜けた声を出す。名前は白い肌に手を乗せて、鼻を噛んで唇にキスを落とした。10代の頃、長かった髪はベッドの上に四方八方に散らばったが、成人になって短い髪になったミストレの髪はベッドに散らばる事はなかった。
ミストレは名前の肩に手を置く。
「俺があんたのリリスであればよかった」
 細い首に腕を回し、噛みつくようにキスをして舌を伸ばした。口内で舌を弄って、首に回した腕を腰に移動させて、臀部に手を這わせる。名前の髪がミストレの頬に垂れた。
「わたしと、パイロットに選ばれた軍人はシンクロ率を上げるためにこうしてセックスをするように言われました。それは、肉体的にも精神的にも、相手に心を許すという形を実現するためだそうです」
「………、バダップが主パイロットだったら、もう、一日で敵を一掃出来そうだね」
 臀部に這わせていた手は次に背中に移動する。
「俺は女をたくさん知っているけど、あんたはまた別の匂いがする。とても、懐かしい、誰かの中にいた時に持ったように、心臓の音を聞くと、懐かしい。ひどく懐かしくて、海の中にいるみたいでさ。母親って、こういうものなのかなって、今はじめて思ったよ」
 ミストレは名前の胸に耳を当てた。名前はそのミストレの頭を抱いて、これから脳だけになることだけをなるべく考えないように、バダップのことを考えないようにして、ミストレと共に夜を過ごした。




「それでは、ミストレ君、よろしく頼んだ。準備はいいだろうか」
 西光寺はライトの下にいるミストレに声を掛ける。ミストレは静かに頷いた。頷いた後「出来ていますよ」と告げた。ミストレの首には直接名前の保有しているソースを埋め込まれ、苦しむミストレを寝かし、そのあと何本もの注射器でソースを埋め込んでいく。吐血、鼻血を出し、息の出来ない苦しさに、凹凸の出来ている喉に手を掻きむしる。赤くなった喉元を名前は静かに見下ろしていた。
「昨日、また研究を重ねて、首から下は無くなるがその上だけは残るように尽力したよ」西光寺はカルテを置きミストレの頭を撫でた。「おめでとう。これからは一瞬だ。最期に、名前と会話することを許そう」
 息の出来ないミストレが話せる言葉は少なく、話すこともままならない状態である。名前は一歩ミストレに近付いた。
 ―――俺はいつも苦しむ役回りばかりだった。
 掠れたミストレの声を聞き取るのは難しい。しかし耳の良い名前には聞き取れた。名前は頷いてミストレの手を握る。するとミストレは苦しむ顔を一変させて、微笑んでその手を震えながら握り返す。
 妹を護って殴られ蹴られた背中は、ここで切り落とされる。父親に初めて反抗し折られた腕は無くなってしまう。傷だらけの自分の頬にキスを落としてくれた妹との唯一の誇りだけは残る。
 ―――だから、

「きみは いきて」






親愛なる妹様へ

 親愛なる妹様へ、お元気でしょうか。別紙にて、あなたが一生暮らしていけるほどの、俺の銀行口座を記してあるので、ぜひ活用してください。父は元気でしょうか。俺はそれが心配でなりません。俺は父の役に立ちたくて、父に振り向いてもらいがたい為に軍人の道に進むことを決めた日、あなたは行かないでくれとずっと側にいてくれと言った日のことを昨日のことのように思い出します。
 あなたの絵は、部屋に飾ってあります。毎朝、あなたの絵画を見ながら5分間何もせずただぼーっとしている時間がたまらなく大好きです。
 そして、俺には好きな人が出来ました。まだ出会って間もないけれど、とても大切な人です。同じ隊にいる親友と同じくらいに大好きな人です。今までこんなことを手紙にして送ることなんてなかったので、こうしてみるとどこか恥ずかしく痒くて、この後何を書けばいいのか迷ってしまいます。そしてその人と生涯を共にすること、最期まで一緒にいることになりました。
 もし、あなたがまだ父親に虐待を受けているのであれば、俺の任務での報酬金を使って逃げてください。俺はそのためにこの金を溜めました。







 さいごに、あなたはどうか、俺の分まで幸せになってください。俺ができなかったこと、あなたがしてください。あなたの生きる世界は俺がずっと護ります。なので、生きて、幸せになってください。俺はあなたが大切です。なのであなたの幸せを祈ります。
 もう時間もありませんので、終わりにしたいと思います。幸せな時をありがとう。ずっと愛しています。

 それでは、また。



宇宙飛行士になるための本・了
♪Song ELLEGARDEN「Insane」