南部プラネタリウム | ナノ


#宇宙飛行士になるための本 前篇
#1 エスカ・バメル

 エスカ・バメルという人物は風貌や体形に似合わず、白兵戦の作戦を練る事の方が好きなのである。もちろん、彼も拳やナイフで敵をねじ伏せる訓練だってしてきたし、技術も群を抜いて素晴らしいものを持っている。しかし彼の才能は、それをどう動かすかにより、磨かれ、輝くのである。
 彼には2人の友人がいた。彼は19歳になる。17歳の時、彼らは今まで同じ釜の飯を食ってきた仲間を大半失った。敵国との、半年にわたる長い戦いは、友人バダップ・スリードとミストレーネ・カルスと協力して行ったひとつの小さな作戦により転機が訪れ、自国の勝利として幕を閉じた。彼は優秀な人材だったし、重宝されたし、訓練を怠ることはなかったし、国に命を捧げて貢献してきたようなものだし、彼は生まれてから今まで、自分の国のために生きてきた。だから、軍人とかそういう、国の為に生きない奴が大嫌いだった。
 ということで、19歳になるまで、たくさんの経験のために少々捻くれている点もあるが、それは彼がまだ幼い心を無くしていないという証拠で、受け入れながらも心のどこかでは何かの在り方を、何か抵抗してきて、何か受け入れられてない部分があって、そういう性格になった。自分を受け入れてくれる器がほしかった。
 けれども、彼は、19歳という子どもでありながら大人で、地位は中尉。十分なほどだった。彼は左ポケットにナイフを入れていた。


 食堂にはいつも通りの定食が置かれていて、目の前でサラダを頬張る名前を見つめているエスカバは溜息を吐いた。その溜息に反応しつつも、名前はサラダを食べる手を止めない。エスカバは程、今回の作戦で行うデータの更新を行っており、丁度15分程だったところだろう、気になりだして、それでもサラダを食べる名前を待っていないといけないから溜息を吐いた。彼女は野菜が苦手で、苦手なものを後回しにする癖があるから、残ったサラダを中和する食べ物が今何ひとつない。それを学んだエスカバは煮物を残している。彼女のためだ。
「ほらよ」
 エスカバは煮物の皿を、焼き肉が入っていた皿と交換した。名前は顔を上げてありがとうございますと、すぐに煮物の皿を持った。それを見たエスカバは「一気に食うなよ」とため息交じりに皿に指を掛ける。
「好きなドレッシングとか、そういうの見つけとけよな。そしたら少しは食えるだろ。あと、煮物でもなんでも、一品くらいは残しておいて、交互に食べるとか、工夫しろよ」エスカバはそう言ったが、次の日には同じように野菜だけを残す。名前はそういう性格だ。

 バダップとは、結局、会わずにこの第一基地に訪れてしまった。外部との連絡は兵士は禁じられている。エスカバも例外ではない。もう、バダップがこの基地に来ない限り会う事はないだろう。ただ、このような喧嘩染みたことはよくあったし、今でもあるから、エスカバは自然に、また会ったら「よお」なんて言って片手を上げて「飯でも食いに行こうぜ」と、普段通りに関係が戻っているだろうと確信していた。以前はお互いに鼻血や瞼が腫れたり頭にたんこぶができるまで殴り合った喧嘩をしたこともあったし、今回はプライドも関係するけれど、それでもバダップは、おかえりと笑みを見せてくれるだろうと思っていた。それがバダップなのだと。まぁとにかく、作戦にも適性というものがあるし、バウゼンが指名したメンバーなのだから仕方の無い事なのだ。エスカバは何一つ、バダップに対し悪い事などしでかしていない。
 基地へ来て、作戦の概要を一通り説明を受けたエスカバと名前が、ここへ寝泊まりをして二日が経った。
 名前がバダップとの約束を破って三日経った。あの夜、名前はバダップの元へは向かわなかった。それは、ミストレが、あの写真をバダップに見せたというのを、昼間名前に伝えたのである。だから、名前はバダップの元へと行けなかった。自分がひどく恥ずかしかったからだ。
「やあ」
 残酷である。名前は驚いてエスカバの後ろにいる人物を凝視した。
「ミストレ?」エスカバが見上げると、ミストレが自分を見下ろしていて、驚いたけれど笑顔になった。
「オレもこのプロジェクトに参加することになって、一昨日の夕方に来たんだ。まぁ色々と訓練とかあってさ、今こうしてやっと外に出てたわけなんだけど……」
 ミストレがエスカバの隣に腰を下ろした。「ここの親子丼美味しいよね 昨日の夜中急遽作ってもらったけど、訓練で疲れてると更に美味しく感じていいよ」
「ね、そう思うよね」エスカバは名前に笑いかけた。
「………はい」苦虫を潰したような顔をした名前をエスカバは不思議そうに見つめた。
「名前、もういらないよな、サラダ」
「え、あ………う うん……。もう」
「じゃあ、そうだな、ミストレが飯食い終わったら中庭行こうぜ。な、ミストレもいいだろ?」
「ああ もちろん」
「決まり。じゃあおれ達先に中庭に行ってるからよ」
 エスカバが立ち上がって、名前もつられるように立ち上がった。半分ほどサラダが残ってはいるが、なかなかに食べた方である。ミストレは二人の背中を見つめながら、頬杖をついた。
 彼が名前に好意を抱いていることを知っているから、なんとも、彼女はおそらくバダップのことが好きなのだろうし、ああやって近くで手を伸ばせる距離にいるのに、あの距離を一定に保っているのはなんというか、不憫というか、かわいそうである。
 エスカバも自分のように一線を引いていれば、感傷せずに済むだろうに。ミストレはエスカバが理解できなかったし理解しようともしなかった。けれどもミストレは、その一線が邪魔で払いのけたくてたまらないのに、エスカバのようにはなりたくなくて、それだから諦めている。


「ミストレに嫌われてる? んなこたねーだろ」
 名前の言うことが信じられなくて、腕を組んだエスカバは首を傾げた。確かに攻撃的な言葉は多いけれども、そういう目つきになる事はあるけれども、気にかけていることは知っていた。自分を見ているようだったのでそれがよくわかる。以前にミストレは名前へ攻撃的な発言をしたが、あれは本心でありながらも、自分のプライドと、自分の想いを素直に出せなくて、思いとは逆の事を口にしてしまったのだ。
「そう、なのかな……。でも……」
 エスカバには、自分がネグリーのソースを持っていることを伝えられずにいるし、今後も伝えないでおこうと思っている。けれども、おそらくミストレは自分がネグリーのソースを所持していることを知っているだろうから、いつかはバレてしまうということも解っていた。
「別にお前はミストレに何かやってもいないんだろ?」
「もちろんだよ、でも、存在自体が気に食わないんじゃないかな。何かしたかとかそういうの、彼には関係ないと思う」
「あのなぁ、おれはお前よりもミストレのことをよく知ってる。だからおれがミストレに関して言う事は全部信じとけばいいんだよ、解ったか?」
「………、わたしはエスカバじゃないもの」
「解ったか」
「……わ、わかったよ」
「おう、ならいいんだよ。ハイ、終わり」
 名前はエスカバを見上げて、その唇を固く結んでいる表情を見て、クスクスと笑いを見せた。顔を赤く染めたエスカバは名前とは反対の方を向いて、笑うなよ、だとか、こっち見るなよ、だとか言って、顔の熱さが治まるのを待つ。
「エスカバってすごくいい人だよね。 ありがとう、少しだけ、うん、元気になったよ」
 名前のこうした言葉は珍しいことでもないが、よく見たりよく聞いたりすることもないので、とても不思議な感覚に陥った。「あ、ああ」エスカバもあまり答えないような返事を返して、治まってきたかと思った顔の熱はまた更に上昇していく。自分だけがこうして顔を赤くしていることが恥ずかしくて暫くは、ミストレは来ないで欲しいと思っていた矢先に、「オーイ」なんてヘラヘラ笑って肩手を振って近付いてきた。エスカバはムッとした。
「あれ?エスカバご機嫌斜め?ちょっと君、エスカバに何言ったの?」
「原因はお前だよミストレ!」
「は?俺?なに、この子との二人きりの時間を邪魔されて、ご機嫌ナナメ?」
「ミストレ!」
「うわぁ怖い怖い。鬼みたいな形相しちゃって!隣にいる彼女に嫌われちゃうよ?」
「余計な事言うんじゃねーよ!このやろッ!待ちやがれッ!」
「鬼ごっこでもする?懐かしいね、昔円堂守と戦った後、皆で鬼ごっこして遊んだよね」
「うるせー!命がけだッ」
 ミストレが逃げてエスカバが追う。取り残された名前はご機嫌ナナメになることもなく、笑って、ふたりの鬼ごっこを眺めていた。5分後ミストレが鬼に捕まり、エスカバに引きずられるような形でベンチまでやって来て、なんとミストレが名前に「君も鬼ごっこ、する?」と尋ねたのだ。名前も、エスカバも驚いた。
「でも条件付きで。一番初めに掴まった人が明日の昼、奢るってことで」
 名前は頷いた。嬉しかった。


 ミストレがどうして名前にこのような事を言ったのか、というのは明確である。見た目や行動の割に、素直ではないことがひとつの原因である。ミストレは基地内に何人も恋人関係を結んでいる女性がいる。珍しいことではなかった。ミストレは素直でないから、寂しい思いをしていることを他人にはどうしても話す事ができない。エスカバやバダップにさえ同様だった。だから側にいてくれる女性を、側に置いて形だけ恋人関係にしていつでも行動していた。エスカバやバダップだって過去に何度か恋人がいたし、バダップなんかはセックスフレンドさえいた。エスカバはそのような関係はいなかったが、過去の恋愛で心に傷が出来てしまって暫くは恋愛をしていなかった。
 ミストレは素直ではないから。だから、名前にも素直になれない。自分とエスカバとバダップの間に急に割り込んできた女性が気に食わなくて、でも少し惹かれる部分があって、それに気付いてしまった時にはもう遅く、素直にはなれず一線を引いて、敢えてあのような態度を取ってきた。保険をかけていた。それがいいと、自分にはいいと思っていたからだ。
 興味本位で名前のことを調べ、あの写真を見てから、ミストレはどのような態度で接すればいいかわからなくなってしまった。本来はあのような態度を取るつもりではなかったので、ミストレはあれを機に、少しずつ名前に対して、素直でなかったり、素直さを見せたりした。
 ただ、ミストレが最後の足掻きとして、バダップにあの写真を見せたことを伝えた。本当は伝えないつもりだったけれど、少しでも希望が生まれるならと、バダップに写真を見せたことを、伝えたのである。

 名前は変に何でも受け入れる癖があって、それは、軍に来てからのたくさんの事があって、自分の中で何があっても動じなくなった体験がそうさせているのだ。
「やっぱり君が一番に掴まった」鬼のミストレは名前ばかりを狙った。
 息切れをしている名前はその場に座り込んで、途切れ途切れになりながらも「捕まりました」と発した。ミストレは隣に腰を下ろし、汗を掻く名前の顔を覗きこむ。エスカバはしゃがみ、背中を撫でた。
「なぁミストレ」
「なに?」
「お前、名前のこと嫌いなの?」
 名前もミストレも目を点にして驚き、名前は顔を背けてミストレは頬を掻いた。
「まぁ、嫌いな性格ではあるけど」「嫌いというか気に食わないっていうのだけど、鬼ごっこに誘うくらいだから、別に、それは大したことじゃないんじゃない?」
 名前はすぐ側にあるミストレを見る。エスカバは胡坐を掻いて名前の頭を撫でた。
「女って何でもすぐ気にするからめんどくせぇよ」ため息混じりのその言葉は、優しいもので、安心したもので、名前は嬉しくなって笑った。

 エスカバは名前に想いを伝えていない。これからもそれは無いかのように思えた。しかし、バダップのいない空間がこんなにも決意を壊すものだとは思っていなかった。この基地に来てから3日が経ち、昨日からは1日が経った。いつものように訓練をしてからは、講義を受けた後、ミストレもそこに加わって3人で行動した。エスカバはミストレと名前の関係が少しずつ和らいでいるように思えた。ミストレも名前に話しかける時以前のような鋭い口調でもなくなったから安心して、名前が嬉しがっているのを見ると、良かったと安心感を覚えた。
「名前、エスカバくん」
 名前、エスカバ、ミストレは昼食を取っていた。3人は声の主、西光寺の方へ顔と体を向けた。生憎エスカバの口の中には白米が入っている。西光寺は3人よりも地位があるし、今回の作戦でもその秀逸な頭脳と技術でプロジェクトに貢献している。
「きみ達2人に、話がある」ごくん、とエスカバは白米を飲み込んだ。




「これが、私達が編み出した、最もシンクロ率が上がる方法なんだ。今までに4人、宇宙へ行ったが、その骸を実験体にして、名前のソースを取り込んで、兵士のソースを採取し、シンクロ率を高め、極力、副作用がないように努めた結果、このような結果になったんだ」
 名前は顔を真っ青にした。自分がネグリーのソースを持っていることがバレる。この基地では第一回、第二回と宇宙で奇怪獣「ゼクト」と交戦をしている。今回の第三回目に、エスカ・バメルが選ばれたということだった。今までのソースの繋げ方とはまた別の繋げ方で。
 名前が隣にいるエスカバを見ると、エスカバは兵士の表情をして、その紙に書かれている文章と図解を見つめていた。
「頼んだぞ、エスカ・バメルくん」有無は答えさせない。それがこのプロジェクトに入って第一声に発せられた決まり事、ルールだった。兵士たるもの、国に命を捧げよと。「了解」
 第三回目、主パイロットはエスカ・バメル。
「名前、きみもバメルくんとは友人関係にあるのだろうし、きっとシンクロ率も上がるだろう。やはり、バメルくんを誘って良かった。バメルくんも国の為に命を捧げる事が出来てよかったね。 期待しているよ」
「はい」
 名前は後悔した。何故、エスカバとミストレをプロジェクトに参加させないでくれと言わなかったんだろうか。しかしもう遅いのである。抜かっていた。隣に座るエスカバを、名前は胸が苦しくなるまで見つめた。
「(もう、だめなんだ)」すべてが遅かった。

「なんか、機嫌悪いな」
 紙コップにコーヒーを入れて、砂糖とミルクを入れて、エスカバは向かいに膝を抱えて座る名前に声を掛けた。「作戦のことか?」エスカバは解っていながらも尋ね返答を待つが、名前の口からその答えは出なかった。通路の途中にあるベンチに座りこんでいる2人は、今までのように会話がなく、重たい空気に包まれていた。というのも、その空気を作ったのは名前で、原因は今回の作戦によるものだが。
 エスカバはどうやってこの後声を掛ければいいのかと頭を掻いて悩み、それでも解決出来る術がないとわかって、名前の返答を待つ事にした。しばらくなかったら、コーヒーを飲んだ後部屋に返そうと思った。そのあとミストレの部屋に行って、今回主パイロットに選ばれたことを報告しようと思っていた。
 エスカバはパイロットが戦闘を終えたらどうなるのか知っている。もちろんエスカバだけではなく、このプロジェクトに参加している兵士皆が把握し理解している。
「まぁ、理由はそれなりに解ってるつもりだけどな」
 エスカバは苦いコーヒーが苦手だ。
「でもどうしようもねぇから、早く機嫌直せよ」
 名前も解っていたけれど、そうもいかなかった。
「………エスカバさんは、いいの?」
「なにが」
「エスカバさん、いいの?」
「だから、なにが」
「エスカバさんは………。両腕両脚切断されて、そこにプラグをさされて、戦闘が終わればそのまま死んでしまう。それでもいいの?」
「それのどこに躊躇う必要あるんだよ?」
「だって、四肢が」
「おれは兵士で軍人だ。今更身体がどうなろうと、どうせ死ぬし、両腕が切断されたって、両脚が切断されたって、そんなのどうってことないだろ?何をそんなに、怖がる必要があるんだ?名前は俺の四肢が無くなることが嫌なのか?怖いの?」
「それは、もちろん、そうだし、エスカバさんは死んでしまう」
「名前は副パイロットじゃないのに何で呼びだされた? 何か理由、あるんだろ」
「…………」
「前も呼び出されてたけど、そのあとの戦闘では主も副も死んだけど、お前だけはその中で生きていたし、それが次も続いた。理由は述べなかったけど、今回はなんとなくわかる。お前、やっぱり特別だよな。 鷹では名前だけが抜粋されるし、お前は隊長だ。おかしな話だとは思ったけど、まぁ、納得はできる。明日はよろしくな」

「エスカバさん、来て」

 名前がエスカバの腕を引いて、コーヒーが跳ねながらも、奥の非常口階段を下り、立ち入り禁止のドアを開いた。パスコードについては名前はよく知っていた。エスカバは跳ねるコーヒーをどうしようかと思いながら腕を引かれて、一つのドアを前にして一気に飲み込み、紙コップを潰し右ポケットに詰め込んだ。
 慣れた手つきでパスコードを入力し、ドアのロックを解除した。
「名前、一体どこに」
 ドアを開け、一歩踏み出した室の中には、今までの実験体が凍結されてガラスケースの中に入っている。しかし、その実験体は一体しかいない。幼い、少年の姿だった。
「これはわたしの弟」
 このプロジェクトの為に犠牲になった一人の少年の姿だった。対奇怪獣用戦闘機を開発する際にソースを媒体して作る為に犠牲になったのだ。
「わたしの弟だから、シンクロ率があるんだろうって、何年か前に、こうなりました」
 ガラスケースに手を当てた名前はねむる少年を見つめる。
「本当の、血のつながった弟ではないから、こうなった」
 エスカバから発せられる言葉は一つもない。
「わたしと弟は最初、血が繋がっていると思って、科学者は、わたし達に性交をさせて子どもを作ろうとしたんです。わたしは月経も来ていたし、女の体として準備は整っていた。弟も精通していたから、出来るって、思ったみたいなんです。でも、実際弟がわたしのなかに射精して、すぐに科学者が交わった染色体を調べてみると、血が繋がっていないって、わかったんです。今の技術は進歩してるんだなって思いました」
 なぜ性交をさせたのか?まず、名前は士官学校へ通っていないということだろうか。なぜ、弟と性交をさせ、子どもを産ませようとしたのだろうか?普通の人間であれば、血のつながった弟と性交をさせて子どもを産ませようとは思わないだろう。何のためにそれを?
「だから、それで、仕方がないから、対奇怪獣用戦闘機を作ろうという話になって三日三晩、弟の体を使い、わたしの体を使い、対奇怪獣用戦闘機を開発した。それが成功したから科学者は思ってもみない事態で、喜んで、それを使った。戦闘機はわたしの弟とわたしの、この世に残された唯一のものなんです」
「家族、なんです」
 名前は泣き崩れた。エスカバは泣き崩れた名前を見下ろして、ガラスケース越しの少年の姿を見た。四肢がない、これは明日の自分の姿なのだ。
「性交したらシンクロ率上がるのか?」
 冗談混じりにエスカバは名前に笑いかけ、涙を流し顔を赤くしている名前は頷いた。エスカバは驚いた。まさかこんな回答が返ってくるとは思わなかったからだ。
「今まで、そうやってきたのか?」名前は頷いた。
「義務ですから、やってきました、命令だったので」
「この後、じゃあ、おれとも、しようと思ってたのか?」
「義務だから」
 好いた人と性交ができるというのにエスカバはちっとも嬉しくなくて、悲しい気持ちだとか虚しさだとか、そういう方が勝っていた。
「そっか………義務だから、仕方ないか」
「ごめん、ごめんね。エスカバ、本当に、ごめん……わたしなんかで」
「願ったり叶ったりだって。おれはもうさいごだし、最後は好きな女の側にいたいってくらい願望あるんだぜ」
 意地の悪い笑みを浮かべたエスカバは名前の腕を引いて立たせて、ドアの方へ歩いて行った。
「そうと決まれば、早速おれの部屋に直行だ」
 エスカバは何と言えばいいのかわからなくて、けれども性交は義務付けられているものだから、避けられることではない。西光寺がエスカバに性交することを伝えなかったのは、シンクロ率を高めるためであった。初めから性交を義務付けられていると伝えてしまう事よりも、名前の方から乞う方が、率が高まるだろうと思ったのである。
「エスカバは軍人のお手本みたいな、教科書みたいな人だよね」


 エスカバの部屋にやってきて、最初に名前を風呂に入らせてからエスカバが入った。性交は義務付けられているけど、本当にしなくてはならないことなのだろうかと悩みながら、先程の名前の言葉が頭の中をよぎって、やはりしなくてはという結論に至った。名前はバダップの事が好きだからと遠慮しながらも、義務であるし、さいごだから、少しは我が儘もいいかなとも思った。
 シャワーを浴びて、腰にタオルを巻いて出てきたエスカバのベッドの上には裸になった名前が膝を抱えて窓の外を見つめていた。
「上とか着てろよ、風邪ひくぞ」
「………ひいてもいいよ、どうせ、どうにもならないから」
「ならおれが風邪ひく 着ろよ」
「でも、これからするんだよ」
「窓閉めるぞ」
 エスカバが窓を閉め、名前の隣に腰を下ろし髪を梳く。名前は脚を崩し、エスカバと視線を合わせた。
「エスカバに喜ぶことしたいから、気持ちいいところ、教えてね」
「そんなら、今日はおれが好きなようにさせてくれ」
 頬に手を当て首筋に顔を寄せる。名前はエスカバの脚に手を乗せた。

「ずっと、こうしたいって思ってた。 お前の事がずっと、すきだったから」




「よ、ミストレ」
 ミストレの部屋の前で待っていること30分弱、ミストレがようやく部屋から出て来て、エスカバは声を掛けた。
「おはようエスカバ、一体何?」
「おれ、今日、主パイロットとして戦争してくる」
 昨日までそんな話なかったけれど、昼食の時、2人が呼ばれたのはこの事であったのだと理解し、ミストレは微笑んだ。「そう」軍人として最期を迎えられるということだ。ミストレはそう思って微笑んだ。誰よりも、軍人としてあろうとした人物だったので、自然とそういう笑みが出た。そして同時に彼の死を理解して、もう一度「そう」と答えた。
「よかったじゃないか。君は教科書に載るような、正真正銘本物の軍人のような人だから、おめでとう。立派な軍人として最期を迎えられることは、君にとって最も誇り高いことだろう」
 ミストレがエスカバの肩を掴み、抱き締めた。
「友人として、君を誇る」
 今までも何度も、彼には助けられて来たし、彼の起点で難解である敵の作戦を理解し裏をかいて勝利に導かれた事もある。エスカバがいたから、ミストレも、バダップもここまでこれたし、エスカバにしたらミストレやバダップがいないと作戦を実行することもできなかった。同じ釜の飯を食って、寝ずに敵の作戦を考えながら、雑誌を持ってきてどんな子が好みか話したり、自分の生い立ちも離したり、譲れないものを語り明かしたりもした。悩む時には支えられ、また悩んでいる時には支えた。彼らは唯一無二の親友なのである。
「君の事はオレが責任を持って、バダップに伝えるよ」
 ミストレは体を離し、肩に腕を回した。
「さぁ、昔、こうして士官学校でサッカーチーム募って、慣れもしない肩に腕を回して『ファイ、オオ』なんていう見よう見まねでしたコレ、案外形になってたよな。バダップは円堂守のせいでコレをするぞなんて映像持ってきて、オレ達のチームだけこれやってさ、恥ずかしいったらありゃしないよ、エスカバは最初めんどくせぇだのなんだの言ってたけど、目の前にすると真剣な表情の中に楽しさ見せた顔して、コレしたよね。オレはよく覚えてるよ。後半戦、チームのみんながコレやって、1点差で勝ったよな。バダップやエスカバやオレが居ても、相手も軍人だから結構苦戦してさ、そりゃもうすごく楽しかったね」
 エスカバは頷いた。


 エスカバとミストレは別れ、エスカバはライト元の下、仰向けになった。側には名前がいて、エスカバを見下ろしている。科学者が5人、エスカバを取り囲む。
「いいかね、バメルくん」西光寺が尋ねた。エスカバは頷き目を閉じる。痛みがないように麻酔を掛けられているので、肩を抉る刃物の痛みはあまり感じられない。ただ血が流れている感覚だけはあって、今まで見た事のないくらいに血が流れる。そこに、名前のソースが埋め込まれた。すると血が次第に止まり、傷口が塞がった。そこを再度、切り刻む。そこにプラグが埋め込まれた。数本のプラグを埋め込んだ後、もう片方の肩も切り落とし、同じように繰り返していく。
 エスカバは目を開いた。名前を見据える。
 最後に、名前に自分のナイフを手渡そうと思ったが、自分の腕も手もないことを思い出して諦めた。
「名前、最高のフライトにしようぜ。おれらなら、大丈夫だよ 絶対勝とうな」
 脚が切り落とされた。
「………うん、もちろんだよ、絶対に勝とう。わたし達なら絶対に勝てる。 最高の、フライトにしよう」



 ミストレはエスカバの頭を乱雑に掻いた。
「オレは君を応援している。君は絶対に勝てる。そう確信している。君の友人であるこのオレが言うんだ。絶対に勝つ。何度も死線を潜り抜けてきたじゃないか。 さあ行っておいでエスカバ、この国の未来の為に」