南部プラネタリウム | ナノ


 エスカバの死を報告され、元恋人がこのプロジェクトに参加しており、また、パイロットの死に様などを見たり、パイロットの体を見て、俺は死というものがなんだかよくわからなくなった。ここ数日、短い期間のうちにたくさんの情報が俺の記憶に書き足されていって、恐らく情報処理が追い付いていないのだと思う。
 隣でかつ丼を頬張っているミストレは、どうやってパイロットが死ぬのかを知っている様子ではあったが、それを話していた時に少しも怯えていない表情だったり、声の調子だったり、淡々とそのことに話す様子に、俺や名前のように実際を見たことがないのだと思ってからは、初めてミストレに対し憐れだと感じた。文字や声だけで判断し、想像する、というのは少しばかり、足りない。実際を見ない限り、理解したとは言えない。ミストレは、理解していないのだ。
「食べ終わったら、久しぶりにサッカーでもしない?」
 ミストレからの誘いだった。ミストレから、一緒に食事取ろう、一緒に訓練場に行こう、一緒に訓練をしよう、一緒に行動しよう、と誘われることはよくあったが、サッカーに関しては、今までに一度もなかった。数年前に80年前の世界へ飛ぶことが決定された際にはあったが、それはあくまで任務であって、個人的な感情ではないし、俺が指揮を取っていたから、ミストレに誘われたかと言われればそれは曖昧だった。
「ああ いいな。久しぶりにしよう」
 俺も乗り気だった。色々ご託を並べたが、サッカーが楽しみなのである。ミストレは嬉しそうに笑ってさいごのカツを食べた。




 サッカーをして小一時間が経った。それでも久々だったので飽きがこない。俺もミストレも、通りすがる兵士の不可解なものを見るような目を向けられても、初めは動じたものの時間が経てばすっかりなくなった。少年に戻ったような気がして、ふいに、いるはずの人物が恋しくなって顔を歪めた。ミストレも同じのようで、サッカーボールが転がったのを見計らってかミストレは
「ほんとはエスカバも、いたはずなんだけどね」
 とミストレは嘲笑った。
「そうだな、ここにはエスカバが足りないな」
 エスカバは腕の立つ兵士だった。このプロジェクトの拠点がここに移って本格的に活動し始め、第3回の戦闘でエスカバは犠牲になった。あのころとは違う。エスカバは大人になったし、ミストレもトレードマークである長い髪の結ぶ位置も長さも変えた。あの頃の可愛らしい顔はもう、大人の男に変わった。自分だけ違いがわからないが昔の写真を見比べると、これもやっぱり変わっている。でもそれがいいようなのか悪いようなのかはわからない。
「ハハハ、まったくだよね 先に死にやがって」
 ミストレは仕方のないように笑った。
「しかしまぁ、本当にオレらはあの頃から少しも成長してないよ、精神的に。成長したのって、うまく世を渡る術と戦術と射的の腕とか、生きるために必要なことはやっぱり常に働いてるものだから向上はするけど、常に働いているのに精神も心も気持ちも、そこはどんなことがあっても根本的なものは変わらないから困ったものだ」
 なるほど、そういうものか、と思った。ミストレの言葉に大きく二度頷いて、「その通りだ」とリフティングを止めた。
 今日のミストレは喋る喋る。オレは実は小さな妹が居て、最近絵を描く事にハマっていて、時間が足りなくて書類を片付けなくてはいけないから風呂はここのところ烏の行水であるだとか、チェスのコツを掴んだから今度相手になってくれだとか、地味な作業が好きになってきだだとか、昔はそういう身の内の話だったり、自分の事だったり、以前であれば当たり障りのない突っ込める部分を話していたから今日はとても新鮮である。俺もミストレも気付けばベンチに座って、色々な話や口論を交わしていた。
「俺はてんぷらの魅力は、醤油やソースを掛けた時の一口目だと思うんだが」
「めんつゆを掛けてご飯や麺に乗せる方が、一際美味しく感じるし、実際味も醤油にもソースにも勝ってるよ」
「だが、めんつゆを掛けてご飯、麺だけに乗せて食べるのは、それは食の範囲が狭くなるので皿の上に乗っていた方が食べる側からしたら『どうやって食べよう』から、『こうして食べよう』に変わるのでは」
「でも『どうやって以下略』から『こうして以下略』の方程式が成り立たなかったら?人間の思考というのは決定、確定されたものではないから、そういう方程式は少し曖昧だと思うんだけど、まぁオレはどんな時でも本能的に動くから、どんな食べ方をしても、慣れ親しんだ食べ方でしか食べれないからバダップが進めたところで直りはしないよ」
 こんなくだらない議題での口論はミストレで幕を閉じた。すぐに次の口論の話題を探すのだが、これがなかなか見つからないときている。悩むが、そこまで盛り上がるだろう話題は一切見つからない。ミストレも同じのようで、つまらなくなったのか黙って、庭にうろうろしている。
「今日くらいは、数少ない男友達を優先してくれよ」
 会話は、ない。けれどもミストレは俺の眼を見て告げた。俺は頷いて、ミストレの横にやってきて、生い茂る雑草を見下ろす。「だから、その、アレだよね、やっぱり、オレとバダップ、エスカバは、切っても切れないっていうか、そういう仲だよな」一体どうしたのだろうか。ミストレがこんなこと言うのは珍しい。何かあったのかと尋ねればミストレは曖昧に濁す様に、逃げたように笑った。
「今日くらいは、誰にも、振りまわされたくない、振りまわしたいって思うよ。今日だけはさ」
「今日だけでいいのか」
「オレは毎日女の子振りまわしてるけど、友人にはそんなことないだろ」
「言われてみれば、俺やエスカバのほうがミストレを巻き込んで行動することが多かったな。どちらかというとどんな時でもどんな状況でも、ミストレが一歩後ろについてきていた」
「まぁそりゃあ、バダップが隊長でエスカバが副隊長だ。当たり前のことだよ」
「もちろんそれはそうだが普段の時もだ。特に食堂でメニューを選ぶ時、お前はいつも俺達が注文した後に注文していた。初めは、俺達のメニューをみて慎重に選んでいるものかと思っていたが、長年一緒にいるんだからそれは慎重という性格なのではなくて、気遣いというものだと気付いた。ミストレ、お前はそういう奴だ。両親に愛され育ってきたが、その愛し方は適してなくて、過保護すぎて、構いすぎて、他人の気遣いに人一倍敏感になって、それでも今までの愛され方が体の隅々まで染み込んで、あまり友人が作れない。友人が作れないのは俺も同じことだが、ミストレは女性に愛されるという安心感がないと、俺達のような『男友達』と接することができないんだ。俺はもう、ミストレと『男友達』になって何年も経っているし、そういうのはよく把握して理解しているつもりだ。なぜなら俺達は友だちだからな」

 ミストレは照れ臭そうに頭を掻いた。きっとこの姿はオレやエスカバにしかわからないだろう。
 肩に手を置く。なぜミストレがこのような状態になっているのか俺にはわからない、なんせ初めての事だ。しかし、『男友達』としてできることが確かにあるのだ。
「エスカバだって同じ気持ちでいる」ミストレは安心したように笑った。「ありがとう。よかった」最後の「よかった」はどういう意味が含まれているのだろう。

「ごめんバダップ、空気を壊すようだけど、きみに、……友人のきみに少し言っておきたいことがあって」
 ミストレは茶色い土を爪先で二度叩く。
「名前はネグリーのソースを体内に控えているけど、最近は維持が難しくなってきている。そのために薬も飲んでいるし、戦闘が終われば、普段必要以上に神経を使わないが、戦闘に出る時は常に神経を使っていて、戦闘もほぼ、名前が行っていると言っていい。宇宙に出ていくというだけでも神経も体力も使うし、武器の出元は名前のネグリーのソースがあるからだ。それで、知ってると思うけど、鼻血が出たり吐血したり、そんなことも知ってると思う。あれは時間が経てば治るけど、朝に一度薬を飲んでる。延命させる薬、とかじゃないけど、名前は今とても不安定な状態にある。それは気持ち的にもそうだけど特には肉体。彼女、今、手の感覚がない。けれどもネグリーのソースで動く。でもネグリーのソースは名前の意識とはまた別に動くもので、視界はもちろん良く見える、銃だって正確に撃てる、けれどこれはネグリーのもので、名前の意識とは別のものなんだ、わかるかい?もちろん、名前がネグリーのことを意識した上での話なんだけど、なんていうか、ネグリーのソースに頼るから、名前は手の感覚を取り戻しているわけで……、だからそういうことで、とにかく、名前は今、精神を安定させる薬と、ネグリーのソースが、で、ここから渡されている薬だから、そういう関連のものなんだよ」
 ミストレの言いたいことはなんとなくわかる。
 名前には正確なものはない。存在も認識も曖昧で、例を上げるとするならば、俺が名前に対して想う感情に、彼女はどういう感情で答えているのかがわからない。言葉で発することはできても、雰囲気などはどうだろうか?俺はいつもそれを考える度に少し、不安になる。こういうことだ、関連性がないと言われればそれまでだが、これは名前の前にし、触れ合い、触れ合った後で思う感情のものである。
 だからミストレも曖昧に、発言した。
「ああ、よくわかる」名前のことだから、わかる。

「ねえ、バダップ」
「なんだ?」
「オレ達、友だちだよな」
「……何度も言わせるな。俺達は戦友でもあって、親友でもあって、切っても切れない仲だ。それは決して無くなったりしない。そうだろう?」
「そう、だよね。ハハハ、そうだった。オレ達、…親友だった!…うん」
「ああ。そうだ。親友だ」
「………ごめん、本当に、楽しい人生だったよ」




 息切れに、肩が上がる。汗を掻いている。
 いやまさかこんなことになるとは、予想はしていたけれども、目の前に広がるただひとつの肉片に俺は息をするのも一瞬であるが忘れてしまった。バウゼン教官に「君に説明をし忘れたことがある」と連絡が入り、その時ゾッと悪寒がした。それは風邪をひいたものとか、そういうものではなくて、もっと別の、そういうもので。
「ミストレ」蚊の鳴くような声に反応したのは隣にいるバウゼンだった。「驚くことではないだろうに」鬼のような一言である。
 中央の、機体とリンクする柱の中にはミストレが、首から下が無い状態で浮いていた。首からはたくさんの機械的な神経が繋がれていて、頭にも当然、機械的な神経が繋がれている。血は出ていない。ここへ到着した時よりかは呼吸が整っているが、それでもまだ荒い。
 ミストレの目は開いているが、瞬きはしていない。息もしていない。髪だけが揺らいでいる。
「終わったのでしょうか?」
「きみがここに来た瞬間に」
 名前はまだ、コックピットの中にいる。
「ミストレの、体は?」
「彼の体はこちらが預かっている。身体実験に適したものであるからな」鬼は言う。「今までの『実験体』のデータを基に、そしてシンクロ率を計算し、ミストレのように、脳と神経を残してからの戦いが一番の最善であるという結果になった。そして彼がその最善の第一号」
 バウゼンは手に持っていたカルテを捲った。端末を使い記録をせずこうしてカルテに残すのはなぜか、それは情報が漏れてはいけないからだ。髪に書けば燃やせるし、破く事が出来るし、隠す事だってできる。ただ端末でのデータだとどこかにデータが残ってしまい、何者かに盗まれる可能性が出てくる。端末だと管理がしやすい分、欠点も確かに存在して、それは肌身離さずに持ち込むものだとしても、データはネットワークに張り巡らされるので勝手に離れていくものなのだ。しかし、紙は自分のポケットかどこかに入れておき、落ちないようにすることもできる。バウゼンのこのやり方は、やはり今までの経験を生かした最善の手であるのだ。
 ならばミストレも最善の手でこうなったわけだ。
「(これが、極秘のものだったのだ)」
 悔しくて唇を噛んだ。

 ―――「………ごめん、本当に、楽しい人生だったよ」
 詫びの言葉は、恐らく今から死にゆくことを俺に告げられなかった為に出てきたものだ。そして最後は、今までの思い出を巡って、最後に告げた、名前以外にしか理解し、把握し、納得し、記憶できないものだ。俺は、最後の一言に今までの思い出を乗せて、海に還そう。
 ああ、楽しい人生だったのだろう。

 俺にはわかる。ミストレ、彼は、最後の最後で一緒になった彼女のことを、意識していたと。
 最後にひとつだけ、尋ねたいことがあったのに。大したことのない、本当に些細な、どこにでもある言葉のひとつで友だち同士がするようなくだらない世間話から発生するもので、本当に、食堂で腹を満たしながら、ふいに話題に振る程度の軽いものなのに。それさえ、彼にはもう届かない。軽いものなのに、なのになぜこんなに重いのだろう。
 そして、もうすでになくなったミストレに尋ねる。終わった後でしか訊くことが出来ないモノをひとつ。
「名前の中は、どうだった?」
 俺は酷い男だ。




「おはよう」
 ゆっくりと目を開けた名前に告げる。
 気を失った彼女は医務室にて3時間の休養をとった。名前はゆっくりと身を起こし、俺から視線を外した。
「もう9時だ。そろそろ、夕食にしよう。………いや、晩飯といったほうが妥当か?」
 名前は顔を上げる。
「………はい、そう、しましょうか」
 俺は彼女に何もしてやれない。強いていえば、彼女の為に死ぬ事くらいである。彼女との決定的なものがほしくてもそれは形に残るものではなく、心の中で永遠に生き続けるものであって、眼に見えるものではないのだ。そうではなくて、今安心できるものがほしい。彼女と繋がっているという、何かが、眼に見える、触れるものが。
 もう、大切な人が死んでも、悲しまないでいられるような。

 愛がほしいのだ。

 それに気付いてしまったからにはもう、どうしようもなくなった。無性に名前を欲してしまって、唇を貪った。