南部プラネタリウム | ナノ


 バウゼン教官に連れられた一室に名前はいた。鼻にプラグを差し込んだ名前は、手にも腕にも脚にもプラグが差し込まれており、息を吐いた後目を閉じた。椅子に座る名前の瞳にはこの大きな画面が映っていない。俺は名前が見ていない画面を見つめた。あのシュミレーション室で行ったものと同じ光景で惑星が見える。備え付けられているコックピットが閉じられ、名前の姿は見えなくなった。
「安心しなさい、名前は死なない」
「あれは、パイロットだ」この部屋の中心にあるのは、四肢の無い人間。

 憶測と確信で、この戦争の戦い方を知った。まず、原動力は名前の中のソースにある。そのソースと、宇宙戦闘機「ガンマ」につなげ、パイロットと繋げる。直接戦闘機に乗って宇宙へ飛び立つには長い年月をかけなければならない。そこで、このような方式を考えたのだ。人間にはその個人だけのソースがある。それをガンマにプログラムさせ、機体と適合すれば、完了なのだ。
 名前は原動力、エンジンのようなもの。そしてパイロットは使い捨てになる。エスカバと同じ運命を辿ることになるこの兵士二人は、奥がガンマに乗り、手前が補佐戦闘機シグマに乗っている。息はしている、生きているのだろう。名前の姿は見えないが、彼女も生きている。戦闘機に「乗っている」わけではないからだ。
「戦いが終わると、どうなるのでしょうか」
「まあ最後まで見ていきなさい。どのような敵を相手にするのか知ることになる」
「奇怪獣、ではないのですか?」
「地上の奇怪獣はまだ可愛いものだ。宇宙ともなれば、奇形だな。『奇怪獣』の名にふさわしい」
 ミサイルの発射される音で再び画面を見た。「なるほど」確かに、奇形だ。奇怪獣の名にふさわしい。脳天が広がっていたり、眼が頭から頬までの大きさだったり、鋭い歯には微生物のようなものも付いている。
「『ガンマ』は壊れないのですか?」
「もちろん。長年の研究を重ねてきた、そう簡単に壊れはしない。それに壊れてもまだ次はあるからね。一度や二度の攻撃も衝撃もなんてことない。ああして視界一面に奇怪獣がいても、パイロットは前が見えている。それは、そこの名前のおかげだ。彼女のプログラムと彼らのプログラムは今、同じものを共有しているからな」
 名前と彼らは今、同じものを共有している。
 ならば、エスカバとも、同じものを?
「(いや、ここでそう思うのは、死んでいった者にも、あの二人にも、名前にも、失礼だ)」
 羨ましい、など。




 いつか自分もああやって死んでいくのかと思うと、あまりにもおもしろくなって笑みが浮かんで、声が零れた。名前と同じものを共有すれば、俺の想いも名前の想いも一緒になって、一心同体というものを感じながら死んでいけるのだ。幸せな最期だ。
 俺は兵士の中でも一際逸材で、そしておかしなものだった。計画も何もしらないままこのプロジェクトに参加したことが彼らにはおかしいらしい。俺からすれば、知っていて尚、奇怪獣と戦争をして死んでいくのか、と笑うほどおもしろい事、素晴らしい兵士たちだ。おもしろい要素、そこは、奇怪獣との戦闘をするという表向きだけしか知らないで、本当の戦い方を知らない状態でプロジェクトに参加したことにある。俺との決定的な違いだった。
 奇怪獣との戦争をする事に賛同して参加した彼らは、ひどく落胆するだろう。残された者は怯えるだろう。比べて俺は受け入れていた。ただ彼らも兵士だ。戦場へ赴き、生きる事など、恐らく望んでも願ってもいないはずだ。
「……バダップ、さん?」蒼い顔の名前が顔を上げる。「ああ」名前の部屋の前で腕を組んで待機していた。
「待っていた」
 蒼い顔の名前の鼻から血が流れる。
「少し寝たいんです」
 手の甲で鼻血を拭った名前は部屋の鍵を開けた。
「一緒に寝よう」俺も部屋に入り、まだ少しだけ流れる鼻血を拭う。「ティッシュか、濡れタオルは」ベッドに座る名前の指を差した方向は洗面所だ。洗面所に行けば何かしらあるのだろう。廊下に出て、洗面所のガラス越しに自分と対面する。
 自分も、蒼白い顔だった。褐色が白に見える。脇の方にティッシュが置いてあり、箱ごと持って名前の隣に腰を下ろす。鼻血は戦闘が終わった時点で大量に出ていたし、止血も済んでいたのでそんなには出ないだろう。止まったのを確認すると名前は上着を脱いで、ベッドに横になった。
 言葉一つ発せられない。俺は軍服を脱いで、シャツも脱いで、ボクサーパンツだけを残してベッドに横になり名前を抱き締める。
「わたし、今、脱げない」
「いい、俺だけで十分だ」
 名前の手を握る。冷たくなった手を暖めようとしたのに、俺の手は彼女よりも冷たかった。これでは冷たくなる一方である。「手を握ることができれば、それだけで十分なんだ」
 振り返る彼女は、口を薄く開けて唇を寄せた。啄ばみながら答える。
「見てたよね?」
「ああ」
「……なんで、ここに来ちゃったんだろう、バダップさんは」
 馬鹿な人なんだから、ほんとに、思い通りにはいかないな。冷たい手が頬を撫でる。名前の目に隈が出来ていた。その笑顔は、諦めが含まれている、どうしようもない時のみでしか拝めない笑顔だった。
「本当に、馬鹿な人」
 身を乗り出して名前の頭を固定して深いキスをする。無理矢理顎を押して開かせた口内に舌を入れ、名前の舌も、歯も、歯茎も、内側の頬も舐め、唾液を吸った。息が苦しくなって唇を離してから息を吸い、また舌を伸ばす。顎を掴んでいるから、名前の口の端から流れる唾液も一緒に握る。口蓋を丹念に舐めた。
「名前、名前……、」苦しそうな声に顔を離した。眉を顰めてやっと息が吸えている様子だ。
 流れる唾液を吸う。
「あなたと一緒にいることで馬鹿になってしまうのなら、俺は一生馬鹿でいい」
 弱虫だっていい、意気地なしだっていい、情けなくなったっていい、今まで培ってきたものがなくなったって、それはそれでいい。
「あなたから勇気がもらえるなら、何も怖くない」どんなことだってその勇気で立ち向かうことができる。
「……わたし、ちょっと疲れているから、わからないけど……」
 瞳を見つめ、シャツのボタンに手をかけ、一つボタンを外した。
「バダップさんを感じながら寝たい 絶対、安心するから」
 ボタンを外す手が止まる。外した手は名前の額に移動し前髪を払い、後頭部を持ち上げる。もう片方の腕は、名前の首の下に差しこんだ。
「バダップさん」
「……なんだ?」
 名前の瞳の奥には、何か特別な何かが棲みついているような気がするのだ。吸いこまれそうになる、何か。ネグリーは眼に見えるものなのだろうか。これは名前の瞳なのか、それとも、奇怪獣のものなのか。
 吸いこまれそうになった。息を飲んで、瞳の奥を見つめる。
名前の意識はどこか遥か遠くに、俺ではないどこかに向かっているような気がするのは、俺にしか感じることができないはずだ。俺しか今、彼女の瞳を見ていないのだから。エスカバはどうだったのだろう。ミストレは何を思うのだろう。俺ばかりがこう感じているならば、この瞳は名前のものだ。名前の固有である。
「抱き締めて」
 名前が俺の胸の中に蹲る。
「ああ もちろん」
 あなたばかりが悲しむ世界は、少しばかり窮屈だ。




「いいか?きみのことだから、その腕を隠すのは難しいし、バウゼン教官もきみの事を熟知しているだろう。だが、この宇宙空間の中での戦闘というのはきみでも初めてだろうから少しでいい、加減してくれ。ここは実力者から居なくなっていく。いいね?」
 俺の部屋にミストレがやってきて、いい機会だと思いこのプロジェクトの知り得た事を話した。ミストレは知っていたのか、それとも構えてきていたのか、動揺を見せずに冒頭の台詞へと戻る。
「何をそんなに恐れているんだ?」ミストレはやっと動揺した。「それは、どうでもいいだろ」赤い顔と蒼い顔が混じって何とも言い難い顔色だ。
「一週間後、また戦闘が行われる。それまでの戦歴と成績を合わせて、パイロットが選ばれる。きみはまだ、早い」「そうだろ」ミストレの強い瞳は、以前の名前と同じ色をしていた。有無を言わさずに、ミストレは腰を上げて備え付けのシュミレーションコックピットの中に入る。個人的訓練らしい。
「バダップ、まだ話してないことがある。今夜きみの部屋に行く」コックピットが閉じられた。

 中庭に出て、鉄のベンチへと腰を下ろした。青々しい空を見上げ、先日この空よりも高く広い場所で奇怪獣との戦闘が行われているなど、誰が思うだろうか。「あれ、バダップくん?」ソプラノの声が耳を支配する。振り返れば、何年か前に恋人と言う肩書きを持った者が現れた。「久しいな」「うん 本当」女は嬉しそうに微笑む。
「何年ぶりかな?少し、背も伸びた?」
「どうだろうな。あまり変わっていないとは思うが。それより、きみもこのプロジェクトに参加していたんだな」
「うん バウゼン教官からのお誘いもあって。今は訓練中だけど、成績も良いし一週間後には乗ることになるかもしれない」
 ミストレが言っていた、一週間後とは、戦闘のことだ。こいつも死ぬ。
「ねえバダップくん、久しぶりにお茶でもどう?私あれから、美味しいの煎れられるようになったの」

「バダップさん?」
「え?誰?」
「あ」
 片手に資料を持った名前が、立ち止まる。立ち止まって、隣の女を凝視し、ハッと振り返った。「ごめんなさい」
「……バダップくん、知り合い?」
「ああ、同じ基地に、いた」
「へえ でも仲良いみたいだったけど?普段、バダップくんの姿見ても声かけて寄ってくる人居なかったもんね」
 女は俺の手を握った。手を繋がれた状態で名前がこちらに近付いてこないでよかった、タイミングは悪くも
良かったらしい。「でも、部屋でゆっくりお話でもしたい」恋人関係であったのだ、体の付き合いもあった。「他を当たれ」「きみがいいのよ」俺がいいって?
 握られた手を振りほどき、女を見下ろした。
「悪いな 興味がない」

 あの片手に持っていた資料は一体何だったのだろう?俺に見せられる程度の内容だったのだろうか。しかし、頼んでもいないのに彼女は俺に資料を見せようとしたということなのだろうか?ならばそれは、やはり、その程度のものなのだろうか。部屋の扉を叩くが返事はない。だが部屋の中にはいるみたいだ、緑色のランプが付いている。キーを持っていないので開けることはおろか、声など決して聞こえないだろう。扉を叩けば部屋の中の端末画面に俺の姿が映るはずなのだが。
 寝ているか、それともあの光景を見て嫉妬したか、いじけたか、怒っているか、まあそういった類のものだろう。女はこれだから面倒くさい。こういう所が特に面倒くさい。
 名前が部屋を開けてくれるまでここにいようと、扉を背にした腕を組んだ。この間のように。

「……バダップ、きみ、何してるの」
「ミストレか 何故ここに?」資料を持っているミストレが目を丸くして俺を見ていた。
「オレは資料の読み合わせで、……名前は部屋に、いるね」
「少し、面倒なことに。といっても彼女の勘違いだが」
「………オレが長い事きみと一緒に行動をしてるけど、こんなに女に振り回されるのを見るのは初めてだよ」
「俺も振りまわされるのは初めてだ」
「で?どうするの? オレは仕事だし、退いてなんかやらないけどさ」
「開けてさえくれればいい すぐに終わらせる」
「……。わかったよ ちょっと向こうの方に行ってて」
 ミストレの言う通りに、部屋から少し離れた場所に待機し、ミストレが扉を叩くのを見送った。数秒後、扉は開けられ、視線をこちらに送ったミストレは扉の前で会話を始める。所々に名前の声が混じり、資料を持っていない方の腕が後ろに組まれ、手のひらが俺を呼んだ。
「名前」名前の腕をとると、名前は驚いたあとすぐに半歩下がり、身を反った。
 あれはただの友人だから、何もそんなに心配することはないと伝える。後ろでミストレの溜息が聞こえた。まるで哀れとでも言っているかのような溜息。
「なんだ、そうだったんですか、もう、驚いちゃいました」
 言った通りだろうミストレ、すぐに終わった。そんな意味を込めて視線を向けると、ミストレは頭を掻いて「じゃ、用は済んだ?今からオシゴトするから、出ていってくれる?」「これ極秘のオシゴトなんだけど」遠慮も無しに部屋に入ったミストレは慣れた手つきで扉を閉めた。視界にはまた扉が広がった。
「極秘?」先程名前が持っていた資料とはまた別のものなのだろうか?それにしても、あの動作、慣れていなかったか?