南部プラネタリウム | ナノ


 基地へ戻り、疲れた体を休ませるために部屋へ戻ろうと通路をトボトボと小さな歩幅で歩いていると、向こうの通路でエスカバ、そして彼女が何か話をしながら歩いており、エスカバと名前はこちらに気付いて視線を向けるが、俺は目を逸らして長く続く通路を歩いた。
 エスカバの困った表情と彼女の何とも言えぬそれは、俺の心に大きく傷を付けてくれたのだ。しばらくはエスカバの顔はみたくないな、と思いながら角を曲がろうとすると、後ろから「バダップ殿」と弾む声が聞こえ、思わず立ち止まり振り返った。
「バダップ殿」ひどく安心する声と、怒りを覚える表情で俺を見つめる彼女に、俺はなにか、とだけ答えた。
「この間の早朝は申し訳ありませんでした。西光寺さんの呼び出しがあって、勝手に部屋を抜け出してしまって…。…あ、すみません、仕事がありますのでここで」
「…今日の夜、俺の部屋に来てもらえないだろうか。迷惑なら断ってもいい」
「え…あ、はい。わ、わかりました。何時になるかわかりませんが」
「…それとエスカバに、おめでとうと代わりに言ってくれると非常にありがたい」
 俺はそういうと、彼女の表情が曇りだし、視線を下に向けてしまった。俺はその行動の意味がわからず、彼女をただ見下ろしていると、彼女は
「言いたい事、今のうちに言っておいたほうがいいと思います。悔いのないように」と言った。
「しかし、エスカバがプロジェクトの一員になって一週間が過ぎている。今更…」
「でもっ!」
「………あなたは、俺がプロジェクトの一員にならないことを、どう思う?」
 そして、彼女は勘弁に頭を垂らして、髪が流れて宙を浮いた。
「…心から祝福すると言ったら嘘になる。悔しくて泣いてしまったほどだ。同期として、友人として、俺はエスカバにおめでとうと一言いうべきなのだと、心のどこかではわかってはいるんだ。しかし、俺は、」
「…わかり、ました。検討しておきます。…それでは」
「……頼む」
「でも、あなた達は友だちなのだから、殴り合っても、罵り合っても、わたしはいいと思います。友だちだと、思うのならば。わたしは少なくとも、バダップ殿とエスカバさんが、殴り合える仲だとわかっていますから」
 彼女はそう言って踵を返し、どこかにいるかわからないエスカバの元へと走っていく。エスカバは俺の方をちらりと視線を向け、自分より頭一つ分小さな彼女へ視線を移動させた。
「何話してたんだよ」
「別に何も…」
「ハア?嘘吐けコラ!」
 まだ、俺がこの場にいる内では、彼女は今の事を話さないだろうと思い、止めていた息を吐いた。二人の背中に向けていた視線を通路に落として部屋へ戻ろうとした時、「バダップ」と俺を呼ぶ声が聞こえ、その聞きなれた声にも驚き、顔を上げた。
「ミストレ」
「…話があるんだ。今、時間あるかい」
「……?ああ」
 ミストレの異変は俺でなくとも気付くであろう。食堂ではなく、俺の部屋でいいと言うミストレを部屋へ招き入れ、慣れた風景にミストレはソファーに座り俯いた。走ったのだろうか、こめかみには汗が流れていた。
 ミストレは自分や仲間が危機に襲われた時にいつもこうしてこめかみに汗を垂れ流しにし、顔を真っ青にして眉を顰め、両手を握ってその両手に額を当てるのだ。冷蔵庫からミストレが美味しいと言っていた牛乳を取る手を思わず止めて、ミストレの姿を視界に写す。ミストレの態勢は変わらずだ。
「どうした?」コップに牛乳を注ぎながら、声調を変えずにそう問うと、ミストレはもちろん態勢を変えないまま息が詰まりそうに「確信じゃないんだ」と言う。
 ミストレに牛乳を手渡すと、ミストレは顔を上げた。
「嫌な噂を耳にしたそうだ、僕のファンクラブの一員が」
「…それは……。…まあいい、なんだ」
「今言うべきかと悩んだけど…知っておく必要があると思う。エスカバと…アイツのことだよ?」
「アイツ?」
「名字名前に決まってるだろ」
「どうかしたのか?」
「…ホント、アイツのことになるとキミって食いついてくるよね。まあ、噂と言っちゃ噂なんだけど、その子は結構情報を売り買いしてる子でさ、99%の確率で、情報は真実なんだ。これ、見る?すごい衝撃的だけど」
 ミストレがポケットから折りたたまれた紙を出し、背を向けてヒラヒラと宙を舞うように靡かせた。
 写真、ではないようだ。見た限りではコピー用紙が妥当だろう。
「エスカバとアイツが参加してるプロジェクト、どうやら表では出せないような事ばかりをしているらしい。表向きでは奇怪獣と敵国との戦争に備える軍人を育成する、と言われているけれど、そうではないみたいなんだ。奇怪獣の実験を行っている、そんな事をしているらしい。あまり、有益な情報ではないように思えるだろうけど、これはかなりの有益な情報だ」
「……奇怪獣の実験?」
「あまり詳しくはわからないが、過去に奇怪獣のソースを人間に組み込む実験が行われたらしい。その実験の延長で、このプロジェクトは発足された。しかも、今回は歩兵である軍人を巻き込んでね」
「つまりは…実験体ということか」
「ああ」
「……エスカバと彼女は、」
「恐らく。そう考えるのが妥当だと思う。彼女は結構な月日が経っているけれど、エスカバは日が浅い。聞き出そうと思ったけど今日から二日間、プロジェクトのメンバーは第一基地へ行くらしい」
「第一基地?あそこは今や宇宙開発が主だろう」
「土地はある」
「一体何が行われるんだ?」
「さあ。そこまでは、わかってない。ただ……、」
 ミストレは写真を見る。唇を固く結んでいた。よく見ると、その紙は何枚も重ねられ、折りたためられていた。
「…バダップ、キミはアイツを受け入れることは多分無理だと思うよ。それから、アイツがキミを受け入れることもないと思う」
「そんな事はない」
 彼女は俺に、大事な事を教えてくれた。つらいことを、俺に教えてくれたのだ。悲しくて泣きたくなることを、俺に教えてくれた。胸に潜めた黒く悲しいつらいことを、その口で、確かに、俺に告げたのだ。
「…まあ、僕達が生きている時代で、しかも僕達の職業上、死体を見ることだって日常なのだろうけど…。これは僕の端末からプリントしたやつ」
 ミストレは手に持っていたそれを俺の方へ放り投げた。
「気が向いたら見るといいよ、ソレ」
「…ああ、感謝する」
「ま、見たら見たで色々と見る目も変わってくると思うからアイツがいない間に見る事をお勧めするよ。じゃ」
 ミストレの言葉に呆気を取られ、部屋が閉まる音で意識を取り戻した。当然ミストレはみたのだろう、この紙に書かれている情報を、彼女の、情報を。
 喉を鳴らし、何枚にも重ねられている紙を開いた。ミストレが読んだ後の痕跡が残っている。持つ場所に皺ができており、何度も何度も、これを見たということを物語っていた。




 紙を重ね、何枚にも折った。声が、出なかった、いや、出ない。立ち上がり、棚の上に伏せておいた彼女の写真を捲ると、そこにはこの紙と同じ写真が載っており、犯人は誰だか予想はできた。しかしこれはあの男がわざとしでかした事ではない、と。
 いや、そんなことはどうでもよかった。
 ミストレがこれを俺に見せてくれて、本当によかったと、心から、ここにはいないミストレに感謝をする。
 そうか、そうだったのか。
「ミストレも、青い顔をするわけだな」
 おそらく、だ。四肢を切断されているのは、彼女の弟だ。あの時の彼女と男の会話で検討がつく。そして確信が持てた理由は、彼女と、その弟の履歴書もコピーさせられていて、名字が同じだということ。表情がどこか、似ていること。
 彼女は、裸になって、体中に傷を付けられ、恐らく好き勝手された後にこの写真が撮られたのだろう。白濁したものが地面や体中に付着している。リリスの能力なのだろうか。俺が見た時には、このような傷などなかったはずだ。
 それに、この写真は腹部を深くメスか何かで切られており、血が大量に出ている。肩に銃弾で撃ち抜かれたものもある。だが、今の彼女には傷がない。顔にも、体に焼き印も見られる。しかし、やはり今の彼女には無いものだ。
 彼女は弟のこの姿をその目に焼き付けたのだろうか。四肢が切断され、写真の縁にはプラグのようなものが横たわっており、一本だけ、弟の鼻孔に繋がれている。
「(これはなんだ?)」弟は死んでいる。が、写真越しにも関わらず、彼の心はどこか生きているような、そんな印象を持った。
 そして、彼女の首から流れる血、深い、傷。しかし、彼女は死んでいる顔をしてはいなかった。
どれも、幼い彼女だった。
「…名前」
 聞こえるだろうか、俺の声は。

 危険因子だ。彼女の事を考えず、ただこの現実と向き合う。彼女の身体に奇怪獣のソースが組み込まれているのであれば、彼女は世界の危険因子だろう。死ぬことがない、本当の『バケモノ』だ。
「名前…、」
 抱きしめたい。彼女を、抱きしめたい。