南部プラネタリウム | ナノ


 彼女を見つけたのは第一部隊が援軍へやってきて応戦し、戦いも終盤に差し掛かってきたところだった。敵の弾が思いのほか悪い場所に当たったらしく、エスカバも焦るほどに血が地面へ滴り落ち、エスカバも怪我をしていたからついでにと医務室へ向かったわけだが、医務室の奥でなにやらたくさんの人がざわざわと誰かを囲んでいた。エスカバと顔を見合わせて人だかりへ向かうと、そこには頬にガーゼ、手には包帯が巻かれた彼女がおり、きょとんとして医務班員の怒声を聞いている。
「名前!!」次に声をあげたのは隣にいるエスカバだった。彼女はこちらに振り返り、「エ、エスカバさん」と身を引いてエスカバを見上げると、エスカバはわなわなと腕を広げて「お前なあ!」と声を張り上げる。
「エスカバ」エスカバの腕を掴むと、エスカバは途中まで出していた言葉を飲み込んで肩の力を緩ませ「ああ」と俺の腕を払った。
「頑張んなくていいってあれほど言ったのに…」
「…で、でも、わたしが頑張らないと部下に示しがつかないっていうか…」
「エスカバ、彼女は隊を任されている身だ。あまりそのようなことは」
「…、悪かったよ。名前、約束破った罰だ。基地戻ったら俺に付き合えよな」
「え!?ちょっと罰って、そんな話聞いてないよ!」
「うるせえ!今ここで俺が決めた!」
 ちょっと、まっ、エスカバさん。彼女が怪我をした方の手を挙げ、振り返りどこかへ行こうとするエスカバの背中に手を差し出した。そんなエスカバの後姿を見送った後、彼女に怪我を負わせてしまったことに気付いて、胸の奥で溜まったものは一気に外に吐き出された。
 振り返り彼女を見下ろすと、もういないエスカバの背中を、ずっと、見ていた。



 この戦いに勝利も敗北もなく、生き残るか死ぬかのただのゲームであったことを彼女はまだ知らない。エスカバとの約束だとか罰ゲームだとかを呟いていた彼女には何も言葉をかけず、目があった時に少しだけ首をかしげてその場を去った。怪我をしているところを見せたくなかったからだ、それから、おそらく、嫉妬もあった。
 戦いも終わり、静けさが第二基地を襲う。静寂だった。基地内の雰囲気がどうも俺には耐えがたく、基地の外へ出て、戦車もたれかかり月を見上げる。時に、コオロギだかスズムシだか、そんな昆虫の鳴き声が聞こえ、今の季節を知った。止血したはずの腕の包帯には血が滲んでいて、そこに手を添えると多少の痛みが俺を襲う。
 ここに彼女はいないので、痛みに顔を歪ませることを我慢せず、息を吐いて手についた血痕を見つめる。これも彼女を守った傷なのであれば、それでいい。腕に包帯を巻いていた彼女、頬にガーゼを当てていた彼女。
「こんなところにいたんですね、バダップ殿」
「!」
 月明かりのおかげで声の正体の姿がぼんやりと瞳に映る。腰を屈めて俺の顔を見てきた彼女に声を掛けることも忘れて目の前にしゃがんだ姿に息を止めて瞬きをせずに見つめた。彼女は「怪我、してるんですよね?」そう言った彼女は俺の前に手を差し出した。「見せてください」いつまでも彼女の言うことに従わない俺に、彼女は無理矢理俺の腕を持ち上げ、包帯を解かれる。こうされていうのも何だが、彼女より包帯の巻き方はうまいつもりだ。
「このまま医務室へ行く予定だったから、別に」
「でも、わたしの為に作ってしまった傷でしょう?」
 包帯を解き終わった彼女は俺を見上げる。
「違い、ましたか?」
「……いや…、そう、…だな」
 ポケットから出てきた包帯を俺の腕へと巻き付け、口を固く結んでいる彼女に、どうしてここがわかったのかと問うと、彼女は困ったように笑って、探したからです、と言った。
「外は危険です、アレグリが死体を食べに出てきますよ」
「ああ、忘れていたな。そういえばそうだった」
 彼女に巻いてもらった包帯を撫でると、彼女は目を細くして頬笑み、一緒に医務室に行きませんか、と彼女は恥ずかしそうに首をかしげていつもより小さな声で俺に問う。
「エスカバはどうした?」
 この台詞に意味はなかった。俺は少なからず嫉妬を覚えていたから、無意識で彼女に訊いたのだと思う。彼女がハッとしたように俺を見てから俺も自分の問いにハッと気付いたのだ。
「あ、い、いや、特に意味は、」
「…さっき一緒に夕食をとる約束をしただけですよ。それが罰みたいです、とっても簡単でしょう?」
 彼女は一歩下がる。戦車から背を離して彼女の隣に着いて今の問いを消したいがために、行こうか、と自分なりに優しく言ったつもりだった。しかし彼女は俯いたまま、そこから何も動こうとも、振り向こうともしない。
「ごめんなさい」
 は?思わず声に出してしまった。
「わたしはまた余計な世話を…」
 彼女の口元が震える。見て見ぬふりをしようとしたが、隣にいるからなのか、それはできないと悟って、彼女の目の前に移動した。
 あの日、彼女がアップルパイを持ってきてくれたあの日、確かに俺の中で彼女の優しい心が流れ込んできた。彼女の優しさに触れ、俺はしばらく忘れていた優しさを思い出せたのだ。
「あなたといると」
 俺は口を開く。彼女の肩が強張っていくのがわかった。
「あなたといると、俺は優しい気持ちになれる。これは紛れもない、あなたの心だと思う。俺は、」
 彼女の頬に触れようと手を動かし、そこまで持っていくと、今度は彼女が口を開いた。
「西軍がこちらの建物内に侵入した時に、わたしよりももっと小さな子どもがわたしよりも大きな銃を持って、それをこちらに向けて引き金を引こうとしたあの顔が忘れられないんです。わたしなんかよりきっと、頭のいい子だったんだと思います。すべてをわかりきっているような表情でこちらを射抜くように視線を向けていました。わたしを殺そうとしていた。その子の腕にはたくさんの痣や傷がたくさんあった。切り傷だったり火傷のあとだったり殴られているような痣だったり…。わたしはそれをわかっていながらその子の事を殺した。あの子はきっとわたしよりも痛い思いをしたのに…」
 西軍がこちらの建物に侵入してきたのは誤算だった。まさか背後を取られるとは思わず、背後を守る部隊が全滅し、西軍の侵入を許してしまったのだ。もちろん、彼女のいる建物が狙われないわけがなかった。どの部隊よりも彼女の部隊の射撃は確実で正確だったのだから。侵入によりこちらの被害が予想よりも大きく苦戦してしまい、ギリギリの状態でこの戦闘に勝ったのである。
「…この傷はその子につけられたものです。どうにか逃げながらその子を殺すことができました」
 彼女は頬の傷をさすった。腕の包帯にうっすらと血が滲んでいる。
「戻りたい」

「戻りたい、子どもの頃に戻りたい、幸せだったあの頃に、戻りたい」
 月明かりが照らしてくれるこの地球には、きっと神様の慈悲などなくて、悲しみばかりの連続で、救われないことの方がたくさんで、嬉しくて泣ける夜なんかよりも悲しくて泣いてしまう夜の方が多くて、安心よりも不安の方が強くて、優しさなんかよりも憎しみの方が大きくて。救われないことばかりで。泣いても誰も救ってくれなくて、孤独を感じて、また一人で泣いて、それの繰り返しで。
 誰かに救われたくとも救われなくて。
「もう…、もう、あの頃になんて戻れない。もうわたしに大切な人なんていない、お父さんもお母さんも、弟も死んでしまった。もう誰もいない。わたしも誰かの大切な人を殺してしまった。わたし、わたしも」
「もういい、もういいんだ」
 ポタリと涙の雫はコンクリートの床を濡らした。
「もう、いいんだ」
 彼女の心が流れ込んでくるかのように俺は静かに涙だけを流した。俺の心は流さずに。




「わあ、いいんですか、これ」
「余ったやつだからいいのよ、あの人にもね」
「ありがとうございます!暑いし食べたいなーって思ってたんです、アイス!」
 彼女が両手にアイスを持ってきて嬉しそうに跳ねながらこちらにやってきた。「バダップ殿、どうぞ」死んでいった者達の分だろう。ここでそれを口にしないでも彼女はわかっているこのことはわかっているはずだ。
 医務室の外の長椅子に二人で腰かけてアイスに口を付けた。
「あ、懐かしいなあ、これ。あたり付きのやつだ」
「小さい頃よく食べたな、エスカバとミストレと一緒に」
 もうあの駄菓子屋はなくなってしまったけれど。コオロギだったかスズムシだったか、綺麗な音を鳴らしてくれる虫達の音を思い出しながら、、新しい思い出の彼女の隣で、あの頃を思い出す。