南部プラネタリウム | ナノ


 奇怪獣とは。
 詳細不明の約30年ほど前から出没し始めた異型の生物である。種類は世界各地で様々だが、ここらでは特にアレグリ、セルスの分布が多い。アレグリなんかはアレグリ種といって、スタンダードなアレグリだけではなく、外国では更に異型なものまであるという。それこそ図鑑でしか確認したことしかないのだが、これから先海外へ進出することになるのならそのアレグリ種をたくさんみることになるだろう。
 一方、奇怪獣の祖と呼ばれる「ネグリー」という奇怪獣が存在する。森の奥に存在しており、姿かたちを見たことがあるものは現在、地球上には存在しない。ありとあらゆる図鑑を見てはいるが、この二つに関しては謎が多いと思える。外国にいる奇怪獣など、戦闘がおこなわれる直前に目を通せば大体のことは覚えていられる。
 なぜ奇怪獣が出始めたのかはわかっていない。一方では「宇宙からの侵略」と言われている。

 図書室へ奇怪獣関連の本を二冊、返すところだった。角を曲がろうとしたところに野太い男の声と細い女の声が耳に入る。立ち止まり壁を伝ってその様子を伺うと、細い声の主にぎょっとした。その女の声の正体は紛れもなく名前だったのだ。
「それは…やらない約束だったじゃないの!」
「それはそれ、これはこれ、だ。言われた事さえもできない軍人なんていらねえからな。これを晒されることでお前は晴れて性欲まみれ、女に飢えてる軍人の性奴隷になれるんだぜ?感謝しろよ、名前チャン」
「陰険で卑猥なうえに卑怯すぎる…!これからの軍事プロジェクトへの嫌味ならわたしじゃなくバウゼン殿に漏らすべきじゃない、わたしは関係ない!このプロジェクトの発足はバウゼン殿なんだからわたしに言うよりずっと効果的だと考えもつかないの?この低脳!」
「いんや、いいんだぜ、おれは。プログラムに入ってこの画像を流出すればお前のこんなやらしい姿数分、いや数秒でこの基地内にいる軍人たちの端末に表示させられて数分後にはお前、ベッドの上か、それともここで犯されるんだろうなあ。俺はその動画をアップして世界中に発信する。女に飢えている軍人たちを助ける救世主だ」
 ガッ、と男は彼女の首元の服を掴み、ここからでは見えない写真を見せる。先程の写真ではなく、黄ばんだ写真だった。男がそれを彼女に見せた途端に顔を真っ青にし、口を開いているが、声は出ていない。
「女軍人の弟、悲惨にも姉の手によって殺され目の前で解体させられる。この記事を読んだ人間は胸糞悪いしイカれた女だっていいつつも犯すってわけよ。そして後々、この弟は」
「もうやめて!」
 彼女が写真を盗ろうと腕を伸ばすが男は手を挙げて空中に浮いている彼女の手をみてニタニタとそれはもういやらしく笑っている。
「同時に端末に送り込むのも悪くねえよな。お前の傍にいればお前目当てでくる男をじっくり見れる。動画も写真もとれる。最高の一日、いや、最高の人生だな」
「やめ…、て」
「とんだ悪趣味だ」
 男は俺よりと同じくらいの身長で、俺の方が腕が長かった、それに男の警戒は目の前にいる彼女のみに注がれており、俺が背後に回ったことにも気付かなかった。戦場では真っ先に死ぬタイプである。
 彼女を思い写真を見ないでおこうと興味を殺いで左ポケットに乱雑に突っ込むと、男の視線が彼女から外れた。すかさず男の脇に蹴りを入れると男の体は簡単に飛んで行った。彼女の目には涙が溜まっており、目を瞑れば涙は頬を伝うだろう。
「この世はデータによって管理されている、という政治家がいたらしい。それではそのデータを壊すとどうなるか、今ここで再現しよう。お前の行動は下劣極まりない」
 俺の手の中にあるのは男の端末だ。
「情報の発信源は常に端末。プログラム。それではもし、自分の情報を流され、軍内部の情報が漏らされた場合、お前ならどう対処する?俺はこうする」
 端末というものは便利でありながら、とてももろい。少し力を入れれば青光りしている端末はいとも簡単に綺麗に二つに割れるのだ。
 彼女を悲しませること、それだけではない。重大なプロジェクトの「嫌味」を他人にぶつけるその行為が、なにより、彼女を悲しませることよりも、言葉では表せないほど気に食わなかった。男は端末が折れた瞬間気絶し、上半身を廊下にぺったりとくっつける。下劣でとても弱い人間だ。自分でもわかるほどに冷たい目を男に向けているのがわかっていて、彼女が俺に送る視線に気づいていながらもその目をやめることはしなかった。
「…先程のことは訊かないでおこう。…申し訳ないが、写真は」
「………聞いていたんですか?」
「聞く、つもりはなかった」
 左ポケットに入れた写真が俺の手により更に皺を作る。
 ああ、しくった、まずい。失態だ。
「バダップ殿は鋭い方なのでしょうし、先程の会話で話は掴めているんでしょうね」
「…言い訳をするつもりはない。ただ、本当に偶然だったことは言わせてほしい」
 しばらく沈黙は続いたが、彼女の笑顔でその場の空気はガラリと変わった。この場にいるのは確かに俺と彼女のはずなのに。
 俺はどうするべきだったのだろう。彼女を救うことは正しかったのだろうか?
「なんちゃって。いじわるしてごめんなさい」




 ミストレはフォークを落とし、エスカバはフォークに刺したハンバーグは口ではなく、鼻へあたっている。向かいの席にいる二人はじっと俺を凝視し落としたフォークを拾うことも鼻の穴に入っているハンバーグを避けることもない。二人はただじっと、俺を見ている。
「え、あの…、ちょっと待ってくれ、今何て言った?」
「…俺は失言でもしたか?待ってくれ、今思い出す」
「『彼女が心配でならない。彼女を見ると胸が痛くなる。』一見詩人かと笑ってしまうもよく考えてみたらこれは…」
「これは…」
 エスカバの腕が下ろされる。予想通りに鼻の周りには焦げとケチャップが付着しており、とてもではないが見ていようとは思えない。ミストレは腕を下ろすだけではなく、片方の手は顔を覆っている。
「よりによって、あいつ…?」
「…まて、俺はそういう意味でいったわけではない。彼女が無理をして軍人を偽っているのを見ていると、という意味だ」
「どうだか」エスカバは言う。
「ぶたれたいのか」
 俺の説明不足がいけなかったのか、目の前の二人はじっとりとした目をこちらに向け、なにか疑うような視線を送っている。
 嘘ではなく、これは真実だ。紛れもない真実だ。実際、彼女の勇気には感銘を受けた。そして昨日のような場面に遭遇してしまっては、心配しないわけがない。二度、彼女の涙を見た。泣かないことが強さではない。彼女にとって泣きたくなるほどつらいことが俺と出会って二度会っただけのこと。
「つうか、あの女、バウゼン教官発足のプロジェクトの一員らしいな。帰ってきて調べはしたが情報が少なくて全っ然答えを返ってくるもなにも「『鷹』の隊長」だけだ。三か月前のポガト戦で活躍した、とまでは掴んだんだけどな」
「ああ、オレも周りの子たちに聞いたけどここにきて三か月、つまりポガト戦の前にこの基地に来たってことだ。来て早々戦場に駆り出されたから彼女のこと知ってる子はいなかったね。わかることは実力はある、ってことだろうけど…どうなんだろうねえ、彼女」
「狙撃の腕はきっと俺よりも正確だろうな」
「まっさかあ、バダップの方が上だろ」
「さあ…どうだかな。君達も知っての通り、彼女の能力は未知数だろう?」
 バウゼン教官発足のプロジェクト。聞こえはいいがその内容は未だ公開されておらず、この先も聞こえのいいプロジェクトとして公表されるだろう。バウゼン教官の真意、そしてプロジェクトの本当の意味はそのプロジェクトに参加する者のみしか知らされない。その中には彼女もいる。あの男も。
「バダップは彼女を過大評価しているんじゃないかな。ねえそう思うだろエスカバ」
「…まあな。バダップの言うように軍人には向かなそうだし、あいつ」
 ひどく彼女を嫌っているようだ。違うか、嫌っているのではなく、苦手意識を持っているのだろう。シチューとサラダの皿を重ね、席を立った。プロジェクトに彼女が参加していることは言わずに、エスカバとミストレの言葉に「ああ」という短い一言を開始食堂を出る。射撃訓練でもしようかと思ったのだ、彼女よりも正確に撃つために。
 俺も、そのプロジェクトの一員になるために。

 プライドはもちろんのことある。バウゼン教官の元、10代の頃から同じ基地にいて特別な任務も任されたことだってある。ここのところ自分の隊を任されてから失敗した任務などないし、バウゼン教官の指示することは確実に正確に行っていたのだから、俺がもしも「プロジェクトの一員にしてください」と言えば、きっと、許してくれるだろう。
 訓練場へ足を入れ、立てかけてあるライフルを適当に持って弾を詰め込み辺りを見渡す。額ど真ん中に弾を撃ち込んだのは、彼女だ。
 最近よく見かける。話はかけはしないが、食堂で一人寂しく食事を取っていることも、部隊の者と一緒にこうして訓練していることも。昨日は何日かぶりに話したのだ、アップルパイ以来に。それにしても昨日のことがあってから俺の中でどこか距離を作ってしまった気がしてならない、事実そうなのだろう。

 彼女の写真は昨日のまま左ポケットの中に皺をつくってある。渡すタイミングを見失って、昨日のこともあるし、俺を見て嫌な気を起させることはしたくないから、やはり写真はこのまま左ポケットの中に皺をつくってあるままにしておかなければならない。興味本位で見るものではない。気になりはするが、彼女のプライドを汚し、貶すことはしたくなかった。
 鋭い音が耳の中に響き、その音の正体は彼女の撃った銃弾の音だとわかった。顔をあげて彼女の後姿、銃を構える後姿を見つめ、やはり、体つきから姿勢まで、なにからなにまで彼女は事足りない軍人スキルが目立つと感じる。
 俺も構え、標的を捉えて引き金を引いた。丁度よく周りが静かになった時に銃声が大きく響いたので、彼女は音のする方、つまり俺のほうへ顔を向け、小さく「あ」と言う。俺もたった今見つけたかのように口を少しだけ開いて、なにか言おうと思ったけれども、それはやめておき、視線を的へと戻す。彼女が俺の的へ視線を送ったのがわかる。何を思っているかはわからないが、もう一発心臓部分へと弾を撃ち、ライフルを下ろして、乱暴にライフルを棚の中へ放り込んだ。
「バダップ殿!」
 後ろからバタバタと軍人とは思えぬ足運び、足音、息遣いでこちらに走ってきたのは彼女だった。
「なんだ」
「あ、あの、バダップ殿、まだ休暇はいただいているんですよね?」
「明日まで休暇をいただいている。それがどうした?」
「よかったら少しの時間付き合ってくれませんか?見せたい子がいるんです」
 考える余地もなかった。と、いうよりも、彼女が考える余地を与えてくれなかったというほうが正解だろう。
 彼女に引っ張られるまま、普通に歩けば抜かしてしまう歩幅をあわせて彼女の後ろを歩いていく。
 引っ張られるがまま、着いた先は軍の基地を少し行ったところにあるこじんまりとしたカフェだった。しかし古臭く、経営されているのかさえ危うく感じるところだったのだが、彼女はそのように警戒心など皆無に近かったため、ここに来た事がある、と思われる。
 ドアをあけ、カランカランと音がなった。店にいた50代の老人は彼女を見て表情を綻ばせ、老人は彼女の名を言う。おそらく「常連さん」なのだろうと思った。
「ここはわたしがお世話になったタニさんの経営する喫茶店なんです。タニさん、奥入ってもいい?」
「ああ、いいよ」
「待て、俺なんかが勝手に上がり込んでは」
「君はバダップ・スリードだね、階級は中尉だろう。私も軍人をしているから君の噂は聞いているよ。あのバウゼンだけでなく、ヒビキ提督にも気に入られているようだね。君の階級は歳のせいか」
「…なぜ、軍人なのにも関わらず喫茶店を経営なさっているのですか?」
「それを聞くのはタブーでは?」
 タニさんはそう言って戸棚を開けた。タニさんと俺を交互に見ていた彼女はタニさんにいい?と小さく、可愛く、訊く。タニさんはまるで孫を可愛がるかのように彼女に頷いてみせ、彼女は俺の方へ手招きする。タニさんを横目で追いながら、彼女の後ろについていき、彼女がドアを開け、部屋に入った。
本棚、テレビ、ベッド、冷蔵庫。人一人生活できる寝室スペース。彼女は部屋の真ん中手前にしゃがみ、端末を表示させてパスワードを入力した。すると、真ん中にドアノブが現れ、そのドアノブに手をかけた。
 地下都市だ。地下都市は本来、大尉の階級から訪れることを許され、生活もできるようになっている。なのになぜ彼女が地下都市へ入ることができるのだろうか。
「なぜ」
「タニさんの地下都市にある家にね、たくさんいるんです、レプリカ達。わたしの鷹丸もそこから自分のペットにしたんです。それに他にもなついてくれる子たくさんいるし、わたし達の部隊なんてああ言われてるけど全然支援してくれないので科学者でもあるタニさんにこうして情報を伝えてくれる子達を、ね」
 地下都市へ続く階段を下りながらの会話である。ドアをあけると、そこには絶滅したとされる動物達がそのスペースにはいっており、驚く光景だった。草食系、肉食系、すべての動物がこのスペースにいるのだ。
「この子達は理性があって本能でいることなんて滅多にない。それはこのスペースに充満してるセルスのガスのおかげなの」
「セルスの?あれは毒ガスだろう」
「その毒ガスを制御操作できるのがタニさん!すごいと思いませんか?このレプリカ達はタニさんの実験結果なんですって!」




 タニ シュウイチ 56歳 中佐 特別化学班班長
 数々の実績を残したタニ。20年前のサフィス戦において活躍したそうだ。人体解剖を専攻とし、もちろんレプリカ作成に携わり、奇怪獣の解剖を行ったことがあるらしい。そこであのセルスの毒ガスを研究したのだろう。一見、軍人でなく、一般の老人と見れたタニ中佐は軍の中枢を担っている。
 どうしても彼女との接点がみつからない。端末のキーボードに触れていた指を離し窓の外を見た。
 あの後彼女と基地へ戻り、なぜ俺をあの場所に連れていったのかと問うと、彼女は首をかしげて「よくわからないです」と話した。当の本人がそうならこの問題は謎のままだ、俺にわかるはずもない。もしかしたら、俺が鷹丸に少し興味を持ったから彼女はあの場に連れて行ってくれたのかもしれない。余計なお世話だったが、それは言わないでおいた。
 あの写真は皺を作ったまま机の上に伏せてある。二枚。これは、このままにしておこう。