愛するひだり | ナノ


 ごめんなさい。今日は早めに出ます。
 そう陸遜にメールをしていつもより30分早く家を出た。登下校で使う道に開かずと有名な踏切がある。そこの開かずの踏切は10分から15分間の間動かないのだ。電車が来ない間に踏み切りを横切ることもできるのだが、そこを越えたあとの横断歩道の待ち時間がまたなんとも酷い。朝は車の行き来が激しくなかなか信号無視、なんてこともできない。それに歩行者用の信号が青に変わる時間がとてつもなく長い。
 普段ならなんてことない待ち時間も、今日はとても長く感じる。隣に陸遜がいないからなのは解っていたが、陸遜のことばかりを考えてしまうと体の奥底から長い溜め息が出てしまうから、久々にウォークマンで音楽を聞きながら歩いている。間違っても恋愛の曲なんて聞かないで、昔流行ったアニソンを聴くしかないのだ。アニソン以外の曲なんて聴いたら、思い出してしまうから。
 けれども気が抜けた瞬間にぼや、と、昨日の陸遜の表情が蘇ってくる。
「はあ」外で出すのはやめようと思っても生理現象なのだから仕方がない。
 陸遜が追いついてこないという自信はたっぷりあった。30分も間隔をあけ、車の通りが激しくなる前に横断歩道を渡ったのだ、いつもの時間に家を出る陸遜が追いつけるはずがない。
 学校の門をくぐり教室へ入る。いつもの席に夏候覇が必死になって机に向かってペンを動かしていた。
「おはよう」わたしの声に夏候覇も驚いたようで
「はよ…お前、はやくね?」と、驚いた声で言う。
「うん、その、目が覚めちゃって家にいてもつまらないから」
「いやいやいや、家でのんびりしてた方がいいっしょ…」
「あれ、なにそれ、宿題なんて出てたっけ?」
「一週間前の生物のやつなんだよ!出さないと成績ださねーって…酷い話だよなあ」
「いやいや、出さないアンタが悪いからね。頑張りたまえよ」
「……いやいやいや、名前、顔色悪くないか?」
「…え。そ、そう?」
 こういう時に持ち前の鋭さを発揮する夏候覇が少しだけ憎い。まさか夏候覇が教室にいるとは思わなかった時点で少し予定が狂ってくるのに、わたしの顔色まで窺い始めてきた。
 こうなるとしつこい夏候覇で、心情を話すまで問い質してくるのだ。しかし不思議とどうしても話したくない、とは思わせないのが夏候覇だ。それに長い付き合いの中で相談事を持ち込まないなんて事はなかったし、夏候覇に話すことで一気に重みが軽くなってくれるならば、と自分の席に座る。
 夏候覇はペンを片手に持ち宿題そっちのけでわたしの話を聞く態勢に入った。「実は」
「…昨日、陸遜に…」
「ああ、告白っしょ?」
「え!?な、なんで知って…」
「いやいや、見てたらわかるって。ふーん…、少女漫画みたいだよなーそれ。で?…ああ、一緒に行きたくないから早く来たってところか?」
「おっしゃる通りです、夏候覇様…。もう頭の中がごっちゃになっちゃって、どうすればいいかわかんなくって…」
「それって、結局名前が最終的に決めること、だよな。どっちと一緒にいたいか、だよ」
 確信を突いてくる夏候覇の前から姿を消したいくらいだ。
「そんなすぐには答え出せねえと思うけど」ポリポリとペンの頭で頭を掻いた夏候覇は宿題のノートをわたしに見せるように出し、「手伝って」と甘える声を出す。
「……もう」
「おっ!持つべきものは友達だな!」
 に、しても、と夏侯覇は続けた。
「ずっと避けてるってことは、できないと思うぜ」
「うっ」
 陸遜のことだから、もしかして這いつくばってもわたしのことを追い掛けるかもしれないし、逆に「もういいです、諦めます。あなたより良い人はたくさんいますからね、別に悔しくもなんともないです」と言われるかもしれない。それはそれでちょっと悔しいけれど。
 生物のワークに答えを丸映ししながら廊下に意識を向けていた。人が通る度に肩を震わせ、顔を確認せずに肩だけでなく指を震わせながらひたすら書き込んでいく。一人一人顔を確認していって、その中に陸遜がいたらどうしようか、と嫌な事に顔を背ける癖はいつまで経っても治ることはないだろう。格好悪い。
 仕方なく、夏候覇は「ふう」と息を吐いてわたしの隣に席を移動した。
「これなら顔もあんまり見えないだろ」と、たまにかっこいいことをいう夏候覇がズルイ。
「…夏候覇だったら、もし幼馴染に告白されたら、どうする?」
「え、俺?幼馴染に女なんていねーしなぁ…名前みたいな奴がもしそうだったら、わからないかもな」
「……あのねえ、からかわなくていいから」
「はいはい悪かったよ。んなら冷静になって良く考えて、答え出す。これしかないっしょ」
「でも、陸遜は幼馴染だから、そういう風には思えないんだ、よね」
「それならそれで、そう言えばいいんじゃねえかな」
「…それは…、そうだけど。」
「ハッキリ言った方が、相手の為にもなるぜ?」
 陸遜の悲しい顔を何度も見てきているからなのか、陸遜に悲しい顔はさせたくないのだ。今も昔も、それはずっと思っている。
 わたし相手に悲しい顔をするか分らないけれど、昨日、陸遜にああ言われた後の表情は見ていてとても苦しかった。
 陸遜にあんな表情をさせてしまったのはわたしだ。わたしなのだ。
 また悲しい顔をしているのだろうか。
 後悔するなら早く陸遜に返事をしたほうがいいと、周りの人は言うのだろう。けれど、陸遜とわたしの仲は、普通の人とは少し違うので、一般的な考えなんて、あってないようなものだ。これは二人の間で解決しなくてはならないものなのだろう。夏候覇に言ったところでどうなるわけでもない。夏候覇は第三者の意見しかわたしに唱えることができないのだから。
「でも、ハッキリ言ってるようなもんだよなあ。だって鐘会のこと好きって言ってんだろ?」
「あ、うん。最初に相談したのは陸遜だったし」
「そんで告白されたってことはずっと名前のこと好きだったってことだな!幼馴染だろ?可能性はかなり、だな」
「そっ…それは、そんな、ことは…」
「いやいやいや、名前が答えるところじゃないって」
 気付けば夏候覇の言葉の数々はわたしをどんどんと追いこんで、逃げ道がなくなっていた。早く友人が来ることを願っても、まだまだ友人が来る時間にはならない。
「まっ、とりあえず!自分の心に訊いてみることが一番の近道ってことだ」
「なんかむかつく」
「えっ」
「でも、ありがとね夏候覇。また当てにするかも」
「よし!どーんとこい!」
 最後の夏候覇の笑顔に自然とほほが緩み、「うん」と返事を返した。もうそろそろほかの生徒もやってくる時間だし、その中に陸遜もいるだろう。不安だが、なにかあったときには隣に頼りになる友人もいるのだから、少しだけ胸を張っていこう、とは思うのだが、きっと陸遜を前にしたらそんなことできないだろう。
 だが、きっと陸遜のことだ。彼の性格を考えればきっとわたしには近づかないはず。しかし陸遜をずっと避けることはできないのだろう、夏候覇の言うとおり。
「お、噂をすればなんとやら。陸遜お前のこと見てるっぽい。…ああ見てる見てる」
「や、やめてよ夏候覇…。」
「え…あ、」
「え?……えっ!」
 わたしも夏候覇も、目を点にして近づく陸遜を凝視した。陸遜は無言でわたしと夏候覇の目の前までやってきて、わたし達二人を見渡して、にっこりと笑って「おはようございます」と言った。これにはもちろんわたしも夏候覇も驚く。予想もしていなかった出来事に「……あ、うん。…おはよう」と返すと、陸遜はいつもと変わりない表情で教室に帰って行った。
 けれど、こうしてあいさつをしに他クラスまでやってくるのは、やはり何か意図があってなのかもしれない。
「まっ、がんばれよ!」
「……。うん…。」