愛するひだり | ナノ


 間抜け面を向けている陸遜の目線の先にはわたしが作ってきたマカロンがある。部活帰りだからだろう、その表情には疲れがあって、そしてわたしの登場にこのマカロンで今の現状を脳内処理できないようだ。
 しかし陸遜だからかすぐに現状を把握したようで、マカロンが入ってビニール袋を掴み、「これは?」と訊く。早く持ち上げてもらいたいのだが、じっと見入るようにわたしを見つめる陸遜に問いの返事をした。
「昨日作ったの」
「…お詫び、として?」
「ううん、暇だったから」
「早く寝なさい。隈ができているのはこのせいですか」
 やっと持ち上げてくれたマカロンに、陸遜は「バレンタインはまだまだ先のはず…ですよね。鐘会殿のついでですか?」痛いところを突いてくれる陸遜に「え?うーん」と曖昧な答えを返した。これに気付かない陸遜ではなく、一瞬無表情になったものの、すぐに笑って
「まあ、ありがたく受け取ります」
 と言った。ご丁寧にリボンまで、と陸遜は肩にかけていた鞄を開け、その中にマカロンを入れると「今日はおひとりですか?」と辺りを見渡しながらそう言った。
 ああ、鐘会を探しているんだ。となぜか照れてしまって、後ろに夏候覇がいないことを願いながら今日は一人だということを伝えると、陸遜は「それじゃあ、一緒に帰りますか」と拒否権を与えないようにわたしの手を掴んで通路を歩く。
 別に、こうされるのも今更で、鐘会の時とは違うものを感じた。鐘会の時はもっと胸の奥が痛くなって「ああ、好きだなあ」と触れ合いに胸を痛める。陸遜の時は、こう、鐘会とは違うものを感じるのだ。なんというか、最も親しい人と触れ合う、暖かみのようなものを。

 小さい頃、小学生の頃、下校の時、毎日こうして手を繋いで歩いていたことを今では何故こんなにも懐かしく感じるのだろう。
 陸遜はすぐに手を離した。学校だから、なのかもしれない。でもそれは違うのかもしれない。
 小学校の時とは違う家路を二年間一緒に歩き続けているわけだが、今日はその家路の景色がいつもと少しだけ変わっていた。一歩先を歩く陸遜の背中が、あの小学生の頃の小さなものとは違っていて、肩幅も、歩き方も、えりあしも、首まわりも、後ろ姿が、変わっている。いや、変わっていた。
「陸遜、小学生の頃から身長どのくらい伸びた?」
「いきなり、ですね。…どうでしょうね…小学生の頃の身長なんて覚えていませんし。どうしたんですか?」
「え?いやあ、陸遜の後ろ姿見てたらさー、変わったなあって思って。小学生の頃はわたし達身長あんまり変わらなかったじゃない?手も繋いで帰ってて、そう思うと子どもだったよね」
「…そうですね、子どもだったと思います。」
 それに、と陸遜は続けた。
「あなたも変わったと思いますよ」
「え、変わった?どこらへん変わったかな」
「教えたら調子乗るだけでしょうから教えません」
「ケチ!」
「なんとでも」
 ふと陸遜がわたしの手を握る。


**


 高校生を題材にした小説はあまり好まない。思うに、高校生を描く小説はただただ大人びている大人を書いているからだ。けれども時には子どもに戻ったり、戻らなかったり、そんな曖昧なモノを小説家は「高校生」と言うのだろうが、それは違うと思う。「高校生」は単純に子どもなのだから。
 彼女や私を見て解ると通り、恋をしている高校生、所謂子どもは皮肉にも小学生に格が下がってしまう。テレビや雑誌で見るように、最近の小学生は、雑誌的に言えば「大人びている」であるが、一般市民がテレビの前に並んで思う感想は「ませている子ども」だ。だから、恋をしている高校生はませているのだ。
 大人の皮を被った小学生は、高校生なのである。
 名前から貰った、可愛くリボンまでつけてもらったマカロンを机の上に置いて、それを腕を組みながら眺めていると、後ろのドアから弟が「兄ちゃん」と部屋に入ってくる。ハッとしてマカロンを隠すように後ろを振り返り、その隙にマカロンを片手で隠し弟の用事に答える。和英辞書がほしかったらしい。だったら電子辞書のほうがいいだろうと机の中開け、電子辞書とマカロンを交代して渡した。
 弟が部屋を出たところでふう、と息を吐いておそるおそるまたマカロンを机の上に置く。甘いものが嫌いということではなく、なぜか食べたいという気持ちにならないのだ。だが食べないと名前は悲しむだろうし、もし美味しかったといって、「失敗したやつだったんだけど」と言われたら動揺で応答できるだろうか。それともレシピ通りに作ったのかと言って「作ったよ」と悲しませたら、これまた動揺で応答できるだろうか。
 最近の名前は理解に苦しむ。そりゃあ、そうだ。小学生なのだから。
 本棚にある小学生を題材にした小説に目を移すも、小説の世界と現実の世界とじゃあまるっきり違う世界なのだから、少し参考程度に、的な事で読まない方がいいだろう。
 弟にこれが見つかれば食べないのなら俺が食うと私の返事も聞かずにその場で開けて、その場で食べるだろう、味わいもしないで。
「どうするべきか…」そう、自分にだけに作ったわけじゃない。私のほかにも友人、夏候覇殿、それに鐘会殿にまで作っていたのだ。ついで、と思うと、なぜか意地を張ってしまって手が伸びない。
 何故昨日ああも感情的になってしまったのだろうか、と今更後悔しても遅いのだが、あの時の自分を殴りたい気持ちだ。今日の帰りでやっといつもの調子が戻せたというのに、私の心の中のどこかでまだ距離感を縮めずにいる。
 きっと鐘会殿はあのマカロンを受け取っているはずだ。どんな返答をしたのかはわからないが、雨でもない日に一緒に帰ったという事実がある。それに、鐘会殿と名前は夏候覇殿絡みで仲が良かったのだ、きっと鐘会殿は「今更」と笑い飛ばすに違いない。
 私も何かしないと手遅れになる。けれど名前が気付くはずもない。言葉で正直に伝えなければならない。
「兄ちゃん、名前来てるよ」
「え」
 無意識に飛び出してきてしまって、玄関で母親に笑んでいる名前は私に気付いて軽く会釈。どうやら名前は煮物を持って来たらしい。
「それじゃあまた作ったら持ってきますね」
「あらありがとね名前ちゃん」
「いいえいいえ。それじゃあおやすみなさい」
「はい、ありがとう。お母さんにもよろしく伝えておいて。…送らせようか?」
「あ、大丈夫ですよ、近いですし!それじゃあまた遊びに行きます」
「名前、」
「ん?」
「送ります」
「いや、っていってもそこだし。…この前は」
「ちょっと送ってきます」
 乱暴に投げ捨ててあったクロックスを履いて名前の背を押し、家のドアを閉める。
「なんだよーこの前は送ってくれなかったじゃん」
 お前のせいだろうが。と、気持ちを込めた目で睨めば名前は「え、なにその目…」と視線を下にやった。
 この天然が私の気持ちになんて気付くはずもない。別の人に夢中なのだから、そっちばかりに意識がいってしまってこちらに意識なんて向けないだろうから。
「そういえば陸遜わたしの家の煮物好きなんだってね。初めて知ったよ」
「そうでしたか?昔から大好きの部類に入りますよ」
「お母さん喜ぶだろうなぁ…陸遜のこと可愛い可愛いって年中言ってるよ」
「それは…どうも。あんまり嬉しくはないですけど」
「多分部活動の姿を見ればかっこいい言うんじゃない?中学生の頃何度か言ってたよ。一番かっこいいって」
「喜ばしいことですね」
「…熟女好きだったっけ?」
「いいえ」
 私の家と名前の家は驚くほどに近い。3分もしないのではないだろうか。昔はこの距離がとても嬉しかったけれど、今となってはそれが少し悔しくもある。もう少し距離があるならば、少しだけでも一緒にいれる時間が長くなるのに。
「マカロン、食べた?」
「あ…ええ、はい、まあ」
「……食べてないんだ…」
「いや、食べない気ではないです、今から食べます」
「煮物のほうが好きだもんね」
「いえ…そういうことではなく…」
「鐘会と夏候覇はすぐ食べてくれたのになあ」
 彼女は他人と比べる癖があっただろうか。
歩む足が止まり、名前も不思議そうに振り返りながら歩みを止めた。
自分が、初めから、良心という偽善をつかわなければこうも悲しくなることもなかったことを、今まで何度思ってきたことか。名前のせいだと決めつけて、自分で自分を傷つけてきたことが何度あったことか。大人にならなければと、上辺だけを何度並べてきたことか。
 やはり、私は子どもだった。名前の前では笑っていようと無理をして、一人になったら悲しんで、また名前の前で笑う。
 私は、
「私は、あなたが好きです」