面白くない。そう顔に書いてある。 鐘会に家まで送られた後、気持ちが高ぶるあまり夜中の11時に陸遜の家に上がり込んでしまった。陸遜の両親は旅行で出掛けているらしく、こんな時間に陸遜の家に上がれた訳だが、そんなことに感謝していられるほど心の余裕はない。 今日の事を話すと、机を挟んで向かい合っていた陸遜は頬に手を当てて面白くないという表情をする。わたしから見てもわかるくらいに。 どこか気に障ったのだろうか、と話し終えたあと、少しだけ後悔した。口をへの字に固めた陸遜はそこから何も質問したりしない。会話もない。今までのように、面白そうにしている顔ではない。 自分の名前が話題に出たのが嫌だったのだろうか。そう思ってそれを訊いてみるが陸遜は一度だけ首を左右に振る。いい加減何か喋ってよと小さな声で言ってみるも、陸遜はそれを無視してわたしの手元をじっと見つめていた。 「こんな時間に家に上がった事は、申し訳ないと思うよ。」 「……どうせ今になって気付いたのでしょう?」 「陸遜の都合も考えないで」 「それも今になってからなんですから、別にいいです」 「じゃあ何でそんなに不機嫌なの?何が面白くないの?」 「ええ、ええそうです。面白くないです。すべてが。私の思い通りにいかないので。」 「うっ…、ご、ごめん なさい」 「詫びの言葉が欲しいわけではないのですが」 あれ、陸遜怒ってる?もう、なんかあるなら言ってよね!なんて軽々しい口調を今の陸遜に放ってやる勇気はない。漂ってきた緊張感に肩に入れる力は強くなっていった。 これもわたしのせいなのだろうか。 わたしの発言で陸遜を怒らせることは今まで何度もあった。今更怖がる必要もないのだが、それはそれ、これはこれだ。今日の陸遜は今までの陸遜とは違っている。湧きあがってくる黒い色をしたオーラがわたしにまで見えてしまっている。 「話したいことがあるから家に行ってもいい?」と、陸遜にメールをした数分前の自分がとても許せない。明日の朝にでも話せばよかったものを、何故今言ってしまったのか、それがどうしても悔いる。 「初めてですよ」 ポツリ、と呟かれた言葉にバッと顔を上げ、横目でわたしを見ていた陸遜と目が合う。 「なにが?」 「気に食わないのが」 「…思い通りにいかなくて?」 「そうですね」 「それも、ごめん。明日の朝に言えばよかった」 「どっち道この話を聞かされるってことですよね、それは。私がそれを咎めても、あなたは無理矢理にでも聞かせようとするんでしょう」 「……ねえ陸遜、一体何が嫌なの?」 「名前が『好きな人が出来ちゃった』から、すべてが気に食わなかったんです。私の思い通りではなく、あなたの思い通りになってしまった事が、私は気に食わなくて仕方がない」 「…?」 陸遜はいつから小説家になったのだろうか。ミステリー小説を読んでいるかのように、発言に謎が深まっていくばかりで、その言葉ひとつひとつに奥深いものを感じるようになる。犯人捜しでもしているのかと問うてやりたい。 「おめでとうございます」 面白くない、確かにその顔だった、さっきまでは。しかし、陸遜はいきなりニッコリと、いつものように笑って 「私のアドバイスなんていらない程、脈ありですよ。」 と、言った後に 「もう遅いですし、ご両親が心配するでしょう。」 陸遜はいつもの調子でそう言った。 さすがに陸遜のペースを乱すことができない、というよりかは、陸遜に従わなければといった雰囲気が出ていたのでわたしは曖昧に返事をし、頷いて、腰を上げる。最後に、ありがとう、と言うと、陸遜は困ったように笑って「大したことはしていません。最初から、こうなるだろうとは思ってましたし」言うのだ。こうやって。 わたしなんかやっちゃったのかなあ。 陸遜の家を出て、一度だけ振りかえってみる。窓には陸遜の姿はない。 ** 「……え!?そ、そうなの!?」 「え!?逆に俺の方がえ!?なんだけど!てっきりもう付き合ってるものと…あーまじか、そっかあ」 「ここに鐘会いなくてよかった…」 「いたほうがむしろ好都合だったんじゃねーかなあ」 昨日の陸遜とは真逆に、夏候覇は昨日の夜作ったマカロンを頬張りながら面白そうにわたしを眺める。「いやいやいや、おもしろくないっしょ」「いやいやいや、全然俺に似てないっしょ」 夏候覇、並びに鐘会は同じ中学校に通っていた。もちろん陸遜も一緒だったのだが、彼らに接点はあまり多くは見られない。 思えば、なぜわたしは今更になって鐘会の事を好きになったのか、と童顔で可愛いお顔をお持ちになっている夏候覇を眺めながら振り返ってみると、良く考えれば、悪い印象を持っていなかったのだ、あのナルシストに。夏候覇の性格だから、夏候覇と一緒にいるところを見て鐘会に対し「ナルシストだが根は優しい」と解釈していたのだろう。中学2年、3年と続き、高校になってもこうして友人として数えられている。 夏候覇のおかげ、といっても過言ではない。夏候覇と友人という立場でなかったら鐘会の事なんてナルシストおぼっちゃまと貶していただろうし、こうして笑いかけることもなかったろう。 「いやあ、でも夏候覇のおかげなのかも」 「へ?」 「その…夏候覇がいなかったら鐘会の事好きにならなかったかもしれないなって」 「…へえ、まあでも、それはそれでよかったとは思うけどな。名前も知ってるとは思うけどアイツあんな性格だろ?好きって言う奴今まで何度か見てきたけど、物好きしかいねーし、あの性格を理解できる奴ほとんどっていうか、いなかったし。良い事ねーよ、あんな性格と付き合っても」 「君さあ、ほんと鐘会いなくてよかったね」 「だから、ま、知らなくても良かったって言っちゃそうだし、鐘会の事好きになった奴が名前でよかったとは思う。付き合ってもすぐ別れるって普通の人間なら!」 「ということは自分も物好きっていう事じゃん。」 「んー?そういうことになるのか?」 「なるんだよアホめ」 「やっぱお前らちょっと似てるよな、性格」 腕を組んで頷く夏候覇と同時に教室のドアが開き、噂の鐘会がご登場だ。わたしと夏候覇は一斉に鐘会の方に振り返り、ぎょっとした鐘会に「おはよう!」「はよっす!」と朝の挨拶をすれば、クエスチョンマークを浮かべながら鐘会は「ふ、ふん」と嬉しそうに「随分とご機嫌のようだね」と夏候覇の隣についた。 「まあな、それより名前がマ、マー、マカロフ?作ってきたらしいんだけど食えば?」 「マカロフじゃなくてマカロン!」 「今更マカロンなんて可愛らしいものを作ってきてどうした?好きな奴でもできたのか?ま、貴様には無理無理、私が言うんだ、無理だね」 「………あ、っとなあ鐘会、」 「あー、いや、鐘会くんってマカロンを可愛らしいって思ってたんだね。意外だった…鐘会も可愛いって思うものあるんだ」 「うん、やっぱお前しかありえねえわ、うん。」 「?私が来る前一体何を話してたんだ?」 「え?内緒だよなあ」 「うん、内緒だよねえ」 「きっ、貴様ら…!」 もちろん鐘会の分も作って来てある。ああ言って本当はほしいんだろうと思うから、ほしそうな言動を起こしたらあげよう、とは思うけれど、夏候覇が余計な事を言うから今更あげるのも、と思ってしまった。 そして陸遜の分も作って来てあるけれど、今日の登校時の微妙な雰囲気といったら…もう。そんな雰囲気の中あげる、ってことも何だが恥ずかしかったし、変に意地が働いてしまって、あげてもいつものようには笑ってくれないだろうと思い、渡せなかった。 「(今日の部活後にでも、あげようかな…。)」 鐘会と陸遜の分には可愛くリボンまでラッピングしてやったのだ。鐘会は当たり前に、やっぱりわたしも恋する乙女なので、可愛く見られたいと思うから。陸遜は昨日の夜のお詫び、と、少し手間をかけた 「ふん、まあいいだろう。貰ってあげるよ」 「うわ、何だその態度。俺なんか頭下げてまでお願いしたのに」 「だって夏候覇の分つくってなかっ…」 鞄から鐘会の分のマカロンを出すと、夏候覇、そして鐘会はそれぞれ違う方向へ視線を向けていた。 夏候覇はマカロンに、鐘会は、わたしに。 わたしは鐘会の視線にハッとして行動を止めると、夏候覇は「うわ、リボン付きかよ」と目を大きくさせて言う。鐘会はわたしを見て、ありえないものを見るようなそんな眼をしていた。 「…お、お礼に」 「あ…ああ、そういうこと、ね」 溜まった息を一気に吐き出してしまいたい。どっと脱力して、マカロンを差し出せば、鐘会は腕を伸ばしてそれを受け取った。 「まあまあ良く出来てるじゃないか。」 「失敗したのなんて夏候覇くらいにしかあげないよ」 「なんだよそれ!」 この気持ちを知られたくない、というわけではない。むしろ知ってほしいけれど、それにはまだ早いようなそんな気がして、昨日のお礼として渡す。本当はそんな気は微塵としてなかったし、ただ、好きで作って、食べてもらいたくて、それだけで。 「ねえ感想聞かせてね」 「感想?まずい、と言われたらどうする?」 「今更気を遣われても困るんだけど?いいよなんでも、素直な意見くださいな」 「マカロンなんて今まで食べた事もないがな。これで不味い思いをさせたら責任はどう取るつもりなんだ?」 「なら美味しいって言わせるまで作り続ける。」 リボンを解いてマカロンひとつ親指と人差し指に掴んで躊躇なく口に運んだ。 「…悪くはないよ」 「ほっ、本当!?」 材料の何から何までを集めて作ったわけではない。お上品な舌をしている鐘会が言うのだから、本当に不味くはないと言う事に嬉しさを隠せず頬に赤みを持たせる。それに鐘会から「悪くはない」とほんの少しの微笑みまで頂いてしまったのだから、恋をしているわたしからすればこれ以上嬉しいことはない。…いや、あるけれど。 HRの時間も近づいてきて、鐘会は自分の席に戻って行く。その後ろ姿に夏候覇がわたしのほうに視線を向け、「やっぱ」と口を開いた。 「鐘会、お前の事好きだよ」 |