愛するひだり | ナノ


 綺麗にラッピングされたものが机の上に放り投げられ、目の前の人物を見上げる。
「昨日の礼だ」
「あれ?わたしのタオルは?」
「泥がついて取れなくなってしまったのでな。私が昨日急いで買いに行ったんだ。ありがたく受け取りたまえ」
「い…いいの?」
「私の努力を無駄にするつもりか?嫌でも受け取ってもらうぞ」
 まさか鐘会からの贈り物だなんて。今すぐにでも陸遜に自慢してやりたい。お前の意見を見事ぶち破ったぞコノヤロー!と。綺麗にリボンまでつけてしまっているタオルを抱きしめたいのだがここはクラスなので家に帰ってからするしかあるまいと、強く思ったのだけれど、心と体は素直らしい。へらへら笑うな、という鐘会の声にまた顔が緩んでいることに気付かされる。
 そうだ、昨日陸遜が言っていた事をいうチャンスではないか。
「き、昨日は陸遜がごめんね。」
 アドバイス通りにはいかなかったものの、大丈夫だろう。鐘会はわたしの言葉に顔を硬直させて顔だけではなく耳まで赤く染め上げ、後ろにいた夏候覇の頭を叩く。確かに陸遜が言っていた通り夏候覇に手を加えている。
「(やっぱり陸遜はすごいなあ…)」
 理不尽な鐘会の行動に夏候覇が「なんで!?」と頭を押さえて鐘会の方へ振り返ると同時に、教室の外からなにやら視線を感じた。なんだろう、と視線の先の方に顔を向けると、そこには陸遜が立っていて、この一部始終を見ていたらしく真剣な表情で一度だけ頷いた。どうやらわたしは陸遜の思い描く通りの演出ができたらしい。
 タオルを貰って授業が終わり、もちろん部活も終わって学校を出る頃にはもう日が落ちていた。冬も近づいてきている証拠の、黒いオレンジ色の空を眺めて今日の出来事を思い出し、思わず鐘会のいうヘラヘラと頬を緩ませて笑った。第三者から見ればわたしが頭のおかしい人として認識してしまうだろうけれどこの頬の緩みはどうも止まりそうにない。
「随分嬉しそうですね」
「あ、陸遜。その…今日はほんとにありがとね」
「いいえ、私は何もしていませんが。…今日は一緒に帰らないんですか?」
「夏候覇と一緒に帰るんだと思うよ」
「ああ…、そういえば鐘会殿体育館に向かわれてましたね」
「……性格悪いよ陸遜、知ってたでしょ」
 返事をしない陸遜を見る限りやはり確信犯だという事だ。まあ、それに慣れてしまっているわけだからどうってことない。
今日は雨ではなく、晴れだという天気予報を見て心の隅でどこかガッカリとした自分がいる。また前回と同じように傘を忘れれば、まったく、といった顔で鐘会の傘に入れてくれるのだろうか。「いい加減にしろ」とわたしを無視して自分の傘をさして帰ってしまうかもしれない。また次、雨が降ったらどうしようか、もう傘を忘れるべきではない、のだろうか。昨日陸遜が言った通り、鐘会は夏候覇と一緒に雨の中帰ってしまうかもしれない。
「雨、だったらよかった。なんていう顔してますよ」
「えっ、いや…そんなことは、」
「雨ならば鐘会殿と一緒に帰れるかもしれませんしね。私はこうして晴れてくれればあなたと一緒に帰れるわけですが…」
「一人で帰るの、嫌だったっけ?」
「一人で帰るのは案外寂しいものです」
 ならば忘れないほうがいいだろう。変に期待を持たないほうが自分のためになる。別の方法で一緒に帰ったりする方がいいに決まっているのだろうが、鐘会とは案外仲が良いと思っているから、今更ながらの恥ずかしさというものもある。同じ部活なんだから一緒に帰ろうとヘラヘラと言えるわけでもないし、鐘会は夏候覇と一緒に帰るわけだから…。
 こうして黙々と悩む質ではないからか、隣で歩いていた陸遜はわたしの前に遮った。反応が遅れたわたしは陸遜の胸に顔をダイブさせてしまい、「あ、」と言ってよろよろと膝を折ると、陸遜は腕を掴んできて「大丈夫ですか?」だなんて言う。
「いや、あなたのせいだからね」
「それで、何回も聞きますが、今日は何か進展でもあったんですか?」
「進展?タオルくらいだけど?早くこのタオルを抱きしめたい」
「気持ち悪いですね」
「すっごく心に突き刺さるからやめて…」
 またも大丈夫ですか、と明るい声で言ってくる陸遜の手が自分の肩に触れていることに今気付く。わたしの顔を窺うようにして陸遜はその可愛らしい顔でじっと見ていて、そのくらい可愛さがあったらきっと鐘会も虜になってたんだろうなあ、と悔しい気持ちで心をいっぱいにする。
 あ、なんか悲しくなってきたかも。
「ねえ陸遜、わたしって可愛い?」
「今更どうしたんですか?毎日鏡見れば解る事でしょう」
「陸遜から見たらどう?」
「どう、と訊かれましても…」
「…反応に困るってことは、つまりそういうことだよね?そういうことで捉えていいんだよね?」
「いえ…、そういうことを言っているわけではなく…」
「鐘会も、不細工よりも可愛い女の子の方がいいよねえ、普通そうだよ。わたしだってイケメン好きだし。人間そんなもんだよ」
「好みというものがありますし、他人からみて不細工でも、自分から見ればイケメン、ということもありえると思いますけど?」
 陸遜の弁解なんて聞かなければよかった、というより、「わたし可愛い?」なんてこと訊かなければよかったのだ。
 黙るわたしに陸遜はふう、と息を吐いてから優しく微笑んで、わたしの肩に手を置きながら「帰りましょう」と肩を押す。これも慰めなのだろう。普段なら感謝の言葉を伝えることはできるけれど、今の気持ちじゃ感謝の気持ちではなく、マイナスの事しか言えない気がして、陸遜の優しさに思わず溜め息が出る。
 そんなに思いつめなくてもいいと思いますけどね。と陸遜が今にも言いだしそうで、それはそうなんだけど、と目を潤ませてしまいそうだ。
「あ、そうだ。明日は鐘会殿にきちんとお礼を言うんですよ。」
「あんたはわたしの母親か!」



「だから礼を言うのは私の方だと何回言えばその低脳は理解する?」
「だからぁ!普通どういたしましてっていう場面でしょ!」
 こうして鐘会と言い合いをして一日が終わるのか、と思うと今にも体を倒してしまいたくなる。本当はもっと心にじんわりくる会話をしたいのだけれど、鐘会は昨日のタオルのお礼をわたしの口から出されるのが嫌なのかわからないけど、プライドが許さないのか、何度もお礼を言っても「礼などいらない」と一蹴りされてしまう。
「いや、もう何が気に食わないのか知らないけどさ!ありがとうって言ってるんだからどういたしましてって言えばいいんだよ!素直じゃないな!」
「素直だとかそういう問題ではないだろう?私が礼をしてるのに対して礼で返す無意味な事はしなくていいと言ってるのだ」
「のだ、じゃないし。変なの。演説かよ。」
「ああそれと」
「なに?」
「昇降口で待っていろ」
「……え?」
 制服に着替え終えた鐘会は鞄を肩にかけて体育館の方に体を向ける。
「だって今日…雨降ってないよ?」
「雨が降ってないと一緒には帰らない、と。つまりそういう事か?」
「…そんな、ことは、」
「ありがたく思え。この私と一緒に帰れるのだからな」
 ふん、と鼻を鳴らした鐘会は体育館へ向かって大股で歩き出した。「名前、口開いてるよぉ」とニタニタと笑った友人の背中をバシンと叩いて、友人の痛い!と叫ぶ声で夢じゃないと、段々顔の熱が上がってくることに気付いて、先程まで言い合いをしていたくせに一気にお祭り騒ぎとなったわたしの心。急いで制服に着替えて昇降口へ向かい、鐘会が来るまで座って待っていることにした。
「名前」
 しばらくして、後ろから鐘会がわたしの名前を呼び、唇を尖らせている鐘会は恥ずかしそうに
「行くぞ」
 と言って、靴に履き替えてわたしを見下ろす。
「う、うん。」
「何を呆けた面をしている、みっともない」
「呆けた面…?そんな顔してた?」
「鏡で見てみろ」
「鏡なんて持ってないよ」
「女性は手鏡のひとつくらい持っているべきだと思うがな?」
「(おっとお!これは)」
 やってしまった、と青筋を立てたが、
「まあ、手鏡なんて持っていたらそれこそ私が呆けた面をするでしょうね」
という鐘会の言葉にああ、そうか、とハッとする。今更鐘会の前で飾らなくていいのか、と思ったのである。一年生の頃から鐘会と同じクラスだったわけだから、わたしの性格も大部分は解っているだろう。今になって可愛い事をしなくたって、それが無理にしていると彼も、きっとわかってくれるはずだ。
 意地悪そうに笑っていた鐘会はバツが悪そうにわたしを見て、
「そんな納得した顔をされると、こちらが悪い気がしてならない」と言った。
 もう、飾る事は諦めよう。と決めたけれども、好きな男の子の好みの女の子のタイプというのは知りたくなるのは女性特有の性だろうから(男の子もそうだろうが)、とりあえず、一応、訊いてみようと口を開く。
「ねえ、あのさ」
「好きな男でもいるのか?」
 いきなりの鐘会の台詞に言いかけた言葉を喉に留まらせ、口を噤む。
「最近ため息ばかり、授業中も上の空、かと思えばニヤニヤと笑う。夏候覇が言っていた。『多分恋じゃねえかなあ』、とな」
「………、いや、その…」
 言葉選びに迷っていると、鐘会は「まあ、別にどうでもいいことだがな」と一掃して前を向きわたしと歩幅を合わせずに歩いていく。「ああ、ちょっとまって」と言うわたしを無視して歩く鐘会の制服を握ると、鐘会は立ち止って体をこちらに向かせ、制服を掴んでいた手を離させる。と、思ったが、鐘会の表情を見るとそうでもなさそうだった。
「陸遜か」
「え?」
「その相手は陸遜か?」
 沈黙が訪れる。わたしと鐘会の間に、いらないはずの沈黙が、生まれてしまった。違う、と首を左右に振ればいいのに。
「なんで、いきなりそんなこと訊いたりするの?」
「な、べっ、別に、私はっ」
 ただ、気になっただけで、別に、
 と、言って鐘会は口を閉じて目を地面に落した。わたしはここから先、どういう言葉を彼にかければいいのか、どうも予想ができない。陸遜であれば、なにか会話を発展させるような言葉をかけられるのだろうが、低脳のわたしだ、そんな高度な技術は持っていない。
「…か、帰ろうか」
「私を無視するつもりか?どうなんだ、相手は陸遜なのか、訊いている。」
「…多分、鐘会には一生わからないと思うよ」
 確実に、絶対に、鐘会は自分がわたしに好かれていることなんてわからないだろう。わたしが陸遜のことを好きなわけがないのに、いつも言い合いばかりしているし、本当に、幼馴染だというのに、そんな勘違いをする鐘会には一生わからない。
「ヘラヘラ笑っちゃうのとか、呆けた面しちゃうこととか、そういうのは、」
 好きな人の前だからだよ、とは言えず、「やっぱりいいや」と締めくくった。鐘会も地面からわたしに視線を戻し、
「そうか」
 と言い、わたしの手首を掴んで歩きだす。初めは強い力だったが、段々と優しくなっていった。