世界の逸話集 | ナノ



05

 古典の先生はいつも教卓の椅子に座って自伝を聞かせることで有名であり、また勉強しないやつは寝ても良いぞ宣言で授業放棄する教師で有名だ。古典の時間は普段真面目の生徒も教科書でなく文庫本を読んだり昼寝をしたり、お絵かきや携帯を弄る姿を目にする。わたしもその一人であり、古典の時間はいつも寝るか携帯を弄るかの二択である。黒板に書いてあることを写しながら、他クラスの子とメールをして楽しんでいると前の子が机を人差し指でトントンと叩き、4つに折られた紙を目の前に投げてきた。誰かと訊くと、前から回ってきたからわかんないと言って机の中に潜めているゲームを再開させた。
 紙の差出人は石田くんだった。見慣れた綺麗な字で、「今日の放課後は空いているか」と書かれていた。そういえばわたしは石田くんのアドレスを知らないし、向こうだって同じだ。放課後は用事もなにもなかったし、現在進行形で彼氏である家康とは喧嘩中だし、別に深い意味でではなく、軽い気持ちで、「いいよ」と書いて石田くんまで回してもらった。前の子はぱちくりと大きな目を開かせて、いいの?と茶色の髪を揺らしながら困った表情で窺ってきた。どうせ深い意味はないんだし、向こうもきっとそうだから、わたしは前の子にいいのいいのとわざと声を軽くはずませた。



「まさか承諾するとは思わなかった」
「ならやっぱり断ろうか?」

 ぐっと喉を詰まらせた石田くんは頬を薄い赤で染め、睨むようにわたしを見下ろした。いつものような人を寄せ付けないオーラを放っているのにも関わらず、なんだかあの冷淡とした雰囲気は感じられない。
 今日は剣道部の顧問がいないようで部活がないらしい。部員の中には自主練をするのが多いらしいが、石田くんのように久々の休みに部活に行かない部員もいる。石田くんといったら剣道部でインターハイまで出場している腕の立つ人物だ。彼が休んだって誰も文句は言わないだろう。実力で物を言わせないのである。来年は部長になるんじゃないかと噂されているほどだ。
 石田くんは白い頬を赤く染めながら、今日誘った理由はペットショップに行くからついてきてほしいというものだった。石田くんはジョセリアンヌを世話をして、動物を飼うことに興味が湧いたらしく、自分でも飼いたいんだそうだ。なぜわたしとなのかと訊くと、こういう小さな動物を飼う事が初めてなので、こういったペットに関しての相談はわたしにしかできないから頼んだらしい。半歩前を歩く石田くんはやはり、女子への免疫はない。

 駅に近いペットショップに寄り、ハムスターがたくさんいるエリアまで足を運んだ。ショーケースにはわたし達が育てているのと同じように床材が引き詰められていて、その中にたくさんの大中小がそろったジャンガリアンを見下ろし、可愛い可愛いと口にしながらケースを見下ろし眺めた。

「すみません、ハムスター飼いたいんですけど」

 おそらく石田くんはこんな事言えないだろうと思って変わりに店員さんに声をかけると、パッと明るい顔になった中年のおじさんはエプロンを掴みながらこちらに駆け寄ってきた。

「はいはい、ハムスターですね。初心者の方ですか?」
「あ、はい。」
「なら小さいのから育てたほうがいいですよぉ」

 ぽかぽかと暖かい喋り方のおじさんは、ショーケースの取っ手を持ち、「ちなみにほしいのありますか?」とわたしの顔見て言う。わたしは別に飼うわけじゃないけれど、とりあえず「ないです、おじさんのセンスでお願いしますよ」と言うと、おじさんはニコニコしながら、そうですねえ、とケースを開き、寝ていた小さなジャンガリアンを手に取った。

「いかがです?小さいから人にも懐きやすいですよ。小さい頃から一緒にいるとハムスターも人間慣れしてもう一回り大きくなったら腹に乗せて遊ぶこともできるでしょうね」

 わたしの手に置かれた小さなジャンガリアンは指の腹を噛んだ。学校のジョセリアンヌの噛みつきに慣れてしまったから今更痛みに声を上げることはない。ハムスターは案外適当に扱われた。おじさんにジャンガリアンを渡してくれと言われたので素直にそれに従うと、レジの棚から組み立て式の紙の箱にジャンガリアンを入れて渡してきた。この扱いに呆気に取られていると、石田くんは床材と餌とケージを置いてサッと5000円を渡してお釣りを受け取った。
 ペットショップから出ると、石田くんは緊張が解けたのかほっと薄く溜め息を吐いた。

「はいこれ」
「…何かお礼がしたい。これを家に置いてから、どこかに行くか」
「えっ…いや別にそんな大したことじゃないし」
「それでは私の気が治まらないままだ。ついてこい」

 ジャンガリアンの入った箱を石田くんに渡そうとして上げた腕を掴まれ、駅に止めてある石田くんの少し錆付いた自転車の前までやってきた。前の籠に鞄を置いて、箱とわたしの鞄を強引に取って、籠に押し込める。サドルを跨いでペダルを定位置に回した石田くんは荷台を親指で差し、乗れ、とわたしが荷台に座るのを待つ行動に移る。

「えー…ほんとにいいよぉ…」
「どうしてもと言ったらどうする?」
「だって、」
「なら麦茶くらい用意させろ、早く乗れ。態勢がきつい」

 態勢がきついだなんてよくそんな嘘をつけるものだ。仕方なく石田くんの肩に手を乗せて荷台に跨った。ふと横に座ったほうがよかったかもしれないと後悔して、ちょっとまって、と声をかけようとしたら合図もないまま自転車は前へ進みだした。家康の時はいつも跨ぐのになんの躊躇いもないのに、今更どうしたものか。



06

「いっ、石田くん一人暮らしでしかもお金持ちだったの!?」

 テレビの番組にでも紹介されそうなデザイナーズマンションの7階に石田くんの表札はあった。黒と白のモノトーンで家具は統一されていて、マグカップなどの小物には薄紫のカラーがあったり、赤だったり、黒だったり、一言で表すとお洒落が似合う。黒光りした長いソファーはわたしの家にあるものよりもふかふかだ。石田くんはお金持ちの単語に反応したのか、少し不機嫌そうにお金持ちじゃないことを否定した。一緒にケージを組み立て床材を敷き、角が軽く窪んだ箱から小さなジャンガリアンをその中に入れた。キョロキョロと辺りを見渡していて、この初めての環境に戸惑いを感じているらしい。

「紅茶でいいか」
「麦茶でいいよ!」
「切れていた。そこにテレビのリモコンがあるから適当に見ていればいい。」

 テレビの横には以外にもPS2、3があり、Wiiもあった。隣に鉄拳などのカセットも置かれていた。「クッキーは好きか?」「あ…、う、うん」ガサゴソとキッチンから音が聞こえ、手伝おうかとも思ったが初めてきたわたしが行ったところで力にはなれないし、変な緊張で息が詰まりそうで行動に移す事ができない。
 家康に知れたらどうすればいいだろう。ありのままに話すのはもちろんなのだが、意識しなかったのかと訊かれたら言葉に迷うかもしれない。巣箱の中に逃げ込んだジャンガリアンを見つめながら、そう思った。
 トレーに紅茶とクッキーのお皿を持った石田くんが隣にやってきて、テレビの電源を入れる。再放送のドラマがやっていて、今月に続編ドラマが放送されるからか、と石田くんが呟いた。

「石田くんってゲームするんだねっ」
「は?」
「ゲームしないイメージあるし、多分みんなそう思ってるよ」
「私だって人並みにゲームをすればパソコンだってする。マンガだって読む」
「パソコンはわかるけどゲームとかマンガとか意外!コントローラーふたつあるじゃん」
「それがなんだ」
「ねえねえ鉄拳しようよ!弟に鍛え上げられたから強いんだ!」
「…苗字がそこまで言うならしてやってもいい」

 腰を上げてPS3をセットし始めた石田くんに、わたしの紅茶をどれかを訊き、青の隣にある赤いマグカップのだとコンセントを差し込みながら言う。薄く湯気が立っていて、息を吹きかけながら一口飲むと、程良い甘さのアップルティーが口の中で広がっていった。
 ふかふかソファーが沈み、石田くんが膝の上にコントローラーを置いてバトルモードへとカーソルを合わせていく。慣れた手つきで、よく遊んでいることが見て取れた。家康ともやったのかなあ、と訊いてみたいとは思ったが、禁句かもしれない。今日も二人が廊下で言い争っているところを見かけたから、今は家康には触れないでおこう。

「ぎゃっ!石田くん強いっ!」
「鍛え上げられたのではなかったのか?」

 夢中になってゲームをしていると、携帯がブルブルと震えて画面に表示してあるメール受信完了の画像と20:34の文字にあっと声を上げた。お母さんからのメールかもしれないと思い、開いてみると、予想通りにお母さんのメールと、19時に家康からのメールがあったことに気付いた。待ち受け画面を開いてみると、二件の着信履歴があった。

「どうした」
「あ…うん、もうこんな時間だし帰ろうかな」
「…8時半か……、食べていくか?」
「そんな悪いよ、紅茶とクッキーもごちそうになったし…!それじゃあ、」
「……食べていけ」
「そ、」
「待ってろ」

 携帯を開く。お母さんにメールをするか悩んだ挙句、結局帰りは遅くなるからとメールを入れ、家康へのメールには返事をしなかった。きっとそのうちメールか電話が入るだろう。段々とヤバイ状況になってきたのは感じていた。そろそろ家康に連絡を入れないと、彼がどれほど心配するだろう。浮気だと疑う人ではないし、石田くんと二人きりでいることを想像するような性格じゃない。だけど……。
 キッチンへ行ってみると、石田くんはぼそりと久々に他人と食べれる食事が嬉しいと言った。それを聞いてわたしは帰る、と一言で済むことができなくなった。ジャンガリアンが滑車を回す音が響く。