ジョセリアンヌ。石田くんが秘密裏に付けたハムスターの名前だ。わたしも今日からジョセリアンヌと呼ぶことにした。餌変えを済ませた石田くんはノートにハムスターの今日の健康状態を書き留めている。相変わらず綺麗な字だ。 今日の石田くんはなにかと喋っていた、家康と。廊下で家康とすれ違う度に何度か言い合いをして、顔を真っ赤にして教室へ帰っていた。存在感のある家康と、存在感のない石田くんのバランスはなにかと良いようにも見えた。久しぶりにハムスターを手に取って、掌にひまわりの種を置いて遊ばせていると、石田くんが声をかけてきて、そちらを向くと何か言いづらそうに顔を赤くしてわたしを見ていた。石田くんの前の席の椅子を引いて、石田くんの机の方に体を向けて「なに?」と訊くと石田くんは「あ、う、」など言葉にならないような声を発声させたあと、咳払いをして訊いてきた。 「昨日、家康と、教室に、居たのか」 放課後の、石田くんが部活に行った後のことだ。わたしは頷いて、家康がハムスターのことをジョセリアンヌと言っていたことを告げると、石田くんは一瞬で顔と耳を真っ赤に染め上げて下を向く。ハムスターのジョセリアンヌはわたしの掌でひまわりの種を食べている。 「そっ、それはっ」 「いいじゃん、わたしもこれからジョセリアンヌって呼ぶことにするね」 黙った石田くんは止めていた手を動かし始め、健康状態の続きを書いていく。ジョセリアンヌをケージの中に入れて、石田くんのシャーペンを走らせる手の動きを見つめた。家康と違う、細い指だった。白く、折れちゃいそうな指だった。石田くんはハムスターを掌に乗せることを頑なに拒んでいた。手が汚れるとかそういう理由ではなく、ハムスターが嫌いだからという理由でもない。ただ乗せたくないからなんだそうだ。 石田くんって女子に免疫ないよねえ、と無意識に口に出したあと、ハッとして石田くんの手から視線を逸らす。石田くんがこちらを睨んでいることが見ていなくてもわかってしまうくらいの威圧が、石田くん睨みにはあるのだ。失礼すぎたかもしれない。「あー…」適当に声を出しながら、どうにかしてこの状況を看破しようか考え始めると、「そう、かもしれない」という石田くんの声に考えていたことすべてがプチンと切れる。 「女子と話すことはあっても、適当にあしらうだけだったから、こうして意識しながら話したことはない、からな」 「意識しなくたっていいじゃん」 「なぜ意識してはいけない」 「なぜって」 特に理由はないし、石田くんだって理由はないだろうけど、この会話はおかしい気がする。お互い気にすることないんだから、適当に、いつも通りに話せばいいことなんだと思う。そんなの、わたしが解るわけないじゃないか、と毛先を弄ると、石田くんは、寂しそうに「そうだな」と言ってノートを閉じた。「書き終わったの?」無言で渡されるジョセリアンヌのノートを受け取り、自分の席に戻って机の中に入れた。 女子と付き合ったことはないのか、とか、好きな子が出来たことはないのか、と訊いてみるが、石田くんは別に、の一点張りで回答は得られなかった。わたしは苦笑いしながら、それに返事をしながら完璧教室を出るタイミングを失ったことに気付いた。石田くんが早く部活に行ってくれるのを天に祈っていると、席を立ち上がった石田くんは顔を真っ赤にしながら、口を開く。 「好きな女を意識しない男がどこにいる」 新しい餌は前よりもちょっと高級そうなものだった。新しい餌に慣れないのか、ジョセリアンヌの餌の食い付きは今までで一番遅い。ひまわりの種と、雑穀類はいつものように口にしているが、にぼしとクッキーには手を付けていない。見た目的にはとても美味しそうだし栄養もありそうなのに、と思うと心配になって餌箱でひまわりの種をかじっているジョセリアンヌを見つめた。 ガララ、と教室を開けた石田くんは、ゆっくりと水の容器をセットし、今度はジョセリアンヌが驚かないでいることに安堵のため息を吐いた。 「喧嘩したらしいな」 「…あ、知ってるの」 「朝聞いた。」 「そっかー…、まあ、うん、ねえ。仕方ないことだし」 「家康もわかってるようだったがな」 最近、ずっと三成とばっかりいるんだな。 電話越しの家康の悲しそうな、怒っているような声が、耳にへばりついて離れてくれない。わかってはいる、いるんだが、と声を小さくしていく家康に、わたしは何も言えなかった。健康状態を書きながら、自分に呆れて変な笑い顔が生まれてしまった。係活動なんだから、仕方ないことだと、わたしも、家康もわかっている。だからこそ何もできない自分が情けないのだ。こうして今も石田くんと一緒に二人きりで放課後残ってハムスターの世話をしている。一人だけサボろうだなんてできるわけがない。まず、許せない。 「そのうち向こうから謝ってくる。苗字はなにもしないで、今まで通りに過ごしていればいい。」 「うーん、家康って嫉妬深くで、頑固だから、どうかなぁ」 声も出ないし、はっきりと笑うこともできない。家康がわざと石田くんに言ったのも、相手にわたしを自分のものだと見せつけようとしていることだ、それに、自分のどうしようもなさをただ呟いていることということだ。わたしが謝りにいけば、それで解決できることだということだ。 「自分勝手な男だ、家康は。強欲すぎるんだ、家康は。なんでも自分は人よりもまさっていると思っている。世界は家康中心で回っているわけではない。」 |