拳が壁を叩いた。びくりと肩を震わせているのは同じクラスの仙道ナツホという内気な子だった。俺はその光景を目にし、すぐに止めようと思ったが、壁を叩いている拳の主が仙道ナツホの前に出て、彼女の姿が隠れてしまい、なぜか出て行くタイミングを失ってしまって広告が張ってある壁の角に身を引いて、顔だけそっと出す。 「あんたが足手まといのせいで今日私達の班ビリッケツになっちゃったじゃん!恥ずかしい!どうしてくれんの!」 そんな、と震えるか細い声で泣くナツホちゃん。表情が隠れてしまって、俺が行けばいいのものなのか、それも迷うが、俺が言ってナツホちゃんがまた責められることになってしまったらどうすればいいのか、と考えると、俺は一歩が踏み出せなかった。 ごめんなさいと謝るナツホちゃんに、女の子たちは「うざい!」と声を上げて腕を上げる。今度は壁を目がけてではない、ナツホちゃん目がけてだ。 まさか、と目を疑い動けずにいた一歩を踏み出そうとした瞬間だった。ドサリ、と音を立てて倒れたのはナツホちゃんではない、苗字名前という女の子だった。いった、と一度くらりとよろけながら腕を立て上半身を少しだけ起こし、手を出した女の子を睨みつける。 「な、なんで名前が…」 「ナツホちゃんに手を出すなんて間違ってる。ナツホちゃん、みんなに追いつこうとして頑張ってたじゃん!」 「でも最終的にビリになったの私達だよ?それにナツホが問題起こして先生にも怒られて…」 「ナツホちゃんは最後に先生にも皆にもごめんねって謝ってたでしょ」 「それでもムカつくものはムカつくの!…もういこ、みんな。名前と話したってしょーがないし」 そう言って女の子たちは彼女らに背を向けて歩いて行ってしまった。残されたナツホちゃんは目に涙を貯めて、名前ちゃんに「ごめん、ごめんね名前ちゃん」としゃがみ込んで大粒の涙を名前ちゃんの服に落とす。名前ちゃんはナツホちゃんを見上げ、そしてひょこっと上半身を起こした。 「こんなの痛くない痛くない!大丈夫だから謝らなくていいよ!」 「でもほっぺ真っ赤になっちゃった、ごめんね、ごめんね…!」 「いいよ〜わたしが勝手に前に出てきただけだしさ、気にしないでよ」 それでも泣きやまないナツホちゃんに、名前ちゃんが困ったように笑いながら頭を撫でた。ナツホちゃんは顔を覆っていた手を下げ、名前ちゃんを見つめた。 「友達のピンチに駆けつけない友達はいないよ」 胸の前で拳の握る名前ちゃん。ナツホちゃんはまた涙を浮かべている。でもナツホちゃんの表情はさっきとはまったく別のものになっていた。 「ありがとう…ありがとう、名前ちゃん…」 幸せそうに笑う名前ちゃん。気付けば俺は壁に手をつけてその光景をじっと見つめていた。 「なら、わたしがナツホちゃんのヒーローになってあげる!だからナツホちゃんは笑ってて!」 胸に拳を打った名前ちゃんと、向かい合っているナツホちゃんは頬を赤く染めて瞳をキラキラと輝かせる。 「……、(なんだろ、これ)」 ドクンと心臓が振動する。その胸の拳と名前ちゃんの笑っている顔に、不思議な気持ちに襲われた。俺もナツホちゃんのように、きっと頬を染めて瞳を輝かせているんじゃないだろうか。ハッとして身を引けば、心臓はバクバクと胸から突き出てしまいそうなくらいに振動していた。 「(あっ、宿題しなきゃ)」 彼女たちが気になったけれど、女の子同士の世界に俺なんかが入っちゃいけないだろうと思いその場を去った。宿題のことを考えているのに、宿題の道具ではなく、名前ちゃんが現れて、次第に宿題のことなど頭から去っていった。 これが俺の彼女に対する起点だ。 |