「あ、いや、うん、こんにちは」 控えめな女性の声が待合室に響く。エレンは資料から目を離し、声のする方へ振り返った。そこには整備士とも言い難い、ツナギを着た女性が片手をあげて自分のことを見ているのに気付き、一旦動作を止めた後、同じく控えめに「どうも」と返した。 彼女は整備士であり、兵士である。彼女の本業は主に戦闘機の整備を担当するのだが、この間大規模の戦闘が行われ、この基地にいる7割の兵士が海へ墜ちていった。彼女はこの戦闘には参加しなかったものの、燃料を運びに戦場の手前まで飛んでいたのである。 「きみ、新兵のエレン・イエガーくん?」 エレンは目を点にした。 「……あ、いや、イエガーじゃなくて、イェーガー ですけど」 目の前の女性は自分よりも年上なのか?それとも同期であっただろうか?もしくは同じ歳で、別の基地から配属されてここに来たのだろうか?いろいろと思考を巡らせるが、自分に敬語を使わずに話しかけてくるということは、先輩か?と首をかしげる。 「わたしは君の担当になった整備士です」 エレンはハッとして目の前にある資料をめくる。最後のページに、彼女と同じ顔の女性の写真があった。 「…は、はじめまして!」 しまった、先輩だったのか!エレンは背中に汗を垂らした。友人によると、この基地は上下関係は激しく、先輩にたてついたものは爪をはぎ取られるだとか骨折させられるだとか歯が抜かれるだとか、そんなことを聞いていたのだった。その時は適当に頷いていたけれど、こう先輩を目の前にすると鮮明になって思いだす。 急に態度を変えたのはまずかったか、とエレンは俯いた。この際一生分の暴力を受けて、そのあと「もう一生分受けたんで、もう勘弁してください」とでも言おうかと考えたが、彼女が笑うことでエレンはそんな考えがどこかへ旅に出かけた。反射的に顔を上げると、彼女は笑っている。 「ごめんね、動くとオイルくさいよね」 ごめんごめん、と段々と小さく笑いを止めていく彼女はエレンの顔を見つめる。 エレンは顔を赤らめ、肩を狭めた。 「エレン・イェーガーくんだね。わたしは特別攻撃部隊の整備士です。今班員が出払っててここにいないんだけど、夜には帰ってくるからその時また改めて挨拶をするよ。……こんなでかい顔してるけどね、この基地にきて3年しか経ってないんだ。新兵と同様だからそんなかしこまらなくていいよぉ」 困ったように笑う彼女の着ているツナギは黄ばんだり黒ずんでいたりして汚れている。普通整備士は年配の大人だったり、男性であったりするはずだ。しかし彼女はまだ18なのだ。しかも特別攻撃部隊の担当の整備士である。 「(……この人、すごいのか……)」 エレンは息を飲んだ。 「班にはわたしのほかにあと二人と担当整備士がいたはずなんだけど、前回の戦闘で死んじゃってね。今わたし一人しかいないの。あ、これ、特攻部の『生きていくために作られたマニュアル』です。夜までに読んでおくといい。………読まなきゃだめだよ」 「『生きていくために作られたマニュアル』……?随分なタイトルですね……」 「わたしも思うんだけどさぁ……まぁいいマニュアルだよ」 「あの……読まなかったらどうなりますか?」 「タイトルはアレだけど、中身はかなりいいものだ。その資料を読むのもいいけど、そのマニュアルを読んでいた方がよっぽとためになる」 「はぁ………」 「特攻部の隊長の名前は?」 「リヴァイ兵長です」 「そう かなりの実力者ってことも知っているよね?」 「もちろんです」 にこり、と彼女は笑う。エレンはその光景を不思議に思い、しばらく彼女を見つめていたがその笑顔は崩れることはない。一体何があるのだろう、と手に持っているマニュアルを見下ろした。 「そのマニュアル作ったのリヴァイ兵士長なんだよ」 「えっ!?」 まさかこんなタイトルを思いつくとは!すごいぞリヴァイ兵士長!とは言えず、エレンは数あるフォローの言葉を探しながらマニュアルの表紙を見つめる。 人間は人間を殺す。空を飛ぶ兵器に乗って、人を殺す銃弾を背負って、生きていくのである。いつしか人は特別な薬を作り、第三次エニグマ革命にてそれを投与した。科学者の最後の人類の進歩のために作られた理不尽な薬である。世界にはたくさんの子どもがあふれている。エレン・イェーガーはその理不尽な革命により、この世界にできた子どものひとりなのだ。 |