私はとんでもない現場に今、居合わせてしまった。目の前で、あいた口がふさがらないとはこのことだと言わんばかりに口をぱくぱくさせているのは、巷で噂の怪盗さん。今朝も「キッドの予告は絶対ですので」とか何とかって、ニュースでアナウンサーが言ってたっけな。テレビの向こうで月夜をバックにその白い翼をはためかせ、闇へと消えた有名人が、あろうことか私の目の前でそのハットを脱ぎ、その眼鏡を外している。

「こうこう、せい?」

 ぽつりと言葉が先にこぼれたのは私の方だった。怪盗さんは肩を揺らすが、些細なものだった。小さくあいていた口も今ではしっかり結ばれている。この期に及んでもまだ、言い訳や逃げ方を考えているのかしら。仕事終わりで疲れた頭はやけに冷静だった。ただ単に今の状況が信じられないだけで、本当は全然状況を理解できてなどいない。彼がふわりと音も立てずにこの路地に降り立つ数秒前に、地面に落ちてきた薄っぺらいカードをもう一度確認して、目の前の彼の顔を凝視する。私が親指と人差し指で挟んでいるそのカードとはいわゆる「学生証」。そこに書かれているのは確かこの近くにある高校の名前で、そしてそこに映っている男子高校生の顔は、今目の前で白いマントに身を包む彼とぴったり一致する。くろば、かいと。

「これ、あなたの?」

 まるでなんでもないことのようなトーンで私はそう尋ねた。少し距離のある私たちの間に、寒くも熱くもない風がするりと通った。怪盗さんは困った顔をして首を縦に振り「こんな時間に一人で出歩くなんて危ないですよお姉さん」と的外れな事を言う。

「キッドは紳士な怪盗ってやつ、本当だったのね」
「私の事をご存じで」
「みんな知ってるよ。あなた目立つから」
「それは大変だ」

 怪盗は暗闇にまぎれないといけないのに。きっと、ちっとも思ってやしないことを怪盗さんは口にした。真っ暗なこの路地は、せまくていつもならだれも通らない。電灯もないし、地面は舗装されてもいない。けれどもときどき、私はこの道を使って家路につく。どうしても早く家に帰ってすやすや眠りたい深夜の帰宅に使う、最短距離の帰宅コースなのだ。今では慣れっこな暗さだから、彼のマントはむしろ目に痛かった。夜にまぎれる気など更々ない怪盗さんが、堂々と「学生証をお返し願いますか」と真っ白な手を差し出した。

「正体、隠さないのね」
「もうここまでばれてしまっては」
「意外と、潔いんだ、」
「お褒めにかかり光栄です」

 怪盗さんが一歩だけ私に近づいた。別に嫌な感じはしないし、思ってたよりも怪盗さんがきれいな顔をしているということを知った。

「職場の女の子が、怪盗キッドはダンディな40代って話してたのに、」
「こんな若造ですみません」
「ねえ、あなたのことって内緒なの?」

 ぱちくりと怪盗さんが目を瞬かせる。もちろんだと彼は再度その首を縦に振った。怪盗キッドの素顔を知っている人間はこの世に何人いるんだろう。とんでもなく広い分母の、とんでもなく小さな分子に私は含まれてしまったんじゃないだろうか。私は彼の顔だけじゃなくて、彼の通っている高校や彼の生年月日や、彼の名前そして制服姿まで今知ってしまっている。よく見たらまだ幼い顔立ちで大人なふりをしていることだって、職場の可愛い女の子やすごい上司も知らないのに、なんでもない一般人の私だけが、知っている。
 怪盗さんは困ったように笑って、未だ返さない学生証を指差した。月がきらきら彼を照らして、それがなんだかかわいいなと私は思った。

「お姉さん、このままでは朝になってしまいますよ。」
「朝になったら、高校に行くの?」
「どうでしょう。秘密です」
「すごくどうでもいいことを隠すのね」
「ええ、すべて知られてしまうのは性に合わない」
「怪盗さんだものね」
「その通りです。怪盗は、秘密を作って、秘密を盗んでいくものだ」

 おそらく3時は過ぎているだろう時間などすでに私は気にしていなかった。怪盗さんが一歩また一歩と私に近づくのをただぼんやりと眺めながら、高校生のくせにこんな危ない仕事をしているだなんてとおばさんみたいなことを考えた。揺れるマントが、どうしてか光っているみたいに見える。今日は何の財宝を盗んだんだろう。今日はどうやって逃げてきたんだろう。今まで流してきたニュースの内容が、今は気になって仕方ない。職場の女の子はキッドについて、なんて言ってたんだっけ。するりと手から抜けた学生証が怪盗さんの白い手袋の中に消えて、私は魔法にかかったみたいに空いたその親指と人差し指で今度は彼のマントをつかんだ。つかんだ後でどうするかなんて考えてない私の、言葉を助けてくれる怪盗さんは、本当に紳士な怪盗だ。

「盗むの上手でしょう?」
「・・・天職ね、怪盗さん」
「そこでお姉サン、私もう一つ盗みたいものが増えたのです」

 え、とこぼれた唇をトンと抑える彼の人差し指にどぎまぎして動けないのも、魔法がかかっているから?すっと離れた怪盗さんはあっという間にマントを翻して煙幕を上げた。一瞬の出来事にいかんせん動けない私は茫然と煙が消えてなくなるのを待つしかできない。とんでもない出来事に出くわしたからか、それとも別に原因があるのか、わからないけれど追いつかない思考をまとめようとただただ必死だ。そんな私の耳元で「予告状」と夜に消えてく声がした。ぞくりと背中が震える。待って。その言葉は声にはならず、あっという間にあたりは真っ暗ないつもの狭い路地に戻っていった。ぽつんと、私一人しかいない裏路地。目に痛いほど光る翼も幼さの残る笑顔も夜に溶けてもう見えない。ふと手元に目をやれば、つかんでいた彼のマントはどこへやら、代わりに一枚のメモが挟まれていて、おそるおそる開いてみれば、11ケタの数字と、殴り書きのメッセージと、「黒羽快斗」。

 秘密を作って、秘密を盗むだなんてそんなセリフ、キザなだけじゃない。けれどもおそらく私は簡単に彼につかまって、あっという間にマジックにはまって、そして一番大切なものを盗まれてしまうのだろう。キッドの予告は、絶対、ですので。名前も忘れちゃったアナウンサーの確信めいた声が頭の中でこだました。


きっとあなたはアルセーヌルパンのように
(20140330)

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