命の雑踏 | ナノ


「よくも、騙してくれましたね」


 爛々と輝くその瞳は美しい。威嚇する獣の毛並みの様に逆立つ寸前の乱れ髪の隙間から、憎々しげに歪んだ双眸の覇気の鋭さと言ったら。射竦められたシャチやベポが怯むのを見てもなお、そのまま止めを刺さんとばかりに力を込める。
 だが間近で見たおれにしか知らない。いくら隠そうとも、瞳を合わせてしまえば───その奥底に不敵に笑む光が妖しく光っていることを。


「船長、マズイです」


 ペンギンから渡された双眼鏡を覗けば、遠くに海軍の船が見えた。見張りは丁度交代のタイミングだったらしく、気付くのが遅れたらしい。今更そんなことに咎めはしないものの、たしかに状況は思わしくない。巡視船という所は幸いだが、砲門もあれば最新型は魚雷も積んでいると聞く。潜水したところで逃げ切れるとも限らない。後方は岩が多くて潜水せずにここまで来たわけだし、前方からは海軍。なら左右に振るかと頷いてからペンギンに双眼鏡を返した。
 何よりも、面白そうだ。チカチカと敵船から光るそれを解読する限りは。

 ───ヒトジチヲ カイホウセヨ


「……数人残して潜水してろ。おれらが戻り次第とばせよ。敷居を跨がせるつもりはねェ」
「アイアイ」
「ニイナとベポも呼んで来い」


 手を出せばペンギンも了承した様に数枚のコインを乗せる。片道キップは五枚。それさえあれば敵を蹴散らせると言外に言ってみせる副官の男の静かな闘志に思わず口角が上がるのを止められなかった。
 シャチが呼びに行っていたのか、昼寝明けのベポを引き連れたニイナが出て来た。肉眼でも確認できるほど迫って来た巡視船とカモメを見て、思いきり眉間に皺を寄せた彼女に小さく吹き出した。更に怪訝な顔をしてこちらを見上げるニイナに「交渉に行くぞ、人質のお姫様」と言えばその顔が嫌そうに歪んだ。


「交渉より逃走を選ばないあたり、貴方も男の子なんですね」
「おれを女だと思っていたのか? 編み物や花摘みは趣味じゃねェが、絵本は好きだ」
「内臓の書かれた本は医学書と言うんですよ」
「───いました、人質発見!」


 速度を落としてゆっくり近付く帆船から響めきが聞こえる。巡視船なら階級は佐官止まりだろう。少しでも首の値の足しになればいい。コイツの不安定さを打ち止める楔へと、礎へとなればいい。


「……言っておくが、本当にホームシックならこれがラストチャンスだぞ」
「お優しいことですね。いつから私は貴方に誘拐されたことになっていたんですか?」


 やや強引だったが連れ去ったわけでもない。余裕ない中で挑発を装って仲間にした。この女が本心から、嘘偽りなく、この海賊へと入団したと言うのなら。昨日の情報収集力を褒め称えて、オーディションの舞台を用意してやろうか。


「───シャンブルズ」


 海には男だけでなく戦う女もいる。そんな経験が皆無の才能だけで生き抜いて来た女の細腰を抱いて、高く放り投げたコイン五枚分と位置交換をする。咄嗟にだろうが、縋る様に握られた服の裾の感覚に気持ちが上向いた気になった。
 無事に敵陣へと足をつけた仲間達が海軍と対峙する。おれらと引き換えに海に沈み始める自船を横目で見てから、周囲をざっと見回せば階級さえない見習いと中尉二人に少佐が一人。能力者がいると厄介だが、ナメられたものだ。巡視船にしては戦力が多く、戦闘船にしてはおれの首を狩れるほど戦力が少ない。まあ、大事な人質とやらがこちらにある限り下手に手は出せない。


「特徴一致……上層部が才女と謳うニイナ様ですね。一月前に海賊に攫われたと通報を受けて捜索致しました」
「……あの議員ですか。余計なことを……」
「死の外科医のトラファルガー・ローだな。その方を今すぐ解放するなら見逃すぞ」


 残念ながらぼそりと呟かれた怨嗟は向こうに届かなかった。そしてその条件を呑むほど海賊は優しいと本気で思っているのだろうか。攻撃するわけでもなくこの甲板へ立ったのだからまずは話し合いをすると思っているのだろうが、どれも建前だ。見逃すと言ってもそれは才女の身がこちらにある場合につき、に限る。笑わせるな。


「お互い口上はなしにしようぜ。単刀直入に言えば、ノーだ」
「……目的はなんだ。身代金か、七武海の席か」
「へぇ、コイツにそんな価値があるなんてな。知らなかったよ。だが、テメェも同じ男なら……わかるだろ?」


 強引に腰を引き寄せ、その指先で括れた腰を撫でれば周りの見習い共が喉を鳴らす。それを横目で見て下卑た笑みを浮かべれば、信憑性は増すものだ。その際にコイツが「きゃッ」っと短く悲鳴を上げた。待て、お前厨房に虫が出ても容赦なく叩き潰すくせに今更か弱く可愛こぶるな。


「貴様、その手を離せッ!!」


 一拍遅れた少佐が吼える。それに怯んだふりをすればおれの手を振り払ってニイナが目の前に立ち塞がり、おれを睨みつける。まるで親を殺された様な形相で、後ろのシャチが小さく怯んだ声を聞いた。


「よくも、騙してくれましたね」
「悪かったと思っているよ」
「嘘つかないでください! 私のことを愛していると……あれだけ体まで許したのに! 全部嘘だったんですか!!」


 記憶にない話だ。まず話を大きくしすぎだし、お前はどんな本を読んで育ったんだと問いたいところだ。演技力には拍手を送りたいが、筋書きには文句がある。
 やがてその大きな瞳を潤ませて「助けてくださいッ」と悲痛な声で叫んで向こうの少佐へ駆け寄る。其奴へ注目が集まる際組んだ腕の、鬼哭を持たない手で自分の領域を広げることに勤しむ。もう少し近寄れば。あと少しだ。


「ニイナさま、───」
「───……≪メス≫」


 賢いニイナがこの船で一番権力のある男の懐へ走り寄ってくれて助かった。
 風景が一瞬で変わる。風を切る音がする。ニイナは上手くベポが受け止めただろうか。鈍い音が遅れて鼓膜に届く。鈍間な男の驚愕した顔が焦燥へと変わる。突き出した指先を変えて取り出した心臓をこの掌へ納める。よろめいた少佐が後退して胸を掻き毟り事態を把握するも、もう遅い。


「おれが誰かわかっているのなら───早計だったな」
「……その方は、貴様の身に余る毒だ。手放せ」
「ハッ、こういうのは毒じゃねェ。身に余る光栄って言うんだぜ」


 この女の価値をわかっていないのはお互い様だ。おれさえ知らないことが多い。この長い航海でそれが一つでも理解出来ればいいのかもしれないが、どちらでもいい。今欲しいのは脳味噌だ。
 だが……人間一つ手に入れれば、次が欲しくなる。おれが欲張るまではまだまだかかりそうだ。


「ニイナ様、お逃げくださ───」
「私は人質ではありませんよ。海賊です」
「そういうことだ……さぁ、海賊らしいことしようぜ」
「なら、まずはその心臓を握りつぶすところから始めましょうか」


 容赦ない女だな、と口の端で言えば見習い達はどんどん倒れていく。血の気の多いのはおれの仲間もらしい。掌に収まっていた拍動するその赤が飛び散った刹那、ニイナの瞳が狂気に歪んだ。それはもうコイツが戻るつもりがないと言っているようで、最高に愉快だった。




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