命の雑踏 | ナノ

「ニイナちゃん、ちょっと相談が……」


 流れ込む初夏の爽やかな風に体が馴染んで半年が経つ。司書として再開させた図書館にも人が来るようになり、昔より増えた観光客向けにベンチも追加した。今日はもう少し緑でも足そうかと市場へ出かけた先で、普段の威厳を置いてきたような格好をする隣町の議員と出会った。オールバックを下ろしてさらさらと目に入りそうな髪の奥には柔和な垂れ目が覗く。この人のオフの日は本当に変わるから見ていて面白い。


「いいですよ。立ち話もなんですし、そちらのカフェに入りませんか? こちらのブレンドとカタラーナのセットがおすすめです」


 気を遣って一番端の木陰にあるテラスに腰掛ける。店内は思ったより閑散としていて、話し声が漏れてしまう。外なら路地裏もなく周囲に人間がいなければ大きな声でなければ誰にも届くことはないだろう。彼もホッとした様子で私と一緒のメニューをウエイトレスへ伝えた。その際渡された多めのチップと目配せをした私を見た顔馴染みの店員は了解したように深く頷いた。


「早速本題へと入ってもいいだろうか」
「構いませんよ。ああ、その前に。前回の出馬は上手くいったみたいですね。おめでとうございます」
「ありがとう。君のアドバイスのおかげだ。君から齎される言葉たちはまさに神の啓示だ。君こそ上に立つに相応しい。私としても君が大統領なら喜んで頭を下げるよ」
「やめてください。そのような器ではありません」


 冗談の中に混じった本気の視線を交わして本題を促す。そうして漸く口を開いて出た言葉は他国の重鎮を迎えるパーティの詳細だった。それを聞いて拍子抜けた。てっきり薄暗いような話だと思ったからだ。照明や警備員の配置は、カラトリーはどこのメーカーの物を、メニューと他国の舌の相性は。重鎮となると些末なことにさえ神経質になる。機嫌と国政は直結し、理不尽であろうともてなしの一つ、それこそナプキンの素材が気に入らないだけで亀裂を生むことがある。全くもって不条理。そして意味のない神経の摩耗のみが残される食事会だ。
 いくつかの選択肢を上げて判断は持ち帰らせる。彼なら正しく選択できると私は多くを用意しない。こうして「相談」することは何も彼に限ったことではない。議員や重鎮から子供の宿題や街の人の開発事業まで、様々な相談事を持ち寄られる。知恵がある者へと判断を仰ぐのは摂理だが、司書というより相談員のようだ。誰かが彼女はコンシエルジュのようだ、と言ったと聞いた事がある。


「漸く見つけたぜ」


 低く、胃の底に落ち着くような声がする。振り向けばまるで獲物を追い詰めて狩れると愉悦に浸る獰猛な獣のような瞳が、私を見据えていた。高い痩身と捲った袖から覗くトライバルタトゥーに話し込んでいた議員が驚愕する。不安そうな瞳で見る彼に「お客様がいらっしゃるのを忘れていました」と嘘をついてその場を後にする。タトゥーを入れた客など、私は待っていないというのに。


「お待ちしておりました。自宅はあちらになります」
「……御託はいい」


 下手な芝居はいらねェ。そう言ってニヤリと笑った彼の目的も、来訪する予定さえ知らなかったのだから、気を遣ってあの場を後にした私を褒めてほしい。
 私は彼を知っている。今巷を騒がせている死の外科医。手配書も新聞の記事でも見たことがある。善行と悪行の境をふらふらしているこの男の勘は鋭い。恐らく、≪私≫を知っている。


「流石はコンシエルジュと言われるだけはある。随分と頼りにされているな」
「普段は司書をしていて、本を読むので知識がついたのです。その知恵を職業にしているだけです」
「その知恵のおかげであの大虐殺を生んだのか」


 誰もいない、簡素な路地裏を歩む脚先が止まる。後ろからの足音も止む。彼が知っていることに気付こうと、何処から情報が漏れたのかが分からない。そして今更シラを切ることなどできないのを知らないほど、私は愚かではない。


「お前が欲しい。仲間になれ、才女」
「……なんて情熱的なお言葉」


 欲しいという割には、猛禽類のような瞳をしている。隙のない、警戒を露わにする警告色をしたアンバーだ。
 忌々しい名で皮肉ってくれるも、彼が欲しいのは≪私≫ではない。女である私の身も、整然とした私の性格を気に入ったわけではない。出会って十分もしないで彼が手に入れたいと望むのは、私の脳だ。
 だからこそ私も興味が湧いた。彼との航海なら崩壊する星座の下から連れ出してくれると、期待をしてもいいのかもしれない。


「ところで、この街に海軍の駐屯所がないのは何故か知っていますか? トラファルガーさん」


 路地の曲がり角から次々と黒服の男達が出てくる。私にはこの地に帰って来て半年。それからというもの、常に監視の目がついている。まるで今でも手綱を握れているぞと脅すようだ。そんな細い糸のようなもの、私を繋ぐ楔にしては脆すぎる。


「≪私≫がいるからですよ」


 これはいい時間稼ぎになるだろう。今のうちに荷造りをしなくては。私の思惑に気付いて悪どい笑みを浮かべて抜刀した彼への挑戦状にももってこいだ。


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