命の雑踏 | ナノ


 綺麗な体で嫁にはいけなくなってしまった。貰う手もないのだけれど。
 薄くなったとはいえ、皮膚が盛り上がった肩の傷はとうに癒えていた。私がお尋ね者の仲間入りをして二年が経とうとしている。あの時よりも髪は伸びたし、知識も増えた。傷が増えなかったのは偏に彼らのおかげである。私の生涯をかけた命題は今さえわからないのに。


「……ここにいたのか」


 死線をくぐり抜けて達成された心臓を届け、見事に王下七武海へ参入できた宴の最中だった。私の夢を語った後、彼からはなにも追求してこなかった。自身が死ぬこと以外は無害な夢だと思ったのだろう。別に自殺願望はないし、自分が死んでしまって本当に確認できるかわからないなら、まだ死にたくはないのが本音だ。そして、その肩の傷が癒える前に「話がある」と言われた時は驚いた。


「主役が参加しなくていいんですか?」
「大半は潰してきた。そっちはいいのか?」


 彼は私に七武海になるためにはどうしたらいいかの指南を仰ぎに来たのだ。信頼を彼は生み出してくれたのだ。それを私が殺すわけもなく、彼と共に今日まで育んできた。最初はただの興味だった。何気なく言った方法を彼が鵜呑みにするとは思わずに。そのうち、私の指示にも従って戦闘に臨んでくれる姿勢を見せつけてきた。任せてくれている、預けられていると思うと私も下手なことは返せないと思い始めた。
 初めは冷酷でビジネスの関係しか興味ないと思っていたのに。本当は懐深くて仲間思いな船長なのだと知ってからは、私も彼のためになれないかと日々模索するばかりだ。


「実はベポに頼んでこの島に行きたいと言っていたんです」
「へぇ、お前が強請るなんて珍しいじゃねェか。何か理由あるのか?」
「ええ。正直言ってここまで上手く条件が重なるとは思いませんでしたので、是非とも御同行願えますか」


 彼は飲みたくない時に能力で酒をすり替えたりするイカサマでシャチやペンギンを潰したりしているのを知っている。今日もそれで抜けてきたのだろう。こういう時くらい羽目を外して騒いでもいいものを。
 私は適当にあしらって抜けてきたので、彼ほど酒気を纏っていない。澄んだ水の匂いと湿気に浄化される。


「……ほう」


 彼が感嘆を吐くのも理解できる。ここは、全てが夜空で埋め尽くされた空間だからだ。
 森を少し抜ければいきなり開ける空間がある。見渡す限り、凹凸すらない平坦な塩湖だ。雨が降り、凪いだ晴れた時にしか見られない水鏡。輝く夜空が地面にも映り、まるで星空に放り出されたかのような空間だ。


「どうでしょう、私のおねだりは」
「……すげェな」
「ええ、世界にはまだこんな景色があるんですね」


 明るい月と、輝く星。お互いの顔も青白く見える。珍しく惚けたようにこの光景を見る彼にそっと笑う。暫くはお互いに無言で辺りを見回していた。移動すれば水音と共に揺れる水面が星を崩していく。まるでそう、昔感じた夜空の帝国が崩壊するような有様を私が作っている。


「どうだ、探し物は見つかったか」


 揶揄する彼の悪戯な顔さえ、良く見える。悪い人だと思う。もう私がそれに執着していないことを知っているくせに。
 死んだ人が星になるなんて今ではもう信じていない。だからこれだけ満開な夜空にも、探しやすいように足元に映された夜空にも、私の知っている人達はいなかった。それでも貴方がそう言うのなら、軽口として聞いてほしい。


「これはきっと、私が殺してきた人達なのでしょうね」


 指揮官は、数を殺す。兵士が一人殺したとしても、大勢を指揮する側はその扱った兵士分の数を背負う。最小の被害に抑えても、最大の加害を加えてしまう方が罪の意識に苛まれる。戦争で試したあの魂たちが浮かばれることを信じて、罪悪感を見ない振りしただけにすぎない。
 さんざめく星の反響が、今更ながらに私を責め立てる。かつてはこの星の中に母を見たかったことから始まったというのに、今はもうこの星空に見知った星が見ることのないよう祈るばかりだ。


「怖いか」
「いえ、何も」


 星空を踏み躙る。真っ逆さまに落ちて行きそうな地面に、私は立っていられる。波紋によって星がバラけていく。これからも生きて、彼らと歩んでいける。知恵で作る最小の被害と最大の加害は変わらずとも、そこに仲間を思う気持ちがあれば。それだけで、皆を導いていける気がした。


「貴方が私を仲間の一人として認め、皆と未来を歩むことを決意されてから……気持ちは共にありますよ」
「本当にいいのか。お前はなりたくて海賊になったわけじゃないだろう」
「貴方は優しいのですね。才女の私は、もういませんよ」


 彼は薄暗がりでもわかるほど、その言葉に気付かされたように目を見開き、息を呑む。どこで死んだのかはわからない。蹴散らした星空を探すことはもう出来ないだろう。「才女」という肩書きなんていらない。欲しくもない。私はそんな打算で彼らと旅をしてきたわけではないのだ。
 なりたくて海賊になったわけではない。でも今はもう未練なんてない。この人達と共に歩んで行けたらいいとだけ思うようになったのだから。


「……ニイナ、話がある」


 悪巧みの話だろうか。七武海になる、と言ってはいたが、そこからはまだ聞いていない。しっかりと顔を見上げると、彼もまた私を見下ろしていた。
 その先が少しばかり怖かった。置いていかれるような気がして。あのロッキーポートの時に感じた寒気がする。夜間の水場に立っているのとはまた違う怖気。置いていかれるのが怖いのではない。知らないところで彼がいなくなってしまうような気がして。
 そんな星がある夜空なんて、本当に崩れ落ちてしまえばいいと願うほどに。


「そう不安そうな顔するな。別に今更お前を下ろそうなんて考えちゃいねェよ」
「そんなことされたら地獄の果てまで追ってやりますからね……」
「はっ、怖い女だ。おれはこれから、恩人の遺志を継いで本懐を遂げるつもりだ。プランはあるが、仔細までは決めていない」
「……」
「そこで、お前の知恵がほしい」


 彼の過去を、知らないわけではない。言われたことはないが、仲間になった当初に調べたことがある。凄惨な過去を持つくせに、折れずに仲間を大切にするその姿勢に惚れたのだ。皆、雰囲気で感じているのだろう。この人なら、生み出した信頼を預けられると。その一角に、どうか私も乗せてほしい。


「……私が、必要だと仰るんですか」
「そうだ。お前じゃないと預けられないものがある」
「っ……、はい」


 真っ直ぐな瞳は余りにも鋭く輝いていて、この星空の中でも一等美しく見えた。鋭利な視線から逃れるように目を背けると足元で星が転がっていた。輝くそれはただの塵芥だ。人の魂ではない。夢を見るのはもう、おしまい。
 再度顔を上げて、彼としっかり視線を合わせる。ひんやりとした熱を持つ、犀利の瞳だ。そこに私を導くための光が宿っているのだから。


「おれと共に来い、ニイナ」


 差し出される手が、未来へ連れて行ってくれる。
 信頼が育てば育つほど、背中を預けたいという気持ちが膨らむ。それが実れば、次は忠誠だ。この人のために在ろう。この人に付き従い、この人と共に生きよう。傅く膝が無くとも、王冠が無くとも、船長でなくてもいい。肩書きのない、トラファルガー・ローに誓おう。


「どこまでも連れて行ってください、ローさん」


 少しばかりこそばゆくて、全てを預けられると確信できるその名前を呼ぶ。彼もそう思ってくれればいい。振り返ることも余所見をすることも窘めて、手を引く貴方の前だけを見させてほしい。
 私が築いてきた命の輝きの中で、私は貴方の手を取った。

命の雑踏で
指を絡めた





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