命の雑踏 | ナノ

 かつて、試してみても満足のいく結果が出なかった。なら、次は確かめるべきだと思っていた。


「馬鹿野郎ッ!!」


 ロマンとか美学とは無縁の、理性的で狡猾な人なのだと思っていた。
 だからこそ、私たちはただのビジネスの関係でそこに感情など必要としていないと思っていたのに。勘違いしてしまいそうになる、その焦燥を孕んだ腕が倒れかけた私を抱きかかえるものだから。

 
「あは、は、死ぬかと思いました」
「アホか! もう少しズレれば首が飛ぶところだったんだぞ!」


 拍動する熱の塊が押し付けられているようだ。左肩がなくなってしまったかのように痛い。実際肉は刮げ取られているのだろうが。そこを労わるように抱き抱えられてしまっては、為すすべもない。止血を強制する彼の怒号と入れ替わりにペンギンさんが肩を押さえてくれる。痛みに朦朧としている頭に投影されたのは、まるで憤怒の骨頂を抱えた荒々しい太刀筋で斬り込む船長の背中だった。
 私を狙ってきた海軍を退けるためだけに、みんなは武器を手にとってくれた。この一年、そういったことも慣れた私は彼らに指揮をして勝利に導いてきた。今回も指示を出している傍、視界の端に映ってしまったのだ。船長が凶弾に倒れるなど、外聞が悪いとらしくもなく思ってしまった程には。


「痕、残るぞ」
「承知の上です」


 消毒薬くさい医務室で包帯を巻かれる。医療者らしい手際の良さと、傷に触れない優しさが身に染みる。痛みを紛らわせるのには十分だった。
 弾は貫通しているし骨は無事と言えども、弾丸は肉を焼き塞ぎ、破壊された組織は元に戻ることはない。盛り上がりやがては治癒するだろうが、歪な円のケロイドは醜く残る。


「初めて撃たれましたが、痛いものなんですね」
「……痛いか」
「ええ、そう言いましたが」


 血のついたガーゼ以外は白い。呆気なく終わった治療は、まるで私の努力が無駄だと嘲笑っているようだった。


「痛いのは生きている証拠だと、良く言う」


 巻かれた包帯は清潔を表す白で、彼の指先は死を誘うものだ。心がないのにハートの海賊団。死を誘うのに医者。彼は矛盾でできている。
 鋭い双眸は、真っ直ぐに私へと届く。


「お前、何故死のうとする」


 別に痛いのが好きなわけではない。死にたいという思いもない。一寸ズレていれば首が飛んでいた。彼を突き飛ばした時に私を中途半端に繋ぎ止めたのは生存本能という理性だ。しかしどうしても体が動いてしまうその衝動の名は、本能。
 最初は戦争で試してみた。次は己で確かめてみた。私の夢の先。幼い頃から夢見る呪いを。遺伝子にまで染み込んでしまったであろう呪詛を。
 しかし今考えてみても、どうしてもそれに当てはまらないのだ。どんな言い訳をしても、どんなに小難しく考えても、出てきたのは至ってシンプルな解だった。


「死にたいとは思いません。ただの反射です」


 そう、ただ反射で守りたいと思ってしまった。打算でも体裁でもなく、この海賊団を。理由なんて、そんな気恥ずかしいものだ。


「……人は、死んだら何処にいくのでしょう」
「またその質問か」
「くだらないと思いますが、私は母に死者は星になると言われました。それを今でも信じているわけではありません。しかし、それを証明したいのです」


 父は私を見下ろしているのか。母は空で父に再会できたのか。戦死者は何人星になれたのか。私が死んだら、その景色を見れるのか。
 くだらない、稚拙な御伽噺に支配されていただけだ。天国や地獄、輪廻の概念を理解してもなお拘ってしまう。あの帝国の片隅に私は輝けるのだろうか、と。もうそんな事を夢見る年頃でもないし、今の夢はもっと現実的だ。


「……お前は前に出すぎるな。その頭でおれたちを導け」


 ピンセットを消毒している彼が静かに言う。その声は呆れるわけでも、嘲笑うわけでもなく、ただ淡々と業務連絡を注げるように静かだった。
 返事をせずに服を着る。ボタンを留めたら出て行こうとする私の前に、彼が影を作った。その先を追って顔を上げると、声質の割には船長らしい瞳をしていた。


「ハートの心臓はおれだが、脳はお前だ。どちらも止まるわけにはいかねェ」
「……はい」
「守りたいと思っているのは、お前だけじゃねェんだよ」


 ───……仲間には息災でいてほしいと思っている。

 明星、白み始める空に輪郭を象った彼が放った言葉がリフレインする。
その中にいていいのだと思った。失ってはいけないものの一つに教えられていたのだ。


「……サー、キャプテン・ロー」


 私はハートの海賊団の一味。揺らぎは固定されて、もう振り返る必要はない。仲間をただ思い、守ることだけに才能を使おう。死ぬ事のデメリットへの理解と誰一人欠けないその忠誠こそが彼への信頼へ応える全てになるのだ。
 だからこそ、私もそう返事せねばならないと思わせられたのである。
 


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