命の雑踏 | ナノ

「御足労頂き、ありがとうございます」


 交渉の場にいるのはニイナとロー、付き人のペンギンだ。相手も新聞くらいは見るらしく、ローの顔を見て少しばかり表情が曇る。ペンギンは船長の顔を見ないと気付いて貰えないのか、と少しだけムッと唇を突き出した。
 向こうはパトリックを繋ぎとして市長とオスカー海賊団の副船長が同席した。砂浜で立ったままの会談のため、形式だけの交渉としてもこの島の存続を賭けた話し合いだと余所者は気付かないだろう。


「まず、こちらの条件としては貴方方とも対立する敵船への助力。見返りに現状の救済を提案します」


 最初に口を開いたのはニイナだった。簡潔に取引を持ち出すが、重苦しい内容は昨日話した通りだった。全て話し合っただろうが、切り出しにくそうに三人は顔を見合わせる。よもやニイナの作戦は失敗したかと思ったが、まだ疑っているといった顔だ。何年も解決法が見つからず、硬直したままの頭脳では現場の打破がすぐ思い描けないのだろう。あとは根気で説得するまでだ。口を開いたのは副船長である男で、彼も二の腕の筋肉の上に霧のように蠢くオスカーの能力が縛り付けている。


「船長には皆恩があったり慕っていたりする。このロッキーポートの市民を助け、敵からも守った。だけどそれも閉じこもる前の話だ。余所者を船長が受け入れないのは、その悲劇の際に市民に紛れた敵が市民を惨殺していったからだ」


 稀にある残忍な手法だ。観光客などに扮した敵が奥地や屋内に居る市民を殺していけば制圧する時間は短くて済む。対抗策を練り難いのも厄介な蛮行だ。確かに見るのも耐え難い野蛮な行為を目の当たりにすれば誰だって余所者に踏み荒らされたくない気持ちはわかる。しかしこの島は輸出入にて生業を持つ島だから逆効果にしかならない。閉じ込めたいと仕掛けた能力と相まってまるで子供の駄々に近い。


「あんたらの言うように薬も底を尽きて衛生状態が良くない。最近は特に不作で腹一杯に食べれやしない。昨日、生まれたばかりの赤子が死んだ。入れる棺がない。死んだ者をちゃんと弔ってやれないのは、もう……」


 重苦しい口を開いたのは市長だった。もう限界だった。現状はペンギンが思っていたより悲惨だ。全てが手遅れで、衰退すると聞いて予想していた状況を遥かに超える。噛み締めた唇からは血の味がして、帽子の鍔と砂浜の白い境界線が滲む。


「約束します、貴方たちを必ず助けると」


 笑みのない、真摯な瞳が彼らを射抜いた。嘘偽りのない、本音だった。その一言の重みを彼らはどれ程受け止められたのだろうか。ニイナが言うと上辺ではなくもうその約束は果たされる目前だと錯覚させられるほどの魔力を持つ。
 副船長は思う。海賊団として、最早海賊としての体面を保っていないことは理解していた。パトリックから聞いた話はこちらの状況を正してくれる天啓ではあったが、そんな上手い話はあるかと疑った。しかし才女を目の当たりにして、たった一言の保証で何故こうも安堵してしまったのかがわからない。しかしそれでも少しでも縋り付いていたいと、願ってしまった。
 市長は思う。漁も畑も残された人々で再起することは不可能だと理解していた。貿易もなしに手に入らないものは多々ある島だ。あとは餓死か衰弱死を待つ身であり、暴動を起こすほど市民に覇気がないことくらい市長としていくらでも見てきた。だからその一言に縋り付こうと思った。今いる海賊との繋がりや上下は定かではないが、聞いた話ではこの島の全てを言い当てて解決へと導ける人だという。何も変わらずに死ぬなら、彼らに委ねてもいいかもしれないと───生き残った市民全員の気持ちが団結したのだ。
 ニイナの一言から数分が流れた。それ以上だったかもしれないし、本当はもっと短ったかもしれない。やがて市長と副船長は言葉こそなかったが頷いた。重い肯首ではあったが、瞳に砂浜の白い光が反射する。


「本当ですか、副船長!」
「何もしないよりはしたほうがいいだろう。俺は、船長に再び舵を取って貰いたいと願っている」
「ああ、ならもう一度海に出ることが出来るんですね……!」
「そうだ。そのために、俺らはなにをしたらいい?」
「ではパトリック、他の人にも伝えてください。明朝海軍が来ます。バスターコール前最後の市民救助のためです。その間私達がボスを押さえますので、一刻も早く船に乗るようにと指示してください。その際、何かを聞かれたらこう伝えてください。この騒動の首謀者はトラファルガー・ローだと」


 子犬のように明るい笑顔で頷いたパトリックは幾度も感謝を述べる市長と共に街へ戻った。二人の背が見えなくなるまで見送った後、ニイナは再度口を開く。


「副船長殿。一つ謝らなければなりません」
「なんだ」
「バスターコールは嘘です」
「なんっ……騙したのか!?」
「いいえ、ですが海軍は来ます。彼らは助かろうとして海軍に押し掛けるでしょう。その間、貴方達は逃げてください」


 パニックを想定して、お互いの逃走時間を確保する。港に人が集まれば奥の館で行われることは一目で見えないし、何より到達するまで人の波を掻き分けるという行為は困難だ。意図を察したのか、副船長は頷く。


「今夜、闇討ちします。その前に作戦会議をしたいので、貴方たちの船にに皆集まれますか?」
「……ああ、もちろん!」


 まだ会ったばかりで、話し合いも数分としか経っていない。それなのにニイナは的確に人心を揺さぶり、現場の痛いところを突いてみせ、崇拝の感情を呼び起こした。並大抵の人間ではできない。それを目の当たりにしてペンギンは身震いする。


「パトリックに聞いたときは何を世迷言を、と思った。だがしかし、貴女は現状をすぐに察知して我々に救いの手を差し伸べてくれた。貴女こそが、現世にあらわれた導きの女神かもしれない」
「大袈裟ですよ。それでは、また夜に」


 ニイナの言葉を聞いてローがROOMを広げる。背を向けた二人が一瞬でいなくなることに副船長はたじろいだが、それさえも神聖なものに見えてしまう。きっと彼女なら解放してくれるだろうと信じて止まない哀れな男の濁った眼球には、ニイナの仕組んだ結末が覆い隠されその瞬間まで映ることはなかった。
 「察しの良い」女の域を超えるとこうも信奉されるものなのかとローは慣れることなくため息を吐く。ローと共に帰ってきた船内を歩くニイナの背を見て目を細める。船員と笑い合う彼女は年相応の女性と言ってもいいし、街を歩いていても不自然ではない。なのに、何なのだろう。この、得体の知れない忍び寄るような不快感は。漏れ出る悪意は作戦の結末を知るローをも侵食する。枯渇する前の、静かだった水面に小さな波紋が一つ。その石を投じた女神は恐ろしい夜の形をしていた。敵でなく本当に良かったともう一度吐いたため息はどのくらい寒気を緩和してくれるだろうか。





 ニイナとローが指定された場所に着いたのは、ポーラータングが停泊する砂浜より反対側のオスカーがいる館に近い港だった。自船の三倍もあろう古いキャラック船だ。海賊王の全盛期から名乗りを上げたのだから古くて当然だが、手入れが行き届いている。まるで主人の帰りを待つように沈黙し、波に揺られている。


「行きましょうか」
「ああ」


 ローが能力を展開させる。彼と出会って二年が経とうとしている。その時より、昨日よりローはずっと強くなった。ニイナの言った通り能力を更に使いこなしてニイナの作戦を一番に理解して応用までしてみせる。この船の脳は自分だと自負していたが、それも揺らぎつつあった。それでもなおローはニイナを行使する。そのことが成熟した信頼関係を表しているようで、ニイナは一等の誇りに思った。才女のままでは得られなかったであろう感情に、胸と脳が熱くなる。
 降り立った甲板には三十人弱の男たちが一瞬で現れたニイナたちを見て惑う。副船長とパトリックが前に出て時間通りですね、と安堵したように笑んだ。


「大まかな概要は全員に伝えてあります。反対する者はいませんでした。皆の気持ちはただ一つ、我がオスカー海賊団船長と再び海に出ることです」
「貴方がたのその望み、拝命いたしました。それではお話ししましょう」


 パンっ、とニイナが手を叩いて乾いた音を立てた。

 ───風が凪ぐ。痛みも視認も感じる暇のない、唐突で理不尽なまでの、美しい閃光だった。

 手を打つ行為はつまりは目線を集めるための、フェイクだった。隣のローが上体をニイナの手より低くすると共に抜刀する。一振りで下肢を斬り、二振りで腕の二本と首を、三振り以降は細切れにしてシャンブルズした。細かく刻まれた物体の横に積み重なるトルソー。声にならない呻き声が戸惑いを隠せずにそこかしこから聞こえる。見開かれた瞳が涙で潤み、その色からパトリックだと推察したニイナが目線を合わせるように蹲み込んだ。言わなくとも何故、どうして、の疑問が投げかけられている。


「騙された、と言う顔をしていますね。嘘は一つだけです。私たちはべつに貴方達の助力を必要としません」


 それには謝りますね、とニイナが笑う。ローの懸賞金も三億に届いた。この一件が終われば、もっと跳ね上がるだろう。ローの首の値が上がればニイナの頭脳を世間に評価されたようで、歪んだ価値観が育つのをそっと自嘲した。


「ですが約束は果たします」


 キャラック船のポートサイドにカギ付きロープがいくつも投げ込まれ、爪が食い込む。ぞろぞろと姿を現したのは同じつなぎを着たハートの海賊団。各々が麻布を持っている。これから行われる行為を予想できる者など、誰もいなかった。
 途方もない願いの代償が大きすぎることを、誰も知らなかったのである。


「ただし代価は必要です。私たちは殺人を犯しません」


 はたまた頼み込んだ相手が悪かったのか。
 彼女の背後でローが代価を抜く。気絶する最後の瞬間にパトリックは瞳に焼き付けることとなった。静かな夜の揺らめく灯りの下、己の服を着たトルソーより抜き出された真っ赤な臓器が力強く脈打つ、その刹那を。




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