命の雑踏 | ナノ


 エドワード・ニューゲートやポートガス・D・エースの処刑が世界に余波として広がっている。それは海賊王への玉座へと押し上げるための追い風である反面、巨大勢力であった白ひげ海賊団や同盟を組んでいた他の勢力の衰退がぶつかり合い、今や世界は混乱の渦中へと落とし入れられている。
 漸く痛み止めを飲む程でもない位には肩の銃創が塞がりつつある。日毎に新聞のあちこちに眉を顰めるほどのニュースが増えていく。記憶から歴史に残る戦争の光景が薄れつつあるというのに、残り香が穢れを振りまくように至る所に伝染していく。
 あの処刑の時、私は船の奥底にいた。元帥や大将クラスには面識はないが、広域に渡って私の捜索が広がっていることを考えると向こうは顔を知っているかもしれないと懸念してのことだ。処刑を間近で見にいくと言った彼に反射で拒否したものの、光の速さで却下されたことは私の脳髄に刻まれている。あの時は少しばかり恨んだが、重体の麦わらと海峡が次々に運ばれてそれどころではなかった。彼らを見送り、これからうちの船長はどう動くのだろう。
 海賊である船長が海賊王を目指すのは勿論当然のことだが、彼はどうだろうか。その椅子に座る前に清算しなくてはいけないことがあるのではないだろうか。政府や組織に最早執着していないと言うことは簡単だが、後に彼の障壁となるだろう。それに海賊王へ名乗りをあげるなら同期や四皇へその刃を向けなければならない。

 課題が多い。どこから彼は切り込むつもりでいるのだろうか。


「───お呼びでしょうか」


 包帯を定期的に取り替えているものの、その処置を施した後のことだ。昼食の後に目を合わせられて顎で行き先を示された。頃合いを見計らって珈琲を淹れて行けばソファに座って朝刊を読むトラファルガーさんがいた。朝食の席で見なかったから、また遅くまで寝ていたのだろう。テーブルにカップを置けば目線で対面のソファを促される。長い話になることは、その仕草で示された。
 海賊でなければモデル並みの容姿と医者としての頭脳を持ち合わせることから生きていくことに障害はないように見える。生い立ちからどうしても海賊にならなければいけなかったとは言え、時折違う道を提示したくもなる。しかし芯まで染まってしまったからか、元から才能があったのか今や海賊である彼以外の姿を描けなかった。その彼に膝をついても良いと思えるようになったのは素直に成長だと思っている。だからこそ海賊王へと囃し立てる周りの焦燥も見ないフリをして、なぜ彼はまだここへ止まっているのだろう。
 煽るために故意に口を開いた。呼んでおいて要件を告げない彼への罰だ。


「トラファルガーさんって、海賊でなければ素敵なモデルになれたと思いますよ」
「……何が言いたいんだ」
「何故貴方は海賊をしているのでしょうか。たしかにもう戻れないのは知っています。フレバンス出身、十億のオペオペの実、元ドフラミンゴファミリー……。誰も彼もが貴方を殺したいと思い、仲間にしたいと思うでしょう。ですが、海賊王を目指すほど野心があるとも思いません」
「随分なこと言ってくれるじゃねェか。そんな言葉でおれを挑発しているつもりか?」
「まさか。そんなつもりではありません。純粋な興味です」
「才女様は餓鬼みてぇな好奇心をお持ちだな……。なら、話がある」


 私が持ってきた珈琲に口をつける。ゆったりとリラックスしていたその瞳が獰猛な肉食獣へと変わる。まるで狩ることを楽しむような獣。彼は別に海賊王の椅子を取らないと言っているわけではない。「時期を見る」と言っていただけだ。その重たい腰を漸く上げて、好機を見つけたのだろう。逃さないように食らいつくための狼煙の火種を私が用意できるという高揚感に口角が上がる。


「たまに考える時がある。白鉛病がなかった世界のことを。白鉛病があったおれはこうして海賊になり、白鉛病がなかったおれはきっと腕のいい医者になっただろうな。あの国は白いまま栄え、おれとお前も出会うことがなかっただろう。だからこそ痛感するんだよ。医者のくせに治せなかった病を。医者なのに力に屈する無力さを。おれはどちらももう味わいたくない」


 静かな瞳と目が合った。好戦的な中に凪いでいる海がある。それが彼の根底なら、どんな作戦だって完遂してみせるだろう。その言葉をただ心待ちにしていたのだ。


「おれを七武海へ参入させる案を考えろ」
「……面白いですね。乗りましょう」


 ───食堂がいつにないくらいざわざわしていた。ミーティングも兼任している食堂に皆が椅子に腰掛けて開始の声を今か今かと待ち望んでいる。遂に船長が動くのだ。皆を集めろと伝えられ号令を掛ければ即座に集合し、最後尾の俺が扉を閉めた。赤い飾りの乗った帽子を引き下げると不安定に揺れたのを感じる。そろそろボロくなってきた帽子を新調してもいいかもしれない。手慰みに作ったペンギンの小さな人形が余っていたことを思い出した。
 この場に船長とニイナがいないことから大きな動きがあることは明白だ。漸く重い腰を上げた船長に皆が沸き立っている。それもそうだろう。同期と呼べるほかのルーキーはとっくに新世界の真っ只中だ。何かの思惑があってこうやって残っているのだろうが、いかんせん時期を見誤ると勝機が遠のく。その僅かな数秒が命取りなんてことは海賊として常識だ。
 だからこそ、正しい道を進んでほしいと願うのは俺だけではない。


「全員集まったか」


 低い声と共に入ってきたのは船長とその後に続くニイナだった。当海賊船のブレインとも呼べる二人が俺の後に入ってきたとなれば皆の意欲も俄然湧いてくるというものだ。


「察しはついていると思うが、そろそろ動く」


 先ほどまでの喧騒はどこへいったのか、その一言で張り詰めたかのような静寂が場を支配する。船長はいつもの刀を肩に凭れさせて悠然と佇む。そこから一歩下がってニイナが微笑んでおり、船長の不敵な笑みと相まってクルーの高揚感を一層駆り立てた。


「だがまだ焦るな。新世界はこの海ほど生温いものじゃない。海賊王の椅子へ近づくため───結論から言うと、俺は四皇を討つ」


 響めきが波紋のように広がる。それが自然と収まるのを待った船長がスッと瞳を細める。結論、だ。そこまでの到着点まで俺たちが成し得なければならないことがあるということだろう。四皇の一人でも船長が討てば先日の頂上決戦なんて目じゃないほどに世間が騒ぐだろう。パワーバランスが崩れるのだ。じわじわと自分の中の高揚感が体温を上げ、アドレナリンが獰猛に口角を上げる。頂に船長が立つ。その痩身の肩に掛けられる海賊王という帆を、早とちりだと言われてしまいそうだが……想像してしまう。


「まあまだ焦るな。下準備から四皇の礎を崩すまでまだまだやることはある。そのはじめの一歩を、ニイナから説明する」
「───はい」


 伏せていた瞼を上げたニイナの瞳の奥が澄んでいる。返事だけの一声でその場全ての者が引き寄せられるのがわかった。
 後になってそれが、才女たる者の風格だと知った。


「下準備、というと回りくどいものでしかないと思います。そして何よりこちらの立てている作戦はその通りに行くという保証はありません。確率として三割でしょう。なので全貌を話しはしません。一つのミッションが終わり次第、その後の予定を組み直してお知らせします。何卒ご了承ください」


 皆の苛立ちを抑えるいい前置きだと思った。物語の全容が見えないままであれこれ指示されるのも、計画を細々と変更されるのもストレスになる。予め面倒なことや変更の有無を伝えておけば、こちらの心労も些か減るだろう。特に自分のことをなかなか告げない船長なら尚更。ニイナの口から説明されるなら二人で仔細は話し合っているだろうし、頭のいい二人なら俺たちの気持ちもきっと、理解してくれているはずだ。


「四皇を陥落させる手始めにまず、七武海への参入を推進します」


 だからこそ輝かしい笑顔で言い放たれた一言は、正しく鳩に豆鉄砲というやつだった。



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