小説 | ナノ


「研究施設では花弁から抽出した薬効を調査しているらしく、今年は尚更大規模に行っているらしいです。先日、例年の数倍量の銀の花から抽出及び濃縮に成功したらしく、ついにただの睡眠導入剤の補助から昏睡させるほど強力な薬剤の作成に至ったそうです」


 夜明け前の薄暗い潜水艦はまだ上がらない外気温によって静かな音を立てる。そんな中、ミーティングルーム兼食堂に全員が集まり、シャチの報告を聞いていた。銀の花が今年市場に出回らないのはそう言った背景があり、カンパニーが独占しているようだった。噂も馬鹿にできないな、とひっそり笑う。報告をするシャチの隣にキャプテンも腕を組んで立っている。
 昨日あれから、私の記憶は先ほどまでない。いつのまにか部屋で寝ていて、先ほど会ったペンギンに運んでくれてありがとうと言うと酷い顔をされた。口をへの字に曲げて何かを耐え、非難めいた目をしていた。なんでそんな顔をされないといけないのだろう。迷惑かけたことなら謝っているのに、返ってくるのは素っ気ない返事ばかりだ。それ程酒癖が悪いわけではないし、何度もペンギンに起こされたこともあった。なのになんで今回はこんなに悪い反応をされるのだろう。いつも部屋まで運んでくれるのはキャプテンだから、面倒なことを押し付けられたと思っているのかもしれない。今度、ご飯でも奢ってあげるから許して欲しい。


「また、今日は設備点検で古城全体が休止。警備員が配備されるのみらしいですが、どうやらその銀の花を研究するチームだけは無許可で研究室を使用するようです」
「討ち入りするなら今日が絶好、ってわけか」
「キャプテンのこのコイン、めちゃくちゃ役に立ちましたよ。病院側では伝わりませんでしたが、研究所の上階だとスムーズに話が進んでペラペラと情報漏らしてくれました」
「やはり上役が使うものみたいだな。それがあれば、今日の突入の際にも使えそうだ」
「落とし物届けに来ました、名前はわからないんですが中にいるはずですとでも言って適当に言いくるめれば通してくれそうッスね」
「俺とペンギンで通る。シャチや他の奴は俺の刀を持って外で待機しろ。俺の能力で突撃の合図とする。此方は二度も襲撃されて黙っているほどお優しくねェ海賊だ。舐めた奴らに報復しに行くぞ」
「アイアイキャプテンッ!」


 最低限の見張りを残してそれぞれが立ち上がる。私も装備点検済みのバトルベルトを腰に装着する。古城対策に鉤縄と、薬品を扱うなら念のためにバンダナを持っていく。騒めきが一つ、また一つと食堂を出ていく。いくつかのグループに分かれて古城の周辺に赴く次第だ。私もワンテンポ遅れてから赴くためマガジンの弾数を数えていると、キャプテンの上背が照明を隠して影を落とした。


「お前は待機だ」
「えっ……なんでですか!?」


 突然の戦力外通知かと焦燥から声を荒らげてしまった。逸る私の気持ちを汲んだキャプテンが犬に待てを教えるようにコインを親指で弾いた。思惑通り、それに気を取られる。キィン、と金属と爪が打つかる音がして、尾を引く。キャプテンの指先で弄ばれたそれがくるくると綺麗な回転運動をして落下する。この国の国旗である交差した花の背後にアスクレピオスの杖。動体視力によって鮮明に見せられるそれが私の網膜に焼き付いた。


「お前は手負いだ。足手纏いになる可能性もあるし、下手したら狙われている危険がある。一向に目的が見えないからそれは出向いてから聞くとして、弱点を曝け出すほど俺も策がないわけじゃない」
「でもっ、せめて囮にでも使っていただければ……!」
「俺が? お前を?」


 馬鹿か、テメェは。冷たく低い声が見下されたかんばせから発せられた。叱るようで、少しだけ怒りを抑えられていない言葉だった。ひく、と喉が動く。ここまで怒らせるのは久しぶりかもしれない。
 しかし次の瞬間キャプテンはその雰囲気を解除して、緩やかに私の頭を撫でた。大きな手で髪を混ぜた後にそれを正すように撫で付ける手が頬を伝って落ちていく。


「船長としては二度も矜持を傷付けられた分、やりかえしてやりてェ気持ちもわかる。況してお前はナメられるのが嫌いな好戦的なやつだってことも知っている。だが医者としては傷に障るからやめておけ、ドクターストップだ。それと───……一人の男としては、どうしても行かせたくねェ」
「……どういう、意味ですか」
「さァな、どういいう意味だと思う?」


 周囲の騒めきが遠退いた。みんな退出したのだろうか。それともここが切り離されてしまったのだろうか。
 スッと目を細めるキャプテンが、いつかの夜と重なる。どうしても手に入らないのに、考えたって一緒なのに。
 ───私の予断を許さない、狡い男の人だと、気付いてしまった。


「戻るまでに正解を考えておけ」


 帽子の鍔を私の頭を撫でたその指先で下げて、上げた口角だけを見せつけてキャプテンは去っていった。食堂に残された私はただ一人、その背を見送った後も佇んでいた。何度もやめようとして幾度も妹だと自覚すれど、彼はそうはさせないと言うように秋波を寄越して絶えず私の心に漣を起こす。その時の瞳はキャプテンでも兄でもない。私が見たことのない輝きを持ったウルフアイだった。
 だから、あの問いの意味を測りかねてしまう。キャプテンとしてでも、医者としてでもない。"一人の男として"と言った。その言葉を吐いた、本人だと言うことだろう。───あの人の、何だというのか?

 大きな溜息をいくつも零しながら、海岸沿いを歩く。見張りのベポには巡回、と告げた散歩だ。砂浜には出て行ったキャプテン達のものであろう足跡以外にはない。街の人たちも祭りがあるからこの辺には近寄らないのか、人気はない。当てもなく彷徨うのは体だけではない。堂々巡りをする思考の決着がつかないのだ。
 どうしたものだろうか。答えを求めるように天を仰ぐと、いつのまにかこの島の正面玄関に来てしまった。船や人の往来が遠くに見える。それよりは手前に国旗が立つ岩場がある。ぱたぱたと大きな旗が僅かな風を拾って自由にはためいていた。花が交差する国旗。後ろにアスクレピオスの杖があればカンパニーのシンボル。この国に根強いのだろう。シンボルがあるということは薬品の輸出等もしているのかもしれない。今までお目にかからなかったから、近海のみにしか出してないのだろうか。あの花をアロマにしたものだったら欲しいな、とぼんやり考えたときにそういえばディアナの所に花冠を受け取りに行かなくてはいけないなぁ、と忘れかけていたスケジュールを引っ張り上げた。
 その瞬間、何とも言えない───違和感としか形容できない感覚に歩みを止めた。それはぞわぞわと私の臓腑を侵食する。なんだろうと困惑する私の思考は勝手にそれを明るみにしようと躍起になる。国旗を見て、カンパニーを想像して、花屋とディアナに会いに行くことを思い出した。花屋にはディアナとその姉がいる。白いシャツを着たその隙間。ハーブティーの香りが近付いてくる。空になったカップ。襟口からの鎖骨の下───刺青。

 自分の瞬発力は流石だと思う。踵を返した私は走りながらもいくつもの可能性を示唆し、違和感に変わって悪い予感が臓腑を撫でる。祭りで賑わい始める人混みを掻い潜り、路地裏を行き遠回りすることさえ頭にはなかった。ただ真っ直ぐ、ひたすらに。当たって欲しくないと願いながら。
 花屋の看板が見えた瞬間、腸が全て落とされたように頭が冷え切った。グローブを填めて、バトルベルトからトムキャットを引き抜きセーフティーを外した。やりたくない。でも、仲間の命と天秤に掛ければそんなものは塵芥に等しかった。


「ッ、ぅ───!」
「───っ、ニイナさん!?」


 壊れそうなほど乱暴に扉を開け、カウンターに飛び乗った私が姉の胸ぐらを掴む。ごつりと眉間にトムキャットの照準を合わせれば、尚更理解するための思考を遅延させた。悲鳴さえ上げる暇もなく、奇行を冒した人間が私だと知ると二人とも驚愕を露わにした。そうして上がる困惑の声に脳が水を被せられたようにどんどん冷静になっていく。締め上げるような私の腕に手を置く姉は素人だ。体術は素人でも、情報を横流ししている可能性もある。


「貴様、あのカンパニーと繋がりがあるな?」
「ニイナさッ……! 何を……!」
「動くな」


 ディアナが僅かに動いた瞬間、銃の照準がそちらを向いた。肩を震わせて怯えた目をする。そんな目で見ないで欲しい。私だって、あなた達は無害だと思っていたのだから。それが間違いでないと証明してほしい。


「妹には手を出さないでッ!」
「それは貴様次第だ。それともこれが玩具ではないと証明してみるか? どちらの体でも構わないぞ」


 薄らと笑えば気丈な姉も息を呑んだ。また眉間に照準を合わせる。掴んでいる胸元の手をずらして、シャツの前のボタンを弾き飛ばすように広げた。鎖骨の下、コインほどの大きさになるがそこには確かにカンパニーのシンボルである交差した花の後ろにアスクレピオスの杖があった。態々刺青としてそこに入れるならある程度地位のある人間だろう。スパイはその辺の一般人に紛れているのと同様に、この姉もデザイナーの傍何かしらこちらの情報を渡していたとしたら。


「待って……全部素直に話すから……お願い……。私は元幹部よ……服飾部門のリーダーだったの……今は辞めてデザイナーになっただけ」
「……証拠はあるわけ? こちらは二回も襲撃されて辛酸を飲まされたんだ……!」
「あの古城が研究施設になったのは最近よ。前の施設はまだ取り壊されていないから、私が所属していた証拠や退職の履歴があるはず……!」


 信憑性に欠ける情報だった。時間稼ぎかも知れないと、理由のない苛立ちばかりが加速する。だが、私の手札も信憑性が薄い。あのシンボルを刺青として入れているこの姉を、唐突に思い出したからに過ぎない。私は何に苛立っているのだろう。ただ加速する嫌な予感というやつが胸の中で騒めくのだ。


「……アンタ、海賊だったのね……。思い出したわ、あの男はトラファルガー・ローね。残虐な死の外科医だと聞いているわ」
「肩書きなんてどうでもいい。あの人は殺しを好まないが、私は違う」
「何でも話す、何でも協力するわ……でも信じて。あなた達を海賊だと思わなかったのは本当よ。だからどこにも通報なんてしていないから……!」


 少しだけ迷った後、手を離した。姉は素早くディアナを背後に隠し、こちらを警戒する。前に幹部として活動していたとしても、今は関係ないなら用はない。私のただの勘違いで、振り出しに戻った───それだけだ。
 銃のセーフティーを掛け直してベルトに仕舞い、カウンターから降りた。それでも何かが引っかかる。ただの予感だ。置いていかれた寂寥がモヤついているだけだろう。


「……お邪魔しました」
「待って……! 襲撃されたって、どういう……カンパニーはそういうことするはずないわ!」
「そんなこと、こちらが聞きたい」


 つなぎのファスナーを下ろしインナーを捲り上げて腹を出せば、真新しい包帯が巻かれた腹部を見て二人が息を呑む。ただ医療系のカンパニーが傭兵を雇ってまで海賊に手を出す理由など、教えてほしいぐらいだ。


「これ以上は聞かない方が身のためです。お互いのためでも、あります」


 ゆったりと言い聞かせるように言葉を吐いたが、そこに上乗せされた圧と冷たい瞳に姉は言葉に詰まった。だが怯みはしないと言うようにこちらを睨みつけながらカウンターから離れて対面する。


「関係ないわけないわ。私は元々あそこの幹部で、友達を傷付けられた。これ以上の理由がある?」


 ───今度は私が、言葉に詰まる番だった。というより、呆気に取られたと言ってもいい。暴論と極論が混ざり、私が想定していた返答のどれにも当てはまらない。
 その一瞬の隙で姉はディアナに留守番を言い渡し、私の手を無理やり引いて昨日のように裏口から自分の店舗へと入った。短い道中でなんで、と一言だけ零しても、彼女は答えなかった。
 組織でなら仲間との結束や信頼は固ければ固い方がいい。勿論その中でも何度も裏切られたことはある。しかしそんな過去の傷口も、このポーラータングで寛解された。それは長年築いてきた証であり、死線や困難を幾度となく共にくぐり抜けてきた仲だからだ。彼女とは、どうだ。たった数日の中じゃないか。そんな人間が、それも数分前に海賊だと知ったばかりだというのに。裏切られて傷付いたはずだ。そんな口から到底出ることのない関係性が、私にはどうしても受け入れ難かった。


「これ着なさい。そんな物騒なもの白昼堂々見せびらかすもんじゃないでしょ」
「わ、ぶっ……!」


 上から急に布をかぶせられ、服よりも多いその布地に頭を出そうともがく。漸く出せた頭に深いフードが落ちてきて、これがマントだと気付いた。足首まである布端に刺繍が施されており、柔らかで肌触りの良いことから安物ではないと知る。一体なんだと視線を姉に戻すと、今だに私の胸ぐらを掴むように首紐を握ったまま俯いている。


「……ほんとは、知ってたのよ。私の親友もカンパニーに勤めていて、部門は違えど仲が良かったわ。そんな彼女からある日、手紙が届いたの。重大なことを知ってしまった、消される前に貴女に伝えるから告発して欲しい、と……。待ち合わせの時間をいくら過ぎてもあの子は来なくて、カンパニーに問い合わせたら失踪扱いされていることを知ったわ……。……口封じで、殺されたのよ」


 白くなるまで握られた拳、震えて戦慄く唇、小さな声で途切れながらに零す言葉の端に悔恨が滲む。全貌は知らずとも、不信感が募り退職を決めたのだろう。フードの隙間から覗き見る悲壮な彼女の姿に、私は意図せず口を開いていた。


「……きな臭い動きはあります。銀の花をカンパニーが買い占めていると貴方は言いましたが、あれは噂ではなく、事実らしい」
「……えっ?」
「人間を昏倒させる薬剤の抽出に成功したようです。そうなると軍用武器として流通させる可能性も出てきます。そして今日は設備点検のため全館閉鎖。掛け合わせれば何かあると思うのが普通でしょう」
「……そっか、完成したのね……」
「知っているんですか?」
「まだカンパニーにいた時、小耳に挟んだだけよ。反政府派のマッドサイエンティスト達は敵の戦意喪失させる催眠弾を作ってる、という根も葉もない噂を。……そう、あの子はそんな計画を知ってしまったからなのね」


 その頃からそういった話が出てきているのだろう。噂ではなく裏付けされた真実を知ってしまい、表沙汰は失踪として殺した可能性が高い。彼女に伝えることがあり待ち合わせの時間を指定したなら、自らの意思ではないはずだ。
 緩々と胸ぐらから手が離れて行き、脱力する。反対に上げた双眸は、何かを決めたように力強い輝きを持っていた。


「ねぇ、私も連れて行って。これは二度とないチャンスなの」
「危険です。一般人を守れるほど私は強くありません」
「私は自分で言うのも何だけど、顔が広いの。警備の人間や教授にもコンタクトはあるし、気を逸らしたりすることくらいできるわ。それに……ああ、待ってて、彼処に入るには特別な通行証が必要なの。幹部達が持つ、特権よ」


 強引に話を進める姉がこちらの返答を聞かずに戸棚を探り始めた。猪突猛進なのは恋路だけではないのだな、と苦笑して確かに厳重な警備を掻い潜るには利用できるかもしれないと思った。知り合いなら心を開きやすいし、最低限のことをしたらあとは撤退して貰えばいい。
 いくつかの作戦を頭の中で練りながら、通行証とやらに頭のリソースを割く。国旗の後ろにアスクレピオスの杖。土産物とそっくりな金ぴかのコイン。あれがあったからこそシャチが内部を探ることができ、私たちが巻き込まれた原因でもある。コインを失くして通行出来ず、海賊に手を出すわけにもいかない上役が傭兵を雇って奪いに来たという筋書きかもしれない。でも……少しだけ違和感がある。


「通行証……なるほど、だからあのコインが研究所に入る鍵だったのか……」
「え?」


 ───形のない違和感が、暗闇の中でその悍しい形を成していく。


「……コインって、なんのこと?」


 ───気付いた時には、もう既に何もかもが後手だったのだ。


「彼処に入る特別な通行証は、このボタンよ。彼処で服飾をしていたからリーダー達や偉い人の服にはみんなこのボタンを付けたわ」


 振り返った姉が手に持っていたのは、国旗の後ろにアスクレピオスの杖が描かれた、冷たい金色に輝く一つのボタンだった。
 違和感は感じていた。失くしやすいコインがカンパニーの通行証で良いのだろうか。そんなものを再発行せず奪いに来たのか。手練れの傭兵を幾人も個人で雇うだろうか。誰にも見せていないのに何故、ハートの海賊団が所有していると直ぐに分かったのか。皆殺しにしてから奪えばいいのに、何故生きたまま捕らえられたのか。
 ふつふつと湧いて出るような違和感の蒸気が膨れ上がり、爆発的に核心へと導かれた瞬間。血の気の引いた脳へと血液を送る為に米神が拍動して、熱い血流の音が耳元で嫌な音を立てた。


「───嵌められた……ッ!」



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