小説 | ナノ



 男か女かの違いなんてそんなに多くないものだと思っていた。筋力差、体格差、生殖器やホルモンくらいだろうか。理性的に考えられる人間であるからこそ思考に差はなく、個性で片付けられる。だからこの海賊船で男に囲まれていたとしても、男が圧倒的に多い海賊の中で上手くやっていけているのも、全て私が柔軟な思考を持っているからだ。馬鹿騒ぎしても私を性的に消費せず、困っている時はお互い様と力仕事は手伝って貰っていた。だから、そう思っていた。

 その思考に盲目的なまで従っていた私が愚かだと気付かずに。


「ほんっとーに、すみませんでした……」
「だから、別に良いって言ってるだろ」


 清潔な白が眩い包帯を丁寧に巻いていく。少しだけ血の臭いと消毒薬の臭い。痛いだろうに、キャプテンは慣れっこだと言わんばかりに眉一つ動かさず、私の姦しい謝罪を溜息と共に流していた。
 島が見えたという嬉しい報告の後、敵影有りと悲しい報告を受けて騒がしくなった早朝の船内。キャプテンが一番に甲板に出て砲弾を能力で返すところを鑑みるに、ハートの海賊団を知らない連中だったらしい。痺れを切らして近付いてきた敵を迎え撃ち、能力者もいない連中はすぐに押されることとなった。だから油断してたわけではないけど、扉付近で銃を放っていた私が装弾する瞬間を狙って敵が襲い掛かってきた。迫りくる大振りなナイフに、持っていた銃を落として懐からスミスウェッソンを引き抜く。一撃を食らったとしても仕留められるならそれでいいと思っていた体が、浮く。迫っていたナイフが遠退いて光を反射した。それを追うように赤い血飛沫が散らばる。一拍置いて、状況が見えた。キャプテンが能力で私の代わりになってくれたのだ。私の代わりに、刺されたのだ。脳に血が巡る前に、殆ど考えもせずに敵を撃ち抜いた。多分何か感情が生まれていたら、息の根を止めてほしいと懇願するまで急所を外し続けたかもしれない。
 敵を全て倒して金品を海賊らしく強奪した後に、また島へ向かって船を進めた。しょぼくれた私は何度も同じ言葉をキャプテンに向けていて、キャプテンも全部わかっているからこそこうやって私の治療を受けている。戦うということは敵も自分も命を賭しているわけだから、こんな致命的でもない怪我に人生の終わりのように謝ることではないことは理解している。怪我は肘上だったが綺麗な刺青を削る結果にならなくて良かった。その胸の目立つ大きな刺青も、指先までの細かい刺青も欠けることなくここまで来れたのは一人のクルーとして誇らしい。包帯留めを付けた私の手が離れると、キャプテンは持ってきていた着替えに袖を通した。


「まあ、警戒はちょっと甘かったかもな」
「はい……」
「しかしお前の制圧射撃に救われた場面もあった。気落ちするくらいならこの鉛玉分働け。そうだな……多少は痛む。重い物が持てねェ」
「喜んで荷物持ちします!」


 勢いよく真面目な顔をして答えた私にキャプテンが笑う。喉を震わせて笑う様は可愛げのある妹分に向けてだろう。前に、妹さんがいたと聞いた。その代理とまでいかなくても、面倒見が良い彼は私を年齢よりも幼く見ている節がある。だからこうやって甘いお説教と過剰な誉と挽回の機会を与えてくれるのだ。
 立ち上がったキャプテンが私の髪を混ぜる。緩やかに左右に揺れた大きな手は惜しむ様に離れていった。


「お前、本当に俺のこと好きだな」
「敬愛していますよ、キャプテン」
「何が欲しいんだ」
「私が物欲しさに媚びていると思っているんですか。この前壊したバレッタと同じ物欲しいです」


 珍しく吹き出すように笑ったキャプテンの声に重なるように伝声管から艦内アナウンスが響いた。漸く島に着いたらしい。


「早く着替えてこい。置いていくぞ」


 緩く笑った名残を残して、キャプテンは部屋を出た。後片付けを終えたら私服に着替えて軽く化粧をしよう。この前買ってもらった新作のアイシャドウ、付けてみたかったんだよなぁ、と独り言ちてその場を後にした。

 私とキャプテンは良い主従関係を築けていると思う。勿論そこには少しばかり情が上乗せされて、キャプテンは私を妹のように扱って愛でてくれる。だから私に対しては他の人よりも甘いし、欲しいと思った物や言葉を的確なタイミングで明け渡してくれる。
 そんなキャプテンに対して私も好意を返しているつもりだ。誰よりも真っ先に頼るし、自信のあるキャプテンは格好いい。何でも応えてくれるし、一船の長としても、兄としても慕っていると言ってもいい。異性として見ているかと言われれば、答えは出せない。客観的にみれば見目麗しい部類ではあるものの、どうしても主観的にしか考えられず双方としてもこの距離間でいいと思っているから今更その領域に踏み込めないでいた。
 彼の鋼鉄のように真っ直ぐ伸びた背筋は美しく、文字を追う視線の元である二つの球体は琥珀のように澄んでいる。悪魔のように口先で人を騙すくせに、残酷ながらも犠牲を最小限に抑えるため現実的で不器用な言葉を持つ。嗚呼、その偶像のなんたる美しさだろうか。少しばかり彼を過大評価している自負はあるけれども、何もかも寸分違わずに作られた精神が骨と肉を持ち、その下に血液が流れてこの地へ落とされたと信じて止まないのだ。そんな彼が。たった一個人である私をまるで血を分けた妹のように贔屓して甘やかすのだ。少し大袈裟なくらいかもしれないが、まるで祝福を与えられ導かれる仔羊のようだ。この胸に抱く甘美な陶酔を優越に、私は今日も彼の隣を歩くことを許可されている。

 水路を挟んで通りは楽器を演奏する人や踊る人、出店が立ち並び、多くの花が撒かれている。籠いっぱいに入った花を撒いたり、冠やブーケにして販売していたりと花の収穫祭のようなものだろうか。瑞々しい香りと白い花弁が青い空と涼しげな水路に映えて綺麗だった。観光客も混じっており、多くの人が行き交うため通路を通るには一苦労しそうだ。


「おーい、そこのお兄ちゃんたち」


 その時、何処からか聞こえた方にキャプテンと同時に振り返る。
 後方を確認しなかったこちらにも非があるが、前方不注意のまま駆け抜けようとした方にも非があると思う。

 ──────ドンッ


「わっ、」
「何やってんだ、鈍臭ェ」


 すみません、と腑に落ちない呟きは誰にも届かずに衝撃を受けた肩を摩る。振り返った瞬間に走ってきた男にぶつかったのだ。男は急ぎの用でもあったのか、非礼を詫びるわけでもなくこちらを一瞥することもなくまた走り抜けた。一体、なんだと言うんだ。ぶつくさと文句を垂れる私を無視して、キャプテンがその長身を屈ませる。どうしたのかと声をかけようとして口を開くと、戻された上体が連れてきた指の先で摘まれたコインがあった。今の男が落としたのだろう。


「……なんですか、それ」
「記念コインみたいだな」
「あっ、なんで仕舞おうとするんですか」
「持ち主が現れるまで預かっておくだけだ」


 そういう親切心を翳す人間は、そんな悪い顔をしない。まあ海賊なんだから、と自分を諌めて先程声のかかった下方へ顔を向けると、小舟に乗った初老の男性が手を振っていた。敵意はないと判断したのか、キャプテンがそちらに近付くのに倣って私も歩みを進めた。


「お兄ちゃんたち、旅行客かい?」
「ああ」
「ようこそ、花の都へ。この花祭りを見るのも初めてだろう。良かったら舟に乗りな。見ての通り奥から人の流れがあるから此方から奥へ向かうには水路を進む方が早い」
「……そうみたいだな」
「料金は二人で千ベリーで十分だよ」


 どうする、と言いたげな顔を寄越されるものの、確かに男性の言った通りに従った方が良さそうだ。肯首を返すとキャプテンが財布から千ベリーを支払い、舟に乗る。自船みたいな大きな船は乗り慣れているが、揺れの大きい小舟は久しぶりだ。今日みたいなヒールでは乗ったことがない。捕まるものがないかと視線を彷徨わせると、キャプテンが手を差し伸べてきた。


「ありがとうございま……わッ」
「気を付けろ、ばか」
「仲良いねェ、お兄ちゃんたち」


 いつもより高いヒールと浮かれた私の心を見透かすように、波で揺れた舟にバランスを崩す。重ねた手を引っ張られてしっかりした体幹の体に飛び込み、勢いを殺されたから舟は転覆せずに済んだ。抱き止められた体は薄い布同士でさえ体温を分かち合うことはなかったが、一瞬強張った筋肉に傷口に触れてしまったのだと気付く。眉を下げて視線だけで謝罪すると、指先で額を弾かれた。
 ゆったりと花の道を掻き分けるように舟が進む。オールが跳ねる水の音が近い。水の匂いに混じって花の匂いが湧き立つ。水路の両通路から踊り子が籠に入れている花を此方へ向かって撒いたりするおかげで、私達の膝の上にも幾つかの花弁が乗っていた。


「お兄ちゃんたち、新婚さんかい?」
「まあ、そんなところだ」


 よく潜入したり女除けでカップルの片割れを演じることが多い。別にそんなこと慣れたものだし、ちょっと頭の弱い女の役とか気の強い女を演じたりする。今回はそれでいくのか、と察してスルリと隣に座るキャプテンの腕に巻き付いて垂れかかってみた。


「お熱いねェ。ちょうどいまは新婚旅行にうってつけだ! なんせ昨日からこの花の収穫祭が開かれていてねぇ。一週間はこんな調子だよ」
「綺麗ですねぇ」
「そうだろう。この花は見てよし、食べてよし、乾燥させれば薬にもなる万能花さ」
「……へぇ」


 少しだけキャプテンの興味が湧いたらしい。まあそれだけ便利な花なら普通の人でも興味を持つだろう。どうやらこの先の奥にその花の森があるらしく、観光スポットになっているらしかった。くどくどとこの街の伝統や収穫祭の起源を話し始めた男性の言葉は私達の間を素通りしていって、暇を目で追っていたら路上で踊っていた女性と目が合った。胸に差していた一輪の花を投げて寄越す。水上に落ちる前に手に留めて見せつけるようにそれに唇を落とした。こんなにも歓迎されている上陸は久しぶりだった。
 漸く街の中心へと着いて男性に礼を言ってから立ち去る。奥地には森林と教会くらいしか見所がないらしく、買い物目的できた私達はそのまま戻るようにして出店を見ることにした。確かに往来は港の方に流れているので行きは舟を使うのが一般的らしい。上手く商売が成り立っているなと次々に運ばれてくる観光客を見て思った。


「おい、そこの店でいいか」


 キャプテンが顎で指したのは有名ブランドの雑貨屋だった。そうだった、私のおべっかに付き合ってくれているんだっけ。二人でその扉を潜ると、かろんと耳に優しい低めの鐘の音が鳴った。店員が笑顔で挨拶をする傍らを潜ってアクセサリーの所を物色する。こういったものは移ろいが激しいからもう残っていないかと思ったが、かつてのお気に入りだったバレッタが残っていた。安堵のため息を溢してピアスやネックレスを横目で流し見たあとに、とりあえず記念コインでも見ているキャプテンにバレッタだけでも渡して来ようと振り返って───


「うわッ!?」
「人の顔見てそれはねェんじゃないのか」
「だって、うわぁ、本当にびっくりした……。てっきり記念コインでも見ているのかと」
「見るのは後からいくらでもできるだろ。お前待ちだ」


 気配消してまで後ろに、それも私の肩口から覗き込むようにするのは頂けない。心臓が口から零れ落ちるかと思った。それでいいのか、と言うように私が握っていたバレッタを掠め取られる。冷えた指先が一瞬触れて、私の体温と馴染んだ金属をその手中に収めた。


「そのピアスとかお前似合うんじゃないか?」
「えっ、そうですか?」
「ああ。この前着ていたニットと合う」


 殆ど私の意見を聞かないで、確かに後で買おうと思っていたピアスを棚から攫って行った。店員さんがにこにこと微笑ましそうにこちらを見ている。キャプテンも記念コインが買えて満足そうだし、私も欲しかったものが手に入って満足なのに、その視線だけは含みのある───兄と妹の間に向けるものではなかった。
 再度かろんと音を立てた扉を後にして、人の多い往来を突っかかりながら進む。人混みに逸れそうなり、置いていかれそうになる。花の匂いと人の熱気に包まれてキャプテンの背が一歩ずつ遠退いていく。距離が完全に開いてしまえば、私の声も陽気な音楽に掻き消されてしまう。


「キャ、ぷてん……!」


 女の非力なか細い声だったと思う。僅かながらのそれに反応したキャプテンが一瞬振り返って、私の手を掻っ攫っていった。


「キャプテェン……!」
「世話が焼ける……」


 呆れたような溜息と閉じられた瞳の割に、離れないよう絡め取られた指先は確かに固く握られた。大きな固い手だった。指先が乾燥していて、私の体温より低い。広い背中を導かれるままに追う。私達はいつだって、こうして彼の背を追うことを許されている。なんて幸福なのだろう。


「あっ、よかったらランチにしません?」
「もうそんな時間か」
「彼処の店とかどうでしょう……あー、でもパンケーキメインみたいですね。違うところでも……」
「いや、いい。パスタとかならあるだろ」
「いいんですか?」
「お前、こういうの好きだろ」


 そう言って近付いたキャプテンが看板の花祭り限定パンケーキを指の背で弾く。バレてる。揶揄うような笑みで口の端をぐいっと上げたキャプテンがテラス席に着くとウェイターが小走りでやってくる。今更変えようと言えるわけもなく、私も隣に腰を下ろした。
 運ばれてきたパンケーキはこのお祭りメインの花の砂糖漬けで、白い花びらが夜露に濡れたように美しかった。見た目だけでなく味も上々で、花の香りと甘さが生地と共に程良く馴染んでいる。満足そうに頬張る私を横目に見て、丁寧に巻かれたアラビアータを口に放り込むキャプテンが僅かに笑った。
 日差しを遮るパラソルの影の下、往来の熱気さえ届かないそこで二人で食事をする贅沢な時間を噛みしめた。


「この後どうします?」
「お前何の目的で俺に着いてきたんだ?」
「バレッタ買ってもらうためです」
「アホか。腕千切れてもくっ付けてやらねェからな」


 勘弁してください、と笑った。一体何冊あの分厚い医学書を買うつもりなのだろうか。そう言ったってどうせ私より多くを持つことくらい知っている。
 食後のタイミングを見計らってデザートや飲み物が運ばれてくる。キャプテンはアイスコーヒーだけで、花弁をふんだんに使ったケーキを食べる私を見下して「まだ食うのか」と顔を顰めた。


「美味しいですよ」
「味の話じゃねェ。容量の話をしている」
「別腹ってやつですよ!」
「この前ダイエットするって言ってなかったか?」
「今朝動きましたし、チャラです!」


 呆れて言葉も出ないと息を吐いたキャプテンはまたストローを食む。からりと動いた氷の涼やかな音と、舟のオールが混ぜる水の音が白い花の隙間から体温を下げるように皮膚を撫でた。往来の人気は引く気配がなく、騒めきから隔離されたここは一種のオアシスのようだった。甘さが控えめなクリームだけが舌に残り、温くなって溶け出すそれがべたりと喉に詰まった。


「なんかキャプテン、今日機嫌いいですよね」


 島に着いてからなんとなく気付いていた。遠くを見つめる眼差しや纏う雰囲気がいつもと違うことに。この祭りの熱に酔っているのだろうか。確かに普段と違うおめかしした街を見たり、人々が平和に笑って祝う所は良い島だ。ちょっと浮かれてしまうのもわかる。
 鉛で出来た像のように精巧に造られたかんばせを持ち、聡明な先見の頭脳を持つ神に等しい貴方でも───案外、人間臭いんだな。


「ああ。故郷では祭りばかりあったからな」


 琥珀の瞳が微睡んで愛国と懐古が滲む。彼が機嫌が良いと思ったのは私を過剰に甘やかして向けられる眼差しが柔らかかったからだ。彼の過去を朧に知る私にはその理由が手に取るようにわかる。はらはらと目の前を舞い散る瑞々しい花弁が風に乗ってキャプテンのグラスに入り、かろんと崩した氷の音が尾を引いて昼下がりの光の中に残された。
 私は誰かの代理でしかない。彼の中に存在するのは私個人ではなく、もう在りはしないかつての残滓だろう。それでも良いと望んでいたし、さしたる問題ではないと見向きもしなかったのは私だ。実際に今まで男女の垣根無く気兼ねない主従関係を築けていた。今まで上手くやって来れたのに。

 人間らしく哀愁を携えて往来の人々を見守る彼のせいで───私の中の何かが歪み始めた。



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