小説 | ナノ




 ぷつり、ぷつりと小さなホールから細い軸を抜く。まるで天使の金の輪っかを手ずから外すような仕草は、窓から差し込む斜陽と相まって神聖なものに見えた。金に反射する光が眩しくて、時折瞬きをする。四つのピアスを抜き終わると、ローはそれを纏めて消毒液の入った容器へ落とした。自身の一部のような装飾品を呆気なく手放してしまう指先の美しさはどこか背徳的だ。心持ち首元がスッキリしたような、幼さが舞い戻ってきたような新鮮な感覚を覚える。ピアスをしていることが当たり前と思っていたせいだろうか。ゆったりソファに腰掛けて脚を組むと、テーブルの上にある細い棒を手に取った。それを消毒液で湿らせてから、今し方違う軸が入っていたばかりの穴へと差し込む。反対の手で緩く耳朶を引っ張り、棒が入りやすいようにしてやる。抜き、差し。
 なんだか、えっちだなぁ。


「……えっろ」
「薄汚ェ欲望がダダ漏れだぞ」
「え、俺、声に出てた?」
「自覚ねェなら頭カチ割ってやってもいい」
「それは困る」


 背もたれ側から後ろ姿を見ているから見えないだろうけど、いつも通りへらりと笑う。本当なんだけどなぁ。こうして気を張らずに無防備に俺へ頸を晒すことも。
 所謂恋人同士というやつだ。昨夜だって"そういうコト"をしたし、なんなら今夜だって構わない。だけどローがピアスホールを洗浄するのは、また放浪の旅に出かける前の儀式ということは知っていた。あと二日で次の島に着くだろうというベポの見立てを信頼してのことだ。だから今晩だけ構ってあとはゆっくりさせてやろうと心に決めていた。身も心もどこかに漂わせるローのその"趣味"の全容を微かながらに知る俺からの僅かばかりの解放だ。悔しいけど、今のローを保つために必要ならそうするしかないと思っていたから。
 何も言わない便利な伴侶であると、そういう立場を貫いてきた。


「……ニイナ、」
「んー?」


 次の島に着いたら新しい服でも買っておいてやろうかと頸と後髪の境を見ていた俺に振り向かないままのローが名前を呼ぶ。どうして恋人が呼ぶ自分の名前は美しく聞こえるのだろうか。これが愛ならもう少しローにも伝わって欲しいところだが。てっきり視線が痛いとかウザいとかいつもの軽口だと思っていたのに、いつまでもローは口を開かない。それが珍しく言い淀んでいるのだと気付いたのは俺からの愛を投げかけた時だった。


「ロー?」
「……暫く船を空ける。連絡を取る暇は恐らくねェから消息は気にするな。俺の指示通り、とある島に向かって待ってろ」


 いつもふらっといなくなる時は俺とペンギンに一言ずつかけていく。だが、引っかかったのは二言目からの拒絶に近い言葉だった。


「なぁ、それってどういう……」
「早ければ半年で帰ってくる。大人しく待ってろ。以上だ」
「はぁ!?」


 大きな俺の声が部屋に響こうとするが、被せるように外で鳴った砲撃の音により掻き消された。揺れにも動じない体幹で素早く立ち上がり鬼哭を携えたローは俺から逃げるようにスルリと部屋を出た。残されたピアスと俺は一拍の後、俺だけが遅れて部屋を出る羽目になった。
 大体ローが放浪でいなくなる期間は一週間前後で、長くても半月くらいだ。そして出港と同時に帰ってくることもあるし、終始俺やクルーと過ごすことも珍しくない。気儘かそうしなくてはいけない理由かはわからないが、不定期にフラッといなくなる。だけど、今回ばかりは事情が違う。期間が違う。前置きの不穏さに甲板へと駆ける足がざわざわと撫で上げられるようだった。


「おい、ニイナおっせーよ!」
「うるせェ! 退け!」
「ッうお!?」


 揶揄混じりか本気で怒っているのかわからないシャチの肩を乱暴に押し退けて、様々なものが飛び交う戦場へズカズカと土足で踏み躙る。最早外野に割く余裕が存在しない。ただ一人の男だけを求めて。
 すぐにわかる長身の背を追う。誰もを拒絶するサークルの中で刀を振るっている。扉のない部屋の中へ容赦無く入り、その肩を掴んで振り返らせる。


「おい、さっきのはどういうことだ!」
「ッ、今はそれどころじゃねェだろ!」
「いいから説明しろって言ってんだ!!」


 体制を崩されたローが対面した俺に怒鳴る。それに負けじと俺も怒鳴り返す。戦闘を邪魔された怒気だけではない、焦燥のようなものがローの瞳に映る。この機会を逃したら絶対にローははぐらかして消える。だからこそ敵船が近づいてきたことに気付いてもなお俺との会話を引き伸ばしたのだ。そんな小狡いことをする時は大抵具合の悪い話で、俺の返事も待たずに実力行使をする。わざとタイミングを外すのも計算のうちで、知っていて差し当たりがなければ放っておいたものが───躾がなっていなかったのは、俺の失態だ。


「今この状況がわかんねェのか!?」
「知ってるわ! 全部お前が作ったタイミングだろ!? 今まで騙されてやったが今回ばかりは逃してやんねェ!」
「だからこんなことやってる場合じゃねェんだ馬鹿野郎!」


 水を差すような敵が纏めてかかってきてもローの一薙ぎでバラバラになる。身動きが取れずに喚くだけの肉塊に要はない。いっそのことこの男の方が動けなくなった方がいい、いい加減。


「自分の始末もつけれねェやつを単独行動なんて許すか!」
「詰めの甘いやつが俺に命令するんじゃねェ!」


 ローの背後から刀を振り上げた男の顔面を俺が蹴飛ばし、俺の背後から戦斧を降る男の首をローが刎ねる。本格的に戦いは白熱してきたのか、邪魔をする外野が多くなってきた。ローの胸を肘で押して横へ移動させた後、飛び掛かる敵に覇気を纏った蹴りをお見舞いする。ローもそのまま勢いを殺さないステップで俺の背後の敵を斬る。


「お前は一船の船長だろ!? 不在を許すつもりはねェ!」
「どうしようと俺の勝手だ! お前はいつものように黙って俺に従ってればいいんだ! なんで今回ばかり噛み付く!」
「俺らを駒だと思っていないんなら今の言葉は撤回しろ! お前はトラファルガー・ローでありハートの海賊団の船長だ! その言葉の重みを知らないわけじゃないだろ!」


 ローに向けた苛立ちを乗せた足が敵の腹に埋まる。体制を直すついでにもう一人の男の顎を蹴り上げて、飛んできた敵の生首の軌道を蹴り飛ばしてベポを襲っていた敵のこめかみとバッティングさせる。最低でも五キロ以上の塊が打つかれば脳震盪を起こすだろう。我ながら今のは綺麗に決まったと思う。
 銃弾を避けてローの背中と打つかる。お互いにまだ息は上がらないものの、高い体温は共有される。なのにどうして俺の思いは伝わらない。


「……これは俺個人の問題だ」
「それは"コラさん"と関係あるのか」
「お前、知って……!?」
「魘される時必ず呼ぶ名前があれば気になって調べるだろ。この針路からならドレスローザも行けなくはないしな」


 きっとお前の知らないことまで俺は知っている。コツコツ貯めたり襲ってきた海賊狩りから巻き上げた金でいくつもの情報屋を雇った。"コラさん"の正体も、因縁のドレスローザの王も。だけど、どの一つさえもお前から聞いた話ではない。


「なら分かってくれ。俺はあの人の本懐を遂げに行く」


 理解しろ、ではなく懇願だった。弱々しいまでの彼らしくない返答で、だけども芯が通った声だった。周りの喧騒さえ抑えて、それだけが澄んだ水のように俺の頭を冷やす。


「……なにが、本懐だ」


 頭とは裏腹に心臓と腹の奥が熱い。そこから蒸気混じりに出した声はとても低くて暗かった。否定するような言葉にローの瞳が細まったが、初めて聞いた俺の声に様子を見ることにしたらしい。外界から隔てるこのサークルの中で、俺とローだけの声しか聞こえない。


「お前が魘されて呼ぶ名前は決まってただ一人だった。その名前を呼ばれる度に何故俺じゃないと惨めになったと思う? 俺の愛情より故人の傷の方が深いなんて認めたくねェのにお前が呼ぶ名前は一つだ!」


 苦しいほどの吐露に全て流れてしまえ。幾度となく床を共にし、幾夜もお前の寝顔を見たことか。その中で俺が不甲斐なさを嘆き自尊心を引き裂かれる思いに身を縮こませることになることを、お前は知りようもなかっただろうに!
 目を見開くローの虹彩が帽子の影にすら隠れずよく見える。都合の良い男だと思われていたとしても、ローの愛情を疑ったとしても、俺はローしかいないというのに!


「お前は個人の問題だと宣ったが、これはお前と俺の問題だ! 逃げんじゃねェ!!」


 何かに気付いたようなローがまるで罰が悪いように唇を結んで帽子の鍔を下げた。
 本当は、俺一人の駄々だと理解している。でも、どうしても着いていかないといけない気持ちにさせられる。一人で行かせたらもう、ローは俺の元に戻って来れないような。


「……正直、帰れる保証はねェ」
「ああ」
「幾ら策があっても勝算が比例しているわけじゃねェ」
「おう」
「勝ったとしても犠牲が多いかもしれない」
「ぐだぐだうるさいんだよ。そんなもん、やってからじゃなきゃわかんねェだろ。お前の一端でも背負わせてくれ」
「……来て、くれるのか」
「そうだと言っている」


 持っていたままの手で、下げたままの鍔を上げる。こんなに情けない表情をしたトラファルガー・ローを誰か見たことがあっただろうか。まるで迷子になった猫のような、縋るものを欲する子供のような、俺だけを頼りにする瞳。それに優しく肯定の言葉を掛けてやれば、緩慢に瞬きをする。

 ───淡い、ブルーの世界が弾けた。


「……痴話喧嘩は纏まったか?」


 ペンギンが不機嫌そうな顔でこちらに向かってくる。敵船との戦闘の最中に放っておいて喧嘩すればそりゃそうだろう。でも半分くらいは俺とローが倒したはずだ。


「鎮圧、物資補充、敵船走行不能済みです」
「流石はペンギン様」
「説明は後でする。潜水準備をしろ」
「アイアイ」


 指示を出し終わったローと視線が絡む。ゆっくりと瞬きをして肯首の代わりにすれば、ローの瞳は揺らがないものへと変わる。言葉もなく背中を向けて他のクルーに混じり船内へと姿を消す。その後ろ姿を見送った後、ペンギンがなぁ、と声をかけてくる。


「俺はお前のこと甲斐性なしだと思ってた」
「なんだそれ、ひでーな」
「キャプテンの言うことなんでも聞いて自分の意見はないのかってイライラした。でも安心したよ」
「俺よりも付き合いの長いお前らは尚更だよな」


 ペンギンがタバコを差し出してきて、二人で誰もいなくなった甲板で火をつける。俺とペンギンの暗黙の了解だった。そう言う時は決まって引き止めて話をしたい時だ。


「なんでも言えるほど甘えてるんだって思ったら聞いてやりたくなるだろ」
「甘やかしすぎだ」
「はは、自覚ある」
「あまり聞き取れなかったがいつもの外出が長引くって話か?」
「ざっくり言うとな。ただやんちゃしすぎるようだけど」


 俺だって細かいところまでは知らない。ローが遂げる本懐とはどういったものか、ドレスローザまでゆっくり行ったって半年以上かかるわけないのにとか。なんでみんなで行ってダメなのかすらもわからない。俺らの船長なんだから、俺らを巻き込んで頼っていいのに。


「お前が着いていくなら俺らも安心だ。任せたぜ、兄弟」
「任されたぜ、兄弟」
「しっかしなんでまた今回はお前も粘ったんだ?」


 不思議そうな顔で短くなったタバコをペンギンがまだ隣にいる敵船へと投げ込む。それを合図にゆっくりとポーラータングが動き出した。少し離れてから潜水するためだろう。油を撒いていたのかゆらゆらとガレオン船を舐める炎を見遣る。晴渡った空に不釣り合いの断末魔を聞く。


「……お義兄さんに息子さんをくださいって言ってくるためだよ」
「なんだそれ」


 笑ったペンギンが早く戻れよと手を振って扉を潜る。重たい鉄の扉は閉ざされ、幾つもの鍵を掛けられる。肺に入れた煙を吹き出して空っぽにすればスッキリした心地になった。
 調べていく過程で、ローの背景を朧ながらに辿れることに成功した。その中で気になるのがやはりドンキホーテ・ドフラミンゴだ。後ろ暗い商売をしているといろんな方面から聞く。そして幹部の席。四つあるうちの一つは空けられているようで、かつてドフラミンゴの弟が座っていたらしい。いつかはローを右腕に、と育てていたとなれば話は繋がる。

 ローは恩師から受け継いだ本懐を遂げに。俺はハートの席を今だに持つ執着を断ちに。

 彼の一端でも背負う覚悟はある。あのローが勝算があるわけでないと言うなら俺は足手纏いかもしれないが、あの瞬間、確かにローは俺を求めていた。無意識だと思う。そうだといい。少しでも彼の微睡みの瘡蓋を癒せたなら、それで。
 口の中の煙を全て出し切る頃には空よりも澄んだフィルターが近付きつつある。またヤニ臭いと顔を顰めるローはピアスを付けてしまっただろうか。出来ればない方がいい。たまには新鮮味を感じたいし、長い旅路の前にどうしても埋め尽くせるほどの愛でその瘡蓋を無理矢理剥がす行為を指を絡めて止めてやりたい。やがて触れなくなったそれは古傷へとなるはずだ。
 甘えて欲しいし、頼ることも自覚して欲しい。俺達は未来を生きるんだろう。弾き飛ばしたタバコが波の狭間に消えた瞬間、ポーラータングは海の中へと深く潜り込んだ。一羽のカモメが自由に空を羽ばたくのを横目にして。




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