小説 | ナノ





 俺が電伝虫から告げられたその酒場に着く頃には、太陽もキャプテンの機嫌も急降下していた。静かにテーブル席で敵を射殺さんとする視線を、カウンター席に座るニイナに発していることからまた何かあったのだと推測する。どうして一日でこうもコロコロと変わるのだろうか。彼等に安寧はないのだろうか。
 静かにキャプテンの隣に立つと、漸く彼等が別々に座っている理由に気付いた。ニイナの隣に美女がいて、仲良さそうに肩を寄せ合ってクスクスと揺れているのだ。お互いのカクテルの間の手元には、一枚の紙が広がっている。恐らく、女は情報屋だろう。たなびくシルバープラチナのキューティクルが照明を美しく反射している。女は髪の手入れ具合で全てが解ると言っても過言ではない。いくら金をかけても普段の手入れが疎かであれば劣化も早いのだ。割と極上の女だ。そんな情報屋と知り合いとはニイナも隅に置けない。
 だが、そこで俺が理解できないのはキャプテンがその輪に入らないことである。三人で情報を共有し合うのならまだしも、なぜ船長である彼がここで二人を後ろから睨み上げているのだろう。そして、俺が呼び出された理由もそろそろ教えて欲しいところだ。


「…………そんなところかな」
「メルシー、フラー。これで先に進める」
「礼を言われるまでもないよ、ニイナ。ぼくと君の間だろう」


 小声で話し合っていた彼等が顔を上げる。女、フラーは和かに笑って目配せをした。美しい女だった。誰もが振り向くような美貌を持っている。ニイナと二人でいれば、そこは違う世界のように映った。
 そういえばキャプテンが以前海軍の包囲網を出し抜くために頭を抱えていたのを思い出す。そのための情報屋だろうか。信頼できるかは、ニイナとの親密具合で分かる。


「情報屋には見えませんね」
「……俺と会う前からの馴染みだそうだ」


 成る程、と頷いた。情報の信憑性とキャプテンの不機嫌の理由、全てに納得がいった。確かにこの様子ではシャチも呼べない。迎えは一人で充分だと呟いた電伝虫の表情は忘れもしないだろう。
 呷ったグラスをテーブルに叩き付けたキャプテンが指先で近くに寄って来ていたボーイを呼ぶ。立つつもりもない程機嫌が悪い。これは拗れそうだ、と内心独り言ちる。


「何でもいい、ウォッカ。一番高いやつだ」
「却下。グレイハウンドで」


 横槍を入れて来たニイナがカウンターから此方を振り返る。更にチップを持たせてボーイを下がらせてしまえば主導権はニイナにあるのだ。キャプテンは舌打ちを零して恋人に相応しくない形相で睨め上げる。


「俺に意見するなんざ随分お高くとまったモンだな」
「ロー、飲み過ぎだ。昨夜潰れたばかりだろう」
「よく回る舌だ。切り落とすぞ」


 遂に中指を立てたキャプテンにニイナが呆れた溜息を零す。こうまでキャプテンの機嫌が悪いのは珍しくニイナもお手上げなのだ。まず三日は機嫌が悪いままだろう。船員にも甚大な被害が出る。勘弁してくれよ、とばかりにニイナに目配せをすると肩を竦められた。


「フラー、満足に礼も出来ずにすまない。足りなければ次に会う時までつけててくれ」
「構わないよ、モン・シャトン。ぼくが必要ならいつでも呼んでくれ」
「フラーからは呼んでくれないのか?」
「ぼくが君を呼ぶことはもうないよ」


 意味ありげに艶かしく視線を交える。歪んだ唇に乗った紅が扇情的で、帽子の隙間から細まる瞳が劣情的だった。まるで映画のワンシーンが目の前で繰り広げられているようだ。
 それを面白く思わない観客が鬼哭の鯉口に指先を這わせたのを見た。その殺気に気付いたフラーが瞳を此方に寄越す。


「まあ、君が愛されているようで安心したよ。海賊とは意外だったけどね」
「そうか? 元々いい子じゃなかっただろう」
「あの時の君が一番好きだったよ。恐ろしいほど蠱惑的だった」


 主張しすぎないマニキュアで彩られた指先がニイナのラペルをなぞる。そして、唐突にネクタイを掴んで引き寄せた。か細い女の力に逆らいもしないでニイナの体が傾く。


「もうぼくは君を愛せないよ、モン・シェリー」


 唇が触れあいそうな距離でフラーが甘く囁く。その秋波に誘惑されてしまいそうな。

 ーーーーーガタンッ!!

 蹴り飛ばされたテーブルが酒場のアルコールを劈く。ほろ酔いの他の客もマスターもただ静まり返って、音の根源を見つめる。それは舌打ちをして帽子を目深に被り直したかと思うと、自分の得物も持たずに早足で酒場を飛び出した。
 もう長い付き合いだが、キャプテンがあそこまで取り乱す姿を初めて見た気がする。


「……フランチェスカ、」
「ごめんね。面白そうで、つい」


 嗜めるような声が女を呼ぶ。先程の色気とは打って変わって煽てたような雰囲気の彼女はすぐ様ニイナのネクタイから手を外し、乱れを直した。そのあっけらかんとした様子に、本当にからかっていただけだと知る。いや、あの言葉の感情は嘘だとも言い切れないのだが。


「まあ、そうだね……次に会うのは君の可愛いシャトンの毛並みを揃えてからだね」
「ああ、そうしよう。……俺ももう君のものにはならないよ、マ・シェリ」


 手の甲で女の頬を撫で、多目のチップをカウンターに置いてニイナは歩き出した。持ち主が忘れていった鬼哭を担いで去ろうとする背を追う。
 言いたいこと、聞きたいことを素直に聞いてもきっと返ってくるだろう。


「……昔馴染みだと聞いたが」
「ああ、海軍と繋がりもあるから情報は確かなものだ。俺の前の職業は知っているだろう? 情報が必須な俺の為に色々とお世話してくれたんだ」
「それは、関係があったと見てもいいんだな?」
「なんだ、ペンギン。怒っているのか?」
「呆れているんだ、馬鹿。キャプテンのあの態度を見ただろう。昔の女と聞いて冷静でいられるほど、あの人は大人じゃないのは日頃体験しているだろ」
「挨拶みたいなモンなんだがな。それに、その理論でいけば俺は今までローが抱いた女に嫉妬しなくちゃいけなくなる」


 俺の叱咤を笑い飛ばして、通りを左折する。野暮なことを聞いてしまった気がするが、世紀の色男を前にして色目を使わない女はいないだろう。そんなこと、あの人もわかっているだろうに。


「……ッ、と」


 前を歩くニイナが急に立ち止まるので、その背広へ飛び込むところだった。そのまま大黒柱宜しく、不動のものとなったニイナの側面に回り込み、御尊顔を覗き込む。艶消しの上品なボルサリーノの下、美しい彫刻のように整えられた無表情のニイナの顔はただ一点を見つめている。その先を追えば、今し方酒場を飛び出していった恋人とそれに話しかける一人の男の姿があった。


「ーーーねぇお兄さん、今夜どう?」
「うるせェ」


 ゆらりと歩くキャプテンの歩幅に合わせて隣を行くその男。どうやら一夜限りの過ちを犯したいと望むようだが、機嫌の悪いキャプテンが悉く撃ち落としている。割と不機嫌な彼は隈と相まって近づき難い雰囲気だが、容姿が整っている為に声を掛けられることもしばしばだ。そういう時は大抵能力でバラして強制的に黙らせるのが常だが、愛刀が肩に凭れていないのでそうもいかないだろう。不幸にも今日は服にジョリーロジャーが笑っていない。


「君にならいくら出してもいい。もちろん、望むならなんだって叶えてあげよう」
「別に金に困っているわけじゃねェ。叶えてくれんだったら俺の願いは一つだ。失せろ」
「そう邪険にしないで。お願いだからさ、」


 よくもまあ、諦めないものだ。まるで極上の餌が目の前にある犬のよう。何としてでも手に入れようとする、その浅ましい魂胆が見え透いている。男がキャプテンの細い肩に腕を回す。肩に触れる手を振り払った時、気のせいでなければ隣で耳に染み付いた金属の擦れる音が聞こえた。


「ニイナ、」
「ーーー……そんな安い甘言で目の前の男が釣れると思っているなら、それは浅はかだな」


 錆のない、鉄の長刀。その鋭い切っ先が男の頸へと真っ直ぐ伸びている。肌をチリチリと焦がす殺気に思わず一歩後退するほど、ニイナから怒気が漂っていた。相手が得物を持っていて、尚且つ自分よりも格上だと分かると軟派男は血相を変えて早足で去っていった。


「勝手に人の刀を使うな、馬鹿」


 鞘と刀をニイナから奪い返し、いつものように肩に担ぐキャプテンは気にした風もなく、眉間に皺を寄せてこちらを向く。


「おい、どうしてお前が怒ってるんだ」
「……え、……は?」
「なんだ、要領を得ないな。あんだけ殺意剥き出しにするお前なんざ珍しいじゃねェか」


 キャプテンに先程の怒りはなく、むしろニイナを気遣うように眉を上げた。ニイナはその変化に驚いたようにも見えたが、俺はその驚愕の感情は違うところにあるものだと察した。


「いや……何でもない。ほら、船に戻るぞ」
「おい、押すな。俺に命令するな」
「はいはい……ペンギンも行こう」


 促されて歩みを進める船長の後ろを行く。そして、少しの期待を混ぜた予感が当たっているような気がして振り返る。ニイナはその場から動いていなかった。ただ、口元に手を当て、まるで自分のしてしまった失態に動揺するように瞠目していた。
 ニイナのあの行動と感情は、よく見る恋愛沙汰の嫉妬と呼ぶに相応しかった。





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