小説 | ナノ




 キャプテンの機嫌が落ち着きを取り戻して夜が明けた。雄鶏が朝一番の来訪を告げるが如く、朝日が出たと同時に見張りが島影を見つけたと報告した。艦内に響き渡るそれは半日過ぎで見つけたからかもしれないが、感動はいつもより少ない。ログも直ぐに溜まるみたいだし、補給も前の島で充分なほど満たされている。只の暇潰しにぶらつくだけで終わるだろう。
 早めの朝飯をかき込んだ俺が甲板に出ると、既に身支度を整えて珈琲片手に着岸を見遣るニイナがいた。朝は島で取るつもりなのか。出来れば、キャプテンも連れて行ってほしい。


「おはよう、ニイナ」
「ああ、おはようペンギン。昨日より少し小さい所だが観光には特化している島みたいだぞ。前の島よりここはログが溜まるのが早いから休憩がてらの観光地化した、ってところか」
「情報が早いな」
「客船と商船がうじゃうじゃいればな」


 ニイナが視線で示した場所には確かに船が多い。運んでいる荷物は遠目では分かりにくいが、船に刻まれたブランドロゴは確かに土産物を扱う会社だ。退屈はしなそうだが、財布の紐を締めなければ。どこかのバカ達が土産物漁りやボッタクリに会う前に。


「反対側に停めるのか」
「そうだな、ここは目立つ。ところでキャプテンはどうした」
「ああ」


 キャプテンのことを聞くならニイナに聞け、と言われるほどハートの海賊団の中で彼の行方や機嫌を知りたいならまずはニイナに話しかけるのが鉄則だ。俺もそれに倣って隣にいる彼を見ると、香り高い珈琲を一口飲んだニイナが軽い調子で返事をした。なんだ、そんなことかとも言いそうな含みのある声だったが、返ってきた返答はそんな軽いものではなかった。


「昨日抱き潰したから、暫くは起きてこないと思うぞ」
「おまっ、なんッ…………最低だな!!」
「大丈夫だ。潰したって言ってもしこたま酒飲ませた後に一回で意識飛ばしたから、相当昼間のが堪えてたんだろ」
「お前らの性事情なんて知りたくもない……。というか、キャプテンが一体何をしたって言うんだよ」
「俺の秘蔵の酒を勝手に開けたからな。飲みたいなら飲めと勧めただけだ」
「勧めた、っていうか無理矢理飲ませまくったんだろ」


 ジトッとした疑いの眼差しを向ければニヒルな笑みが返された。今朝方の食堂の片隅で異様な存在感を放っていた一角。そこにはズラリと数えきれない程の酒瓶が並んでいた。俺はてっきり誰かが酒盛りでもしたのかと思っていたが、それをまさか一人で飲んだのだと言うのなら。そりゃ意識も飛ばすわけだと独り言ちた。キャプテンも割と肝臓が強い方だが、あの量は処理の限界だったらしい。というか、急性アルコール中毒にする気かこの薬剤師は。


「ま、先程無垢で従順なシャチくんがいたからな、朝食を持って行かせた。そろそろ起きてくるぞ」
「……何も知らないシャチを使うな。バラされたパーツを集めるのは誰だと思っているんだ」


 あっけらかんと言い放つニイナにキリキリと腹部が痛み出す。この前は頭痛だったが遂にここまできたか。どうしてキャプテンのこととなると普段の紳士然とした振る舞いが出来ないのだろうか。


「…………胃が痛くなってきた」
「なんだ、胃もたれか?」
「お前らのせいだ、ばか」
「なら半夏瀉心湯だな。タイソウとオウゴンがないから手に入ればいいが……」
「おい、なんでストレスだとわかった? 自分達のせいだと自覚あるのか?」
「いや、ファモチジンとスクラルファートの方がいいか?」
「お前わかっておちょくってるだろ」


 その時青いサークルが俺らの一歩手前まで広がった。おや、と思えば目の前にぼとりと手首が落ちてきて、それは活きのいい魚のようにビチビチと跳ねた後、諦めたようにクタッと掌を上にして見せた。ニイナは何を思ったのかそこに空になったカップを置く。船内からニイナを呼ぶ悲鳴と怒号が重なったような気がして頭痛も呼び覚まされた。何が面白いのか隣にいる男はボルサリーノを目深に被りながらも喉奥を震わせるように笑った。お前のせいだぞ、どうするんだよこれ。


「……おい、キャプテンを潰した訳を聞こうか」
「察しがいいな、ペンギン」
「お前が酒を飲まれたくらいでキレる訳ないだろ」


 むしろ今までそんな場面は幾らでもあった。もう諦めがついたのかニイナはそんなことで一々目くじらを立てないはずだ。


「ちょっと用事があるから単独行動しようと思ってな」
「なら一言そう言えばいいだろう」
「あの俺様がそれを許すと思うか? あと、酒の恨みは怖いぞ」


 じゃあ、後は宜しくな。なんて軽い調子でいい笑顔を見せてきたニイナが、近付いた岩場に飛び降りて一足先に島内に入って行った。酒の恨みなんて思ってもないくせに。
 ……というか、お前の恋人の機嫌を取ってから行ってくれよ。誰が尻拭いをすると思っているんだ。





 肝臓水解物と滋養強壮薬、それから適当なビタミン剤を飲んで二日酔いからキャプテンが復活したのは昼を過ぎてからだった。ご丁寧に俺がわかりやすいところにニイナが作った薬があったのだ。なんで俺がキャプテンの世話をしなければならないのだろう。悲しいかな、元来の面倒見の良さがここで発揮されるとは。
 元々肝臓が強いキャプテンは復活も早い。そして復活したキャプテンが一番に気にするのはニイナのことだった。俺は今までの恨みも込めて先に行きましたよ、と告げれば機嫌は急降下。むっつりと黙り込んでついて来いと指先が俺と、漸く元に戻れたシャチを呼ぶ。しまった、間違いだったか。


「いいか、ニイナを見つけたら一番に俺に知らせろ」


 吐き捨てるように言ったキャプテンは前方の全てを睨み殺すかの如く鋭い眼光を飛ばして街を歩く。幸い一歩引いて俺とシャチは付いて行っているため、それに射抜かれることはない。そして、そういう時は話しかけることなく黙って付いていくのがいいと知っている。間違って呼んでしまえばその矛先が自分の眉間を射抜くのだ。


「……ニイナ、何かしたのか?」


 涙目のシャチが俺に小声で聞いてきた。確かにシャチは紛れも無い被害者だ。何も知らず、ニイナに言われた通りキャプテンに食事を運び、最悪の機嫌と寝起きの悪さが重なって能力で細切れにされただけの、可哀想な被害者。裂傷などはないもののシャンブルズされた際に打ち付けたのだろう、痛む腕を摩っている。
 目の前には元凶のキャプテンがいる。聞く気はなくても近い言葉はすぐに耳に入ってしまうだろう。ここで事実を言ってしまえば俺もシャチの二の舞だ。


「……まあ、色々だ」
「なんだよ、色々って」
「いつものだ」
「そりゃそうだけど……ニイナがキャプテンの寝起きを待たないで島に行くなんて珍しいだろ」
「……今はニイナを見つけるのに専念しろ」


 身のためだ、と告げればシャチは渋々周囲に目を向けた。俺だって早く目の前にいる癇癪玉を手早く処理してくれるニイナに渡して、可愛い女の子とランデブーしたいわ。
 厄介事を押し付けてくれたニイナに沸々とした怒りが込み上げてきた時に「ねぇ、あの人すごいイケメンじゃない?」と黄色い声が聞こえてきた。その一言を辿れば大概はニイナかキャプテンがいるが、ここにキャプテンがいるということはニイナしかいない。前方を見遣れば案の定、ニイナがいた。複数の女連れで。何してんだあの馬鹿。


「キャプテン、ニイナいました」
「……見りゃわかる」


 壁に凭れて人待ちしているようなニイナの腕にはいくつかのショップバッグがぶら下がっていた。いつもの煙草を燻らせていて、足元には吸い殻が転がっている。恐らく単独行動が終わって俺らが来るのを待っていたのだろう。それに女が群がったというわけか。もう少し自衛というものを覚えてほしいものだ。


「ねーえ、お兄さん。私達と遊びに行きましょ?」
「悪いが、今人待ちだ」
「誰を待ってるの? 友達?それとも恋人?」
「ああ、そうだ」
「まだ来ないでしょ? ちょっとだけ、ね?」
「私達すぐそこのお店で飲んでるの。貴方もどう?」
「……ふふ、ごめんな、レディ。もう時間みたいだ。次に会ったらもう少し上手く俺を口説いてくれよ」


 殺気を真っ直ぐ飛ばすキャプテンに気付いたニイナが指の隙間から口角を上げる。だが、嗚呼。別れを告げた女達にそんなとろけるような笑みを見せたらどうなることかお前も知っているだろう。恍惚とした表情でニイナに纏わりつく白く細い腕。艶かしく動くそれを無理に振り払おうとせず、挑発的に真っ直ぐこちらを見るニイナに、キャプテンが切れるのは道理だと思った。


「……ROOM」


 薄い青みがかかった半円が俺らとニイナまでを囲う。笑みを深めたニイナが持っていた煙草をこちらに弾き飛ばせば、翻ったキャプテンの手によって位置交換される。軽快な革靴が石畳を踏む音がする。唐突な出来事に女達は一拍遅れて悲鳴を上げていた。それを背後にニイナはキャプテンの腰に腕を回す。


「嫉妬したのか? 可愛いな」
「ほざけ。刻むぞ」
「物騒だな、ハニー。体は大丈夫か?」
「白々しいな、ダーリン。単独行動の理由を話せば酌量の余地はあるぞ」


 腕を払うことはせずに鯉口を切った鬼哭を前にしても、ニイナは余裕そうに笑って腰に回した指先でジーンズと肌の境目を撫でた。


「おいおい、俺を恋人に内緒でプレゼントを買いに行く事も出来ない、格好悪い男にしないでくれよ」


 内密にもしてなかっただろうが、という言葉をペンギンは飲み込んだ。今思えばこれは賢明な判断である。
 鬼哭を持つ反対の手にニイナは何かを握らせた。薄いビニールの中にあったのは、金色に一筋のダークブルーのラインが入ったリングピアスが四つ。


「ローに似合いそうだと思って」
「……ふん」


 鼻を鳴らしただけのキャプテンはそれを無造作にジーンズの後ろポケットに突っ込んで、鬼哭を鞘に収めてからニイナの腕を振り払い歩き出した。どうやら機嫌が直ったらしい。たったこれだけで直るのだから、本当このアベックは面倒臭い。いつもこうしてくれれば良いものを。


「あとこれ、シャチに。今朝はありがとうな」
「……俺、お前のせいでバラされたんだけど」
「そうなのか。それは悪かったなぁ」


 表面上はすまないと思っているように見えるが、内心思ってもいないだろう。渡されたバッグの中身を見て上等な酒だと喜ぶシャチを横目にニヤついていればそれは一目瞭然だった。


「……たったそれだけのために、キャプテンの機嫌を損ねたのか?」
「そう思うか?」


 ボルサリーノの隙間から悪戯そうに歪んだ瞳が俺を捉える。喉奥で笑った声が何かの企みを匂わせた。


「ま、カモフラージュかな」
「なんだそれ」
「秘密」


 帽子の影がニイナの瞳を隠す。静かに笑んだ唇にそっと人差し指を添えてから、ニイナはキャプテンの後を追った。何を隠しているのかまでは知らないが、それが良い方向へ転んでくれることを願うだけである。




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