小説 | ナノ




 その島に降り立ったとき、海賊達は大きく嘆いた。そこは無人島ではなく程よく栄えている島で衛生環境も悪くない。活気もあるし新鮮な食材も出回っている。二つ前ほどの島よりは段違いにいい島だと言い張れるというのに、ハートの海賊団一同は嘆いた。
 何が悲しくてカップル塗れのこの島に上陸しなければならないのか、と。


「ねぇぇぇぇー……船長ぉー……行きましょー? こんな島いたくねェよぉ……」
「バラされてェのか。ログが溜まるまで一週間あるんだぞ。そんなに行きたくないなら一週間見張りでもしてろ」
「それはそれで嫌です」


 船長であるローの足にしがみ付いたシャチを面倒そうに足蹴にして、ローが当番を言い渡すとその場に勢いよく起立した。とはいえ、それでも目の前のカップル達を見ると船を出る足がもたついてしまう。


「しっかしまあ、見渡す限りカップルか夫婦ばっかだな……」
「どうやらこの島は恋が成就し永遠を誓う島として栄えているらしいな」
「お前いつの間に旅行パンフなんて取ってきたの」


 シャチの右隣にぬっと入ってきたペンギンの手には島の概要を描いたパンフレットが握られていた。壊滅的にピンクの表紙が似合わない。
 しかしそんな色恋沙汰には縁のない海賊だ。せめて情婦が入ればいいなと空を仰ぎ見たシャチの左隣に人影が現れた。ゆっくりと現れたその影は、この船の狙撃手を担うニイナだった。今朝方まで見張りをしていた彼は漸く起きてきたらしく、所々寝癖のついた髪を携えて欠伸をしながらその島を眺めていた。


「はよ、ニイナ」
「おはよー。何この島」
「リア爆島」
「成る程理解」


 ペンギンからシャチ、シャチの手からニイナに渡ったパンフレットとそれを一言で表せば、タイトルを見ただけで理解したニイナが眠い目を擦って頷いた。
 だがシャチは知っている。自分たちには不要のそれが、この男には必要なものだと。


「ニイナ」
「おはよー、船長。降りるー?」
「ああ。着いてこい」
「アイアイ」


 もう一つ欠伸をして寝癖をなで付けるニイナに歩み寄ったローが彼の名前を呼ぶ。自然と同行することを求めてそれに応じることはもうハートの海賊団様式美だ。しかしシャチは知っている。

 ハートの海賊団船長トラファルガー・ローと狙撃手のニイナは、両片思いであると。

 この上陸、何かあるぞ。シャチは深く頷いて、小さくなる背の高い青年二人の上陸を見送った。





 ハートの海賊団の船員であるペンギンは知っている。ローとニイナの胸中について、だ。他の船員は彼らが片思いをしているというのはなんとなく察しているようだが、確信を得ないのか遠くから見守るだけにしているようだ。かく言うペンギンも初めは彼らと同じように眺めているだけだったが、偉大な酒の力のおかげでその内側まで踏み込んでしまったのだ。宴の時でも酒場で飲んだ時でも最後に残るのはザルのペンギンか、一定量を超えると酔っ払ってしまうローとニイナだけである。その内片方が酔い潰れて眠っている間に聞いたことなので嘘ではないだろう。穏やかな寝顔をする彼の髪を優しく梳きながら笑むその顔を、どうして嘘だと言い切れるだろう。

 ニイナという男は三年前に入団したスナイパーである。ーーー後に知ることとなるが、ローの一目惚れだという事だ。
 第一印象はおっとりとした奴だと思った。話し方もどこか気が抜けているのにずば抜けた観察眼と勘によっていつの間にか状況を誰よりも早く察知しているのだ。そんな男をローは厚く信頼していたし、いつしかそこに恋心芽生えたのだろう。ニイナにもまた同じ種が蒔かれていたようで、二人はそれを誰にも明かすことなく育んでいった。

 ニイナから聞いた話だ。酒場のソファに横たわる潰れてしまったローの頭を自身の太腿に乗せ、濃藍の髪を撫でながらウイスキーを呷っていた時である。普段の緩い笑みにほんのりと紅を乗せた頬のまま「秘密だよ」と囁いたのである。
 ニイナは知っていた。観察眼と察しの良い勘が仇となったのだと苦笑した。ローが自身を好いているということ。自分にのみ甘えること。それを告げる意思もないことも。ペンギンはお前からは言わないのか、と聞いた。ニイナは緩慢に首を振るだけだった。欲しいと思うし手に入れたいと思うが、きっと叶わないだろうと。ローの意思を飲むのだと。丸い氷を伝って最後の一滴まで飲み干したウイスキーはどんな味がしたのだろう。

 ローから聞いた話だ。デカイ船を沈めて彼の懸賞金が上がった時だ。疲れもあってか早々に潰れたニイナがテーブルに突っ伏しているその頭を、繊細な手付きで撫でながらテキーラを呷っていた主役の彼が「これは独り言だが」と前置きした上で独り言ちた話である。
 ニイナが好きだ、慕っているという意味でだ。そんな出出しから始まった彼の独白はさして今更驚きはしない内容だが、自分にその話を持ち出すとは思わなくて思わず刮目した。ニイナを引き入れたのは一目惚れだった。その感情が何か模索して漸く辿り着いた答えを理解した時ローは困惑した。曰くこれから大きな事を成すらしい。内容は後々話す事になるようだが、それを成すためにその感情はローを惑わすだけだった。連れて行くか置いて行くか。一緒に戦うのか守るのか。告げるか告げないか。どちらに転んでもそれは弱きを生むだけだと自嘲した彼を誰が責められよう。ペンギンは静かに酒を呷ってその独り言を胃に流し込んだ。それは消化される事なく今日まで二人を見守る視線へと還元されたのである。

 この上陸で、何かあるだろう。ペンギンは帽子を深く被り直して、先に上陸していった青年二人の拳一つ分の距離が埋まる事を祈った。
 




「ん、これおいしー。ほら船長、口開けて」
「……まあまあだな」


 上陸して最初に見つけたカフェテラスで軽食を摂る。寝起きの俺の為だと知っている。パエリアの綺麗なサフランライスと魚介の風味が最高だった。このカフェは当たり。今回は一週間の在中みたいなので、毎日通っちゃおう。船長は朝ご飯を食べたばっかりみたいで珈琲のオペラなんてお洒落なものを食べている。俺が咀嚼が終わったタイミングで一口のそれが口元に運ばれる。アイスティーで流し込んでからそれを頂く。うん、これも美味しいね。
 この島はペンギンのパンフレット通り恋人たちが多い。もちろん異性同士や同性同士もいる。なんと情熱的な島だろう。きっとこんなことをしている俺らもそう見えているのかもしれない。そこにいる女性のカップルが船長を見て頬を染めているのを目敏く見つけてしまったので、目配せをする。俺の手中にない彼だが、それを覆って守ることくらい許してくれよ。


「この後どうするー?」
「本屋だな。この島にある秘薬のレシピを盗めれば上々だ」
「秘薬なんてあるの?」
「ああ。火傷に良いらしい」


 火傷なんて冷やして傷薬でも塗っておけばいいのに、なんて言えば満足に冷やさない馬鹿が痕残すだろ、と返された。痕が残って嘆く男なんていないのに、と思ったが馬鹿扱いされたので黙っておく。数日前についた腕の火傷痕が痛む。
 ぼんやりと思い出すのは去年の今頃にペンギンに零した秘密話だった。俺は、ローが自分を好いているのを知っている。そしてそれを告げない事も。付き合いたくない、というわけではないだろう。でなければ俺と共に行動しないしこんな小さな気遣いをしない。なにが彼を立ち止まらせているのかまでは計り知れないが、何か大きなものを抱えているのは見ていればわかる。彼の過去を俺は知らない。アイスティーの氷の中にも、パエリアの貝殻にもその答えは入っていなかった。


「じゃー、その後にさーーー」


 綺麗なオーロラ色をする貝殻を端に寄せて顔を上げれば船長の視線が明後日の方向を向いている。そして心なしか眉が寄っている。視線を追えばとある男女のカップルだ。男の方が跪いて女の手を取っている。一体なんだと思えば徐に男が懐から四角い箱を取り出してその蓋を持ち上げる。此方から中身は伺えなくても雰囲気でわかる。女が感涙を零して抱き着くまでの様式美をなんの感情もなく眺めた後、隣の船長にまた視線を戻せば更に深く皺が寄っている。
 冷めたパエリアの味は感じなかった。この島は本当に恋が叶う島らしい。陽に透けたアイスティーの影がチラチラと俺を嘲笑っていた。俺のこの感情が報われないことをいいことに。


「船長、行きましょー」


 二人分の会計より少し多いそれを伝票のバインダーに挟んで店員に渡す。船長に声をかければゆっくりとその瞳に俺を移して一口のエスプレッソを飲み干す。熱情と羨望がチラついていたことなど見ないフリをして。
 海賊なら欲しいものは奪え、と言えど。無理に奪った所で砂状の彼が指の隙間から零れ落ちるだろう。だったら告げない方がいい。今のままで充分じゃないか。満たされなくても、彼が小さな幸福を感じる瞬間があれば。俺はそれでいいと、おもう。


「…………嘘じゃ、ないんだけどな」
「ニイナ、なんか言ったか?」
「言ってませんよー」


 あんな姿を見せられたら。彼を愛してしまいたいと欲張ってしまう。嗚呼、どうしたらこれは治るのか。教えてくれよ、ロー。


「そういえば船長の部屋の珈琲豆切れてませんでした?」
「ああ……まあ厨房にもあるから別に気にはしていなかったが。よく覚えているな」
「船長のことならなんでも知ってるよ!」
「ばか、嘘つけ」


 鬼哭で優しく頭を突かれる。そして、バカなやつとばかりに破顔する船長が愛おしい。いっその事胸に巣食うこの感情を吐露して全てを曝け出してしまいたい。だが、言ってしまえば短い言葉で全てを失う恐れがあるのだ。俺はその先を考えて、いつもポロリと出てしまいそうな一文を理性で蓋をすることが出来ているのだ。いつその蓋が壊れてしまうのか。俺はそれだけが気が気じゃない。

 割と、もう限界だとは思っていた。

 またくだらない会話をポツポツして本屋へ向かう途中、教会が賑わっていた。右を振り向けば案の定立ち止まってまた眉間に深い皺を刻む船長と、結婚式を執り行うカップル達がいた。ベールの向こうで幸せそうに微笑む花嫁だとか、白いタキシードで照れたように笑う新郎だとか。まさに幸福の象徴である舞台を見つける度、どうしてこの人が睨むように眺めるのか。その瞳にどこか羨望の眼差しが隠されているのか。俺が知るのはそこまでしかない。


「……ニイナ?」


 困惑したような船長の声を背中に受けて、よく手入れされた庭に入り込む。花嫁が後ろを向いて天高く大きめの花束を放った。落下地点を予測してそこらの女よりも長い腕を伸ばせば、それは簡単に俺の手に落ちてきた。俺が奪ってしまったブーケを、周りの女の子が残念そうに見つめる。


「ごめんねー、お嬢さんたち」


 いつもの緩い顔でへらりと笑えば渋々というふうに下がってくれた。色取り取りの花を寄せ集めたそれは、なんとも芳しい匂いが漂う。関係者じゃないとバレる前に足早に船長の元へ戻れば、何とも言い難い表情をしていた。


「……お前、そんなものが欲しかったのか」
「いや、全く」
「なら……」
「行きましょ、船長」


 次の目的地へ。狼狽える船長の手を引いて歩き出せば、素直に着いてきた。それどころか緩く繋いだ手を振り払うこともせず、むしろ力を込めて握ってきた当たりに蓋を外しそうになる。いや、ブーケトスに参加する前からとうにそれは隙間が開いていたのかもしれない。むしろもう噛み合わないのだろう。この行動が、それを物語っているのだから。
 暫く歩けば寂れた教会が目に入る。ここでいいか、なんて鍵を壊して入れば少し埃っぽい。もう使われなくなったようだが、健在のステンドグラスから光が射して船長の顔を半分染めた。


「……ニイナ、何のつもりだ」


 振り払うわけでもなく。俺に導かれるまま着いてきた船長が遂に階段を上って俺と並んで神父のいないそこに落ち着いた。握っていた手を離して、代わりとばかりに持っていたブーケを握らせた。イケメンは花が似合うけど、どっちかというと船長は青い薔薇とかが似合うかな。


「……ロー、すき」


 自分の意思で外した蓋と、逆さまにした中身。吐息と混ぜて吐き出せば、踏み込んではいけない領域へと侵入した。ローの瞳が丸くなる。まさか言われると思わなかっただろう。俺の気持ちを知って、生涯告げることもなかっただろうそれに甘えたツケだ。
 丸くなった瞳は侵入した言葉を拒絶するように緩々と細められて、やがて鋭い視線へと変貌した。恨めしいんだろう。不可侵のそれを破った俺が。暗黙の了解にもならないその感情を、吐露することを。


「……無理だ、わかってんだろ」
「わからないよ。言ってくれなきゃ」


 俺だって勘で動いているだけにすぎない。その勘が今まで当たっていただけであって、これからもそれが正しいという保証はない。緩く首を振った船長が帽子で表情を隠す。


「……俺はこれからやらなきゃいけねェことがある。恩人の遺志を継ぐために。それを遂げるためには死をも覚悟しているし、現を抜かしている暇なんざねェ。恋沙汰なんぞに縛られるつもりも、弱味を拵える無様なことはしたくねェ」


 ローはきっと、俺と過ごす未来を叶わないものだと思っている。俺の心と体も手に入らないものだと思っている。そんなことはないのに。後は彼が頷くだけで、それらが手に入るというのに。
 きつく握られたブーケの根元から水滴が溢れて滴る。まるでローの心臓のようなそれに手を触れると、驚いたローがそれを取り落とした。解けるリボンと包装。散らばる花弁と切り花を眺めて、ローを見つめる。悔しそうに唇を食いしばって眉間に皺を寄せる行為は、先程の教会前で見た彼の顔に似ていた。


「……俺は、幸せになんかなれねェし、なってはいけないんだよ」


  恩人の遺志を遂げようと遂げまいと。それで死のうとも死なないとも。幸せになる資格なんかないと震える濡れた拳を見る。鬼哭も振動でカチャカチャと音を立てる。それがまるで彼を笑っているようにも思えた。
 だけど。でも。その言葉の裏にあるものに俺はちょっと。いや、かなり心が高鳴った。


「……何笑ってやがる」


 ギラリと光った眼光に引き攣った口角に、ようやく自分が笑っているのだと気付いた。参ったな、一応シリアスな場面だからポーカーフェイスを気取っていたはずなのに。


「え、えへへ……」
「……テメェ」
「だって……それ、つまりローは俺と付き合ったら幸せになるって思ってくれているんだね」
「なんっ……!!」


 表情を崩して破顔すれば、ローは顔を真っ赤にしてまた目を丸くする。二歩ほど下がった彼に構うことなく足元に散らばった花を集めて茎を編む。手早く全ての花を使って編んだ王冠を、ローの頭に乗せた。そして、今度こそ逃げないようにその手を両手で掴む。


「死を覚悟しているってペンギンあたり聞いたら怒りそうだね。や、勿論俺もそれだけ聞いたら怒るけど……。でも、ローが何か隠しているのは知ってたよ。だから、ローがその大きなことを成し遂げるまで待ってる」
「……死ぬかもしれねェんだぞ」
「死なないよ、ローは。きっと帰ってくる。ローの帰る場所はここでしょ? だから、俺は待っているよ」
「………………馬鹿だな」


 ーーー本当、馬鹿だ。
 優しい口調で紡がれた罵倒はローの表情で随分角が丸いものへと変質した。眉間の皺も解けて、ただ、幸せそうに笑む。俺は、この笑顔が見たかったのだ。


「すきだよ、ロー。期待に応えるから俺と付き合ってほしい」
「ああ。応えてみせろよ、ニイナ」


 根負けした。そう言って仕方ないように笑う彼が愛おしくて、消えてしまわないように、手繰り寄せて掻き抱く。嗚呼。漸く、こうして、ローは俺のものになったのだ。この島の迷信も捨てたもんじゃない。神に誓った後はただ、二人で幸せになるだけだった。




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