小説 | ナノ





 いつの時代も、女は力がないと宣う。そうだ、知恵はあっても男ほど筋肉もなければ敵を蹂躙する力もない。いくらそこらにいる男より喧嘩慣れをしていたとしても、上には上がいるのだ。知恵を駆使して罠を仕掛けて最低限の力で敵を仕留めようとも、結局最後は力尽くになるのだ。私は女であるこの身が煩わしい。


「……全く、いつも言っているだろう。怪我するなと」


 貸せよ、と男の手が差し出される。それを無感情に一瞥して包帯を左腕に丁寧に巻いていく。転がる薬瓶や注射器、ガーゼや包帯の切れ端。手当ての仕方や私に合う薬剤を理解しているのは私のみだ。
 渡す気がないのを察してか、いつものやりとりで私が彼を無視するのをわかっているのか、ペンギンは溜息をついてから椅子を引き寄せて私の目の前に座った。


「男勝りなのはまあ良しとして、お前も女の子なんだから怪我するのは……」
「うるっさいな!」


 丁度良い長さに切って包帯留めをしたら治療は終わりだ。痛み止めが効いているうちは腕も動かせる。夜には熱が出るだろう。鎮痛剤と鎮静剤が必要だ。後で船長に処方してもらおう。
 私をこの船で女扱いするのはペンギンだけだ。女の子のように接すれば私の鋭い視線で射抜かれることを学習したクルーは私をただの人間として扱ってくれる。なのに、ペンギンだけは。彼だけは懲りずに、何を夢見ているのか私を一人の女として扱ってくる。求めているのは、そんなことではない。
 包帯を切った、銀色に煌めく鋏をペンギンの言葉を裂くように机に突き刺した。収まらない激情に歯を食いしばるとギリリと嫌な音が頭蓋骨に響いた。


「私を、女扱いするなって言ってるでしょ!!」
「ニイナ、」


 乱暴に立ち上がって早足で去る医務室からは転がった木の椅子が虚しい音を立てていた。呼び止められたであろう声と共に扉を閉ざした。彼はなぜこんなに突き放しても私を女として扱ってくるのだろう。
 弱く、力のない女に成り下がることを私がこれ以上嫌悪するものはない。自分のミスは自分で尻拭いするし、どうしても勝てない相手は知恵を絞って仕留める。私は、誰の助けも借りるつもりはない。誰にも頼らず、助けられず、弱き者を見下して生きていくのだ。


「船長、いますか?」
「入れ」


 ノックを三つ。許可が下りたところで扉を開けた。いつも通りデスクに座って本を読む船長に私は忠誠を誓っている。女扱いされないし気を遣われないその隣がとても居心地が良いのだ。


「ヘマしたんだってな」
「申し訳御座いません」
「お前は自分で尻拭いが出来る。心配はしねェが、《備品》を無駄に消耗する気もねェ」


 ニヤリと口端を上げて笑う船長の隠れた気遣いの距離が好きだ。ペンギンもこれくらい謙虚にしてほしいものだが。
 今回の件のカルテを船長に差し出す。怪我の経緯、損傷具合、治療に使用した薬剤など。ついでに薬を処方してほしいと言えば二つ返事で返ってきた。羽ペンをお借りしてカルテに追記すれば、あとは勝手に持って行って良い。


「ありがとうございます。では」
「ニイナ、ペンギンがうるせェ。なんとかしろ」
「なんとかしろって、なんですか……」


 背を向けたそこに無茶な要求を掛けられて思わず振り返ってしまった。背凭れに踏ん反り返りながら、ニヤニヤとこちらの様子を伺う正反対なその行為に私も困ってしまう。抽象的なその問いに、私が返せるものなどないのに。


「……なら、殺してしまえばいいですか」
「できるものならな」


 具体的に仲間殺しをにおわせた発言をしたのに、船長は余裕そうに私を見下す。到底できない、お前にそんな力はないと言われたようで、湧き上がった不快感を閉ざすように船長室から足早に退室した。いつもより扉を閉める音が大きかったような気がする。





 私は戦火の止まない国家に生まれた。父の顔は今まで見たことがない。母は望んで産んだ私を物心つく頃から穀潰しだと毎日痛めつけていた。いつまで経っても帰らぬ父といつこの街にも戦火が及ぶかわからないストレスのせいでもあるのだろう。それとも私の顔が父に似たからかもしれない。
 いくつもの青アザと生傷を携えて、年端もいかない私は悟った。ここにいても死んでしまうと。それが肉体なのか精神的なものなのかは覚えていないが、生命の危機に及んでいると気付いたのである。産みの親に殺されるならば、路地でも何処でも野垂れ死んだほうがいい。それは私の勝手であり責任なのだから。初めて突き立てた刃物が肉を裂く感覚は、食事の為に捌く豚肉と大差なかった。

 解放感に体の力が支配される。血溜まりで呆然と座り込む私に光の筋が差して振り返れば、母の悲鳴を聞いて駆けつけたのであろう憲兵がいた。親殺しとして非難されるかと思ったら、手厚く保護されて暫しの療養の後に里子に出された。
 母から受けた傷を癒している間にその視線に気付けば、私はただ腫れ物扱いされているだけに過ぎなかった。

 第二の人生を預ける場所は少し年老いた夫婦だった。夫は持病があるため徴兵を免れていて、それに寄り添う妻。何処にでもいるその夫婦は最初はそれこそ腫れ物を触るような態度だったがやがて私に心開いていった。
 私もそろそろ彼らを信頼してもいいのではないか、と思ったその夜。潜り込んだベッドサイドのランタンの火が揺れて忍び寄る影に飛び起きた。それに覆い被さる養父に悲鳴すら上げられずにただ見上げるしかできなかった。恐怖に震えていれば衣服を裂かれて乱暴にベッドに縫い付けられる。怖い。恐い。母は私を殴るだけだった。だが、目の前の男は私を性の対象として、玩具としか見ていないその目に言い様のない恐怖が私を襲った。必死な抵抗の末、ベッドサイドから掴んだペーパーナイフで彼の首を切り裂いた。怯んだ彼を組み敷いて、何度もその小さなナイフで。随分前に事切れた彼の体温が下がるまで何度も刺しただろう。荒い自分の息遣いの隙間に話し声を聞いた。
 そうだ、養母がいる。助けてくれる。血濡れて裂かれたナイトドレスと乱れた髪をそのままに、私はそこに駆けた。彼女の名前を叫ぼうと引きつらせた喉を開くと、その会話が耳に入った。ーーーあの子は多分処女よ、夫が先に味見しているわ、貴方も早く行かないと食べるところがなくなっちゃうわよ。声の弾丸は撃ち放たれることなく、代わりに持っていたペーパーナイフが滑り落ちた。それに気付いた人物が振り返る。そこには、玄関先の養母にベリーを渡す私を救ったはずの憲兵がいた。

 嗚呼、それからのことはよく覚えていない。後はただスラムでその日その日を生き延びるべくなんでもしていた。盗みも殺しもした。その手腕を買われてハートの海賊団に入ったが、誰かに頼ることはしない。絶対に裏切られるだけで、信頼だなんて弱いやつのすることだ。女として見られて性の吐け口にされるなんて真っ平御免だ。だが捨てることのできない性が憎い。憎くて仕方ない。男に媚び諂って女という性を振りかざして枝垂れかかるなんて吐き気がする。そんな弱者に私はならない。私は、自分の足で歩んでいくのだ。





「……お早う、寝覚めは如何だ?」
「最悪ね」


 浮上した意識はハッキリとしていた。朦朧した霞さえ残す暇を与えないように私がこの船で一番嫌う男の顔が映ったせいだ。イッカクと私だけの部屋に何回入るなと言えば気が済むのか。


「そりゃ魘されていたからな」
「覚えていないわ、アンタの顔を見たせいでね」

 
 深呼吸をいくつかすると自分が汗ばんでいることに気付いた。タンクトップだけでも変えようか。額に張り付いた前髪を優しく払う指先を叩き落として上体を起こした。視線で用件を尋ねると、幾分緊張した面持ちのペンギンが固い声を出した。


「ここら辺は海軍の縄張りだ。加えて岩礁が多くて潜行し続けるのは危険だ。幸いレーダーには三隻しかかからない。浮上後戦闘、勝敗に関わらず速やかに離脱を図るとのことだ。総員戦闘態勢を取れとキャプテンから言われて起こしに来ただけだ。シャワーを浴びせる時間がなくてすまないな」
「なら、着替えるから早く私の視界から消えてくれない? それともそういう趣味をお持ちかしら?」
「まさか。だが、大丈夫か。顔色が良くない」
「うるさい、心配無用」
「……成る程、合点がいった」


 いつまでも出て行かないペンギンに殺気を飛ばしたというのに、この男は動じないどころか納得がいったように手を合わせた。船長命令の急ぎの仕事が入っているはずなんだけどな。私が殺してしてしまわなくても、深手さえ負わせれば後は海軍が仕留めてくれるだろうか。


「ずっとニイナが俺らを拒絶し続ける訳を探っていた」
「なんだっていいでしょ」
「寝言で言っていたぞ。《やめて、裏切らないで》」


 カッと、自分の瞳孔が開いたのが分かる。振るったダガーがまるで読んでいたかのようにペンギンの愛銃に阻まれる。気配なんてしなかったろうに、頚動脈を確実に狙った刃先がどうして分かったんだろう。


「最初は海賊をやっていく上で女だから弱い奴と見られるのが嫌だと思っていた」
「……そうよ」
「それにしては何年経っても俺達を信頼さえしない。いつも一人で突っ走って怪我して治療して。いつか早死にするぞ」
「放っておいてよ」
「裏切られたくないだけだったんだな、ニイナ」


 緩く笑むその男の一言に、血が沸き立ったような怒りが込み上げる。この男は、何を言っているんだろう。この男が、何を知っていると言うのだろう!


「さっきからうるさいな!アンタに私の何が分かるって言うの! 芽生えた期待さえすぐに摘まれる絶望が!人間としての尊厳を奪われる屈辱が!助けを求めても裏切られるだけの失望がーーーアンタに何が分かるのよ!!」


 怒りに任せたままにダガーを振るう。めちゃくちゃな軌道のそれをペンギンは軽々と往なしてみせる。それが悔しくて煩わしくて、やり場がなくなった慟哭が私の中で反響する。


「出てって! もう私に関わらないで!!」
「……ああ、そうするとしよう。だが、ニイナ。これだけは覚えてほしい」


 壁に刺さったダガーをペンギンが見遣って、私が次の攻撃を仕掛けないとわかると彼も銃を仕舞った。それから、あり得ないほど慈愛に満ちた声で私を撫でた。


「少なくとも船長も、この船にいる奴らも、勿論俺も。お前を裏切ろうとは思っていないし信頼してほしいと思っている。ほんの少しでいい、背中を預けろとか甘えろとは言わない。例えば敵の凶弾を弾くとか美味しい食事を共にするとか、ちょっとした馬鹿な話を聞いてほしいとか。ほんの些細なことで構わないから、許してほしい。ただ、それだけだ」


 なんで、そんなに優しい声で。こんなにも拒絶ばかりする私を受け入れようとするのよ。
 閉じられた扉をただ呆然と見つめる。それが歪んで見えて、怖くなった私はその場にしゃがみ込んだ。頭と瞳が熱い。ぼたぼたと丸い水分が床を濡らしていく。何がそうさせているのか、分からない。何が私の根底を揺さぶっているのか、知りたくもない。いらないよ、そんな無償の愛なんて。裏切られるだけだ。頼ったら最後、きっと船長も仲間もペンギンも弱い女は置いていってしまう。
 ずっとそう思っていたのに。
 知ってしまった。今まで目を背けていたこと。
 彼らは私を理不尽に殴らないし、性的暴力を振るわないし、娼館に売り捌こうとしないし、裏切らない。仲間として、ニイナとして私を見てくれている。みんなは待っていたのだ。私が隣に並ぶのを。躓いたら手を差し伸べるのを。私が見ないフリをしていただけで、本当は、もっとずっと前に迎え入れられていたのだ。
 ただそんな簡単なこと、私は意地と恐怖で防壁を作って見ないフリを続けていたのだ。それが今日、優しく笑う一人の男によって亀裂が走り崩壊する。





 三隻もの海軍を相手をするのは骨が折れる。一気に浮上した後、船長とペンギンが一隻を沈めた。最低限足止めをできればいいので船体に傷を付けることが優先される。持っていたダガーで海兵を切り裂いて、手榴弾のピンを抜いた。それを高く放れば上手い具合に敵船にそれが潜り込んでくれた。派手な爆発音に乗じてシャチに襲い掛かる海兵の頚椎にダガーを突き刺す。


「大丈夫、シャチ!?」
「お、おう……ありがとな、ニイナ!」


 いつもより視界と思考がクリアだ。ツインダガーを引き抜いて海兵の重い一撃を受け弾き飛ばされる力を利用し後ろに転がれば、船長の長刀が海兵を真っ二つにした。前なら私ごと真っ二つにした後にくっつける船長が少し驚いた。それも一瞬ですぐに悪どい笑みに変わる。


「戦い辛そうじゃねェか、ニイナ」
「そう思いますか。いつも以上に視野が広い気がします」
「いい動きだ。突っ込むだけじゃなく守ることも覚えたか。昨日までは前しか見てなかったくせにな。ペンギンとなんかあったか」
「……なんで知っているんですか」
「俺の船で起こっていることを、俺が把握していなくてどうする」
「答えになっていません!」


 低い体勢のまま勢いよく海兵に飛び掛かって頚動脈を狙う。首は一撃で仕留められるから簡単でいい。三人抜きをしたと思ったら、一瞬で船長の隣に戻される。振るったダガーを鬼哭で受け止めた船長が今世紀最大の不敵な笑顔で言った。


「彼処まであのペンギンが執着してんだ、気づかない方がおかしい」
「……は、」
「おら、行ってこい。十分後には離脱する」


 薄い唇がシャンブルズ、と象ると私はいつの間にかポーラータングに戻ってきていた。今いた戦艦は船長によってバラバラに斬られた。自船には思ったより多くの海兵が乗り込んでいて、交戦をしている。負傷者も多い。ダガーを握り直して、私もそれに混ざる。
 敵の血潮を浴びながら、考える。確かにペンギンはなぜ、私に執着するのだろうと。皆と同じで遠巻きに眺めるわけではなく、拒絶すればするほど近くに寄って来る。その理由を知りたかったから、というには少し動機が薄い気がする。好奇心、探究心、知識欲、興味、なんとなく。なんだか、どれもがしっくり来なくて不覚にも考え込んでしまう。だから、敵の隙間から見えた銃口に反応が遅れてしまった。


「ーーーッ、う!」


 太腿を撃ち抜かれてその場に派手に倒れ込んだ。震える足は暫く使い物にならない。端に寄らねば仲間に踏まれるか流れ弾に当たってしまう。上半身を起こすと私を撃った銃口が真っ直ぐこちらを見据えていた。


「ニイナ!!」


 ーーーもし、唯の執着心で私に近寄って来るならこんな行動を取れるのだろうか。
 横から飛び出してきたペンギンを撃ち抜く鉛玉。弾け飛ぶ血液が太陽に黒く輝いた。


「ペンギン!」


 私が叫ぶと同時にペンギンの愛銃が火を吹いて、私とペンギンを撃ち抜いた海兵が倒れる。周りの喧騒が聞こえない。肩口を抑える彼のツナギが真っ赤に染まっているのを見れば、言い様のない感情が込み上げる。


「骨も急所も外れている。弾も貫通した。そんな顔をするな」
「……なんで、よ」
「お前がシャチを庇ったのと似たような理由だ。出来たじゃないか」


 痛いはずなのに。焼けるように熱いはずなのに。彼は痛みさえないように嬉しそうに笑った。私はそれが信じられず、眉間に皺ばかり寄る。


「……あれは違う、目の前に敵がいたから……」
「理由はなんであれ救ったのは変わりないさ」
「……見返りを要求する気? それとも女で弱いから庇ったわけ? そう思うならやめてよ。私は弱くも女々しくもあるつもりはない。守られる度に弱くなる……!」
「おいおい、人を下心ありきのように言うなよ。……まあ、全くないわけではないがな」


 信頼を寄せても裏切られては養父の二の舞だ。女だから、という理由なんて糞食らえだ。私は性を盾に生きるつもりはない。その帽子に普段は隠れている瞳を下から直接睨み上げれば、彼は笑った。いやらしさのない、ただ瞳が優しく弧を描くだけの柔い笑み。


「そう睨むなよ、好きな女は守りたいもんだろ」
「…………え、」
「これだけ気に掛けても気付いてないとは思ったが、まさか本当に気付いていないとはな。まあいい。これからじっくりと口説くからな」
「……え、え、うぇえ!?」


 変な声が出たのは不可抗力だ。まさか頬を撫でられた後にやや乱暴に抱き上げられるなんて誰が思っただろうか。確かに私は歩けないけど、肩を負傷しているペンギンにこれは荷が重いのではないだろうか。物理的に。


「や、やめっ……お、お、降りる!」
「こら、暴れるな。もう退避するはずだからな、ここは他の奴らに任せて俺らは先に医務室に行くぞ」
「一人で歩ける……!」
「嘘つけ。《信頼》を覚えた後は《甘える》ってことも覚えておけ」


 彼にあれほど忌み嫌っていた女扱いをされても私の中に嫌悪はない。ふざけるなと振るった腕を掻い潜ったペンギンの頭が近づいてきて、唇同士がぴったりと重なる。築き上げてきた壁が、壊れる音がする。

 ああそうか、私はこんなにも彼に大切にされている。


「お前は確かに強いし一人でも戦える。だが、俺の前では弱い女として生きてくれても構わないぞ」


 今までその信頼と弱者であることにいくつも裏切られてきた。私は生涯それを捨てられないだろう。なら、彼に預けてしまうのも悪くないのかもしれない。とりあえず、彼の甘言がどれほどのものなのか下調べしてからになりそうだ。



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