小説 | ナノ




 また今日も始まった。そう溜息をつくのは俺だけのものではない、この船の中の仲間全員がそう思う事だった。どうして彼等はまともなお付き合いというものができないのだろうか。
 突然だがうちのキャプテンと薬剤師のニイナは付き合っている。男同士だがまあ、当人達がいいなら、と俺たちも賛成している公的なものだ。
 しかしそれに一つ問題があった。


「ああ、悪ィ。手が滑った」


 全くすまないと思っていないその愉快そうな声と悪どい顔のうちのキャプテンと、海に落ちたニイナが睨み合うその少し前から現状を説明しようと思う。

 「総員乗り込み完了、出発」の合図をベポが声高々にした一時間後のことだ。見える周りは海だらけだが、あと半日もすればまた島に辿り着くらしいと聞いたことを思い出した。一応航路のことについてキャプテンに話をするべく向かった甲板で、シャチとベポが欄干に凭れるキャプテンに今しがたいた島で見たマジックについて熱弁している所だった。


「いやー、本当凄かったんすよ!あれは!」
「大っきい剣で箱の中の人間をグサグサは刺していったり、消えたと思った人間が奥にある箱から出てきたり!」
「もうベポと二人で興奮しちゃって!キャプテンにも見せたかったですよ!」
「……どうせそういうのには仕掛けがあるんだ。わかった上で見るなんざ面白くねェだろ」
「わかっててもどうやってんのかさっぱりッス」
「……わかんなくて、ごめんなさい……」
「謝るなよっ!!」


 しょぼんとしたベポを慰めるようにシャチが厚い脂肪をバンバン叩くが、逆効果だと思う。俺がキャプテン、と呼ぶと彼は顔を上げたが、そのタイミングで嫌なことを考えたらしい。その顔が何か楽しいことを思い浮かべたように凶悪に歪む。


「……そうだなぁ、ベポ。これならお前も仕掛けがわかるマジックがある」
「えっ!?本当、キャプテン!?おれ、見たい!!」
「……嫌な予感がするのは気のせいかな、ペンギンさん」
「……奇遇だな、俺もだシャチさん」
「ROOM」


 ぶわりと薄青い被膜がキャプテンを中心に船全体に広がる。それが広がりきった時にいつもの帽子をやや後方に放ると同時に非情な「シャンブルズ」の掌が返された。
 帽子の代わりに現れたのはコーヒーブレイク中のニイナのだった。優雅に足を組んで丁度カップから指を離してクッキーを摘んだ体制のまま、ニイナは海へ落ちていった。


「「「ニイナーーー!!!」」」


 男二人とシロクマ一匹の悲鳴と豪快な水飛沫のBGMに頭上を飛び交っていたカモメが散った。それに隠れて喉の奥でひっそりと笑ったキャプテンを俺は見逃さなかった。幸い、能力者ではないニイナは沈むことなく海面に上がってくることができたが。
 ーーーそうして冒頭へと繋がるのである。


「……へぇ、我がキャプテン様も随分抜けてるんだな」


 ベポが投げた浮輪を頼りに甲板へと濡れ鼠のニイナは足をつけた。貼りつく前髪を掻き上げて不快そうな瞳が一瞬、細まる。これは、ニイナのガチギレの合図だった。
 ところで、こんな喧嘩ップルである我がハートの海賊団きってのトップ2、ニイナという男は大変温和な紳士だ。海賊なんて似合わないほど良識に溢れて実年齢以上に落ち着き払って慌てず騒がず、しかし仲間が危険に陥ると鬼気迫る様で敵を蹂躙する強さと熱さも持ち合わせている。
 スタイルも良く、艶消しのボルサリーノと皺のないスーツが彼を紳士然とさせている所以の一つでもある。まさに男女ともに惚れ込む人間だ。顔も良し、性格も良し、申し分ないイイ男。仕草がどこか女性的な部分がありそこはかとなく煽情的だ。おかげで島による度に女に言い寄られている。それをニイナは手酷く扱わず、キリの良いところで上手く躱している。それが女とキャプテンを思ってのことだと俺らは知っているのだ。更に島で働けば薬剤師は高級取りだ。頭も良い。
 そんな大変紳士的で非の打ち所がないニイナに、何が不満なのかわからないがトラファルガー・ローは突っかかる。付き合った自覚があるならそんなに喧嘩することないのに。


「だから悪いって言ってんだろ。たまたま、うっかり、間違えて、しまっただけだ」


 ニヤニヤと悪びれもなく一句ずつ区切って言うあたり確信犯だと思う。どこをどうやったら間違うんだと言ってやりたいのだが、言ったら今度は俺がダイブする番である。
 いつもキャプテンの方から理由なく何かと突っかかってそれを優雅に流すニイナと、稀にニイナの方から挑発して始まる喧嘩ップル振りはもうハートの海賊団名物だった。主に迷惑な方の。


「水も滴るいい男じゃねェか、ニイナ。今日は少し暑いくらいだと思ってたんだ。お前のそのスーツが視界の端にチラつく度に船内の温度が上がる気がしたんで丁度よかったよなァ?」
「……ああ。まあそろそろ夏島も近いし新しいスーツを調達するのも悪くはないな。だがそこまで言うほど暑いか?」
「……これは止めた方がいいですかね、シャチさん」
「……もう手遅れかもしれませんね、ペンギンさん」
「そんなに暑いならいい方法がある。一緒に涼もうじゃないか」


 ニイナの反応を見て楽しんでいたキャプテンのパーカーの胸倉を、ニイナは掴んだ。突然のことに力が入っていなかったキャプテンはその拳を振り下ろすニイナの為すがまま、地に叩きつけられるような姿勢で、海に落ちた。二人で。


「「「キャプテンーーー!!!」」」


 何してんだニイナ!キャプテンは能力者だぞ!!
 そりゃニイナがいればキャプテンが溺れることなどないかもしれないが、突然の振り切った奇行に俺らは揃って欄干に手をついた。それと同時にキャプテンを担いだニイナが浮上した。潮水に力の抜けたキャプテンはされるがままに、その頭に自身のボルサリーノを被せるニイナの顔はどこか清々しそうだった。


「……てめェ……」
「どうだ?少しは涼しくなっただろう」


 覇気がないとはいえその地を這う低い声に、あっけらかんと返すニイナが放り出したままの浮輪に捕まる。梯子を伝ってきたニイナの肩にいるキャプテンの顔は極悪そのものだった。俺ならその顔を向けられた瞬間逃げる。
 というか、忘れそうになるがこの二人は恋人同士のはずだ。


「……覚えてろよ、ニイナ」
「無様にずぶ濡れなローをか?ああ、確かに水も滴るいい男だな。覚えておこう」
「バラす」


 脅しでもない直球の殺意の篭った言葉はニイナには刺さらなかったようだが、流れ弾を食らったシャチが短い悲鳴を上げてベポの後ろに隠れた。
 なあ、あんたら付き合っているんだよな?


「ごめんな、ペンギン。ちょっとローと風呂入ってお仕置きしておくから、甲板の掃除は任せてもいいか?」
「……程々に、な。敵襲があったらどうする」
「俺がいるだろう、任せておけ」


 ニヒルに笑みを零したニイナがひらりと手を振って船内に消えた。格好いいぞ、馬鹿野郎。
 しかし先にやられたとはいえ、自分の恋人を海に叩き落とすだろうか。彼等の感覚にはイマイチ付いていけない。俺の認識が違うだけで、世の中の恋人達の戯れはそんなものなのだろうか。片割れを陥れたり命の危険に晒すことが愛情表現なのだろうか。

 ーーーいや、ない。



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