小説 | ナノ


「───昨日関わった奴は分かっているかもしれねェが、コイツは海軍ではあるが俺の昔馴染みで病人だ。暫く船に置く」

 翌朝。食堂兼ミーティングルームのような場所に連れられ、クルーの視線を総取りしている状態だった。周囲には緊張感のような薄い静寂が走る。それがトラファルガーのカリスマ性を物語っているのか、それとも私の肩書きのせいなのかはわからなかった。

「……質疑の許可を」
「許可する」

 赤いポンポンが付いたパイロットキャップを被った男性が手を挙げる。落ち着いた態度の裏に隠された疑念が私の緊張を煽る。

「病人とのことでしたが、病名は?」
「詳細は伏せるが感染性のものでもないし、体調に急激な変化が起こることはまずない。詮索は無用、主治医は俺だ」
「了解しました」

 いくら患者の守秘義務があるとはいえ少しだけ有無を言わさない彼の一言に、男性が不服を上澄みで隠した首肯を返す。続いて上がった手の先はカラフルなキャスケット帽を被ったサングラスの男だった。海風で傷んだやんちゃそうな茶髪が主人のガラの悪さを加速している。

「仕事や戦闘はどうするんスか?」
「仕事は新人と同じように振れ。戦闘については───」

 隣に立つトラファルガーがチラリと目配せをしてくる。感情がない虹彩だった。ただ淡々と現状を確認していく作業で、そこに私情や思想は投影されていなかった。

「……商船や海軍の戦闘には参加しません。海軍が海賊の船に乗っていると分かったら大事になりますし」
「人質という体ではどうだ?」
「人質が戦闘に参加するわけないじゃないですか。なので、参加するとしたら対海賊戦のみです」

 働かざる者食うべからず……どこの国かは忘れたが、タダ飯食らってのうのうと滞在しようとは思わない。もちろん前途のように素性がバレてしまったら裏切りの烙印を押され、この船もろとも沈められてしまう。それ以外では比較的協力はしていくつもりだ。そんな理屈で隠し通した私が海軍であるための薄っぺらい正義を察した人間はいるだろうか。
 しかし、我々は海賊と海軍という相反する立場にいる。必要最低限、馴れ合うつもりはないという意思表示のために口角は常に下げていた。

「他は?」
「反対意見は聞いてくれないんですか?」

 バンっと硬い木を平手打ちする音がして僅かに肩が跳ねてしまった。音の発生源を見ると、この海賊団の紅一点である女性がこちらを睨め上げている。周囲にいる数人もあまり好意的な視線を向けてこないあたり、彼女と同意見の人間は少なからずいるのだろう。そりゃ賛成意見だけではないだろうと思っていたが、こうまで強い拒絶をされると少し傷付く。

「我々が肩書きだけで敵対し、その姿を見れば逃走か襲撃かをする集団を知っていますよね?」
「もう一度コイツの肩書きから話した方がいいか?」
「昔馴染みという私情で目が眩みました? それともそこまで強引に引き入れたい理由でも?」
「はっきり言え」
「敵である海軍を懐に入れるなって言ってるンすよ」

 女性もトラファルガーの頑としない態度に語気が荒くなっていく。勿論彼だって馬鹿じゃないのだから彼女の言わんとしていることくらい理解しているだろうに。どうしてこうも逆撫でしていくのだろうか。

「その女がなんらかの手段で通報して、この船の場所がバレたらどうするんですか。裏切りの危険因子ですよ」
「なら見張れ。満足するまでな」
「船長!」

 彼は女性の怒号にも怒気にも屈せず、一貫して平坦な温度の眼差しを向けたままだった。女性も負けじと睨み返すが、その静かな戦争を誰も止める者がいない。上下関係があるためそれ以上はないだろう。しかしそれでも行き過ぎた行為だと諌める者はいないのだろうか、この海賊団には。
 先に折れたのはトラファルガーだった。やはり長という肩書きを持つ以上、仲間内でのいざこざは避けたかったようだ。いや、トラファルガーなら確かに曲げないところもあるが、折れても良い理由が彼の手中にある。その言葉を表すように能力でその手のひらに理由≠呼び出した。それを強く指先で撫でれば、何とも言えない違和感に苦しくなって胸元を抑えて蹲ってしまう。

「うっ……」
「これなら満足だろ、イッカク」
「……アイアイ、キャプテン」
「船内では自由にさせるが、それ以外の範囲では制限を設ける。異論はないな」

 私の呻き声と苦しさの滲んだ吐息を忌々しそうに一瞥して、彼の手に持つそれが本物だと認めた彼女は荒々しく席に座った。視界の端に映るのは脈打つ赤い臓器、私の心臓だった。事前に説明されていても見慣れない。今朝起きた後、クルーに紹介する前に担保が欲しいと言っていたのはこういうことだったかと一人で納得した。確かに交渉であれ脅迫であれ、これほど人を黙らせられる担保はない。

「他に質問はないか」
「じゃあオレ、最後の質問していい?」

 能力で心臓を再び自分の部屋へ移動したトラファルガーが周囲を見渡して問う。それに続いてオレンジ色のつなぎを着た白熊が手を挙げた。……シロクマ?

「お姉さん、名前教えて?」



「ニイナ、こっちが操縦室」

 シロクマことベポが扉を開けてくれる。部屋の中はこじんまりとしていた。帆船と潜水艦の違いは大きく、説明されてもよくわからない。まあ、私もあまり船に乗ることはなかったが。

「この潜望鏡で覗いたり、ソナーでデータを取って運航するよ。今は海上を進んでいるから帆船とあまり違いはないと思うけど、これから見せれたらいいな」
「そうね、ありがとう」

 船内をくまなく紹介してくれた航海士の腕を軽く叩くと、嬉しそうに腰を屈めて頭を差し出してきた。大型の動物のような毛並みを撫で揃える。気を良くしたベポと共に船内に戻ると、待っていましたというようにシャチが手を上げ少し先で佇んでいる。

「じゃ、オレはこれで」
「うん、案内ありがとうね」

 軽く手を振り合うとベポは航法室に入って行った。その扉が閉まる直前、チラリとトラファルガーが電伝虫片手に誰かと話しているのを見かけた。これから針路を話し合うと言っていたが、私は部外者だから参加することはないだろう。閉ざされた扉がそれを表している。
 だから前を向くしかなかった。数名は海軍の私が船内に踏み込むことを許している。彼のクルー達は許容と否認が半々と言った所だ。

「よっ、どうだった?」
「思ったより広いんだね、潜水艦って」
「悪くないだろ? 休憩がてら食堂に行こうぜ」

 隣のシャチと並んで廊下をまっすぐに進む。その先の階段を下れば食堂だ。それまでに居住エリアを通るが、手前の物置の一角に私の部屋を作るということで片付けに追われていたはずだ。

「部屋の具合はどう?」
「もう終わったぜ。食堂行く前に見ておくか?」

 シャチが親指で階段より手前を指し示す。それに頷いて同行をした。扉を開けると手前に椅子と小さなテーブルがあり、娯楽用品や資材が積み重なっている。本当はそういった娯楽施設や共同物置を兼ねていた部屋だ。その奥に簡素なパーテーションで仕切られてベッドとチェストが隅に置かれていた。捕虜や奴隷の扱いよりは好待遇だ。

「服は暫く俺らのお下がりになるけど、我慢してくれ」
「いいよ、貰えるだけでも助かるし」
「次の島に着いたらちゃんとしたのを船長に買ってもらえよ」
「なんでトラファルガーに……」
「幼馴染なんだろ? 詳しく聞かせてもらうぜ」

 ニヤリと笑ったシャチに肩を組まれる。なるほど、それが本命か。
 食堂に入って席に座り、少し待つとシャチが私の分のコーヒーと一緒に一人分の昼食のプレートを持ってきた。魚介のアラビアータとミモザサラダの彩りの相対性が眩い。

「あれ、お昼早くない?」
「俺この後見張りと掃除が入ってるからな。入れ替わりでペンギンが来るはずだから相手して貰えよ」

 子供じゃないんだから、別に一人でも行動できるのに。彼らは海賊はしかぬ情を持っているのか、それとも目新しい玩具で遊んでいるだけなのか。口の周りを真っ赤にさせながらサングラスの奥から興味津々と言っている瞳を光らせるあたり、後者かもしれない。

「それで、話してくれるだろ?」
「期待に応えるような過去はないよ。十歳くらいで生き別れたわけだし、そんなに覚えてないし」
「それでもなんかいいエピソードの一つや二つくらいあるだろー?」

 ううん、と幼少期の記憶を遡る。皆よくあることだろうが、そんなものは鮮明に思い出せない。靄が掛かったような、夢心地のような。そんな不安定で不確かなものだ。匂いも、温度も、声も、色も褪せてきている。思い出すためのワンショットの時間さえ短くなっていく。

「同じ学校だけどそこまで親交はなかったよ。でもサボってたトラファルガーに声をかけたのが始まりだったかな……」
「甘酸っぺぇ青春時代か!」

 それが聞きたかった! とシャチはフォークを握り締める。確かにトラファルガーは自分のことあまり話さなそうだから、こういう話は貴重だろう。しかしここからこれといったエピソードが思いつかず、話を逸らすことにした。

「シャチはトラファルガーとは長いの?」
「ああ、俺とペンギンとベポは十年ちょっとの付き合いだな」
「そりゃ私よりも長いね」
「嫉妬しちゃう?」

 冗談を乗せたニヤリとした笑い方。シャチは無遠慮に見えて意外と人を見る目がある。どこまで踏み込んで、どこまで揶揄ができるのか。それによって人の懐にするりと入ってきて、気付けばこうして数年来の友であると錯覚させられる。
 そしてその友は私の錯覚よりも現実で長く彼を支えているという。それだけ長くいれば彼の仏頂面の機微すら把握できるだろう。私は朧げな記憶の幼少体より、そちらの方が羨ましいのではないかと思った。だがこれを嫉妬というには、日も仲も浅い。

「まさか」
「よっ、何の話してるんだ?」

 鼻で笑ってやると、もう一人の友が近付いてきた。片手を上げて、穏やかな笑みを象っている。目深に被った帽子で目元を見ることはなかなかないものの、好青年と呼ぶに相応しい男だった。

「げっ、もうペンギン来たのかよ!」
「早く掻き込めよー。交代先のクリオネが怒ってたぞ。ニイナ、おかわりいるか?」
「あ、じゃあお願いしようかな」

 笑いながらシャチの肩を叩いて、もう殆ど残っていない私のマグカップを攫って行った。コーヒーサーバーから注ぐ音と共に匂いが微かに届く。少し待てばペンギンも隣に座ったが、シャチが喉を詰まらせて胸を叩くためにすぐに立たざるを得なかった。グラス一杯の水を持ってきて何とか飲み下すまで介抱してやるも、今度は咽せたために背中を叩いてやる。

「慌てて食うからだ、馬鹿。片付けはしてやるから早く行け」
「うるせー! ありがとよ!」

 口の周りを乱暴にナプキンで拭って走り去るシャチのトレーを片付け、騒がしくて悪いと困ったようにペンギンは笑った。このペンギンという人間は世話焼きで面倒見がよく、気遣いもできる男だと思った。人との距離感を適度に保ち、気を使うことなく接することができる。シャチとは相対的だが、どちらも気兼ねなく話ができる。私を海兵だという名目の拒絶を取り払い、同居人のような気軽さで歩み寄れるが、友というにしては現実の年月がそれを許さない。

「トラファルガーとは長いって話をしてた」
「ああ、旗上げの話か?」
「旗上げ?」
「そう。船長と出会う前からシャチとはツルんでたが、ある日何も上手くいかなくてたまたま通りがかったベポに八つ当たりしてたんだ。そこを船長にコテンパンにされてな。それから縁があって数年後、四人で旗揚げしたのさ」

 ふぅん、と適当に相槌を打った。私の記憶にある幼い彼は、私の想像を絶する耐え難いほどの苦痛と辛酸を舐めてきたのだろう。きっと何事もなかったら彼は父の跡を継ぐはずだっただろうし、私と再会しても拉致なんてしなかった。あの不遜な眼差しはあそこまで隈に覆われず、冷たくならずに済んだのかもしれない。ありもしない未来線はぼやけてしまって、昨日の彼だけが残っている。ただ、どんなに運命が枝分かれしてしまっても、彼の心根は優しいままだと思う。

「それで?」
「えっ?」
「俺らが知るよりも前の船長知ってるんだろ?」
「ほんの子供の時だよ。そこまで仲良かったわけじゃない」
「またまたぁ。あの船長が治療のために海軍を船に置くなんて、よっぽど思い入れがあるってことだろ?」

 思い入れとはなんだ、と眉を顰める。ただの昔馴染みを放っておけない、以外に彼が情を抱いているとは考えられない。少なくとも私は。人の心の奥底なんて見えやしないし、十年以上連れ立っているペンギン達もわからないならお手上げだ。
 本当に知らないとわかったのか、ペンギンが肩を竦める。緩く頷いてみせて、コーヒーを口に含んだ。厨房から調理の匂いが届く。何かが炒められているのか、油の弾ける音が聞こえてきた。まだお腹が空かない。あまり動いてないからだろうか。ガレオン船と違って潜水艦の中は無機質で狭い。動きも最小限になるから体が鈍ってしまいそうだ。
 ペンギンと緩くお喋りしながら調理の音楽を楽しんでいると、階段からドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

「おいベポ、食堂近くは走るなって言ってるだろ」
「ごめんなさい……。でもペンギン、インク溢しちゃって……」
「またか? モップ持ってってやるから拭いててくれ。あー、ニイナは……ベポの手伝いしてくれるか?」
「了解」

 一瞬ペンギンが言いあぐねた所を見て、その理由がわからずに首を傾げた。私がどちらについた方がいいのか迷っているようでもあったが、それだけじゃないような。しかしそれ以上考えてもいまのところ埒があかないため、大人しくベポの背をついていった。インクが乾いてしまうとよろしくないのか急足になっている。歩幅の違いで殆ど走るような私に目線は下ろしてくれない。

「インクを溢したって、何をしてたの?」
「海図を書いていたんだ。でも俺ペン持つの下手だからいつも失敗しちゃって……」
「確かに持ち辛そうだよね」

 五本の指があれど人間みたいに長いわけでもないし、肉球があるから握りしめられない。彼もよくこの子に航海士の仕事を全て背負わせているな、と思った。本能の性で天候の把握は人一倍敏感だとしても、海図は誰かに書かせた方が良いのではないか。そんなこと言ったら余計なことだと怒られそうだから思うままに留めた。
 数時間前に通ったばかりの航法室に入る。確かに目の前の机は黒い液体に塗れて、床まで浸食している。インクの臭いがツンと鼻に届いた。慌てたのか色々な紙の束やコンパスも床に落ちていて、よくよく見たらベポの体にもインクが所々付いていた。

「あっ、雑巾忘れた! 俺、取ってくるから待ってて!」
「はいはい」

 まだ気が動転している白熊は元来た道を戻っていった。手持ち無沙汰になった私はとりあえず床に落ちたものを拾って、インクの付いていない無事な机に避難させる。筆記用具をかき集め、倒れた中身のないインク壺も念の為直立させた。いくら慌てていたとはいえ、よくここまで散らかせたものだと感心するほどだった。
 丸まった紙の束を小脇に抱えた所で、部屋の一ヶ所に目が止まる。電伝虫だった。よく電伝虫は所有者がわかるように装飾されていることが多く、このハートの海賊団に所属する電伝虫も同様のようだった。小さな帽子が乗って居眠りをしている。その帽子はこの船の主と同じ柄で、突けばふわりと柔らかなボアに指先が埋もれた。心なしか閉ざしたその瞼の下に隈があるような気がする。
 そこでふと思い出した。私は彼に拉致も同然に連れ去られたことを。何の連絡もなしに出てきてしまった。何事もなければもう既に本部に着いている。後輩が連絡してくれているかもしれないが、念の為私からも連絡するのが筋ってものだろう。近場にあった丸椅子を手繰り寄せ、紙の束を片手で持ち直した後に受話器に手を伸ばす。海賊船にいることは誤魔化すつもりだが、長期療養の許可と代理となる人間の手配を頼むつもりだった。受話器を手に取り耳に当てると無機質な音声を電伝虫が口遊み、通話可能なことを知らせる。肩で挟んで固定し、ダイヤルを回そうと指先を寄せた。

 ─────────ダンッ!!

 最初に感じたのは音の風圧で、咄嗟に悲鳴が出なかった代わりに受話器を肩から落とした。その衝撃で電伝虫が動き、音の根源にぶつかって止まる。机に深々と突き刺された大振りのダガーナイフだった。

「……悪いなァ、ニイナ」
「ッ……!?」

 静かでこちらを宥めるような静かな声だったのに、その裏に隠された威圧感で空気を吸うのに失敗して喉が鳴った。いつの間にか背後を取られている。その人間から殺気が放たれていないことはわかっているのに、どうしてもそのおどろおどろしい空気のせいで背中に冷や汗が流れた。穏便に注意するわけではないのは、そのナイフを見れば明らかだった。

「船内で自由にさせろとは言われているが、連絡を取っていいとは言われてないんでね」

 先程も聞いた声がまるで別人のようだ。だから確かめようとするも、体が動かない。いや、確かめなくても頭の片隅ではわかる。冗談混じりに会話していた男だ。だからこそ忘れていたのかもしれない。往年の友と言う肩書きは私の中での錯覚に過ぎなかった。彼は海賊で、私は海軍ということを。許容はしても、その範囲は限定的なのだと。

「……しゃ、ち……」
「びっくりさせて悪かったな」

 電話線を手繰り寄せ、見せつけるように受話器を置いた。口先だけの謝罪は優しく、二度と同じ真似をするなという含みを持っていた。幻覚の黒い霧が視界を奪い、寒気を連れてくる。彼はそんな私に心配を投げかけるわけでもなく、親切に恐怖を擦り込んでいった。気付けのように肩を叩き、ナイフを抜く。その金属と木材の擦れる音が耳障りで、今はここにない心臓が鼓膜の奥で鳴り響いた。



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