小説 | ナノ


「人を殺したことのない手だ」

 今日はツイていない日だった。最近キャプテンの首の値が毎月のように更新され、この島に上陸してから白い目で見られることが多くなった。それ自体にはもう慣れきっていたし、キャプテンもどこ吹く風とばかりに澄ました顔をしていたからクルーの私たちは慌てることはなく、最低限の外出のみにしてログが溜まるのを待っていた。
 裏通りを通って珍しい薬草を見に行く途中だった。数日前に買い出しから帰ってきたシャチがサンプルを持ってきて、それをレアなタイプの薬草だと判断したキャプテンは私を引き連れて外出した。そして日の当たらない裏通りを通っている道半ばのこと。見るからに一般人です、とは言えない格好をした男数人に行手を塞がれ、帰路もまた塞がれる。名が売れる分、妬まれるのも有名人の付随物だろう。その余計な付き物という名の賞金稼ぎ達がこうして日夜関わらずアポ無しで訪問してくるのである。適当な口上と確かな目的と自信、両者ともに引く気がないことを確認すると、全員が同じタイミングで得物を抜いた。
「多いですね……やれますか?」
「誰に言ってんだ」
 キャプテンがサークルを展開した瞬間、私は背後に回って突撃してくる男の膝を撃ち抜いた。戦いの火蓋は切られ、金属音や発砲音の合間に野太い雄叫びが混じる。
 腕は立つらしく、拮抗する狭い路地裏での戦闘に私もキャプテンも消耗していた。その機会を狙っていたのか増援が現れ大きな木樽がいくつか私たちの頭上へと放られた。どうせ賞金稼ぎのグループが結託しただけの寄せ集めだろう。頭数揃えただけでこんな大雑把な作戦に私たちが引っ掛かるはずがない。火薬や油だとしたら引火する可能性があるから私は撃ち抜かない。キャプテンと左右を交換し、キャプテンが能力で全て切って糧となる。───そのはずだった。
 天から降り注いだのは、大量の海水だった。磯の匂いと塩辛い液体でそれが何かなんて、いつも身近にある手前すぐにわかる。私には何もなくとも、キャプテンにとっては毒だった。呻きながら崩れる痩身。それを狙っていたかのように背後から刺される。私の焦燥を含む悲鳴と、雄叫びを上げる外野が耳鳴りで掻き消された。
 殆ど反射のようにキャプテンを刺した男の急所すら狙うことすらせず、全弾叩き込んでいた。カチカチと軽くなった銃に漸く頭が冷えて、リロードする。誰かを守って戦うのは初めてだった。指先が凍ったように悴んで動かない。キャプテンの出血量や治療のことも視野に入れなくてはいけない。その前に、私がこの人数を倒すことが出来るのだろうか。弾薬数と逃走ルートの確保、敵の得物の特性により変化する戦い方と倒す順番。
 短くなる呼吸と回らない酸素が思考の隙間を鈍くする。体は動いているのか、頭は動かしているのか。それさえもわからなくなって、ただキャプテンを庇わなくては、という使命だけで私は体を動かしていた。受ける攻撃の数に比例して傷も増えてくる。腕や足はもちろん、太腿を撃ち抜かれてよろめいた頭上をサーベルが通り過ぎる。体勢を立て直しながら二発発砲してお返しに膝を撃ち抜いてやるが、漸く持ち堪えた体がとうに悲鳴をあげていることは気付いていた。
 ついには死角への視認が遅れて頭を棍棒で殴り飛ばされた。不意を突かれて受け身を取ることも叶わず、壁に体が打つかる。明滅して白んでいく頭を振って気力だけで立ち上がる。口内を切ったのか血混じりの唾液を吐き出し、まだ抗う私を滑稽な見世物のように嗤う下郎共に楯突くため、腰のダガーナイフを抜いた。
 再開される路地裏の拮抗戦。能力者がいないことが幸いだった。しかし数と力の差は明瞭で、自分を守るのが精一杯になってきた。前方から迫るアックスを心許ないダガーで防ぐもののいとも容易く弾き飛ばされて、路地裏に差し込むわずかな陽光に丸腰の体が晒される。まだ腰につけたバトルベルトに銃は残されている。抜こうと手を回した時に漸く気付く。すでに私は気配を探る余裕もなく、背後が疎かになっていたことに。背後から再び振り下ろされる棍棒を防ぐ手は、どうやったって間に合わないことを。
 ───ああ、ここまでか。

「……テメェ、こいつのツラ殴りやがったな」

 低い唸り声が頭上から落ちる。私の視界を塞ぐように立つ目の前の背は見慣れているのに、触れてはいけないほど冷気が漂っているようだった。静かな怒気を孕んだ声が、向けられていないはずの私の頭の芯を冷やす。
 私が抜くはずだった銃をキャプテンが握っている。白煙を吐き出すそれの矛先は背後から私を襲うはずだった男の腕を撃ち抜いていた。銃を使えることは知っていたが、こうして彼が発砲した瞬間を初めて見た。おかげで耳を劈くはずだった銃声を聞き逃し、代わりに呼吸をすることを許される。
「きゃぷ、て……」
「悪ィが能力は使えねぇ。やれるか?」
 海水に濡れたシャツと帽子を脱ぎ捨てて、ふらつく体を支えるように私と背中合わせになる。服越しに体温が重なるものの、刺された傷から血を流す痛ましい姿は私よりも重傷だ。それでもなお、矜持で彼は立っている。背中を預けられて、武器を返されて、期待されて。それに応えろとジョリーロジャーが笑うから、私も銃にマガジンを装填して撃鉄を起こした。
「サー、キャプテン」
 見えなくてもわかる。背中合わせとはいえお互いの口元に描く凶悪な笑みは、兄妹らしく瓜二つだろう。

 そうして、向かってきた敵を全て返り討ちにするまで時間はそうかからなかった。気絶した体が折り重なる路地裏で、辛うじて立っているのは私とキャプテンだけだ。そんな二人も満身創痍な体を意地で保っているだけだった。自船に帰るよりもどこかの医者を脅して医薬品を奪う方がいいと判断した私は、ついに壁に凭れなければ倒れてしまうほど疲弊したキャプテンの腕と落ちていた鬼哭を担いで、ゆったりと歩み出した。
 お前も疲れているだろとか少し休んでから行くぞなどと言うキャプテンの弱々しい言葉を無視して、力を込めるたびに撃ち抜かれた太ももから血が溢れる痛みを噛み砕きながら足を動かす。これは贖罪なのだ。命を救う手と武器と能力を持つ貴方に、奪うだけしかできない銃を握らせたばかりか発砲までさせてしまった私の落ち度の。悔しかった。それが色濃く残る現場から少しでも早く逃げ出そうとする私の弱さも全て。
 少し戻った先の曲がり角に寂れた診療所の小さな看板が見える。扉を壊す勢いでノックし、出て来た壮年のドクターに涙ながらに切羽詰まったような声で助けを乞う。血塗れの男女が唐突に訪ねて来たら誰だって訝しむだろう。だったら勢いと医療への服従心に賭けて雪崩れ込むしかない。結果、それが功を成して奥のベッドにキャプテンを横たわらせることができた。
「ありがとうございます、ドクター……。ああ、なんと御礼を申し上げたらいいものか……」
「私は当たり前のことをしているだけだ。君も重傷じゃないか、彼の処置をしている間にこれで止血していなさい」
「……必要ねェ」
 簡易なベッドのスプリングを軋ませながらキャプテンは体を起こす。側にあるガーゼや消毒薬を勝手に漁り、いくつかを手に取った後近くの丸椅子に座る。
「俺も医者だ。テメェのことはテメェでやるから、そっちの方を頼む」
「……君たちは、」
「彼の医術で路銀を稼ぐだけの旅の者です。今回は、運悪く賊に捕まってしまって……」
「……そうだったのか、それは可哀想に」
 複雑な胸中を現すような表情を浮かべたドクターは黙って私の治療を始める。私も自分の手が届く範囲は自分で処置をした。二人がかりでやれば早くに終わり、腹の傷を縫うために縫合糸を準備するキャプテンを取り残してしまった。
「自分で出来るのかい?」
「ああ」
 治療されて幾分マシになった体を動かし、血塗れのガーゼや消毒液を片付けていく。ドクターが廃棄物を裏口に片付けに姿を消すと、小さな呻き声が聞こえる。局所麻酔を入れてからの処置とはいえ、よく自分で出来るよなと思いながら頬の傷に絆創膏を貼った。流れてくる汗を近くにある清潔なガーゼで拭いて、縫合した後のために包帯を用意する。
「大丈夫ですか、キャプテン……」
「チッ……能力が使えねぇってのは面倒だな」
 海水の影響はもうないのだろうが、意図的に一般人がいる以上、大事にしたくないのはキャプテンも一緒のようだった。能力があればここまで手間取らなかったし、半分の時間で自分の体といえど処置は完了していた。体力も削らずに済んだかもしれない。流れる汗の量が私の中で募り、置いて来たはずの罪悪感が忍び寄ってくる。目の前が段々暗くなり、汗を拭うガーゼを持つ手が震える。どこの場面も振り返れば後悔ばかりで、冷える体の中心だけが熱いことが煩わしかった。いっそのこと、そこも冷え切って溶けてくれればいいのに。
「───なに余計なことを考えてやがる」
 暗闇より響いた低い唸り声にハッと前を向く。下から睨みつけるように此方を見据えるキャプテンに息が詰まる。
「こうなったのは自分のせいとか、くだんねェことを考えてるだろ」
「だ、って……」
「舐めた奴ら全員潰して、二人で生還して。これの何が不満だ?」
 ジッと真正面から金色の瞳が私を射抜く。緩やかに心臓が体温を循環させる。一つ呼吸するたびにキャプテンの言葉が私の中に溶けて、全身に巡ってから生きるための糧になっていく。勝手に許された気になった。全ての行いを肯定された気分になった。船に帰るのが正解だったとか、樽を撃ち抜けばよかったとか、そんな選択はもう選べない。彼がもう振り返るなと言うなら、背中ばかりを見ていよう。

 救いならもう、私の目の前にあったじゃないか。

「───人を殺したことのない手だ」
 パチリと縫合糸を切った音に混じって温度のない声が聞こえる。廃棄物を処分してきたのだろう。ドクターが裏口に続く扉付近に立っていた。その言葉の意図を掴みかねていたが、包帯を綺麗に巻いていくキャプテンのことを指したのだろう。
「きみは医者だと言っていたね。専門は外科かな?」
「そうだ」
「医者といえどまだ患者を死なせたことのない手をしているね。それはとても傲慢で、いつか痛い目を見る」
 その言葉に眉間の皺を深くしたのは私の方だった。確かに彼はその奇跡のような腕前と能力を持って誰も死なせたことはない。海賊という肩書きと併せて持つ医者という彼を形成する生業を体現するように、戦闘ですら殺生はしない。それはクルーにも徹底されるモットーであるし、人を救う手で命を奪うような相反する精神は筋が通らない。だから、私たちが最も尊ぶべきプライドを嘲笑われたようで気分が悪い。
「彼の手は、人を救う手だ」
「医者は皆それを言う。救うはずが殺す手になることも知らないで」
「……ご忠告どうも」
 鼻で笑ったキャプテンは包帯を巻き終えて、乾いた服を着た。そしていつものように鬼哭を担いで先に診療所を後にした。閉じた扉をジッと見据えても、私の腹の底は煮立ったままだった。
 思わず噛み付いてしまった言葉の続きはまだまだある。しかしそれのどれもが全て伝わることはないだろう。彼のことについて語るには長くなるし、こんな寂れた診療所の死に行くだけの医者の何かを変えようとも思わなかった。一つ、息を吐く。いらない言葉を脱ぎ捨てていって、彼の矜持だけを訂正したい。
「確かに彼は患者を死なせたことはない。これから先にそうなってしまう事態もあるだろうけど、彼は必ず生かすことだけを考える。貴方が過去に誰かを死なせてしまったとしても、結果として救えなくても、それは最善を尽くした手だ」
 海賊として大怪我を負ったこともあるし、敵がもっと酷い有様で蠢いている姿を見たことがある。それを生きる人へと蘇生する彼の手腕は正しく命を与える神のようだと思うし、壊すことしか知らなかった私の目にはとても神聖なものとして映った。能力を使わないオペも見たことがある。それを行うのは彼だけではない。目の前のドクターだってやってきたことだ。彼への忠告は自分への悔恨もあるのだろう。しかし、それは貶していいものじゃない。
「色んなものを取りこぼして私達は生きている。貴方達医者がどれだけ懸命に生かそうとしても、死んでしまったのはそいつの命運だ。あの人もどうかは知らないが、いつも死と隣り合うために刺青を入れてそれを見つめている。違うのは覚悟の差だ」
 手術中見つめるのは患部だ。そこに映るのは自分の指先。彼はそこに死の文字を入れている。最初は直接的に死を意味するその刺青を持つくせに、誰かを救おうとする生業のアンバランスさを内心疑問に思っていた。だけどそれには彼の中でひっそりと意味を成していた。手術中の患者は死に向かっている。生かそうと躍起になる医者の隣にひっそりと死が寄り添っていることを忘れないように、彼はそれを見つめている。
 目を見開いて聞いていたドクターはやがて詰めていた息に感嘆の情を乗せて吐く。緩慢な動作で首を横に振って、やがてそうか、と呟いた。
「……昔は私も大きな街で腕の立つ外科医としてオペをしていた。成功しかしない私は驕っていたし、神の手と持て囃されてそれに胡座をかいていたんだ。しかし数年前、自分の妻をオペしている途中で亡くしてしまってね。そんなことがトラウマで外科から手を引いてこんな片田舎の診療所で余生を過ごしているよ」
「悔いるのは構いません。でも彼と貴方は同じじゃない」
「君は彼のことをとても信頼して理解しているね。ありがとう、なんだか私まで救われた気になるよ」
 悪夢から覚めたようにドクターは笑う。ふと視線を私から外して机の上の写真立てを見た。そこには綺麗な女性がドクターと共に寄り添っていて、微笑んでいる。
 もう頃合いかと身支度を整えるために腰回りの衣類を正す。帰り支度を始める私へ少しは打ち解けたドクターが揶揄いを含めた言葉を私にかける。
「でも君はあんな物騒な刺青を入れなくていい。綺麗な白魚のような手でいてくれたまえ」
「ご忠告痛み入ります、ドクター。でも、見る目はないね」
 腰のベルトから素早く抜いた銃を発砲する。雷撃のような大きな音が狭い診療所内に残響を伴って鼓膜を揺らす。血飛沫を上げて床へ崩れ落ちた肉塊から離れたところに帽子が落ちる。そこには海賊と相対するべき名称が描かれていた。
 ドクターは先ほどよりも大きく目を見開いたまま、固まっていた。顔に半分かかった血飛沫で状況は理解しているだろう。まさか廃棄物を片付けにいっている隙に呼んだ海軍が、目の前の力のない女に呆気なく撃ち殺されるなんて思いもしなかったという顔だ。扉と背後に隠していたと思っているかもしれないが、此方は気配と影でおおよその検討はついていた。キャプテンのことを知っているかどうかはわからないが、血塗れで刺青を大きく入れた男性は一般人とは言い切れないだろう。先程の路地裏の戦闘といい、少し大胆な行動をしてしまったかもしれない。

「綺麗な手が救いばかりもたらすものだとでも思った?」

 早くオペしてあげなよ、とすでに事切れていることなんて明白な状況を嘲笑った。次は自分の番かと怯え始めたドクターに背を向けて私も診療所を後にした。一般人を口封じで殺すことはあるが、状況からして必要はなさそうだ。それに、私のほうも弾切れなのだ。
 診療所の表玄関と言えど路地裏に面しているから薄暗い。そこに数人の海兵が倒れていて、ちょうど鬼哭を仕舞ったキャプテンと目が合った。
「タイミングばっちりですね」
「……お前、もしかして弾切れだから俺に掃除させたのか」
「そんなわけないじゃないですか……いたたっ、キャプテン頭潰れちゃいます!」
 私の頭を掴んでギリギリと握力で潰しにかかるキャプテンに思惑がバレてしまった。そういうわけじゃないけど、なんとなくそうしたほうがいいかなって思ったから。力を緩めた手はそのまま私の髪を正すように撫でて「よく出来たな」と先程の戦闘を褒められる。私が不器用ながらに動けないキャプテンを庇いながら戦うのを見ていたのだろう。思わずにやけてしまう顔をそのままに、日の当たる路地の眩しさに目を細めながら私はもっと撫でてと彼に乞うた。
 死を象る文字を墨で入れた指先は、生命を司る。でも、私の前ではそんな大仰なものではないのだ。だって、私の頭を撫でる手は、いつだって兄のように優しい。


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