2018/09/14 16:10



「奪還」没


 ドサっと乱雑に床に投げ出される人間に見覚えがある。前方に手錠を嵌められた手で不自由そうに体を起こし、乱れた髪の隙間から見えた顔に心臓が掻き毟られたような気になる。力が入らない体で、壁につながれた海楼石の手錠を打ち鳴らす音が頭に響く。腫れた頬と口の端から流れる鮮血に───見たことない光景に頭に血が上るのを感じた。もしも体が自由なら。今すぐこの場にいる敵を殴りつけて命乞いをするその喉を掻っ切ってやるというのに。殺してやりたい。後悔させてやりたい。黒い感情に焦がされて白い煙が頭の思考を隠していく。殴られた経験のない彼女に与えた苦痛を、彼女が流す必要のなかった血痕の数を、このおれから自由を奪ったことを。死して後も地獄の底で後悔するように刷り込んでやる。
 動かそうとしても鈍くしか反応しないそれにも更に腹立たしさを加速させる。だからニイナを運んできたのが部下である男だと気付かぬままに。今にして思えば少しばかり冷静をかいたおれに引きつった顔をしていたかもしれない。


「侵入者です。どうやら単身この船長を解放しようと入り込んでいたようです」
「おお、新入りのくせによくやった」
「はっ、お褒めに預かり光栄です!」


 入ってきた新入りが萎縮するように敬礼する。すぐに興味を失ったボスがニイナの前髪を掴んで顔を上げさせる。痛みに小さく喉奥で唸るニイナの顔を吟味するように舐るものだから、おれの中のどす黒さも口の端から漏れ出た。


「いい女に慕われているモンだなぁ、トラファルガー。羨ましい限りだぜ」
「……その女に触るな。部外者だ」
「部外者かどうか、そんなものすぐ分かるだろ?」
「いっ……───ぃやああぁぁぁっ!」


 下卑た笑みで大ぶりなダガーナイフをニイナの喉元に突き付ける。薄く皮膚を削ぎ切られ一筋の血が垂れれば、ニイナの瞳が恐怖に歪む。普段冷静沈着に澄ました彼女から想像もつかないほどの取り乱しようだった。


「いやっ、嫌だ……! 痛い!やめて!いやあっ!」
「ははぁっ! こりゃいい悲鳴だな……殺し甲斐のある女だ!」
「いやぁぁっ! 助けて、助けてキャプテン……!キャプテンっ!!」


 目を見開き、大粒の涙を零しながら命乞いをする痛ましい彼女を見ていられなかった。震える手で抗い、少しでも遠ざけようと顔を逸らす様は見ていてこちらが辛いほどだった。
 だが、彼女のその迫真の演技でようやく燻る熱が冷めてきた。何もせず見下すだけの下っ端と大袈裟なほどの演技、乱れる髪の隙間から一瞬かち合った瞳で漸くこれが茶番だと気付かされた。


「面白ぇ……! この女をトラファルガーの目の前で犯して殺してやる!テメェに最大の屈辱を与えてやるよ!」
「いやっ! お願い、やめて……! いやぁぁあッ!」
「……もし、屈辱を与えるのがお好きなら、」


 傍にいた新入りが静かに言う。それに鋭く振り返ったボスの目の前にある包みを投げる。それが着地とともに開かれ、中身が露わになる。銃が一丁と弾が六発。


「五発はペイント弾、一発は実弾です。彼女に装填させ、トラファルガーを殺してやるのが一番かと」
「……お前、随分と悪どいじゃねぇか。よし、女、銃は使ったことあるだろう?」


 タチの悪いロシアンルーレットだ。新入りは見張りがあるので、と一礼して去っていった。その際ニイナの乱れた髪の隙間から上がった口角を見る限り、ここまでは順調に事が進んでいるらしい。報復にしてもまどろっこしいやり方だ。しかし啜り泣きながら器用に口角を上げてみせる彼女には拍手を与えてやりたい。
 子供の駄々をこねるように頭を振る彼女を優しく宥め賺す汚い手を切り落としてやりたい。だがここでおれが下手に口出しをしてはいけない。震える手で弾を六発装填する。パッと見てもそれがペイント弾なのか実弾なのかはわからない。そこで一抹の不安がよぎる。訓練を積んでいるとはいえ、本当にニイナは撃てるのだろうか。万が一ペイント弾ではなく実弾を撃って、ボスの言う通りおれが殺されたら元も子もない。
 そう、おれは固唾を飲んで信じるしかない。それしかおれに出来ることはなかったのだ。


「よーし、次は両手で銃を持て。グリップを握り指をトリガーにかけ、反対の手は添えるだけでいい。そうだ、よく出来たな」
「いや、いやだ……こんな……助けて……」
「次は撃ってみろ。全弾撃て。一発で殺せたら解放してやる。殺せなかったら……まあいい、さっき言った通りになるだけだ」
「ひッ! いやっ!やめて! こんなことしても何にもならないでしょ!お願いだからもうやめて!」
「……ニイナ、撃て」
「キャプテン……やだ、いやだよぉ……キャプテン……」
「撃たねぇなら皮膚を剥いでやるが、どうする?」


 ひゅっ、と音がするほど空気を飲み下したニイナが震えて照準が決まらないだけでなく固く目を瞑るため大きくマズルがブレる。食いしばってもなお漏れる悲鳴と嗚咽が痛ましく、小さく呟かれる助けを乞う声に自身の遣る瀬無さが募る。そうして意を決したニイナがついに撃った。
 横腹数インチ先に着弾されたそれはペイント弾だった。この威力なら痣ができる程度だろうし、ニイナの今の実力なら当たり外れに関係なく急所は外してくるだろう。だが、実弾が装填されていると考えると当たって欲しくはない。いつその時が訪れるのか。ニイナは本当に実弾とペイント弾を見分けて正確に外してくるのか。外した後の保証は。もしや、ニイナは演技ではなく本当に恐怖に駆られて混乱しているのではないか。一秒間に様々な懸念が浮かび上がり、それは猜疑へと変わる。それが不安へと募るものだから、己の背中に冷や汗が流れるのを感じた。
 次々にニイナが弾を放つ。二発目は大きく逸れた。三発目は肋に当たった。四発目は肘の下。五発目は反対側の横腹ギリギリに。それぞれペイント弾だった。やはり実弾との見分けは付いているようだ。しかしニイナの迫真の演技のせいか、彼女は今本当にパニックになっているようにしか見えない。正常な思考などありはしないように、過呼吸気味に啜り泣く様は見る者さえ傷付ける。

 なあニイナ、それは本当に、演技なんだよな?


「運がいいじゃねぇか、トラファルガー。だがその運もここまで! 撃て女ァ!」
「いや……ひっ、ぅ……いやっ……!」
「今更ゴネるんじゃねェぞ? ほら、今のように引き金を引けばいい。それともおれに可愛がられてぇのか?」
「ひっ、ぐ……キャプ、テン……ごめんなさ、ッ……ゆるして、わたし、わるくないの……ゆるしてね」
「そうだ、嬢ちゃんは何も悪くねェ。ただ何も考えず撃てばいい」
「キャプテン……ゆ、して……」


 六つ目の弾がペイント弾だったとか、大きく震える腕なら当たらないとか、ポロポロと落ちる涙と濡れた瞳の光が美しいだとか、手錠で擦れた手首の赤だとか、下衆い男の手がニイナの肩に触れた様だとか、散らばる薬莢だとか、空のリボルバーから見える景色だとか、この照準なら左に身体を捻れば急所は辛うじて外れるだとか───考えられることは一通り挙げてみても、劈く銃声が全てを煙に巻いた。


「はは、なんだ……こんなものなんですか。もっと早く……すれば良かった」


 多分、これはニイナのシナリオ通りだ。ペンギンにわざと傷付いた自分を運ばせ、趣味の悪いロシアンルーレットをさせ、恐慌の演技で敵を高揚させて隙を狙い───その隙に殺す。
 殺した、ニイナが。おれに向けて引かれるはずの引き金が瞬時に曲がった腕によって照準はボスの顎下に定められ、そこで銃声が鳴った。そんな至近距離を避けれるはずもなく、また近過ぎるため顎下から頭蓋を貫通する威力により即死のはずだ。仰向けで倒れた男の目が驚愕に見開かれ、事態を把握する前に死んだことがわかる。
 ニイナが、殺した。綺麗なままの手でいて欲しかったとどこかで願っていた自分が明るみに出て、漸くこちら側へ来たと安心する自分さえいる。


「……お前、躊躇ってモンがねェのか」


 乾いた皮肉しか出なかった。手錠もフェイクだったようで、軽く引っ張れば錠が外れて床に金属音が転がる。空の銃を薬莢の墓場へ捨てるニイナが立ち上がって鬱陶しそうに髪を掻き上げて……笑った。ギラつく眼光に涙の跡はなく、ただ獰猛な人の狡猾な部分を覗かせている。基盤は出来ていたのだ。戦地で参謀として覚悟を決め、そこへおれ達が技術を仕込んだ。
 頼もしさ、恐怖、愉悦、誉れ───すべての感情が綯い交ぜになり、味方としても恐れを成す。だが、それを躾けて飼い慣らしてやろうとほくそ笑む自分がいることもまた事実。


「人を殺すのって呆気ないものなんですね、トラファルガーさん」


 規律を重んじる軍人でも、強奪する海賊でも、ない。人殺しの造作も無い快感を孕んだその瞳でニイナが屈託もなく、笑った。






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