放課後の閑話


朝登校してきてから悩みに悩んで、授業中も半分以上上の空で、昼食の時は真に「大丈夫?」とまで心配された。
私らしくない。分かってはいるけれど、私は私の感情をあまつなくコントロールできるほど出来た人間ではなく、ただの一中学生に過ぎないのだった。
そして今、放課後、私はカウンセラー室と掲げてあるそっけないドアをノックした。

「いらっしゃい。……おや、珍しいね」

にっこりと嘘くさい笑みを浮かべたこの部屋の主人は最初の挨拶をした後に、少しだけ驚いた顔をして私を見つめた。私は途端にくるりと回れ右をして帰りたくなったのだけれど、開けてしまった手前おずおずと足を踏み出して、一つだけ空いている椅子に腰かけた。

「珍しいね、弥生さんが来るなんて。どうしたの?」

同じ台詞をもう一度吐いた工藤は、どうやらお気に入りらしいアルパカの人形を右手で撫でながら、私にそう尋ねた。細い目は、私がここに来た理由も何もかも見透かしていそうで嫌になる。私はまだ何をどう切り出そうかもよく考えてなどいないのに。

「四ツ谷くんのこと?それとも中島さんのことかな?」

「……両方、です」

話のきっかけが掴めずにいると、工藤から口火を切った。
ああほら、そうやって先を越していくんだ。私の気持ちなんてお構いなしに。
私は工藤と目を合わせていられなくなって、少し俯いた。部活動をしている同級生達の声が、遠く聞こえる。

「先生は、本当に四ツ谷先輩のこと、知らないんですか」

「知らないよ。四ツ谷くんの居場所なんて、犬猿の仲の僕が教えてもらってるわけないデショ」

当たり前でしょ、と言わんばかりの表情は、いつも通り飄々としていて、とらえどころがなくて、私は更に俯いて、一言、真が、と言った。

「……真が」

「中島さん?」

「最近私、見ていられないんです。真、いつも通りに見えるけど実は全然そんなことなくて、無理してるって分かってるのに、私なんにもしてあげられないし、真なんて自分が無理してるって、それすら分かってないみたいで、無自覚のままどんどん追いつめられてるの、見てられなくって」

工藤はいつもと変わらないように見えた。ひと一人が居なくなっているのに。
それが気に食わなくて、そう確かに四ツ谷先輩は本物の幽霊だったなんて噂すら立つくらいに他の皆にとって四ツ谷先輩の存在は希薄だったかもしれないけれど、真と私と、それから一部の先生たちと、工藤は少なくとも実在していたと分かっている筈だと思ったら、私の口からは堰をきったかのように言葉が一気に零れ落ちた。

心配、友情、嫉妬、決して綺麗な感情だけではないそれらは、次々と私の口から溢れ出る。

碌に整理もされていないまま紡がれた言葉の数々は逆に、それだからこそ私の本心で、願いで、後悔だった。



ほとんど息もつかずに言いきった私の音の余韻が消えて、カウンセラー室は沈黙に包まれる。その、しん、とした空気はまるで大きな獣のように、そこに横たわった。

その空気に、急に冷静に返る。
なんて幼稚なことを言ってしまったんだろうと思ったら、今度は目の前の工藤の視線がひたすら怖くて、ずっと机の模様を見続けていた。

重苦しい空気が私を包む。10秒、20秒、30秒。
ふっと、唐突に空気が揺れる。工藤が、音を立てずに笑ったのだと分かった。

「……お茶、飲む?落ち着くよ」

工藤から発せられた質問に、どうしようと返事を出来ないでいると、少しの間の後、カタリ、と前の椅子を引いて、工藤が立ち上がる。
工藤の気配が私の前から消えてから、ようやく私は顔を上げた。

別段他の教室と変わらない、殺風景な内装。確かにお茶だのお菓子だのはないけれども。それ以外はいたって普通の部屋だ。これが、一時期あんなに警戒していた空間だろうか、と私は思った。

ぼうっとそんなことを考えていると、お茶を淹れ終わったらしい工藤がこちらを振り返り、コト、と私の前にティーカップを置いた。私はありがとうございますと小さな声でお礼を言ってから、口をつける。程よい甘さが口に広がった。ほう、と息を吐く。

「……落ち着いた?」

「はい。……すみませんでした」

「別にいいよ。仕事だしね」

ここで、「仕事だ」と言い切る辺りが工藤の性質を表しているな、と私は思った。
少し睨みつけると、平然とした顔で、何?と尋ねられる。何も、と私は返してもう一度、カップを手に取った。
工藤が手に持ったボールペンをくるくると回す。しなやかな指の間で、重力から解放されたかのようにペンは自由に動き回った。

「君は中島さんが追いつめられているっていったけれど」

「……はい」

私が落ち着いたのを見計らったのか、工藤が口を開いた。その切り出しに、知らず、私の背が伸びる。

「君の方がよっぽど参ってるように思えるよ。君は頭がいいし、しっかりしているけど、一人で抱えようとするところが難点だよね」

「……カウンセラーっぽいことも言うんですね、先生」

「一応、専門だからねぇ」

ずばりと指摘された事実に、少し顔が赤くなる。自覚しているのと、人に言われるのとではまた違う。
せめてもと言った私の精一杯の嫌みを、工藤はさらりと流した。そして、更に続けた。

「まぁ誰にとは言わないけどね、自分が信用できる人にくらい、話してあげなさい。君は一人じゃないんだから」

その言葉に、私はぐっと奥歯を噛んで、下を向いた。泣き顔を見られたくなかった。

ありきたりな回答。ありきたりな内容。ありきたりすぎてむしろ笑いたくなるくらいだけれども、私が欲しかったのはまさにこんなありきたりの言葉だった。

真を支えられない自分。それどころか嫉妬に似た感情まで持っている自分。

ふとその時、私から見ても胡散臭いと思うような笑みを浮かべるこのカウンセラーならどうするんだろうかなんて、半ば逃げのように思いついてしまったことを、実は今でも少し後悔している。
そしてその言葉を貰えるかと思って、わざわざここまで尋ねてきた自分はきっと工藤には滑稽に映っているんだろうなと私は思ってみたけれど、それはもう私の涙腺を止める手助けにはならなかった。

嘘でもいい、うわべだけの言葉でもいいから欲しかったのだ、私は悪くないよ、一人じゃないよ、という言葉が。

望み通りの言葉を貰えた私は、そのまま静かに泣いた。



「……ありがとうございました」

私は一つ頭を下げた。工藤は笑って「いいえ」と答えた。
私は少し考えて、やっぱり言っておこうと決めて、息を吸った。

「先生」

「はい?」

「私、先生のことあんまり好きじゃないです」

「知ってるよ」

酷いなぁ、と工藤は笑う。酷いのはどっちだ、と私は思う。

「でも、今日の先生だったら好きですよ」

私が泣いていた間、工藤は私を慰めもしなかったけれど、呆れたり泣きやませようとしたりもせずに、ただじっと黙って待っていてくれた。それは多分、工藤の優しさなのだろう、と私は思う。
工藤は本来、人の機微にかなり敏感なのだろう。そうでなければ、ベクトルは褒められたものではないだろうが、あんな学校中を巻き込むような事態は起こせないからだ。
機微に聡いから、相手を飲み込めるし、操れるのだ。

その工藤が、恐らくあそこで泣いていた私に甘い言葉でも何でも投げかけられただろう工藤が、何も言わず私に付き合ってくれたのは、工藤なりの優しさなのではないか、と思って私は小さく口元を緩めた。

工藤は、予想外だったらしい言葉に少しだけ目を見開いた。
そして、ややあってから、組んでいた腕を解いて私にひらりと手を振った。

「それは光栄だね」

それは、もしかしたらただの私の思い違いかもしれないけれど、本心からの言葉に見えた。
私は最後にもう一度頭を下げて、言った。

「また来ます」

そう、待ってるよ。工藤の返事が、カラカラと閉めた扉の隙間から聞こえてきた。








|
- 8 -

戻る

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -