幸いの希求


こと、と私はタンスの引き出しを開けた。

ピアスは穴すら開けていないから論外として、その他イヤリング、ネックレス、ブローチ諸々すらほとんど付けずにきたせいか、久々に探すとこれである。
確か数年前、買ったはずだ。パールのネックレス。

時間は刻々と迫り、それに比例して私の焦りは大きくなる。
探し物はなんですか。見つけにくいものですか。
とある古いメロディーが頭に浮かぶ。
あの探し物は何だったのだろうと、いつか聞いたその何気ない問に旧知の友人はこう答えた。

「……幸せ?あとは、思い出、かな」

そんなことを取りとめもなく思い出しながら、私の体は意識とは別にネックレスを探し続けた。
そして探し物を求め奥へ奥へ手を伸ばすと、不意に指先に今までとは違う感触のものが触れた。かさりと、微かな音がする。

それはネックレスの箱にしては薄すぎたし柔らかすぎて、明らかに違うものだとそう頭では分かっていた筈なのに、私の手はその考えとは反対に小さな紙片を引っ張りだした。それはほどなく、私の目に留まる。

「あぁ……」

目の前に現れたその紙片に私は嘆息した。
正確に言えばそれは紙片ではなく一枚の古い写真で、こんな奥に仕舞われていたからだろうか、驚くほど色あせていない姿で私の懐かしい記憶を刺激した。

思い出は、酷く優しくて残酷だ。
懐古するもの。巻き戻せない時を慈しみ、時に悔恨する。
私は思う。
私の――私たちの、青春はなんと鮮やかだったことだろう、と。



私は今でも思い出せる、この写真を撮った日の、私にとっておそらく特別な日であった時のことを。



写真の中の空は青く晴れていて、しかし吹き抜ける風はまだ三月のそれだった。
私と友人は制服姿で、それはもちろんいつも通りだったのだけれど、胸に挿された一輪の造花だけがいつもと違っていた。ハレの日の、印だ。
私にとっては、いかめしい字で書かれた堅苦しい卒業証書よりも、あの屋上のがらんとした有様を見た時の方が、卒業、という二文字を現実のものにさせていた。
卒業までの二年足らずで私ほどこの屋上に来た生徒はいないだろうと自負できるくらい私は屋上の常連になっていたし、その屋上はいつも怪しげなものが詰まった段ボール箱だのどこから運び込んだのかと思われるようなビーチパラソルだのデッキチェアだのが散乱していた。それは学校という規律に縛られた場所にはとても相応しくない様相だったけれども、かわりに生活感のようなものが溢れていた。
だからたったの二年ではあってもほぼ毎日のように見てきたこの屋上が本来屋上としてあるべきであろう手すりと校舎に通じるドアだけの空間になったことは少しの寂しさを感じさせたし、あぁもうここに私は来ないんだ、という事実を実感として受け止めさせられた。

「……写真、撮ってもいいですかね?」

私はそれを誰に聞くつもりだったのだろう。私の横に並んでいた屋上の変人は、肩をすくめて物好きだな、好きにすればと言った。

誰も映っていない、ただの屋上。私はそれを、持っていたインスタントカメラで一枚だけ、写した。



あの頃の私の周りは色彩に溢れていた。中学生の世界の全てなんて学校とその他少しの場所がせいぜいだったのだけれど、私は別段狭苦しいとも窮屈だとも感じなかったし、それなりに楽しかった。仲のよい親友、テスト前は勉強に追われつつ部活に励み、長期休暇で少し友人たちと遠出をしたり、逆に近所のファーストフードで他愛もない話に花を咲かせたり。
そんな私のささやかながら十分だと思われる日常に新しい扉を開いたのは、間違いなく彼だった。実際に最初、一歩踏み出したのは、私だったのだけれど。


私が彼の思い出をひっぱりだす時、不思議なことに色は存在しなかった。ゆえに私の記憶の中の彼はいつもモノトーンだ。しかしよくよく考えてみれば確かに制服で白黒の印象は強かったものの、ネクタイは臙脂だったしいつか見た着物は色までは忘れてしまったけれど、とにかく黒ではなかった。よって記憶全てがモノトーンと言うのは明らかにおかしいのだけれど、思い出せないのはどうしようもなかった。

けれどあるいは、それが余計に私の中の彼という存在を強固に植え付けたのかもしれない。
私の世界は色が溢れていて、それは私にとって至極当然のことで考えたり疑ったりする余地もなかったのだけれど、だからこそモノトーンはくるくると回る私の記憶のフィルムの中でいっそう形をくっきりと浮かび上がらせた。

そう、つまり彼は私の青春の象徴と言っても良かったくらい、多感な十代において私の性格や思考に影響を与えたし、思い切ったことを言ってしまえば私の人格形成の一端となったのだ。



空が高かった屋上、廃屋同然の旧校舎、桜の古木、階段、彼、他愛もないお呪い、彼、怪談、彼、彼、彼。

フィルムが、かたかたと音を立ててゆっくりと回っていくような、錯覚を覚える。
そして、あまりにも鮮明で、密やかで、切なくて、愛おしいそれらは確かに私の感情で、たくさんの思いがありすぎて今まで気づくことさえなかったのに、私はこの時、初めてこれらの全てを包括し、矛盾しない一つの答えを見つけた。

ああ、そうだ、と私は思う。

幼稚で、それゆえに純粋で、しゃぼん玉のように今にもぱちりとはじけそうなそれは確かに、恋だったのだ。



私は私だけしかいない部屋で一人、そっけない写真を掴んで立ち尽くしていた。
そうして私の出した結論に、途端に私は無性に泣きたくなったのだけれども、生憎そんな時間と余裕はないのだった。
私は泣くかわりにその写真を静かに戻し、ネックレスを諦めた。



それから傍らの机に用意してあった袱紗と数珠とを取り、部屋を出て、

全ての思い出を置いていくかのようにそっと、扉を閉めた。









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