現実主義者の夢
「四ツ谷くんてさ、リアリストだよね」
工藤は、そう言ってにっこりと笑った。
学校は通うモノ。住んでいるわけではないと中島に断言こそしたものの、今だ幽霊の身であればこそそれなりに注意も払う。簡潔に言えば四ツ谷の下校時刻はすこぶる遅い。
したがって、部活動がある生徒たちの帰宅を屋上で尻目に見つつ、やっと重い腰を上げて下校の準備にとりかかることはままあった。むしろ日常茶飯事と言ってもいいかもしれない。
しかし、と四ツ谷は相手に見えないようにこっそりとため息をついた。まさか教師と鉢合わせするとは。出来ることなら数分前の迂闊な自分を叱りつけたいところである。
しかもその教師が一時期学校中を引っかき回してくれた張本人のカウンセラーとなれば、尚更だ。
目があった瞬間、あ、と思ったのはお互い様だろう。しかし工藤からまさか帰りの誘いがくるとは思ってもみなかった。予想外もいいとこである。
当然のごとく――と少なくとも四ツ谷自身は思う――しぶった四ツ谷に対し、なんだかんだと言って半ば無理やりに同行を決めたのは工藤だ。
そうして人のことを引っ張りだした当の工藤と言えば、噂の「四ツ谷先輩」を引っかき回して面白いかこの野郎、とでも言いたくなるような上機嫌ぶりである。最寄駅まで、ということのはずだが、今日に限って随分と駅までの道のりが遠い錯覚にさえ陥る。
「いや、リアリスト、って言い方はちょっと違うかな。現実主義者だよね」
「俺が現実主義者かどうかはとりあえず置いておきますが、二つの違いはなんですか」
しぶしぶ相槌のようなものを打つ。工藤は少し考えるそぶりをした。
「前者は現実主義を信奉してる人で、後者はどっちかって言うと、現実的に物事を処理することに長けてる人かな」
「それ、心理学上での定義かなんかですか」
「いや、僕自身の勝手な解釈だけどさ」
イメージの問題だよ、と言う工藤は相変わらず笑みを絶やさない。例にもれず胡散臭い笑みである。などと四ツ谷は考えるが、通常ならば閑散としていてあまり人が来なさそうなカウンセリングルームと銘打った教室に集まる女生徒たちはミステリアスなのよ、とでも言いそうだ。言葉は言いようというやつである。
「で、四ツ谷くんは現実主義者だけどロマンチストだと思うんだよね」
「……人が頼んでもいない分析を勝手にするのはやめてもらえませんか」
「まぁいいじゃない。僕も一応、これで給料貰ってるわけだし」
専門分野だしね、と続ける工藤に四ツ谷の不機嫌など伝わるわけもなく、むしろ存分に伝わっていてなおかつ無視をしている可能性のほうが大きく、それがまた四ツ谷を逆撫でする。負のループに落ち込んでいる自身を認識した。
「四ツ谷くんってものすごく論理的だよね」
「その言葉はそっくり先生にお返ししますが」
「そうだよ。僕と君って似たもの同士だと思うんだよね。不本意ながら」
不本意なのはこちらである、と四ツ谷は心の中で呟いた。
「ただ、僕は別に現実主義者で構わないと思ってるけど、四ツ谷くんはそれだけじゃない、デショ?」
工藤が意味ありげな笑みを見せる。ああだから、と四ツ谷は諦め気味に思う。
だからこの教師は胡散臭くて信用できなくて相手するのが疲れるのだ、と。
何が言いたいんですか、と押し殺した声は四ツ谷自身も想像していなかったほど、低く響いた。工藤は懲りた様子もなく、怖いなぁとけらけら笑う。
「幽霊、怪談、って非現実的なものの代表格だよね。現実主義者にはちょっと似合わない」
「だから?」
「ものすごいジレンマだなぁと思ってさ。君は非現実的なものが好きなのに、それを創り出すために酷く現実的なやり方を採用してる。採用せざるを得ないのかな。だって、怪談にしろ都市伝説の類にしろ、『本当にあるかもしれない』ってところがミソだからね。真実を織りこんで初めて、嘘は本当らしくなるんだから。荒唐無稽すぎれば鼻で笑われて終わり」
「工藤先生のこっくりさんも非科学的なところで言えばいい勝負だと思うんですけど」
「降霊術としてみればね。でも僕はどっちかっていうと心理学的な面から勧めたんであって、本当にこっくりさんがいるとは思ってない」
「それで?」
「……君の噂を聞いたよ、色んなところから。鮮やかすぎる手際の伝説の端々をね」
工藤の話はころころと変わる。確かにこの男はカウンセラー向きかもしれない、と四ツ谷は少し冷えてきた頭で思った。
自分のペースに嵌める話術。相手の懐にするりと滑り込む手腕。四ツ谷のそれとは似ていても、両者が目指すところは全くの別物だ。
「……それはどうも。お褒め頂き、光栄デス?」
うっかりしていると、相手は懐に飛び込まれたことすらも認識できない。それが分かっているからこそ、四ツ谷は言葉少なに返事をした。
「正直、四ツ谷くんには感謝してるんだよ。つまらない毎日の連続に思わぬ波紋を投入してくれたことに、ね?」
「あれだけ痛い目に合っておいて、また何かしでかすつもりですか」
まさか、今のところはないよと、工藤はさらりと流す。
「今のところは、ね」
いつかはまたやらかす気であると言外に匂わせた工藤に四ツ谷はため息を飲み込んだ。
正直に言って、あんなのはもうごめんである。めんどくさくてかなわない。労力と成果のつり合いが取れていないにも程があった。
「信用ないね」
四ツ谷の思考を読みとったかのようなタイミングで工藤が口を挟む。めんどくさい。もう声を大にしていいたい。この人はめんどくさい。
黙り込んだ四ツ谷の代わりに傍らの塀を歩いていた猫がにゃあと鳴いて、華麗に飛び下りた。そのまま向かいの細い路地へと消えていく。
見るともなしにそれを見送った。工藤も同じらしい。
しばし、沈黙が落ちた。
秋を思わせる風が吹く。少し肌寒い風だ。制服の裾をはためかせ、いかにも癖のなさそうな工藤の髪を揺らしてそれは通り過ぎていく。
気づけば、駅まであと少しの地点まで来ていた。工藤もそれを分かっているらしく、もう少しだね、残念。などとのたまう。
「結局、何がしたかったんですか……」
最後まで人を食ったような発言に、取り繕うのもなんだか面倒になってきた四ツ谷はそう疲れ気味に尋ねる。そこでふと、今まで笑みを絶やさなかった工藤の顔が真顔になった。
「うーん、実はさ、僕もよく分からないんだよね」
「はぁ?」
てっきり、ちょっとからかってみたかっただのなんだのという答えが返ってくると思っていたにも関わらず、実際に出た工藤の言葉は曖昧すぎて意味をつかみかねた。予期せぬ返答に、四ツ谷は思わず横を歩いていた工藤に振り向く。工藤は四ツ谷を見返して、肩をすくめた。
「何となく話をしてみたかっただけ、って言うのが一番近いかな」
「それはまた殊勝なご意見で」
ついつい言葉尻に嫌みが出てしまう。だが工藤は特に堪えた様子も見せなかった。
「君と僕は似てるからね。後は……老婆心、ってやつかな」
「老婆心?何が」
「君はごく一般的な思考回路を持った人間だと思うんだよね」
中島あたりが聞いたら、どこが!?と叫びそうな台詞である。四ツ谷は黙って先を促した。
「君は確かに変人ではあるけど」
「はっきりいいますね、先生」
「事実でしょ?でも君は常識と非常識の区別についての判断はこれ以上ないくらいしっかりした人間だと思うわけ。善悪の問題に始まり、もっと日常的なところまでね。つまり、元に戻るけど、君は夢想家に憧れる現実主義者だよね」
「それで、憐れんでるつもりですか?」
四ツ谷は静かに尋ねた。君って案外後ろ向きな思考回路だね、と工藤は笑いまじりに言った。
「逆だよ。君が本当に夢想家になっちゃったら、君が今まで怪談にしてきた人と変わらなくなっちゃうデショ?君は存分に悩んで憧れればいいよ。でも、その一線だけは越えちゃいけないよってだけ」
「……まさかアンタから説教される日がくるとはね」
そうしてくれないと、僕もつまらないからね、と工藤は澄ました顔で言ってのけた。
四ツ谷はその横顔を睨みつける。
「結局、あんたが面白いかどうかってわけだろ」
「否定はしないね」
カンカンカンカン、と遮断機の警報音がなる。自然と歩幅が狭くなり、踏切の前で止まる。
降りてくる遮断機を眺めながら、じゃあ俺はここで、と四ツ谷は工藤に別れを告げた。
「あぁ、ここは渡らないの」
「あんたに合わせて遠回りな帰り道はごめんですね」
「そう、じゃあまたね」
電車の音がだんだんと近づいてくるのが分かる。レールが微かに震えているように見えた。
「……あれ、帰りの挨拶はナシ?僕ちゃんと言ったのに」
はぁ、と四ツ谷は隠しもせずにため息をついた。
「めんどくさいし隙もないしで、あんたと話してると疲れますよ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「もうどうぞお好きに。……じゃあ、また」
四ツ谷の返事に工藤は一瞬驚いた顔をして、にっと笑った。
電車が音を立てて通り過ぎる。四ツ谷は後ろを振り返らずに、すたすたと歩いて行った。
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