終末思想


一つ、四ツ谷は丁寧なお辞儀をした。

酷く綺麗な――今の中島の語彙では、そんなありきたりな言葉しか思い浮かばないが、そんな感想を持つ。普段は怖がることに精一杯で、あまり客観的に話を聞くことが出来ない中島にとって、それはとても新鮮なことだった。

そして、今の話。
これを、自分のためにしてくれた話、と考えてしまうのは都合がいいことだろうか、と中島は思う。しかし事実として、今の四ツ谷の話は中島に一つの安心感をもたらした。

普段、あまりややこしいことは考えずに、というかむしろ避けて通っていたからだろうか――と自分で言ってしまうのも悲しいものがあるが――四ツ谷と接する機会が増えてから、なんとなく漠然と感じていた不安が中島にはあった。

それは酷く些細なものではあったのだろうけども、抜けない小さなトゲのようにちくりとした痛みを常に覚えるような種類のものだ。

ただそれを明確に自分の中で言語化できるかといえばそうではなく、不安は不安のまま、ずっと中島のなかに居座り続けている。

というより、と中島は心の中でつぶやく。

むしろ自分は不安だったのか、と根本的な部分すらうまく理解できていなかったのだと、今改めて認識をしたような次第だ。

「……どうした、だんまりなんて珍しいな、オイ」

何も言わない中島に焦れたのか、四ツ谷がそう声をかけてくる。それにはっと我に帰り、そして思わず四ツ谷を確認してしまう。夕暮れに長く伸びた影。夕日を浴びて、限りなくシルエットに近い立ち姿。

「……先輩」

「なんだ」

「ちゃんといますね」

「ハァ?」

四ツ谷が明らかに怪訝な顔をした。唐突すぎたらしい。

「先輩」

「アァ?」

「今、ものすごく大事なことが分かりそうなんで、黙っててもらえますか」

まったく要領を得ない流れに、四ツ谷の顔が、怪訝を通り越して胡散臭げな表情にまで変化する。それを十分に分かりつつ、今の中島にとってはこの掴みかけた感触についてのほうがよほど重要なことだ、と思う。

何か言いたげな四ツ谷の顔を横目に、中島は少しずつ、思考の糸を慎重に手繰り始めた。

要するに、私は怖かったのだ。

空っぽの頭に、ふ、と浮かんだ言葉だ。

――何が。

もう一人の中島が、静かにそう問いかけた。中島は少し考え込んだあと、答えを出す。

四ツ谷が、いなくなってしまうことが。

――いや、この言い方は適切じゃない、と中島はそれを打ち消した。

代わりに何故か、ある絵本が浮かぶ。

小さい頃読んだ絵本で、印象に残っているものの一つ。物語の最後、自分の描いた絵の中に帰っていく画家の話。

ああそうだ、と一人、納得した。
この感情は、あれを読んだ時の感想によく似ている。

いつか四ツ谷も、自身の作った怪談の中に入って行ってしまうのではないか。

必ずしも適切な表現ではないかもしれない。しかし今の中島には一番しっくりと来た一節だった。

いつか、自分にも「お了い」と静かに人差し指を立てて、終わった舞台に幕が引かれるかのごとく、すっと消えてしまうのではないか、と。
自分からも、この中学からも、四ツ谷を取り巻いていた世界の全てから、永遠に。

それは不安と言うよりむしろ、恐怖に近いかもしれない。自分とはまったく別の次元に取り込まれてしまうのではないか、などという馬鹿げた空想。自分で馬鹿げていると言ったにも関わらず、反面、その空想は四ツ谷が怪談を作り上げていけばいくほど、どこか真実味を帯びて、中島をひっそりとおびやかした。

果たして四ツ谷はこの不安に気付いていたのだろうか。いつも中島の二つも三つも先を越して考えるような人であるから、もしそうだとしてもおかしくはない、と思う。しかしこれを見透かされていたと考えるのは少し気恥ずかしいので、気づかないふりをした。

そんな様々な感情が入り混じった中で、それでも今回の話一つで、これらの不安が全てなくなってしまうのは、あまりに安いだろうか、という疑問が同時に沸き起こる。
でも、と中島はそれを打ち消すことにした。普段考えごとの苦手な自分が頑張った報酬として、平穏を貰っておくのは別に悪くない。それに、頭脳担当は四ツ谷なのだ。単純かつポジティブなのが長所だと、自覚しているから余計に。

「中島ー」

そう自分で定義して、それに少し笑った時、四ツ谷が口を開いた。黙っていてくれと頼んだのは中島だが、それを律儀に守ってくれたところが妙に嬉しい。

「あ、先輩」

「お前の考えごとはどうでもいいけどな、お前が帰ってくれないと、俺帰れないんだけど」

ああ、と中島は思った。
そういえば、いつも中島が見るのは屋上にいる四ツ谷だけだったな、と。
けれど四ツ谷の個人的な領域に入るのは、まだ少し早い気がしたし、なによりそういうものを上手く訊き出す術を中島は持っていない。

「あ、大丈夫っす!終わりました!」

だからあえてそれには触れず、ビシ!と片手をあげた。
それに四ッ谷が、軽口で応じる。

「ほう。諦めたのか」

「ちょっ、違います!相変わらず馬鹿にしてるでしょ、私のこと」

「馬鹿にされるような言動しかしないお前が悪い」

「今回は結構真面目な考えごとだったんですよ?」

思わずむきになってしまう。こういうところが馬鹿にされる原因かもしれないが、しょうがない。

「へー。じゃあ言ってみろ」

売り言葉に買い言葉。
そんな返事をさせるようにしたのは確かに中島かもしれないが、その四ツ谷からからの質問に、それは、と詰まった。

今までの軽口から一変、これを話してもいいものだろうか、と中島は自問自答した。根拠のない空想は、真っ先に四ツ谷から馬鹿にされそうなものではある、という自覚程度は持っている。
しかし中島にとっては、重大なことであり、必要なことだったのだ。価値観なんてものは人それぞれで、だからこそ理解しがたいし難しい。

「……別に言いたくなきゃ言わなくていいさ。お前の勝手だ」

完全に言葉に詰まった中島を見かねたのか、次に口を開いたのも四ツ谷だった。

「いやっ、別に言いたくない、とかじゃなくて…あの」

それはおそらく中島を気遣ったのだろうと認識させるのに十分すぎる言葉だった。しかしそれで余計にこんがらがる。言い訳を言いたいのか話したいのかそれとも話したくないのか、少し前までの整理整頓された思考回路はどこへやら、である。
こうなるとあっさり投げ出すのは、中島の癖であり短所だろうか。しかし悩んでも仕方がないと、ぐちゃぐちゃになった脳みその中で、とりあえず思い浮かんだものを口に出すことに決めた。

「……いつか、聞いてくれればいいな、と思います。でも、まだたぶん、上手く説明できない、から」

「……ふーん」

しどろもどろ、発した台詞に四ツ谷は肩をすくめた。中島はおそるおそる四ツ谷を見上げる。逆光ぎみの顔は、特になんの表情も浮かんでいない。

「ま、言いたくなる時が来るまでお前が覚えてられるかってのが次の問題だな」

にやりと、四ツ谷が笑った。

「どんだけ馬鹿にすれば気がすむんですか!!」

「さぁ?」

軽口に戻ったその口調に安心してそう噛み付くと、更に四ツ谷の笑みが人の悪いものになる。それが今までよりも身近に見える、少し安心さえするのは中島自身の気の持ちようか、と文句をつけつつちらりと思った。
こんなに簡単に浮上できる気持ちは確かに幾分、安っぽいかもしれないが、それも別に悪くないと知らず笑みが零れる。

そう、悪くない。








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