箱庭に紛れる


2限の授業は英語だった。何をやっているんだか、むしろ英語が出来るようになってこちらに何のメリットがあるのかなんて、根本的かつひねくれた思考を持つ中学生の私に、授業の内容なんて入ってくるわけがない。それよりもあと何分で授業が終了するか、昼まであとどれくらい我慢すればいいのか、そんな思考ばかりが頭をよぎる。
まだ朝の時間帯に入るだろうと思われるのに、英語教師の音読は眠たげだ。開かれたままのページには金髪の外人の先生がにっこり笑っている絵が描かれている。文より明らかに絵のスペースが多い、そんな教科書からそっと目を離し、私は頬杖をついて窓の外のグラウンドを見下ろした。
退屈な日常から逃げるように。


この時間、体育をやっているクラスはないらしく、見渡した校庭は素っ気ない。サッカーゴールがぽつんと二つ、グラウンドの真ん中に置いてあるのが寂しげだ。毎朝掲揚されている校旗に目をやると、微かに西風が吹いているのが分かった。


ふと、目が吸い寄せられたのは、視界の端に何かが映ったからだ。しんとした、怠惰な空気の全てが中途半端な時間の中、一つだけ動く影が見えた。校庭の向こう。

正門をゆっくりと通り過ぎる、影。

いや、と私は目を凝らした。一つではなかった。大きな影と、小さな影。
彼らは正門には見向きもしない。その行く先を知っているのは、彼らと、そして私だけだ、きっと。
表からぐるっと回り込み、そのまま裏手の門に向かう。誰もいない、歩いていない校舎をひっそりと影のように移動し、屋上を目指すのだ。
そのルートを思い浮かべて、私は、少しだけ頬を緩めた。

日常に紛れ込む、少しばかりの、非日常。


英語の次は数学に歴史と、やはり逃げ出したくなるラインナップではあったのだがそこは義務教育の悲しさかな、おいそれとサボりは許されない。高校生になったら少しは変われるのかしらと思ってみたが、それはそれで学費を払ってまでいくのだから元を取らなければもったいない。払った分は取り戻さなくては、そんなことを考える私の思考回路は、あの屋上の変人に鍛えられたものだった。
耐えに耐えてやっと顔を見せた昼休み。大手を振って歩ける、と、私は意気揚々と、屋上を目指す。




「おしるこ、買ってきましたよー」
片手に弁当、それにおしるこという人から見たらなんとも珍妙な組み合わせの飲食物を持ちながら、私は屋上の扉を開ける。錆びついた音とともに四ツ谷は私の声に振り返り、くまきちは私の弁当に飛び付く。……飛びつこうと、する。
いくら私でも、毎度毎度同じ行動をされればそれなりの対策は施すもので、クマキチの短距離走はこの頃全て空振りに終わっている。何せ、大切な食糧である。
「ダメッ!これは私のお弁当なの」
クマキチが走り込んでくるぎりぎりのタイミングを狙って、弁当をひょいと掲げる。クマキチが、何もない空間に飛び込む。しかしさすが犬というべきか、今まで目標を外されてもべしゃりと躓くような行動は見たことがない。意地悪だと思いつつ、一度、見てみたい光景だ。
一連のやりとりを黙ってみていた四ツ谷はヒヒヒっといつもの笑い方をして、クマキチにほねっこをこれ見よがしに見せつけた。今度は、それにクマキチが飛びつく。
四ツ谷は餡パンにおしるこ、私はお弁当、そしてクマキチがほねっこ。
これが最近の三人の昼食内容だ。

「お前、なんかネタは?」

「怪談のですか?だから、そんなにあるわけないでしょ?毎日毎日」

「毎日聞かなきゃ、お前はあっても話さなそうなんだよ」

それもあんまり酷い言い草である。四ツ谷は相変わらず辛辣だ。歯に衣を着せないから、ぐさりと刺さる。私だってそれなりに真剣に集めようとしたり、まぁ、してないけれども。

「何か反論でも?」

直接的に言い返す言葉は見つからない。何せ片や噺家の血が流れている怪談好きの男と、国語もあまり得意でない中学生だ。そんな力の差はもう歴然としていることが分かっているので、最近言葉は特に、使わない。
じと、とした目つきで見上げた私を、四ツ谷はソファの上から鼻でふふんと笑った。

「イエ、ナニモ」

この上下の位置関係も悪すぎた。私は片言で返事をしつつ、半ば八つ当たりのように思った。これでは、常に私が下みたいな構図である。
いやしかし、助手、ということは、あながち間違っても…いない、かも、しれない。
私は後悔した。どうしてこうも、私はこういうことにばかりは頭が回るのだろうか!

「まぁいい、今度はな、これ広めて来い」

四ツ谷は私の心境などお構いなしに、ため息混じりにひらひらと、いつぞやのマニュアルを私の前に広げてみた。ぱさぱさと、紙が風に揺れる。

ふらふらと読みづらいそこには当然、新しい怪談。

「えっ。ついこの間、やったばっかりでしょ?」

私は思わず声をあげた。最近、四ツ谷は人使いが荒い。いや、前からだった気がしなくもないが、余計に酷くなった気がする。よって、労働基準法に基づいて、私は然るべき抗議をすることを、今、この瞬間、決めた。ちなみに、労働基準法は、この前社会の授業でやったので、覚えた。

「お前は俺の助手だ。理由はそれで十分。期待してるぞ?……十増間さん」

その一言でたちまち萎える私の戦意を、いつか叩き直したほうがいいかも知れない。
ああ、そうですよね、そんなところですよね、と私は思った。別に期待はしていない。していなかった。ただちょっと……ほんのちょっと、微かな希望に賭けてみただけだ。結果は、見事に空振りだった訳だけれど。
名前も、十増間さんに変わっている。私が嫌がるのを知っていて!本当に、意地が悪い。あのカウンセラーといい勝負だ。


まったく、嫌になる、と思う感情は本当だ。
だから、こんなやり取りをしていると、時々、不思議になる。私がここにいることに。文句を吐きつつ、手伝いに奔走していることに。何故、ここに来ているのだろうか、と。
答えはひどくシンプルな気がした。手を伸ばせばあっさりと掴めそうな、それは事実だった。
多分、私が知っているからだ、直感的に。本能的に。
それは認めたら認めたで非常に癪なことなのだけれども。


きっと四ツ谷は、私が本気で嫌がったらやめてくれるだろうと言うこと。
傍若無人で自分勝手なようでいて、ちゃんと線引きをしてくれていること。
それは裏を返せば、私がこれを心底嫌だと思っていない、そういうことを見透かされているということで、それは私にとっては四ツ谷の手の上で踊らされているような気がどうにも消えないのでちょっと頭に来るのだが、しょうがない。
そう、それでも私は本気で嫌だと思えないのだから。

つまるところ、私は。



「四ツ谷先輩、そのうち、今までのおしるこの代金全額払ってもらいますからね!」

それでも頭に来るのは本当だから、私はあまり本気でない嫌みを投げつけて、屋上を抜け出した。合図は、午後の授業開始5分前の鐘の音だ。
四ツ谷の笑い声を背中に、心なしか軽い足取りで、私は階段を駈け降りる。軽くなった弁当箱と、新しい怪談を持って。

また、日常が始まる。





そして、退屈にあえぐ日常の中、
私はそっと、だれかに囁くのだ。

ここだけの話だよ?と静かに笑みを浮かべ、
幾重にも厳重に鍵を掛けられた、重大な秘密を仄めかすかのように。

あの忌々しくも愛おしい、鮮やかに彩られた一時を。

私の愛すべき空間、屋上での彼らの、ほんの一片を。



私の、私たちの、非日常の欠片として、

ささやかな怪談を、そう、あなただけに。








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