次元命題
「先輩、一つ質問があるんですけど」
「アァ?」
よく晴れた、うららかな午後のことだった。中島は、真剣な顔でそう切り出した。
折角の読書を邪魔された四ツ谷は、明らかに不機嫌そうである。しかしそんなことには構っていられないのだ。というより、構うだけの配慮は特にしていない。
中島、真。考えても分からないものは分からない。それゆえ疑問に思ったことはすぐに聞く。もっとも、それが長所か短所かは、往々にして意見が分かれるところではあるが。
長い付き合い、とは言わないが、四ツ谷がこうして屋上登校するようになってからの付き合いとしてはけた違いに長いのがこの中島である。
ここで意地になって読書を再開しようものなら、向こうも目には目をとばかりにその質問とやらを答えてもらうまでは絶対に付きまとって離れないことが、容易に想像がついてしまうところが面倒臭い。
なんならついこの間出来た怪談の一つや二つでも聞かせて大人しくさせることを思いつかないわけでもなかったが、気分が乗らない。なにしろ読書はなかなかにいいところであったのだ。それを邪魔しやがってと、また思考は元の場所に戻ってきた。
「……まぁいい、なんだ」
「おぉー!聞いてくれるんですか」
意外に素直な展開に中島は目をきらりとさせる。腹が立ったので、こう付け足してやった。
「AとBとC、どれがいいか考えておけ」
えっなにそれ!と叫ぶ中島は無視である。いいから早く話せ、さもないともう聞かんぞ、と急かすと、慌てて文句を飲み込む。単純だ。
「先輩、前に、怪談のために事件は起こしたことないって言ってましたよね」
「……?あぁ」
それがどうした、と思う。事実である。まさかまたあの胡散臭いカウンセラーとやらにでも吹き込まれたか、との疑いもむくりと頭をもたげる。さっきも思った言葉が脳裏をかすめる。全く、面倒臭い。
「先輩がここにいることは、事件じゃないんですか?」
なるほどな、と珍しく四ツ谷は思った。中島にしては随分と頭が回った方である。
しかし、大真面目な顔をして考えていたのがこれか、と思うと笑えてきたので、素直に大笑いしてやることにした。
「なんですか!人が真剣に聞いてるっていうのにぃ!」
はははは、と笑う四ツ谷に中島が食ってかかる。そういうリアクションをする中島は、良く言えば素直、悪く言えば単純だ。
「……お前にしては珍しくマトモなことを言ったもんだ」
「先輩それ、馬鹿にしてますね」
じと、とした目で中島が睨む。
「被害妄想だろう」
四ツ谷はしれっと答えた。なるほど、『俺の存在は事件ではないのか』とはね、と思う。
「まぁ、事件ちゃ事件だな。俺はまぼろしの生徒だからなぁ」
「でしょう!」
我が意を得たとばかりに、中島は声を大きくする。うるさかったので、少し黙れと片手を振った。
「しかしだ、中島」
す、と人差し指を何故だかわからんが上機嫌になっている(恐らく俺の裏をかけたとかそんなところだろう)中島に付きつける。中島はぴたりと押し黙る。
「俺は、『怪を談ずる』存在、だ。前にも言ったな。俺は『怪談になりたいわけではない』と」
「はぁ」
「怪を談ずる存在も、怪談の一つにはなるだろう。ただ俺は、登場人物になる気はない。どうしてか分かるか?」
「……え?えーと、その」
「時間切れだ。いいか、登場人物になったら、俺はその登場人物にしかなれないだろう」
中島は足りない頭をフル回転させているように見える。それも駄目だったのか、小さく手を上げて、言った。
「もう少し分かりやすく」
「……少しは自分で考えろ。ヒントだ。登場人物は、語り手には勝てない」
中島が考え込んでいる。まぁ、学校の勉強もなかなかままならない中島には少しばかり難しい問題だろうな、と失礼極まりないことを四ツ谷は考えながら、読みかけのまま放りだしておいた本に手をかけた。中島は何も言わない。というより、気づいていない様子だ。
これを長所というか短所というかは、各人分かれるであろう。
「いいのか、帰らなくて」
四ツ谷がそう声をかけたのは、中断された読書を首尾よく終え、いつも通り買わせている飲むおしるこを空にした頃だった。
中島ははっと顔を上げる。携帯に表示された時間を見て、ぎょわーだのうぎゃーだのと叫んだ。
「相変わらずうるさい。黙れ」
「やばいお母さんに怒られる!」
四ツ谷の言葉が聞こえてないかのごとく言い捨てるなり、中島は鞄を掴んで屋上の扉目がけて走り出す。と、その足がぴたっと止まった。
「先輩!」
「あん?あぁ、分かったか?」
「いや、分かんないっすけど!」
にっと笑って予想通りと言えば予想通りの返事をくれた中島に四ツ谷は一つため息をつく。でも、と中島は続けた。
「とりあえず先輩はここにいるんだな、ってことは何となく分かったのでいいです!」
四ツ谷は呆気にとられた。考えるより行動、計算より勘、という奴だと常々思っていたが、ここまでくるとなかなかのものである。
当の中島は本当に焦っていたらしく、言いたいことだけ言うと、スプリンターさながらの勢いでまた駆けていく。見送る暇もないほど素早く消えた背中に、かける言葉もなかった。
「……馬鹿と言うより、野性的だな、ありゃ」
一人になった屋上で、ぽつりと四ツ谷はそう呟いた。
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