午睡


屋上に続く扉は、開け閉めするたびに、ギギギ、と錆びついた嫌な音を立てた。

こっそり屋上に出入りしている身としては、その音は大変心臓によろしくない。
もっと正確に言えば、その音を聞きつけられるのではないか、更にそこから派生して四ツ谷の正体でもばれた日には、少なく見積もって一週間は眠れない夜が続くような怪談をされるのではないかという恐怖心からである。

一度、あまりにもその音がうるさいので四ツ谷に文句を言ってみたことがある。もちろんそれは、単に音の問題だけでなく、私の心の平穏というのも多大に含まれている。

だって、先輩だってうるさいと思うでしょう?という私の精一杯の反論は、このいかにも使われていないという雰囲気を醸し出す扉がうってつけなのだと言うまたもや演出上の都合により、一瞬で却下された。
こっそり油でも差してしまおうかと思ったりしたが、それがばれた日には当然怪談フルコースがついてくるだろう。

行動したら確実に訪れる恐怖と、この先もうまくやりつづければ訪れないだろう恐怖の二つを天秤にかけた私は、ささやかな希望に賭けて後者を選択した。今まで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫だろうという楽観的な思考が、少なからずあるのは目をつぶる。

よって、今でも屋上の扉は錆びついたままだし、私は抜き足差し足で階段を上る。
しかしこう毎日扉を開ける作業をしていると、細かいコツというのを覚えてくるもので、最近の私は初期に比べて三割減くらいの割合の音を立てるに留まっている。ギギギギ、と響いていたのが、ギギ、ギ、と途切れ途切れの音を出す程度の違いではあるが。

そうして今日も用心しつつ屋上の扉を開け、更にその後気を抜かずに慎重に扉を閉める。ここでうっかりすると、バタン!と学校中に響くのではないかと思われるくらいの音がするのだ。

一連の作業を終え、そこでふと私は違和感に気付いた。こうして屋上に来た時に決まって聞こえる四ツ谷の声だとか、物音だとか、そういう反応が一切ないのだ。私はごくり、と嫌な予感に唾を飲み込んだ。以前、死体の真似をされた経験が頭をよぎる。見事その罠に嵌まった後、いつも通り、勝ち誇った顔をされたのが妙に癪に障ったのは記憶に新しい。よって、今度は騙されないぞ、とばかりに小さくガッツポーズ。

そうして私は、一歩、二歩、と、そろそろと四ツ谷の見えるソファに足を進めた。

後ろ向きになっている黒いそれが少しずつ私の視界を占めはじめる。そのまま進む角度を変えて、横向きに四ツ谷が映るようにさらに進む。すり足、差し足。
そうしてやっと四ツ谷の状態がはっきり見えるようになり、私は口を開いた。

「四ツ谷せんぱ――」

い、と続けようとした言葉はしかし、最後まで音になることはなかった。
私は、中途半端なところで台詞を止めて、思わずぽかんと口を開けた。

冷静に考えれば、酷く間抜けな構図だったかもしれない。

昼下がりの屋上。教育現場らしからぬガラクタが様々並び、その真ん中で寝ている四ツ谷と、その隣でぽけっと突っ立っている私。

「せんぱ、い、寝てる?」

私は小さく、本当に小さくそう尋ねた。目の前の光景を頭が処理しきれていないのが半分、実はこれさえも四ツ谷の悪戯の範囲なのではないかという疑いが半分。今日は用心しているせいか、そういう可能性も頭に浮かぶ。

しかし目の前の四ツ谷は変わらず、読みかけらしい本を開いたまま左手で押さえるようにして腹の上に乗せ、静かに寝息を立てていた。ちらりと見えた本のタイトルは、危険物取扱法早わかり。相変わらず変わった本だ。

私はやっぱりまだこの景色を認識できなくて、ぱちぱちと何度か瞬きをした。そうして数秒経ってみても、目の前の現実は依然として変わらなかった。うわあ、と思う。
ホントに寝てるんだ、と今度は四ツ谷を起こさないようにという別の理由で、そろそろと近づいてみた。

ところどころ穴の空いた傘が丁度顔の辺りの日よけになっていて、だから屋上で寝ても眩しくないのだろうと四ツ谷の顔にかかる影を見る。しかし、少し俯き加減になっているので、余り表情は見えない。

それが何故だか残念になって、私はソファの横まで近づき、肘掛けにそっと手をついて、しゃがみこんだ。その時、ふわ、と私の鼻腔をくすぐったのは、とても懐かしい匂いだ。
おひさまの匂いだった。

おひさまのにおい。全部ひらがなで書くと、あどけなくてとてもかわいい感じさえするこのフレーズは、きっと起きている四ツ谷が聞いたら怒られそうなものだったけれど、そのあまりにも不似合いな落差が面白くて、私は一人でくすくすと笑った。

下から見上げる形になった四ツ谷の顔は、さっきの位置よりもよく見える。

閉じられた目と、同じく閉ざされた薄い唇。寝ている顔は随分と穏やかで、そう、幽霊になんてちっとも見えないし、その口から全校生徒を惑わすような話を紡ぎだすなんて、もっと考えられない。想像も出来なかった顔に、自然と頬が弛んだ。

「……せんぱい」

また、小さく声をかけてみる。
四ツ谷はまだ、目を覚まさない。身じろぎさえせずに、安らかに眠っている。

「……せんぱい」

ああ、私もなんだか眠くなってきたな、と思う。
そのあと、欠伸が一つ。

私は肘掛けからそっと手を離して、くるりと体を反転させた。ソファの横を背もたれにするように屋上に座り込むと、流石に地面は少しひんやりとしていたのだけれど、私を眠りの世界に連れていくには十分な昼下がり。





キーンコーンカーンコーン、とお馴染みの鐘が鳴り響く。
私ははっとして、目を開けた。

「おはよう」

「えっ?……あ」

私が起きたのは屋上の固い地面の上ではなく、背もたれにしていた筈の黒いソファで、更に状況が把握できずに身じろいだ時、ばさりと音を立てて落ちたのは紺色のカーディガン。

そして四ツ谷は、段ボール一箱分の間を開けて置いてあるデッキチェアの上で、いつの間にか来ていたクマキチに餌を上げていた。

顔だけ振り返って、私にそう言う。

「お、おはようゴザイマス……?」

「寝ぼけてんのか?もう3時だぞ」

四ツ谷が首を傾げる。
それから続いて告げられた思いもよらぬ言葉に、げっ、と私は喉の奥で声を上げた。その事実が本当なら、さっきのチャイムは恐らく、いや絶対に授業終了のものだ。
もしかして、もしかして、午後の授業を丸々サボってしまったことにはならないか。

「授業サボって堂々と昼寝とは、いいご身分だな、え?」

私の思考を読みとったかのように四ツ谷はそう言って、にやりと笑った。
チクショウ!起こしてくれたっていいじゃない!面と向かってはとても言う気になれない私は心の中で叫ぶ。

「しっ、失礼しましたぁ!」

私は扉の軋むのも気にせずバタンと半ば体ごと押すようにして開け、階段を一段飛ばしで駆け下りた。

案の定、帰りのホームルーム真っ最中に戻った私は担任の先生に散々絞られ、おかげで部活もほとんど出られず、そこでもまた怒られる。

そんな私が、あの時眠っている私をソファに移してカーディガンを掛けてくれたという、私の知る限りではあまり想像できないことを四ツ谷がしてくれたということに気付いたのは、その日の夜も遅くなった頃のことであった。








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