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「あんた馬鹿なのかい」

馬鹿で悪いか、と返してやりたくなった。しかしそれは無理なので右手で握っているシャーペンに力を込めてみたが折れなかった。意外と丈夫だな、シャープペンシル。

「ねえ、聞いてるの?こんなの只の数字じゃないか、数字にも勝てないだなんて弱すぎるね、あんた。
大体この俺が直々に教えてるっていうのに出来ないとかあり得ないよ、次間違えたらこっちにも考えがあるから覚えておいて」

いやいや、直々にってそれがあんたの仕事だろう!ていうか数字に勝つとか負けるとかないだろバーカバーカ!この駄目カテキョ!横暴!どS!にこにこスマイル!とか心の中で愚痴っていたら「何か言った?」と聞かれてしまった。恐るべき神威パワー、お前は超能力者か。

「で、でもさ先生・・・今時の高校生の数学って意外と難しい、んデスヨ?」
「へえ、言い訳?いい度胸だね」
「い、言い訳じゃなくてマヂですって!それなら先生この問題解いてみてくださいよ」

わたしの座る机の横に椅子を並べ、足を組んでいた神威の前にずずいと問題用紙を置いてみた。神威は少しだけ目を開けてそれを見ると手に取って目を通し始めた。考えているようだ。
それもその筈。実はこの問題用紙は高一で行うレベルのものじゃない。某有名大学の入試問題だ、これ一問解くのに現役理系大学生でも一時間かそれ以上はかかるだろう。

「(フフン、神威の鼻へし折ってやる)」

してやったり、という顔で神威の方を見ていた。すると机の上に転がっていた赤ペンを手に取ると何かをサラサラと問題用紙に書き始めたではないか。いや、そんなまさか。どうせ適当に書いてわたしを騙すつもりなんだろう、そうはいかない。

「はい、できたよ」
「え、じゃ、じゃあ答え合わせしますからね」

そう言うと、「どうぞ」という声が返ってきた。回答用紙を開いて神威の解いた答えと照らし合わせながらチラリと横目で神威を見るとスーツのネクタイを緩めていた。こいつ、ついに職務放棄かコノヤロー。

「(そんなことより答えはっと。えーと、x=・・・・)」

全てに目を通したところで、わたしは青ペンを手にしたまま固まった。あり得ない、正解している。
まさかと思って何度も照らし合わせてみるが、やはり正解。途中式も完璧で、文句の付けようもない。

「どう?合ってた?」
「え、そんなまさか何で」
「ハハ、俺を誰だと思ってるんだよ。こんなの解けるに決まってるだろ」
「いや、だってこれ大学の・・・」

そこまで言って、しまったと口に手を当てた。恐る恐る神威の方を見てみると、その目が細められていて何だかいつもとは違う官能的な笑みを浮かべていた。
そしてカタリ、と小さな音を立てて立ち上がるとわたしの手首をガシリと掴み、そのままわたしの身体ごと机の上に押しつけた。いや、何でこんな冷静なんだわたし。

「ちょ、先生」
「これさ、高一レベルで解ける問題じゃないよね。大学入試か何か?」
「げ、・・・・」
「あんたみたいな馬鹿な奴が俺に一杯食わせようなんて無理な話だよ。
ねえ、今俺が何考えてると思う?」
「そ、そんなことさっぱり」
「ふーん」

にこにこ、と笑う神威の顔がどんどん近くなる。こうなったら一か八かと思い切って足を神威の股間目がけて振り上げると簡単に交わされてしまい、その足さえも自由を奪われてしまった。

「さっき言ったよね。次の問題解けなかったら俺にも考えがあるって」
「い、言ったような言ってないような・・・・」
「言ったよ。確かこの家には今俺とあんたしかいないよね。そうだ、折角こんな体勢なんだから保健の授業なんてどう?確かテストあるだろう」
「そ、そんなベタな!つか本当にどいてください先生!淫行罪で訴えますよ」
「それなら訴えられないようにするだけだよ、あんたがヨガるくらいにね」
「ちょっと、本気で止めてくださいって先生!」

口を塞がれた。柔らかい唇の感触、目の前には白い透き通るような肌をした神威。いつもは細められていて全く見えない瞳とぶつかる。ぞくりと背中が震えて一瞬、呼吸をするのを忘れた。

「なんてね、冗談だよ」
「・・・・・は?」

押さえつけられていた手が解かれ、わたしの上から神威が退いた。
何が何やら分からず、わたしはそのままの体勢で神威を見つめた。今のわたしはさぞかし馬鹿面をしているのだろう。

「あり?もしかして期待した?俺があんたみたいなガキ相手に盛るわけないだろ」

ケラケラと笑いながら言ったその言葉を頭で整理する内に、一気にわたしは恥ずかしくなった。馬鹿面から一転、今のわたしは赤面しているだろう。
ていうか、誰が神威に期待なんかするもんか!ガキ相手に盛るわけないってどんだけ失礼なんだよ!
机の上から降りると目も合わさず椅子に座り、シャーペンを手にとって問題集を開いた。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい、完全に踊らされた。キス一つであんなに理性を失った。悔しい。

「怒ったかい?」
「怒ってません」
「へえ、分かりやすい嘘だね」
「嘘じゃありません」
「あんたやっぱり馬鹿だ」
「それはすみませんでした」

そう返すとようやく黙った。喋れば喋るほど、こいつの余裕を知ることになる。
冷めない顔のままxやらyやらが書かれた意味の分からない紙と向き合っていると、突然、神威の顔がわたしのすぐ横に迫った。何だ、と言葉を発するその前に、神威の声がわたしの鼓膜に響いた。

「さっきの続きはこの問題、解けたらね」

それだけ言うと、神威は自分の椅子に腰掛けた。そして先程と同じように足を組んでわたしの方を見てくる。

「(この問題解けたらって・・・・)」

わたしは、隣からの視線より何より、この問題を解いてしまうべきなのかどうかに困ってしまった。
右手に持ったシャーペンを強く握ってみたが、汗をかいていてうまく握れない。さて、この後この手をどうしようか。

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