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机に肘を立て手で目を覆い彼女は泣いていた。
かける言葉は何も見つからなくて、わたしはただただ傍にいた、そうするしか無かった。
そしてわたしは言葉の小ささというのを身を持って実感し恐ろしくもなった。

彼女を助けたくても言葉が見つからない。

恐ろしい、と思った、本当に。
頭の中ではさまざまな思いがめぐっているのに、一番底の部分で空っぽになっている心が。
そして彼女は涙に目を腫らしたままこの教室を出ていった。
たった一人しかいないこの場所はひどく静かで、早くこの空間から逃げ出したくてたまらない。

そう思い空間の出口に向かって足を踏み出した瞬間、わたしの耳へと言葉が飛び込んだ────名前を呼ばれた。

「坂田、くん」
「よお……アイツはもう帰った?」

振り返るとそこにはその言葉を発した主がいて、へらりとした笑顔と口調でそう続けた。
そしてその瞬間、先ほどの彼女の姿が頭の中でフラッシュバックし彼を憎らしく思う気持ちでいっぱいになった。

「……帰ったよ、すごく泣いてた」
「ふーん」
「坂田くんのことすごく好きで大切にしてたのにね、浮気なんてよくできたね」

嫌みったらしく言ったわたしに彼は驚いた表情を作る。
呆れたようにため息をつく彼が腹立たしくて仕方ない。

「それは違うんじゃねえの?人の気持ちって他人ががんばって動かすものじゃないでしょ」
「……そんなに一生懸命愛されて心の動かない坂田くんの方が違うよ」
「ふーん、じゃあお前はさ、一生懸命愛されてれば他に好きな人がいてもそいつを受け入れてやれんの?恋愛なんてのはよ、手段なんて選んじゃいられねーの、お前にそれが分かる?えらそうな口きいてんじゃねーよ」

先ほどとは違う表情、違う口調でそう言った彼に今度はわたしが驚かされ、そしてやはり彼に返す言葉が見つからなかった。

「所詮、人間なんてのは他人より自分が大事なんだ、お前もそうだろう?アイツは俺の手に入れたいモンを手に入れるための犠牲だよ、悪いけどな」
「犠牲なんて、……坂田くんのことわたし誤解してたみたい。人を傷つけて馬鹿みたい」

頭の中で何かがゆっくりと冷めていくのが分かった。
今までの思いも何もかもが。
親友が坂田くんのこと好きなのは知ってたから応援してあげようと思ったよ、彼女が一生懸命なのを知ってたから幸せになってほしいと思ったよ。
それが例えわたしの気持ちを隠すことになっても、彼女たちの幸せを願ったのに全部全部汚されたような気がして、全部全部全部壊されたような気がして。
ゆっくりと冷めていく。

「この先、あの子に関わらないでね。もう傷つけないで」

それだけ言うと、わたしは漸くこの空間から逃げ出した。
だけど、背中に突き刺さるように聞こえた言葉にわたしの心が確かに───動いた。

「人のこと傷つけるなとかいうお前は、いつまで経っても俺がお前のこと好きって気付かねえじゃねえかよ」

振り向いたその先には弱々しくて、先ほどの彼からは想像もつかないような悲しそうな笑みがあった。


「偽善」


傷つけてほしくなかったのは自分で、涙をこぼす彼女にかける言葉が見つからなかったのは、きっとどこかで密かに喜んでしまう自分がいたからだ。
ああ、やっと空っぽの心の部分に名前がついた。
偽善を纏った安心だ。
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