先輩 | ナノ

一度目の夏が始まった。



「宿題もう終わらせたんだよね」
「早っ!」

肩に竹刀を担いだ山田が、救急箱を整理中の俺の方を見て呟いた。

「いやあ、わたし計画的なんだよ。みんなが必死に勉強しているのを想像しながらアイスを食べるのがわたしの至上の幸せなのさ!」
「性格悪いですねィ」
「あ、先輩おはようございます。で、それは先輩には言われたくないっす」
「どういう意味でィ」
「まんまですね」
「ていうか沖田さん珍しく早いですね、今日」
「何でィ山崎。まるで俺がいつもは来るのが遅いみてえな言い方じゃねえかい」

実際遅いでしょう。そう言うと、ああ手が滑るかもしれねえや、とか言いながらどこから取り出したのかも分からない日本刀をちらつかせたので、俺はおとなしく黙った。山田は随分とおかしそうに俺を指さして笑っている。その表情はどこか柔らかくて、何でだろうと五秒ほど考えてから、ああ沖田さんがいるからか、と合点がいった。
山田に、まだ沖田さんのことを好きかと聞いたのは確か六月の終り頃だったはずだ。今は七月中旬だから、まあ普通に考えて一ヵ月たかだかで気持ちがころりと変わるとも思えないし、何か進展があったとも思えない。第一、沖田さんは彼女いるしね。って、あー、何考えてんだろ、俺。下らない。あの二人がどうこうなんて話、考えてみたって俺の事態がよくなるわけでは、ない。

「そういえば今日、わたしたちミーティングなんだよね」
「え、何で?俺達聞いてないけど」
「うん、何か土方先輩が、初心者の奴らにだけ回しておけって。退は経験者じゃん。 何かあるんすか?沖田先輩」
「あー、多分あれだろい。新入生歓迎」
「は?歓迎ってとっくの昔にやったじゃないすか」
「あれは形だけみたいなもんでィ」
「飲み込めないんですけど」
「頑張れ山田。山田ならできる」
「うわあ、全然頑張れない」

二人の会話を聞きながら、ああなるほどと納得した。剣道部は毎年入部希望者が多いらしい。それは経験者から初心者まで幅広く。そしてそれと同じくマネージャーも多いわけだけど、それはまあいいとする。とにかく、銀魂高校はインハイ常連、過去に優勝経験も何度もあるほどの学校だ。それ故に部員数も多い。少なくて部費や予算をあまりもらえない部活に比べたらよっぽどましなのだが、だけどさすがに何十人という部員数は部活動というまとまりとしてうまくやっていくには多すぎる。
その結果、行われるのが振り落とし。部員数を減らすため、一年生はとことん厳しい練習を強いられる。初心者は、山田がやっていたような無茶すぎる体力作り。俺達みたいな経験者は先輩達のハードな練習の中に放り込まれることによって振り落としが図られる。実際、最初は一列に並んだらそれこそ体育館の壁から壁まではあるんじゃないかというほどの部員も三分の一以下まで減った。マネージャーも同じ。ほぼ毎週と言っていいほどの遠征や、朝練夜練というハードスケジュールに着いていけなくなり止めた子がほとんどだ。ちなみにそういう子は沖田さんや土方さんにつられて入った子が多い。

「ああ、なるほどね」
「ようやく理解しやしたかい?」
「はい。つまりわたしは試練に耐え抜いた勇者と、そういうことですか!」
「あながち間違いじゃねえけど、何かうぜえ」
「じゃあそろそろ練習入れてもらえるんですかね〜。やっとまともな練習できる」
「浮かれるのはいいけど、あのアホチャイナと志村姉には気をつけなせえ。死にかねねえからな」
「……どんな練習してるんですか」

##NANE1##もようやく理解したようだった。大方の子は、そういう仕組みがあることを知っていたか途中で感づいていたけれど、山田は本気で何も知らなかったらしい。まあ、それであの練習乗り越えたんだから大したものだけど……って、山田は四月五月まではさぼりまくってたっけ。
やっと整理の終わった救急箱のサイドチャックを閉めて、俺はそれを肩にかけた。

「山田、行くよ。最初の集合はいっしょだろ?」
「ん。ああそうか。はいはい」
「じゃあ沖田さんお先に」
「どうもでーす」
「おお……あ」
「どうしました?」
「あのさあ」
「はい」
「お前ら、付き合ってんですかい?」
「……は?」
「だってお互いいつもいっしょにいるの見やすぜ。女友達や男友達とじゃなくて」
「やー、付き合ってないですよ。退は師匠的な感じです」

ね。と俺の目を見た山田の瞳がじんわりと濡れているような気がして、俺は目を逸らした。ああ、これ痛いだろうなあ、なんてね。

「誰が山田みたいなのと付き合うんですか。沖田さん悪趣味ですよその嫌がらせ」
「おまっ!失礼すぎるだろそれ!沖田先輩も何でそんなこと聞くんですか」
「まあ、何となくでさァ」
「何となくで済んだら警察いりませんからね、ほんと」
「俺が警察でい……ってこっちでは違うか」
「いやいや、こっちとか言っちゃだめでしょ」

山田は平生を装って、笑う。「じゃあ本当に行きますからね」。そう聞こえたかと思ったら、俺は山田に裾を引っ張られてその場を後にしていた。
体育館が俺たちの前方に見えてくると、ようやく掴まれていた裾が離されたので、俺は自分のペースで歩き始める。

「山田、」
「今何か言ったら刺す。竹刀で」
「ああそう」
「結局」
「……」
「あの人は先輩でしかないんだよ」
「うん、そうだね」
「うるさい」
「自分が言い出したくせに」
「うん、でもさ」

分かってることだからいいんだよ。仕方ないよ。

仕方ないよ、とそう言った山田の声が思ったよりもしょぼくれていたから、どんな顔してるのかと思って目だけで横を確認した。泣いているか、諦めているか、そのどちらかの表情だろうと期待していた俺は、あっさりとそれを打ち砕かれる。
こいつはいつも、前を向いている。あの日からずっと。

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