先輩 | ナノ

「今日、お前これにスコア書いてくれ」
「はい?」
「一回で理解しろ、ポンコツ頭。試合の得失点記入しろつってんだよ」
「それは分かりますけど、なぜわたしが…」
「あ?てめぇマネだろうが。当然の義務だ」
「先輩、この際言っておきますけど、わたし元はマネじゃないっすからね」
「ああ、サボり魔か」
「キイイイッ!」

そう叫んだわたしを無視して、土方先輩は「じゃあよろしく」とスコア表をわたしの頭の上に乗せ去っていった。
やっと言われていたこと全てを終えて一息ついていたのにまた忙しくなる。
スコアを書かないといけないってことは先輩たちの試合順を把握…まあいいや。あとにしよ。あとあと。

「あー、そういえば退に会ってないやー」

お礼言わなくちゃいけなかったのに。どこにいるんだ、あいつ。

「ちょっくら探しにいくか」

よし、と無駄な気合いを入れて観覧席を後にした。
ついでに携帯とか服とか取りに行くの着いてきてくれないかな、あいつ。
たんたん、と階段を一歩一歩降りながら今日の夜どうするかを考えた。とりあえず、九ちゃんに聞いて駄目だったら神楽ちゃんとこかな…。
というか、女将に文句言ってやりたい。
階段を降りきり、左右どちらに行くか悩んだ末、右を選んだ。
静かな廊下を突き進んでいく。すると、前方によく見知ったふわふわな頭の駄目な大人が見えた。

「あ、先生」
「よう山田、何してんだこんな所で」
「こっちの台詞ですよ。というか全然見ないから帰ったのかと思ってました」
「馬鹿、帰れるもんなら帰ってるっつーの。交通費ねーし食費もねーから仕方なくいんだろうがよ」
「そんなことだろうと思ってたけどね。それより先生、今暇?」
「何?ナンパか?それなら俺ァ」
「ちょっと部屋に荷物取りに行くんで着いてきてください」

そう言うと、先生はうわっと嫌な顔をして「荷物ぐれぇ自分で取ってこいよ。面倒くせえな」と吐き捨てた。
まあだいたい予想はしていたけどね。
通りすぎようとする先生の方を振り向くこともせず、わたしは呟いた。

「さっちゃん先輩…」

ぴたり、と先生の足音が消える。よし、これはもうこっちのものだ。

「先生の部屋で、寝るって言ってたよなあ」
「ああん、そ、それがどうした」
「先生と生徒が同じ部屋で一晩過ごしたなんて、PTAモノだよなあ」
「バッ、あれはお前、あいつが勝手に来ただけ」
「ほほう、先生。さっちゃん先輩がいたということを認めましたな」

くるりと振り向いて、フハハと笑えば冷や汗だらだらの先生と目が合った。
さすがに先生も、今クビになるのは困るんだろう。慌てたようにわたしに近づいてくる。

「部屋に荷物取りに行くんだっけか?よーし、銀さん張り切って荷物持ちするぞー!」
「ああ、先生。荷物持ちよりもどっちかっていうとお祓いしてほしいんですけどできますか?」
「は?お祓い?」
「お祓い」
「…っ」
「ちょっと待ったあああ!」

背を向け、全力で逃げ出そうとした先生のワイシャツをぐいっと掴んだ。
その反動で先生は尻餅をつく、がそれでも何とか逃げようと床を這い始める。

「先生、何逃げ出そうとしてんすかあああ!」
「いや、これは逃げるんじゃなくてだな、糖分の王国的なのが俺を呼んでるんだ、本当だから。これ」
「そうはいきませんよ、先生!わたしも困ってるんですから!」
「ちょ、マジで放して。な?三十円あげるから」
「誰が放すかああ」

それからしばらく攻防戦を繰り広げ、ついにわたしが勝利した。
本気で嫌がる先生を部屋に放り込み、時折聞こえる叫び声を無視して荷物を取ってこさせた。
出てきた先生は、入った時よりも少し痩せていてめっちゃ涙目だったけど、先生だからまあいいと思う。

「お前に不幸が訪れればいいのに。全身の毛穴ぜんぶ開け」
「嫌だよ、気持ち悪いな」


体育館に設置されている更衣室で、わたしは自分のジャージに着替え、退に借りていたジャージを洗濯機にかけた。
また、「そんなの洗うために洗濯機使ったの?」とか言われそうだけど洗わず返すよりいいと思う。

「…そろそろ試合始まるかなー。さっきまで練習してたから、もうすぐだよね」
「おい」

突然後ろから声がした。このパターン多すぎだと思う。
わたしは振り返って、その声の主を見る。案の定、沖田先輩。
うっわ、会いたくない。

「昨日のあの態度は何でィ」
「…先輩には関係ないっす」
「俺が聞いてんだから、山田はつべこべ言わずに答えればいいんでさァ」
「何ですか、その俺様発言。どこの国の暴君ですか、それ」
「いいから言え。先輩命令でィ」
「…」

黙ったまま難しい顔をしていると、空気を読まない洗濯機が脱水終了の音を鳴らした。
ピンポンパンポンピーン、って、なんか間抜けだな。わたしの家の洗濯機はどんなだっけ。

「…何うすら笑ってんでさァ、気色悪りいな」
「放っておいてくださいよ」

洗濯機を開けて、中でしわくちゃになっているジャージを取出し、パンパンと叩いた。
その様子を先輩は眉に皺を寄せて見ている。気にしない、何も気にしていない。

「あいつが何かしたんですかィ?」
「…あいつって、誰ですか」
「だから、あの馬鹿が」
「さあ、そんな人いましたっけ?本当に昨日のことは気にしないでください」

そう言ったきり、先輩は黙ってしまった。何も言わず、静かに睨んでくる。
目が逸らせないのは何でだろう。いつもならすぐに逸らすのに。

「失礼、します」

ようやくふりしぼった声は小さくてとぎれとぎれで、もしかしたら先輩には聞こえていなかったかもしれない。
それでもよかった。無性に泣きたくなる気持ちを抑え、ジャージを握りしめて先輩の横をすり抜けた。

「…山田、悪い」

背中に聞こえた声が痛かった。
何が、悪いなんだ。先輩は何も悪くないじゃないか。


「ん、ジャージ」
「ああ、ありがとう。ていうかこんなの洗うのに洗濯機回してないよね?」
「あー、絶対言われると思ったよ」
「やっぱり使ったんだ」

まあ、山田が手洗いするなんて思ってなかったけど。と付け加えてから、退はわたしの差し出したジャージを受け取った。

「今日は、九ちゃんとこ泊めてもらうから。このうはありがと」
「ああそう。ていうか何素直にお礼言ってんの?気持ち悪いんだけど」
「退がいじめる…」
「いじめてないよ」

そう言われたことに返事をしないでいたら、沈黙になってしまった。
昔は、ていうかつい最近まではこの空気が大嫌いだった気がしたけどなんだか慣れた気がする。うむ。

「もう始まるよ、山田」
「あー、うん。じゃあ行こうかね」
「…ねえ山田」
「何さ」
「…やっぱいいや」
「え、何その気になる感じ。やめてよ」
「うるさいよ」
「えええ、退がそれを言うのかい」

声を大きくしたわたしをそのままに、退は「もういい」と言ってすたすたと歩いて行ってしまった。
一瞬、ぼけっと突っ立ったままそれを見送ってしまったけど、わたしも急いで追いかけた。


「これどうやって記入するんすか?原田先輩」
「ああ?副長に聞いてねえのかよ」
「いやー、土方先輩は、これ書けって押しつけて去って行ったんで」
「まったく仕方ねえな。まあいい、ここに名前書いて…」
「ふむ」

体育館に戻ると、もうすでに試合が始まっていて焦った。運よく銀高はまだ試合前だったけど、もう少しで土方先輩の鉄拳が飛んでいたと思うとじんわりと後頭部が傷んだ。なぜ。

「…てわけだ。まあやってるうちに慣れるだろ」
「え、ああ。ありがとございます」
「…聞いてなかったな?山田」
「え、へへ。いやまあ若干」
「お前なあ、こう見えても俺は先輩だぞ」
「ほんとすみません。次からはちゃんと聞きますんで」
「ふん…やっぱりお前おもしれえな。どおりで副長や沖田さんが気にいるわけだ」
「は?今、何ていいましたか…?」
「そうだよなあ、堂々と遅刻してくるような奴今までにいなかったしなあ」
「ちょっと先輩、話聞いてますか?」

わたしも人のこと言えないけど、と思いながらも先輩に訪ねた。
だけど完全に先輩は聞いてない。このスキンヘッドめ…!

「お、悪いな山田。俺らコールされたみたいだから行ってくるぜ。山田は上からよろしく頼むな」
「え、ちょっと先輩。ほんと人の話聞けよコルアアア!!」
「応援頼んだ」
「うっぜえええ」

あああ、何でこの部活はこんなにもうざい人が多いんだ。いい人だとは思うけど、なんかうざい。
というかコールされたって言ってたよな。わたしもそれ行かなくちゃいけない感じじゃね?

えーと、A8コートはどこだっけ。

朝、先輩にもらった対戦表をぱらぱらとめくった。どこだどこだ、と探していると、突然その冊子の間からメモ用紙がひらりと落ちた。
それを拾い上げると、単語が一つ雑な字で書いてあった。名前はない、それでも誰がこれを書いたのかくらいすぐ分かった。
馬鹿と書かれた小さな小さな白いメモ。それでもわたしの心を満たすには十分すぎた。
何であの人は、こんなに下手くそな心配のし方をするんだろう。

「…気にしたく、ないのになあ」

嫌でも好きになる自分が憎かった。
叶わない恋の火に、油を注ぐような真似する先輩が憎らしくて、好きだった。

と、こんなところで感傷に浸ってる場合じゃない。慌てて立ち上がりA8コートの方へと走った。
上から下の会場の様子をのぞきこむと、整列が終わりちょうど原田先輩が始まる所だったのでほっと胸をなでおろした。
そうだそうだ、用紙に書かねば。

「あー、確かここに名前を書いて…」

五人いるメンバーの名前を一人一人記入していく。
先鋒・原田、次鋒・山崎…っていやいや退ちゃっかりレレギュラーだったのかよ。嘘だろあんな地味なのに。どう考えても永倉先輩とかのが強いだろ。
あ、突っ込んでる場合じゃなかった。中堅は、沖田…。

「…馬鹿だー」

こんなただの紙に先輩の名前書くだけでも動揺してしまう。
気持ち悪い、自分が気持ち悪い。と自己嫌悪に浸っていたらあっという間に原田先輩が一本を決めていたので、脳みその中にあるごたごたしたものを振り払って先輩たちの試合に集中した。
見逃していたら、試合前に間に合っても意味が無いし。

「あ、次退じゃん。がんばれー」

到底届かない声で言ったはずなのに、退はちらりとわたしの方を見た。いや、お前テレパシーかよ。とか思ったけどさすがにこっから突っ込むことはできなかった。
主審の、始め、の掛け声とともに両者が向き合い緊張がはしる。

「…なんか、剣道って緊張だ」

思わずつぶやいていた。
よくよく考えたら、わたしは剣道というものをしっかりと間近で見るのは初めてだ。
今まではやっちゃんに誘われたりしても断ってたし。
案外、おもしろいのかもしれない。剣道。

「あ、退も一本取った」

ナイスー、とぱちぱちと小さな拍手を贈る。
二本目は取れなかったものの、退も一本勝ちを決めた。
わたしは、さらさらと用紙に記入して三人目の選手に目を向けた。

「沖田先輩ってめっちゃ強いって聞いたけどどうなんだろ」

原田先輩も退もわたしの目から見れば十分強い。
だから、それ以上がいったいどんななのか分からない。

「始め」

再び、主審がそう言った。さて、どうなるか。
そう思ってのんびりと先輩たちを見つめていたわたしは、予想外の出来事に目を見開いた。

「一本」

あっという間だった。合図が出たと同時に、先輩は相手に向って飛び込み、それと同時にパンッという乾いた音が響く。
握られた竹刀はしなやかに相手の面へと吸い込まれていったのだ。あまりの速さと、動きの美しさにわたしは固まってしまった。
初めて、スポーツを綺麗だという観点で見た。
それは、わたしが沖田先輩のことが好きで何かしらの贔屓目があるとかそういうことは一切関係なしに、本当に綺麗だと思ったのだ。

気づいたら、先輩は二本目も決めてしまっていた。

「…やっぱ、すごい」

手摺りに頬杖をしたまま、わたしは放心した。
だから、沖田先輩が一瞬こちらを見たなんてことにもまったく気付かずにいた。

「先輩、遠いなあ」

自然と笑みがこぼれたのは、こんなわたしを自嘲してのものなのか素直な感心からなのかは分からなかったけれど、いやな感じはしなかった。
まあ、その後の土方先輩、近藤先輩の試合を見逃して怒られたせいでテンションは下がったけどね。


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