先輩 | ナノ

「長かったね、風呂」
「あー、うん。ごめん」

別に謝ることじゃないよ、と言って退は入り口につっ立ってるわたしにタオルを投げつけた。
それを顔でキャッチしたわたしは、右手で掴むと退を睨み付ける。

「その頭、何で乾かしてこなかったんだよ」
「つい、うっかり」
「風邪引かれたら迷惑だから。俺たちが。さっさと乾かしなよ」
「ごめん」
「だから、何で謝るんだよ」
「あー、うん」

退は眉をしかめてわたしに近づいてきた。
また叩かれるか蹴られるか何か悪いことをされるんじゃないかと身構えたけど、それは意味なかった。
退はただ、わたしの横をすり抜けて部屋の扉の鍵をかけにいっただけだった。

「…明日も早いんだから、もう寝たら?あ、ちなみに六時起床だから」
「そうする」
「じゃあ右側使ってよ。俺、もうこっちに荷物とか置いちゃったし」
「ありがと」

おぼつかない足取りで、右側の、まだシーツのぴんと張ったベッドに向かった。
真っ白なシーツの上に、ばたりと倒れこむ。枕に顔を押さえ付けていたら少し苦しかったけど、この顔を退には見られたくなかった。
馬鹿だ、今日は感傷に浸ってるぞわたし。また泣けてくる。

「…んぐーっ」
「…うるさいよ、山田」
「…」
「お前、本当に馬鹿だよ」
「…」

退にそう言われて、わたしは、そうだよ、と小さな声で呟くように返した。
きっと、退には聞こえていないと思うけどどうだろう。
枕の顔の位置を少しずらした。

「顔なんて特別良いわけじゃない、性格は変、スタイルなんて目もあてられない。駆け引きとか絶対できないだろ?」
「…落ち込んでる人にかける言葉じゃないよ、ばかさがる」
「人から彼氏奪う度胸なんて山田にあるわけがないし、めんどくさがりだし、意味分からないし、うるさいし」
「もういいから寝ろ、わたしも寝る。明日早いんでしょ」
「俺、山田には無理だって言っただろ。知ってたんだろ。じゃあ泣くなよ」
「…おやすみ」

ばさりと退が布団から起き上がる音がした。わたしは枕と布団とで体ごと退から隠す、けれど退はそれをいとも簡単に剥ぎ取ってしまった。
わたしは、何も言わずにまだある枕に顔を埋める。
退の言うことは正論すぎて、言い返せない。わたしはきっと退の言ったままだから。

「顔、上げてよ」
「…無理」
「何で、あの人なんだよ」
「そんなの、こっちが聞きたい。あんなサディストでサボリ魔で無茶苦茶な人わたしの趣味なんかじゃないもん」

今さら、沖田先輩のこと好きじゃないなんて誤魔化しても意味が無いと思った。退は最初から気付いていたから。
視界は真っ暗、退の顔なんて見える筈もないのに、どんな表情しているかが分かる。

「なんで、退が怒るの。世話好きはいいけど、わたし今落ち込んでるから」
「…」
「怒られていろいろ言い返せる体力も精神力もないよ。意外とね、失恋って辛いんだよ」
「…」
「退は、そんな思いしたことないでしょ。そこそこ人気あるもんね、退。だから放っておいて、ほんと」

きっと今、退は眉間に皺寄せて渋い顔した。
パチリ、と音がして部屋の中が暗くなるのを感じた。

「ほんとに、おやすみ」
「…山田」
「…なに」
「ごめん」
「何で謝るのさ、馬鹿」

やっとこさ枕から顔を上げて退にぶん捕られた布団を手探りで掴み、くるまって瞳を閉じた。
今は、何時頃だろう。



「あー、…何時だ」

目が覚めた。確か昨日、退は起床六時って言っていたような気がする。
ごそごそとポケットを漁り、携帯がないことに気付いた。そういえば、携帯も部屋だっけか。

「あ、退いないし」

もう行ったのかな、起こしてくれればいいのにあいつめ。まあ、夜はいろいあったから仕方ないか。
ふと、退のベッドの上に小さな時計が置いてあるのを発見した。時刻を見ると、…八時半。ハチジハン。

「…寝坊?」

言うが早いか、わたしの頭の中には瞳孔全開で怒り狂う土方先輩の顔が浮かび、次の時には走り出していた。
やっばい、これはやばい。いい加減にしろ自分。責任感なさ過ぎるにも程がある。

「集合どこだったっけ。八時半て朝練始まって…うううもう!」

とりあえず、体育館に行ってみれば何か分かるんじゃないかとそこに向かって駆ける。
と、丁度わたしの前方に袴を身につけた黒髪が二つ見えた。
あれは、たぶん土方先輩と部長。

わたしは走るスピードを更に速めた。

「せ、先輩…!」
「ん?」
「ああ、おはようななちゃん」
「へ、おはようございます。…あれ?怒ってない?」
「もう大丈夫なのかよ、てめえ」
「ん、何が?」
「ザキに聞いたぞ、昨日の夜に熱出したって。無理矢理連れてきちゃったからなあ、疲れてただろ。ごめんな」
「いや、そんな」

一瞬、何を言われているのか分からなかったけどすぐに理解した。退が粋な計らい(?)をしてくれたっぽい。
部長は、申し訳なさそうな顔をしてわたしの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「もう大丈夫です。元気です。今日は真面目にマネージャーしますよ」
「それなら助かる。とりあえず昨日と同じ場所のベンチに置いてある全員のドリンク補給。と、洗濯な。昼食の弁当手配も頼む」
「土方先輩、鬼ですか」
「ああ?テメェが大丈夫つったんだろ」
「それにしても…くそう」
「ななちゃん無理しなくていいからね。ドリンクくらい俺たちでやるし」
「いや、大丈夫っす。何だか今日はバリバリ動きたくなってきたんで。できるOLになりますよ、バリバリいきます」
「おう、じゃあほどほどにバリバリやってくれ」
「はい、バリバリいきます」
「じゃ、ななちゃん。俺たちは行くよ。バリバリ」
「がんばってくださいね、部長バリバリ」
「語尾になってんじゃねーかよ!」

冴えた土方先輩のツッコミが廊下に響いた。
先輩達が消えていった先の体育館からは、どすんどすんという地響きやわーやーという雄叫びが聞こえる。

今日も、一日始まるな。

「よっしゃ、バリバリ働くぞ。バリバリ山田!」

うしっと気合いを入れて、右手にある二階への階段を駆け上った。
まずは、ドリンクでその後は洗濯で・・・あ、今日も試合あるからたすきも用意しないと。
それと、…退にお礼を言わなくちゃだな。何となく癪だけど。昨日、さんざ酷いこと言われたけど。

「あ、神楽ちゃんと九ちゃんおはよー」
「おはよう」
「あ、なな!もう体調はいいアルカ」
「うん、よいよ」
「昨日、いつまで経ってもななが来ないからどうやってヤキ入れるかの計画を姐御とクワダテテいたアル。でもまあ風邪だったなら許してやるヨ」
「…あはは、本当にごめんね」

全力で、退にお礼を言わないといけないな。これ。

「あ、そういえば昨日わたしの部屋に幽霊が出てさー」
「マジでか」
「幽霊…僕は見たことがないからどんなものか分からないのだが」
「あー、なんか女の人でー」

下らない話をしながら、無駄に笑って、ドリンクの補給をした。
まだ胸に引っかかる所はあるけれど、忙しさの中に先輩の存在を少しでも忘れさせてくれる今が心地よかった。

- ナノ -