先輩 | ナノ

「山田、宿行くよ」
「…ふんっ」

あれから退とわたしの仲は微妙な感じだ。
わたしが何となく退とはしゃべりたくなくて避けてるだけとも言えるけど。

「あのさ、何なのその態度。俺何かしたっけ?」
「ど〜の〜口が〜そんなこと言うのかな〜」

ギロリと退を睨み付けてから、もう一度「ふんっ」と鼻を鳴らしてその場を離れた。
何ていうか、何ていうか、退にあんなこと言われたせいで色々と考えてしまったのだよ。
そのせいで、気付いたら稽古が終わってたのだよ。

「もう嫌いだアイツ!絶交切ってやるバーカバーカ」
「バカはてめえの方だ、山田。結局真面目に仕事こなしたの最初だけじゃねえかよ」
「む、あれは完璧に山崎氏が悪いんですよ。土方先輩」
「知るか。あ、そう言えばお前は猿飛と同じ部屋だから。明日の朝遅刻すんなよ」
「へ?ああ、宿の話か。了解っす」

先輩達の集団に混ざって歩いていると、前方になかなか新しくて綺麗そうな旅館が見えてきた。
合宿にしては何ともゴージャスだな!

「先輩先輩、あの旅館ですか!」
「あ?…お前、合宿なめてんのか?」
「へ、違うんすか?」
「バカ、その隣のだ」

とーなーり。
少し視線をずらすとわたしの目に小さな建物が映った。
…え?あれ?本気で小さくね?しかも古くね?何か怪しくね?

「うええ!あんな所にレディを泊まらせるんすか?」
「レディっつーのは鏡見てから言えや」
「何をう!というかよく考えたらわたし、猿飛先輩と同室ってどうい…」
「死ねゴリラアアアアア」
「消えろサディストオオオ」
「…アイツ等と一緒がいいか?」
「猿飛先輩バッチコイですっ」

ふと空を見上げると、赤い夕日に吸い込まれるように近藤先輩が飛んでいった。
うん、志村先輩怖いっ。

「あ、先輩。九ちゃんは誰と同じ部屋なんですか?」
「柳生か?アイツはボンボンだからな、この目の前の旅館に泊まるらしいぜ」
「……九ちゃんのメアド聞いておけばよかった」

隣にそびえ立つ旅館を見つめながら、わたし達剣道部一同は小さな宿へと足を踏み入れた。

「お、意外と中は綺麗」
「ようこそ〜銀魂高校剣道部一同様。私、女将の中井でございます〜」

外観ほど古い感じは受けない内装。女将さんも良い人そうだし、まあ許容範囲だな、うん。
ニコニコしながらロビーをぐるりと見回すと、不吉なものがちらりと目の端に映った。あれ、今の。

「…ねえ、先輩。普通お札って何に使いますかね」
「あ?そりゃあ悪霊退散とかじゃね」
「じゃあそれが貼ってある旅館をどう思いますか」
「ちょ、お前、まさか、いや無い無い無い。誰か無いと言ってくれ」

顔中冷や汗だらけにして震える土方先輩をそのままに、わたしは女将さんからルームキーを受け取った。
その際、「お嬢ちゃんなら大丈夫ね」と言われたのだけど、何が大丈夫なのかは考えないようにしたいと思う。


「ふうー、さて夕食まで何するかな」

部屋に入ると荷物をクローゼットに押し込んで、ベッドに腰掛けた。
というか猿飛先輩は何処。

「五時…一時間も何しようかな〜」

バタン

呟いた声と重なるように大きな音を立ててドアが開いた。
そしてその向こうに、ロングヘアーに赤渕のメガネをかけた女性が現れた。

「へ、どちらさま?」
「あら、あなたが相部屋の山田さん?さっちゃんよ、よろしく」
「あー、猿飛先輩?」
「さっちゃんでいいわ」

そう言うと鞄をもう一つのベッドへと放り投げ、スタスタとわたしの方へと近づいてきた。
手には納豆を携えて。え、臭い。

「な、何か用でも…?」

じっとわたしを見つめてくるさっちゃん先輩に圧倒されてしまい、口を開いたままそれを見上げていた。すると、わたしの顔の前にスッと右指を指しだした。

「あなた、銀さんのことをどう思う?」
「ぎ、銀さん。と言いますと」
「あら、分からなかったかしら?坂田銀八先生のことよ」
「ああ、坂田先生のことか。どう思うって言われても、ただのだらしないモジャモジャとしか」
「私はね、銀さんを愛してるの」
「ああ、それは、はい」

この人、わたしに何て言ってほしいのだろう。
というか坂田先生?すごい趣味してるなあ。ぷぷ、今度からかってやろ。

「ところで山田さん、私は今夜も銀さんの所で寝るつもりだけどあなた良いわよね?」
「いや、それはもう、はい」
「そう、ありがとう。じゃああなた私と銀さんのこと応援してくれるわね?」
「もういいんじゃないですか」

先生の所に泊まりってもうそんな仲なのか、意外に先生は挑戦者だな。とか考えを巡らせていると、ようやくさっちゃん先輩が指を引っ込めた。
そして再び納豆をかき回し始める。

「ふふ、これであなたはライバルから脱落したわ」
「ライバル?」
「わたしの情報によると、あなた銀さんの部屋(国語準備室)でエロ本をのぞき見した上、銀さんから苺牛乳を頂いてたわよね」
「げっ、何でそんなことを」
「ふふ、わたしが銀さんのことで知らないことなんて無いのよ」
「ストーカーですか」
「愛のハンターよ」

何も言葉を返せず固まっていると、タイミングよく志村先輩と神楽ちゃんがやってきて夕食へと誘ってくれた。
40分以上もこの人とわたし、何やってんだ。
というかやっぱり納豆臭い。


「さ、お風呂行きましょ」
「いいアルネー!温泉ー!」
「わたしはパスよ、銀さんと一緒に入るから」
「え、じゃあわたしも部屋の風呂入り」
「却下よ」

食事も終わり部屋へと帰る道のり、志村先輩にそう切り出された。
正直言ってわたしはお部屋でごろごろしたいのです。お腹も一杯なこの状態で温泉浸かったら溺死します。
だけど却下されました。

「お風呂とは裸と裸のつき合い、みんなで入らなくちゃ意味ないの。猿飛さんは別として」
「そんな無茶苦茶な」
「無茶苦茶なのはお前のタオルのたたみ方ヨ!ななが洗濯した私の愛用定春写真入りタオルがよれよれだったアル!どうしてくれるネ!」
「それはタオルに直接ボンドで定春の写真貼り付けてた神楽ちゃんの過失だろ」
「とにかくタオルと洗面用具持参で五分後に浴場集合よ。朝みたいに遅れたら…ね」

にこりと笑った志村先輩の笑顔は般若の顔よりも恐ろしく見えました。
とりあえず急いで部屋に戻って帰ってこないとやばい、朝の分と合わせてやばい。

「なな〜、お風呂の場所分かるアルカ〜?」
「大丈夫ー」

その後、「多分!」と付け加えたのは二人には聞こえていないと思う。

「いっそーげー、いっそーげー」

掛け声かけながらバタンと部屋の戸を開けた。確か洗面用具はまとめて袋に入れてあるはずだ。んで、その袋の入った鞄はクローゼットにー…
ガチャリと回したドアノブ。それを手前に引いて鞄を掴もうとした手が何か鞄じゃない別のものに当たった感触がした。
何だこれ、と顔を上げその何かを掴んだ瞬間。わたしは一瞬で凍り付いた。

「…ス、ススススス」

スタンドオアアアアアアア!!

事情を把握した次の時にはわたしの足は駆け出していた。いや、だってスタンド、じゃない。ゆゆゆゆゆゆうれれれ…!
あああああ見ちゃったあああ!わたし何か憑いてないよね、これ?

「マジ怖えええ!」

とにかくわたしは無我夢中で走った。叫び散らしながら。だってもうあの部屋には絶対に帰れない。
……あ、夕方の女将の反応はもしやこのことだったのか!全然大丈夫じゃないんだけどさ!
というかもう、ほんと怖い。怖い。誰か助けてください!
階段を一段飛びで走り上がり、そのまま廊下を全力疾走していたら正面に扉の開いた部屋が見えた。
確か今日はうちの部活が貸し切りのはずだから、部員誰かの部屋であることはまず間違いない。
そのことを悟ったわたしは、正面にある部屋に駆け込みしっかりと扉の鍵をかけた。これで例え追ってきたとしても平気だろう。

「あー、怖かった…。いや、でもあれ羽生えてたしもしかして妖精とかそんなだったりしないかな」
「…不法侵入ですぜー、山田サン」
「……ん?」

何だか聞き覚えのある声が聞こえたような気がする。もちろんここは部内の誰かの部屋なのだから聞き覚えがあってもおかしくない、おかしくないけど、こう、もっと聞きなれた…。
先輩の部屋ですか。気付くの遅いですか。

「すんません、すぐ出ます」
「ちょっと待ちなせぇ、あんた何しにこんな所来たっていうんでィ」
「何しにって……あああ、スタンドオオオ」
「は?スタンド?」
「うわ、めっちゃ怖かった、ほんと先輩、ねえ!」
「意味分からねえ」

少し安心して落ち着いてきたわたしは先輩に事情を説明するべく中の部屋まで入れてもらった。
そして椅子に腰掛け黙ったままでいたわたしに向かってんまい棒(コンポタージュ味)を投げてきた。
先輩がこんなにも優しいなんて何かの罠かと思ったけど、そんなこと言って部屋から追い出されたら嫌なので黙っておこう。

「事情はわかっていただけましたかね」
「部屋に帰れ」
「そんな殺生な!先輩鬼ですか」
「幽霊の一人や二人でピーピー言うんじゃねえよ。それでもてめえは銀魂高校剣道部の一員ですか?」
「関係ねえよ。じゃなくて関係ないです。あれは誰でも怖い」
「つってもお前今日どこで寝るつもりなんでさァ。というか相室の猿飛はどうしたんでィ」
「さっちゃん先輩は銀八先生のとこだって」
「へえ、旦那のとこ……相変わらずのストーカーぶりですねィ。ご愁傷様でさァ」
「あれ?付き合ってるんじゃないんすか?」
「ハッ、そんなわけねえだろ。旦那は」

そう言いかけたところでドンドンドンと先輩の部屋をノックする音が聞こえた。
そういえば思わず鍵かけちゃったんだった。先輩の相室の人だったら悪いなあ。

「相室の人ですか?」
「いや、土方のヤローは身の危険を感じるとか何とか言って近藤さんの部屋に泊めてもらうとかぬかしてやした」
「あれ、じゃあ誰だろ…もしかしてさっきの幽霊とか」
「そーうーごー!開けないとこの扉は五秒後に爆発しまーす」

幽霊より悪いものがきました。

「げ、なんであいつが俺の部屋知ってるんでさァ」
「は?どういうことですか。会う約束とかしてたんじゃないんですか」
「した記憶はありやせん。それより山田、アンタさっさとどっかに隠れなせえ」
「は、なぜ」
「さすがにお前と二人で部屋にいるとこ見せられねえだろ。とりあえずそこのクローゼットにでも」
「クローゼットは無理です」
「総悟開けまーっす」
「あー、仕方ねえからこん中潜れ!」

そう言ってわたしは近くにあったベッドの中へと押し込まれた。と、同時にバキッという明らかに扉が破壊された音がした。
いやいやいや、ここ一応旅館ですからねえええ!

「何だいるじゃん」
「いるじゃんって、お前本当に壊す奴がどこにいるんでさァ」
「ここにいます。そしてそんな女があなたの彼女です。やっほーい」
「うるせえよ。それより何でここにいるんでィ。というか何で部屋の場所分かったんでさァ」
「一部屋一部屋壊して回りました」
「とりあえず旅館の女将さんに謝ってこいや」
「まあまあそんなことよりもお茶でも出したまえ。喉が渇いたのだ」
「一回その頭を割って脳みそ見せてやろうか?」
「やだなあ総悟。そんなことしたら死んじゃうゾ」
「消えてくれィ」

…えーと、布団の中に隠れててすごく呼吸するのが苦しいんですけど一言言わせてもらっていいですか。
あなた達、カップルじゃないっすよね。普通の彼氏は彼女に向って頭かち割るとか言わないよね。
それから十数分。先輩と先輩の彼女さんはずっとしゃべり続けていた。何やら土方先輩暗殺とか穏やかでない話を議題にして。
というかわたしいい加減苦しいぞ。こんな感じならわたし出てきても大丈夫なんじゃないかな、うん。
よっしゃ、出よ……

「そういえばこの旅館幽霊出るらしいですぜ」
「え、マジか」
「おう、だから、物音がしたり何かが出てきたりしたら一発で仕留めてやらあ」

……駄目だ。これは出るなっていう暗号だ。出たら殺られる気がする。というか全力で殺られる、間違いなく。
仕方ない。もう少しここで隠れていようかなー。

「……」

黙ったまま体をピクリとも動かさず(あ、でもやっぱりピクリくらいはしたかな)わたしはただ布団の中へ閉じこもっていた。息苦しくて、本当にどうしよう。
寝てみようかと目を瞑ってみてもうるさいほどの二人の会話が耳に飛び込んできて眠ることなんてできない。

「冷凍ミカン食べたいなー。総悟ない?」
「あると思うほうが間違ってやすぜ。つーか何で冷凍ミカンなんでさ」
「ほら、オレンジ色って情熱的じゃない?」
「意味わかんねえ。あ、今度ミカン狩りでも行きやすかい?」
「ああ、いいねそれ」

そんなやり取りを聞いているうちにふと悲しくなった。よくわからないけど、突然、本当にふと痛くなった。
そういえば先輩は彼女さんだって分かってからわたしのこと隠したよね。やっぱり誤解されたくないとか考えるんだよね。わたしがいたら彼女さんが嫌な気持ちになるんだろう、とかさ。
考えてあげてるんだろうな。
それできっと先輩はあの日、国語準備室で見せたような顔して笑っているんだろう。
彼女さんにしか見せない特別。それは特別な存在だから与えられるものであってわたしがもらえるものではない。
おかしいなあ、今まで欲しいなんて思ったことないのに。今は、ただの後輩という肩書が痛い。

気づけば部屋の中は静かになっていて、突然わたしの上に被さっていた布団がどいた。
驚いて見上げれば、何故か先輩まで驚いた顔をしていた。

「山田、何で泣いてんでさァ」

そう言った先輩の声が思ったよりもずっと優しくて、わたしは涙が頬を伝って落ちてくるのを感じた。
わたし、何で泣いてるんだろう。

「なんでも、ないっす…」

胸がずっと苦しかった。この痛みをわたしは知らないけど、この気持ちが一体何なのかはわかるような気がする。


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