先輩 | ナノ

「はああ、疲れた〜」

大きくため息をついてバス席へ座ったのはもう六時近い頃の話だ。これも一重に沖田先輩、そして遅れてきたわたし達をガミガミと説教した土方先輩のせいだ。叩かれた頭がすごく痛い。

「ななもとんだ災難だったネ!あんなサディスト男と連んだって良いことないアルヨ!」
「あ、神楽ちゃんおはよう。…って、先輩とは別に連みたくて連んでるわけじゃな」
「聞き捨てならねぇなァ、チャイナ。俺から見たらテメェと連んでる奴のが可哀想ですけどねィ。毎日弁当奪われて」
「話に口挟むなアル!お前の目玉挟んでやろうかアアン?それにアレは奪ってるんじゃなくて愛のボランティーアネ!」
「恵まれない頭の子に愛の手を、ってかィ?確かにボランティアにゃお似合いでさァ。テメェのその団子をハサミでちょんぎってやろうかアアン?」
「すみません、わたしを挟んで喧嘩しないでください。席変わるんでアアン?」
「「テメェは黙ってなアアン?」」
「…もう何も言いませんア…いや、はい」

わたしの席は退の隣だ。そしてその前が沖田先輩、後ろが神楽ちゃんと志村先輩で、二人はわたしの頭上でいまだ喧嘩中。
たまに流れ弾(神楽ちゃんのチョップや先輩のパンチ)が飛んでくるので非常に怖い。
しかもこんな時に限って退はお昼寝中だ(本当は気絶中なのだけど、ここはあえてお昼寝中にしておく)

「部長、これ止めてくださいよ。寝られないんですけど、朝早かったのに」
「遅刻してきたお前が言うな!」
「まあまあトシ、ななちゃんにも事情があったんだから仕方ないだろう。こら、二人とも喧嘩は止めなさい!迷惑だろ!メッ」

近藤部長に両側から頭をガシッと掴まれ、二人はようやく喧嘩を止め(させられ)た。
途端に静かになったバスの中、わたしも眠りにつこう…と思ったがそれは叶わなかった。

「何のマネですか、先輩」
「いや、腹減ったな〜って」
「腹減ったなら自分の鞄を漁ってください。それわたしの鞄です」
「あ、トッポみっけ。やりぃ〜」
「いやいや、やりぃ〜じゃなくてそれわたしのトッポオオオ!」

思わず叫ぶと、「山田うっせーぞ」と坊主で強面の原田先輩に怒られた。
何でわたしが。その意味も込めてギロリと沖田先輩を睨んだ時には既にトッポはその彼の口の中にあった。
深くため息をつくわたしの顔を見て満足げに笑う先輩に、不思議と顔が緩んだ。


トッポを食べ終えた先輩もようやく眠り始め(アイマスクを着用しているから本当に寝ているのかは分からないけど)静かになった。
その雰囲気に呑まれたのか、わたしも少し眠くなり退の隣で体を丸めて目を閉じる。
だけど、でこぼこ道で小刻みに伝わってくる振動のせいか部長が大きないびきをかき始めたせいか、眠れない。

(あー、普段なら真っ先に眠るのになあ)

ゴロリと体を反転させてもう一度目を強く瞑った。部長のいびきが小さくなり、バスの揺れも静かになった、だけど眠れない。それどころか見たくないものまで瞼の裏に映りこんでくる。

先輩の部屋に二つあった写真立て。
一つは、幼かった頃の先輩と家族の写真だった。
もう一つは、銀魂高校の制服を着た先輩と――。

こんなこと考えるのは馬鹿らしい。
写真に誰が写ってたってわたしには関係無いし、興味も無い。
先輩には彼女がいることは知ってるし、それを聞いてもショックは受けなかったし、今も変わらない。
悲しいとか、そんなんじゃない。
だけど、それでもわたしの瞼の裏に映るのはあの写真で
耳に残るのは、わたしじゃなくて他の誰かを呼んだ先輩の声なんだ。



気づいたら眠っていた。退に着いたよ、と起こされた時には、みんなはもうすっかり目覚めていた。

「あーー、寝不足…退、後一時間くらい寝るわ。よろしく」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと降りてよ。俺が降りられないだろ。それと、バスに積んであるでかい水筒にスポーツドリンクメンバー全員分作ってね。作り終わったら体育館の場所確保。記録用紙の準備して赤白両方ハチマキ用意して後は…」
「ちょ、待って退。それを寝起きのわたしに言う?覚えられるわけないじゃん」
「つべこべ言わずにさっさとやらないと、俺じゃなくて副長にどやされるよ」
「あーもう、いちいち土方先輩を引き合いに出さないでよ!朝も散々怒られたんだから」
「じゃあ早くしろ。あ、それとこれ洗濯して干しておくこと」

バスを出ると、退はそう言ってわたしの顔にタオルを投げつけてきた。
それを広げてみると普段の練習の時に退が使っているフェイスタオルだった。

「何?退もう使ったの?ていうかどのタイミングで使ったんだよ」
「…誰かさんの鼻水拭くのに使ったんだよ。いいから洗っておいて」
「うげっ、汚っ」

タオルの端の方を摘んであからさまに嫌がる素振りを見せたけれど、退はため息をつくだけだ。
不思議に思って首を傾げてみたけど、退は何も言わずに先輩達の方へと行ってしまった。


* * * *


「終わった…!」


退に言いつけられたことを何だかんだ全てこなしたわたしは本当に立派だと思う。

「マネって普段こんなことしてんのか…うーん、意外と大変だ。ならなくて良かった」

よくよく考えたらマネって雑用だよね…。選手達を全力で支えたいわ!っていう気持ちが相当強くないとできないわ、これ。つまりわたしには無理だわ、これ。
うーんと伸びをして、確保した体育館の観覧席から全体を見渡した。
どうやらこの合宿には他県の高校も参加しているみたいだ。まあわたし達も他校だけど。

「記録用紙とハチマキってことは練習試合するってことだよな〜」
「その通りだ山田くん」
「いや、わたし女なんで…ってあなた誰っすか?」

気付くとわたしのすぐ横に、長髪長身、目を細めて笑う男が立っていた。
この男、できる…!

「すみませんが、どちら様ですか?誰かの保護者?」
「ああ、これは申し遅れました。私、銀魂高校のエースでありアイドルであり、つーかむしろ可愛くてしゃーないみたいな?愛しくてしゃーないみたいな?そんな若こと柳生九兵衛の一番の…グホッ」

口から吐血して、男は倒れた。わたしはこれでもかってくらいに目の玉を見開いて、男が倒れた方向とは逆側に目を向けるとわたしとそう背の変わらない男…いやいや、女の子?がものすごく無表情で立っていた。

「余計なことばかり喋るんじゃない。すまなかったな、君。僕は柳生九兵衛だ。この倒れている男は東城歩と言って僕の側近なんだがこの通りの変態でな」
「いや、えーとわたし一年の山田ななと申しますけども…女の子、ですかね」

思わず聞いてしまった(ピシャァァン)
これで男の子だったらわたし本当に穴にでも潜りたい気分だけど、何だかこの人は女な木がする。あ、違った気がする。

「た、確かに若は女の子です!紛う事なき愛らしい女の子です!しかし事情があって男の名前に生まれ行動から性癖までもが男そのものだと誰が言えようかアア…ゲボェッ」
「…そうなんですか」
「本当にすまない」
「いや、何かむしろわたしがすみません」
「いいんだ気にしないでくれ。それより君は一年生か?最近妙ちゃんの周りでよく見かけるが」
「そうそう一年です。けど妙ちゃん…と言いますと?」
「志村妙のことだ。二年の」
「ああ!志村先輩!妙ちゃんと言うのですか!ほほう」
「ああそうだ。それより敬語は無しでいいぞ。僕も一年なのでな。Z組だ」

ああ、神楽ちゃんと同じ。と言おうとして止めた。
やっぱりZ組はちょっと変わった人が入れられるんだなあ、と思いながらしばらく九ちゃん(命名)とお喋りしていた。

「あ、そういえば九ちゃんも剣道部の部員?合宿来てるってことはレギュラーか補欠なんだよねー」
「ああ、僕もそうだ。僕と妙ちゃんと神楽ちゃん、他にはさっちゃんさんだな。前はちゃんと七人いたんだが、問題を起こして謹慎中なんだ」
「ああそれ退から聞いたよ。何でもにゃんにゃんしたらしいじゃん。合宿先で」
「知っていたのか。でもまあそういうわけで今回の合宿は女子はそれだけなんだ。ななは出ないのか?」
「いやいや、わたし初心者だからさ。今回の合宿は土方先輩の命令でパシらされに来たようなもんだから」
「副長にか。それは大変だな。あ、そういえばまだ到着したことを副長に連絡していなかった。ちょっと行ってくるが一人で大丈夫か?」
「ヨユーヨユー。元は一人だったからね。いってらっしゃーい」

そう言うと九ちゃんはこちらを見て微笑んでから走り去ていった。わたしはその背中が消えるまでヒラヒラと手を振り続けた。

「いやー、男前だね。九ちゃん」
「男前たァ俺のことかィ?」
「うぎゃっ!…何だ、沖田先輩か。毎度毎度突然声かけるの止めてもらえませんかね」
「気配を悟れないお前が悪いんでィ」
「どこの暴君ですかそれ。…ていうか何でいるんですか?まだみんな練習してますよ」
「…だりぃ」

わたしの後ろに立っていた先輩は、観覧席の椅子へよっこらせ、とじじ臭い声をかけながら腰掛けた。
そして自分の荷物が入った鞄をごそごそと漁り始める。

「今度は自分の鞄漁って何してるんですか?お腹減ったって言ってもわたしはもう何も持ってませんからね」
「ん」
「ん、って何…ん?ペコちゃんキャンディ?」
「くれてやりまさァ」
「ちょ、これ溶けてドロドロになってるんですけど。というかどういう風の吹き回しですか、これ」
「別に、何となくでさァ。あ、そういえば俺トイレ行きたかったんだった。じゃあそういうことだから」

よっこらせ、再びじじくさいかけ声で立ち上がるとそのまま去っていった。
手の中のペコちゃんキャンディの柄はもう既に何の絵だったのかわかりゃしない。

「…よっこらせ」

思わず呟いて立ち上がってしまった。
包装紙をくしゃっとポケットに丸め込み舐めた飴はいつもよりも甘い気がした。

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