先輩 | ナノ

「はあ?合宿ですか?」
「おう、合宿でさァ。」

先ほど沖田先輩にベタベタにされたジャージからようやく制服に着替え部室から出ると、まずそう言われた。

「大変言いにくいんですけど、わたし合宿行く必要なくね?つーかないですよね」
「それが必要ありありなんでさァ」

人差し指を立ててそう言った先輩の殺傷能力は200パーセント。いやいやアンタ、何でそんなに仕草が可愛いんだ…じゃ、なくて何でわたしが必要ありありなんだ!

「何でわたしが必要ありありなんだ!」
「そのまま言いやしたね、まあ、土方コノヤローと近藤さんの提言でさァ。残念ながら今回の合宿にマネは連れて行けなくてねィ。つまり俺たち部員の荷物持ちやスポドリ作る奴がいねえってわけだ」
「いやいやいや、それ何のためのマネですか!連れていけばいいじゃないっすか」
「昔は普通にマネも同行してたんですぜ?だけどこの前のゴールデンウィーク合宿でバカな部員がマネと過ちを犯しやしてねぇ。それ以来マネの同行禁止なんでさァ」
「…わたしも過ち犯すかもしれませんよ。テンション上がって」
「……ハッ」

ちくしょう!鼻で笑いやがったな先輩コノヤローめ!何だ!どういう意味だ!わたしが過ち起こすのはあり得ないって意味か!

「悔しい…」
「悔しがってる暇があったら明日の準備しなせぇ。朝は学校に五時集合ですぜ」
「ちょ、明日って突然すぎませんか!!わたし予定入ってる」
「予定なんざ知ったこっちゃありやせん、ご愁傷様ですねィ」

ニヤリ、先輩はそれはそれは意地悪そうに笑うと固まっているわたしをそのままに自分だけ帰っていってしまった。
部室の前に立ったまま動けずにいるわたしを部活の終わったサッカー部員が不思議そうな目で見ていたのだけは覚えている。


* * * *


「ハンカチよーし、ティッシュよーし、ドライヤーよーし、その他もろもろもよーし!
うん、準備完了!いつでも行ける」

いつの間にか家に帰っていたわたしは(どうやって帰ったのかは全く覚えていない)明日からの二泊三日の合宿準備をしている真っ最中だ。
先輩から合宿同行の話を聞いた時は三連休を失い絶望したわたしだが、何だかんだで旅行に行けるじゃん。行き先は静岡だから富士山あるしサファリパークあるしワニ園あるし?みたいな感じでテンションを取り戻したのだ。

「退情報では三日目はただ単に遊んで帰ってくるみたいだからね!明日明後日の我慢でプチ旅行!うん」

広げられた荷物を無理矢理にリュックサックの中に詰めて部屋の隅の方に投げやった。そして片付けられたベッドにゴロリと寝転がると、途端に眠気が襲ってくる。
やばい、まだ風呂入ってない夕飯食べてない目覚ましセットしてない。あ、駄目だ…眠い。


次に目を覚ましたのは午前三時だった。準備だけをして眠ってしまったわたしはそこから急いで風呂へ浸かり空腹を満たし、あれやこれやとしている内に気がつけば四時を回っていた。ここから学校まではさぼど時間がかからない。

「ちゃんと三時に起きた自分グッジョブすぎる…て、あれ?携帯メール来てる」

そういえば昨日の夜に退と連絡を取ったっきり携帯には触れていなかった。
充電器をさしたままの携帯を手にとり中身を確認した瞬間、まだ僅かに残っていた眠気という眠気が吹っ飛んだ。

「おお沖田先輩だとオオ?…しかも四時に起こせ…ってもう四時過ぎてるじゃないかコノヤロウ!」

何と届いていたメールは沖田先輩からのものだった。午後十時ってわたし思いっきり夢の中じゃん。
慌てて携帯の時刻を確認すると四時二十分ジャスト、わたしは直ぐさま先輩に返信をしたが返ってこない。確実に寝ている。

「だ、大体起こしてくれって頼むほど寝起き悪い人がメールで起きるわけないじゃないか!せめて電話だろ…ん?」

電話?と思い直してもう一度先輩からのメールを確認した。するとそこには九桁の番号が載せられているではないか。
わたしは咄嗟にその番号に電話した。普段のわたしならあり得ない行動だと自分で分かってはいるが今は、先輩に殺されたくない、というその一心なのだ。

「出ろよ〜出ろよ〜出ろ出ろ〜」

端から見ると気持ち悪いかもしれないが、わたしは今声に出すほどに懸命になっている。受話器の向こう側でコール音が十回響いた後、ようやく通話された音がした。
わたしは思いっきり息を吸い込み

「先輩起きてください!もう四時過ぎてます、本当にすみません。寝てました、ごめんなさい!だからとっとと起きてください」
『……んー』

大声で捲し立てたわたしはさぞかし近所迷惑だろう。実際に隣の姉ちゃんの部屋からわたしの部屋の壁を蹴る音が聞こえた。
しかしかまっていられない。短いうなり声をこぼす先輩が目覚めるまでもう一息だ。

「先輩、本気で起きてください。先輩が遅刻するとわたしが土方先輩にどやされます」
『…眠みぃ、…起こしにきてくだせぇ―――』

受話器越しに聞こえた先輩の声、わたしはほんの一瞬だけ息を止めてしまった。
今、先輩が言った名前…わたし、じゃなかったよね?
はっきりとは聞こえなかったが確かに先輩は誰かの名前を呟いた。そしてそれはわたしではなかった。
やけに焦ってしまう自分の気持ちを静めようと、わたしは先輩に向かって再び叫んだ。

「せ、先輩!起こしに行きますからとりあえず家どこですか!!」
『んー、学校の近く、の…アパート』
「あ、あそこですね!分かりました。とりあえず自分で起きる努力しておいてください」

ブチリ、と電源を切った。
携帯を握りしめる手が、熱い。

「うあ!考えごとしてる暇なかった!」

放られたリュックを片手に、わたしは部屋を飛び出した。
鼓動が、早い。


「あ、あのアパートか!」

自転車を飛ばすわたしの前方に学校と、先輩が住んでいるのだろうアパートが見えた。
アパートは新築とまでは言えないがそれなりに新しそうな、高校生が住むには十分すぎるものだった。
家からここまでの道中、ずっと先ほどのことを考えていた。
先輩が呼んだ人が、やはり先輩の彼女なのだろうか、と。そしてその彼女と間違われたことをわたしはこんなにも焦っていて、同時にあんなにも鼓動が早くなったのだろうかと。
普段なら簡単に流してしまいそれでおしまいのことが、どうしても頭から離れなかった。頭をぶんぶんと振ってみても、合宿のことを考えてみても、頭に浮かぶのはそのことばかりだ。

「あー、どうしよう。頭痛いわ」

本気で帰りたい、などと思っているうちに先輩のアパートの前に着いてしまった。どの部屋かは…表札を見ればわかるだろう。
タンタン、と階段を上り一つずつ確認していくと一番端っこに沖田の文字があった。
その部屋のドアを叩こうと思ったが、その前に無性に深呼吸がしたくなり大きく息を吸って、吐いた。

(いざ…!)

ダンダンダン

「先輩〜」

今は明け方、そして余り目立ちたくないというのもあってわたしは小さめの声で先輩を呼んでみた。
でも、まあ、それで起きるはずもないっていう話ですよね。

ガチャガチャガチャ

「起きろ沖田アアアア」

ドアノブに手をかけて思いっきり回した。近所迷惑が何じゃあああい!自分の身が一番じゃあああい!

「もういい加減に起きろ…ってぐわっ」

体重をかけて押した戸が予想外に開き、そのまま部屋の中へと倒れこんだ。
鍵閉めてなかったのか!

「痛っー…」

リュックに下敷きにされた体を起こして辺りを見回した。うーん、綺麗だ。
わたしは廊下をまるで忍者が歩くようにひたひたと奥の部屋へ向かった。

ギィ

「先輩…?」

恐る恐るリビングの戸を開けると、そこにはベッドに横になり健やかな寝息をたてる先輩の姿。
その手には携帯が握られていて、わたしの頭の中に先ほどの出来事がフラッシュバックした。

「あああああ、もうやだなあ」

大きくため息をついた。けれどため息をついても変わることは何もない。ここまで来てしまったのだから腹をくくるしかない(?)

「先輩、起きてください。もうすぐ集合時間ですよー」

ゆさゆさと先輩の体を揺らすと、唸り声をあげて寝返りをした。
どこまで寝起き悪いんだよ、と内心イライラしながら今度は激しく揺らしてみる。

「先輩起きろオオオ!…うらあっっ!」

ドスン

「…〜、痛てぇ…」
「先輩、もう集合五分前です」
「は?集合…?つか何で山田がいんの?」
「先輩が起こせって言ったんじゃないすか!それよりさっさと着替えてください!
準備はしてありますか?」
「…してねぇ」
「はああああ?」
「耳障りでさァ」

あんた準備も終わってないとか確実に間に合いませんよね、これ!
ごそごそと着替え始めた先輩を見ないようにして、わたしは罵ってやりたい気持ちを懸命に堪えた。

「先輩、先輩も起きたことだしわたしもう行っていいですかね?」

ようやく先輩への不満とかそんなのが収まったわたしはそう訊ねた。
わたしの任務が先輩を起こすことならその役目はもう果たしたはずだ。だけど先輩からの返答はない。それがやけに怖かったりするチキン、山田なな。

「…俺ァ」
「はい?」
「俺ァ、四時に起こせって言いやしたよねぇ?あんたが来たのは四時半過ぎ」
「げ…」
「今逃げようが、結局あんたは怒られやすぜ?」

どうしやす?と聞いてきた先輩はそれはそれはサディスティックな笑みを浮かべていて、わたしは冷や汗が流れた。やっぱり悪いことを考えていたのだ。
確かに、先輩が起きれなかったことをわたしのせいにすれば、土方先輩の怒りの矛先はわたしにも向けられる。

「…一刻も早く準備してください、先輩」
「それでいいんでさァ。とりあえずその辺りにあるジャージと下着を鞄に詰め込んでおいてくだせぇ」
「はーい」

それだけ言うと先輩は部屋を出ていったので、わたしは足元に落ちていた鞄を拾いその横に畳まれていたジャージを詰め込んだ。
二泊三日だから下着は二ついるなあ………て下着!
先輩の下着を手に取って固まってしまった。そしてうなだれた。

「わたし何やってんだ…」
「人の下着握りしめている女を俺は痴女と呼びやすぜィ。もしくはど変態」
「うぎゃっ!先輩いつの間に」
「さっさとそれ詰めなせぇ。後このタオルも」
「は、ははい」

何だ、タオル持ってきたのか。と妙に安心しながらわたしは握りしめてくしゃくしゃになってしまった先輩の下着を詰め込んだ。
すべての用意が終わって一息、わたしは携帯を確認した。五時十五分…土方先輩だけじゃなくて志村先輩とかも怒ってそうだなあ。
その時、わたしの手の中でブルブルとそれが震えだした。
退からの着信であると確認するとすぐさま通話ボタンを押す。

「ももももしもし」
『え、何だよなな起きてるの?というかもう集合時間過ぎてるの分かってるよね?』
「わわ分かってるんだけど、それはそれは深い事情がありまして…」
『そんなのどうでもいいからさっさと来てよ、じゃないと俺が副長に……ってぎゃああああ!!』
「退ウウウウ」

ツー、ツー

規則的な電子音を鳴らしてそれっきり退の声は聞こえなくなった。
…退!わたし退のこと忘れない!

「山田ー今何時ですかィ?」

「え、えと五時二十分を過ぎたくらいですけど。…何余裕そうにウィダー飲んでるんですか」
「急いだって仕方ねえだろィ」
「……」

うん。だんだんこの人が分かってきた。適当すぎる人間だ。
んで、三十分遅れで登場したわたし達を待ちかまえていたのは、鬼(の顔した先輩たち)だったのは言うまでもないよね。


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