手を下す
物心ついた時から日常的に両親から暴力を振るわれていた。それが普通で日常だったから、異常なことだと感じたことはなかった。それが異常なのだと知ったのは、両親がいない間に見たテレビ番組の親子の話たった。それは親は子に無償の愛を与え、慈しみ育てるという話だった。親が子に暴力を振るうことは異常で、それは虐待を呼ばれるのだと知った。それは弟が生まれる少し前の出来事だったと記憶している。
弟が生まれてからも両親は家にいることは少なく、弟の面倒は全て俺一人で見ていた。いつも部屋の中で独りぼっちだったから、例えまだ話をすることができなくとも、弟が一緒にいるだけでとても暖かい気持ちが湧いたことを覚えている。生まれて間もない弟は暴力を振るわれることはなかったが、弟が泣いた時だけはすごく煩わしそうにこちらを見ていた。しかし弟が歩けるようになると、両親は弟にも暴力を振るうようになった。自分より小さい弟を守らなければと感じるようになった。出来る限り降り注ぐ暴力から弟を守っていたが、守りきるには俺はまだまだ小さく弱かった。弟の体も痣だらけになるのはすぐだった。
「ごめんな。兄ちゃんが弱いから、お前にこんなケガさせちまって…。すぐに手当てしてやるからな。」
「僕だって男の子だよ?男の子は強いんだから、これくらいへっちゃらだよ!僕よりお兄ちゃんのほうが沢山ケガしてるんだから、早く手当てしなきゃ!」
「兄ちゃんはお前より大きくて丈夫だからいいんだよ。」
「でも、とっても痛いんでしょ?」
「うーん、まぁ…それなりにはな。ほら、早く手を出せ。消毒するぞ。」
「やっぱり…。お兄ちゃん、もう僕を庇わなくていいよ。僕だってあれくらい耐えられるんだから!」
弟は素直にこちらに手を出して、そう言った。消毒するとき、顔を歪めながら痛みに耐えているくせに、何が大丈夫なんだ。やっぱり俺が守ってやらなければ。こいつがいるだけで、ここは地獄なんかじゃなくなるんだから。しかし、ここで何も考えなくていい。俺が守ってやると言っても、弟は不貞腐れるだけだろう。だから少し笑って、わかったと了承した。
「ほら、そろそろ寝るぞ。あいつらはいつ帰ってくるかわからねぇんだから、今のうちに寝とかねぇと。」
「はーい。おやすみ、お兄ちゃん。」
おやすみ、と返事すると数分後、小さな寝息が聞こえた。穏やかな寝顔に安心して、俺も目を閉じた。弟も自分も夢の中では幸せであることを願って。
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隣から聞こえる荒い寝息に目が覚めた。弟の頬は赤く、手を当てるととても熱かった。ケガのせいか発熱しているようだった。薬もなければ病院に連れていくことだってできない。しかし、とにかく熱を下げなければと思い、濡らしたタオルを額に乗せた。汗を拭いてやりながら、額に乗せたタオルを取りかえてやってしばらく様子をみた。数時間後、だいぶ熱が下がったのか、荒かった寝息は普段のように穏やかになり、頬の赤みもひいたようだった。安心からか眠気が襲ってきて、倒れるように眠った。
隣にあったはずの温もりが消えていることに気がついて、目が覚めた。弟が寝ていたところに手を置くと、とても冷たくなっていた。弟が部屋を出てから時間がたっているようだった。隣の部屋から物音が聞こえて、とてつもなく悪い予感がし、部屋を飛び出した。
「鈴藍!!!」
弟の名前を叫び物音のした部屋に駆け込むと、そこには四肢があらぬ方向に曲がり、頭から血を流していた。壁に寄りかかり、開いている瞳は虚ろで何も写していなかった。その弟の目の前には両親がいて、彼らが弟をこんな風にしたのだとわかった。すぐに弟に近より、肩を揺すりながら声をかけるが、何も反応を示さなかった。
「鈴藍!おい、鈴藍!!しっかりしろ!」
「そいつ、もう死んでるのに返事なんか出来る訳がないじゃない。」
一瞬何を言っているのか理解出来なかった。弟が死んだ?そんなことあるわけがない。眠る前まで普通に話していたのに。
「帰ってくるなり私たちに?もうお兄ちゃんに痛いことしないで!?なんて突っかかってきたのよ?鬱陶しかったわ。」
「お前らなんかサンドバッグの価値しかねぇのにそんなこと言いやがるから、ちょっとイラッとしちまってやり過ぎちまったよ。サンドバッグ減るのは誤算だが、食い扶持減るし結果的によかったよな?」
「そうね。二人で肩を寄せあってるのを見るのもいい加減鬱陶しかったし。」
二人は弟の前で嘲笑うようにそう言った。いや、嗤っていた。ただただ嗤って、可笑しそうにそう話していた。なんで弟が死ななければならない?なんで弟は嗤われなければならない?弟はとても優しかった。けれども、とても臆病でもあった。俺の前では強がって大丈夫だと言うが、両親の前では怯えて耐えているだけだった。そんな弟が勇気を出して、俺を助けようとしてくれた、その行為をなぜこいつらに侮辱されなければならない。なんで。なんでなんでなんで。何も悪くない弟が死ななければならない。ああ、そうか。
「お前たちのせいか。」
ゆらりを立ち上がり、睨み付ける。急に動き出したから不審に思ったのか、こちらに目を向けた。
「お前たちのせいだ。お前たちさえいなければ、鈴藍は死ななかったんだ。殺してやる。」
そう口にしてすぐに母親の腕を掴み、逆に曲げて折る。痛みに喚き暴れる母親の腹に膝を入れ倒す。倒れた体の上に乗り両足を砕き、移動できなくした後に父親も同じような状態にする。喚き怒鳴る声を無視し、ひたすらに殴る。殴る。殴る。もっと喚け。もっと泣け。命乞いをしろ。その上でお前たちを殺してやる。生まれながらに力がとても強いことに初めて感謝した。素手で骨を砕くのを感じられる。憎いこいつらを自分の手だけで殺せる。とてもありがたい。無心で殴り続けていたら、いつの間にか両親は声すら発しなくなっていた。息もしていない。
「はぁ…はぁ…。もう終わり?もう死んだのかよ。あんなに俺たちに強気でいたのに呆気ないものだな?はっ…ははっ…ははははっ!!!」
暗い部屋の中、涙を流しながらただただ笑う。玄関から物音がし、誰かが部屋に入ってきた。すぐに拘束される。近隣の奴等がさっきの叫び声を聞いて通報したのだとすぐにわかった。きっとこれから当分ここには戻って来れないんだろう。せめて、弟の墓くらいは作ってやりたかったな。
「ごめんな、鈴藍。」
ぽつりと呟いた謝罪は暗い部屋に消えた。部屋から連れ出される前にチラリと見えた弟の口元には笑みが浮かんでいるように感じた。
手を下す
(禁忌と呼ばれる罪でも後悔はない)
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