緑間真太郎は俺のクラスの副担任で物理の先生であり、俺高尾和成が絶賛片思い中の相手であるマル。整った容姿と馬鹿でかいわけでもないのにやたら通るキレイな声音は、入学式終了後の初HRで、彼の中身を知らない初対面の女から男までのすべてを魅了していた。はじめのほうこそ批判ばかりされていた無愛想な中身もここ半年で学生たちに馴染み、人気は学年を越えて高い。つまり、彼は24歳にしてとっても、とってもとっても、いいせんせーなわけで。だからいまみたいに、さりげなく緑間の靴箱にラブレターが入っているなんてこと、珍しくないわけで。

「……燃やしていいかな」

俺がそのラブレターをこっそり盗んで処理しているのも、一度じゃないわけで。
呟きながら淡い桃色の便箋を指先で弄ぶ。中身は見ていない。見たらたぶん、いろいろ溢れて涙腺が打ち切れると思うから。ポケットにはライターが入っている。燃やそうと思えば幾らだって燃やせるのだ。すぐにそうしないのはこれを書いた女子生徒にちょっと共感を覚えているからとか。まあ、あとは美味くもない罪悪感とかが指先の動きを鈍らせているだけ。ひとつ溜息を吐いて前だけ見ていた視線を手元のそれに落とす。怠惰をのせてそこから視線を上げて空を見る。青い。燃やそう。


家に戻り、ベランダに出た。先に帰っていた妹ちゃんが「なにしてんのー?」と呑気にかけてくる声に「なんでもない」とだけ返して夕焼けより幾分劣るライターの火を掲げる。ついに封を開けられることのなかったラブレターの端が黒くなりはじめる。俺のこころより黒いですねー、なんて言って現実から目を背け出す。
ぷふぁあと火が灯る。ぼやぼやぼやと煙が上がる。がしがしがしと焦げた紙を踏み潰す。簡単な作業。簡単過ぎてなにか、足りない。俺はポケットから煙草を引っ張って唇に挟む。これなんて銘柄だったかな。フィリップモルス、だっけ? 忘れたけど。
ガチャガチャとリビングを歩き回っていた妹ちゃんが玄関に移る気配がした。どうやらお出掛けらしい。

「遊びに行ってくんねー」
「いつどこでだれと」
「いまから9時まで駅前で友達となんかあったら電話するご飯いらないいってきます!」
「いってらー」

うふぁり溢れ出した紫煙に声をのせる。マシンガントーク全開の妹ちゃんの声を背中で受け止めながら頭の中で間違っているところを修正していく。「友達と」→「彼氏と」、「駅前」→「彼氏の家」て兄ちゃんちゃんと知ってんぞー。くっそ、リア充め。彼氏の家とか。
目を細めてベランダから、下を走る妹ちゃんを見る。視線に気づいたのか唐突に振り向いた彼女が煙草を吸う仕草をした後、いってきますと口を動かして手を振ってきた。振り返して、微笑む。なんていうか、こう、羨ましい、な。
じう、とベランダの手摺に煙草を押し付けて火を消したとき、丁度タイミグよく携帯が鳴った。窓枠を踏んで部屋に戻り、ソファに置きっぱなしだったスクバの中から携帯を取り出す。知った番号だ。鳴りっぱなしのピルルを止めて耳に当てる。

『もしもし、高尾くんですか』
「こんばんは、黒子せんせ」
『はい、こんばんは。いきなりで申し訳ないですがきみに苦情です。高尾くん、前から言っているでしょう。ベランダで煙草を吸われると、僕の部屋に匂いが入ってきて、困ります。…今日は、煙草じゃないものも、燃やしてたみたいですし』
「ごめん。今度から換気扇の前で吸うから」

だから詮索はやめてほしいなあ、と心の中で吐き出しながらへらりと口先を歪ませる。電話越しの黒子先生はいま俺のいるマンションの隣の部屋に住んでいる、秀徳高校の、国語教師だ。両親の中々帰ってこないうちのことをちょいちょい気にしてくれているらしい。有難いですねーと棒読みで叫ぶ、勿論心中で。黒子はいいひとだ。若いなりに、自分のすべきことを分かっている。けど気に入らないのは、緑間の傍にいること。それが友情であれなんであれ、気に入らない。だからわざと煙草を吸ってやるんだけど、まるで手のかかる子供を窘めるようなそれに最近心地よさを覚えてしまったから俺は自分が情けない。なにがしたいのか分からない。自分が、やっていることが正しいのかすら、分からない。ゆらゆらと間違っている方向に進んでいるのかもしれないと、最近不安がっている自分をまるで他人事のように見て見ぬフリをしている、馬鹿。現実逃避したい。

『高尾くん、聞いてますか?』
「…ごめん、ぼーっとしてた。なに?」
『今日は緑間くんが来ますから、夜見えるところで喫煙してはいけませんよ』
「……へ」

ほらはあやく、現実逃避しないと。俺の中でだれかが呟いた。他人事扱いするな、現実を見ろ。心臓が血反吐と一緒に体外にでてきそうだった。


タイトル:深爪
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テーマ「人外ファンタジー」
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